悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす

黒崎隼人

文字の大きさ
10 / 15

第9話「過去との決別」

 王都からの緊急の知らせは、私の心を再び凍てつかせるには十分な内容だった。
 差出人は、アリアンヌ様だった。
 クロード様宛に送られてきたその手紙には、これまでの無礼を詫びる言葉と共に、驚くべき要求が書かれていた。

『リリアを、王都へお返しください。彼女は、わたくしにとって、なくてはならない侍女なのです。彼女がいなくなってから、わたくしの周りでは不幸なことばかりが起こります。どうか、この通り、お願いいたします』

 文面は丁寧だったが、その裏にある傲慢さと自己中心的な考えは透けて見えた。
 彼女は自分たちの失態の原因がリリアの不在にあると気づき、再び彼女を便利な道具として利用しようとしているのだ。

 クロード様は手紙を読み終えると、屑籠にでも捨てるかのように、無造作に机の上に放った。

「くだらない」

 吐き捨てるようなその一言に、彼の怒りが滲んでいた。

「リリア、君はどうしたい? もし君が望むなら、王都へ帰っても……」

「帰りません!」

 私は、彼の言葉を遮るように、強く言い切った。
 自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。

「私の居場所は、もうあそこにはありません。私の居場所は、ここです」

 まっすぐにクロード様の目を見て、私は告げた。
 もう、迷いはなかった。アリアンヌ様の元へ戻るなど、考えられなかった。
 あの息の詰まるような日々には、二度と戻りたくない。

 私の答えを聞いて、クロード様は安堵したように、微かに息を吐いた。

「そうか。……分かった」

 その日の執務は、それで終わりになった。
 けれど、私の心は穏やかではなかった。
 手紙を読んだ瞬間から、忘れていたはずの過去の記憶が、悪夢のように蘇ってきたのだ。
 アリアンヌ様の理不尽な命令。罵倒の声。そして、舞踏会での裏切り。
 あの時の絶望感と無力感が、再び胸に迫ってくる。

『私は、本当に過去を乗り越えられたのだろうか』

 自室に戻っても、不安は消えなかった。
 窓の外の雪景色を眺めていると、背後で静かにドアが開く音がした。
 振り返ると、そこにクロード様が立っていた。

「眠れないかと思った」

 彼はそう言うと、手に持っていた銀の盆をテーブルに置いた。
 温かいミルクと、蜂蜜の甘い香りが部屋に広がる。

「……ありがとうございます」

「気に病むことはない。君は、何も悪くないのだから」

 彼は私の隣に立ち、窓の外に目を向けた。

「アリアンヌ嬢もアラン殿下も、ただ自分たちの過ちから目を背け、責任を君に押し付けようとしているだけだ。君が戻ったところで、何も変わらない。彼らは、また同じことを繰り返すだろう」

 彼の言葉は、冷静で、的確だった。
 その通りだ。私が戻っても、彼らが改心することなどあり得ない。
 私はまた、都合のいい道具として使い潰されるだけだ。

「分かって、います。でも……」

 それでも、心のどこかで、アリアンヌ様に尽くした日々を完全に切り捨てられない自分がいた。
 育ててもらった恩義。幼い頃に交わした、他愛ない約束。
 それらが、亡霊のように私に付きまとう。

「怖いのです。また、裏切られるのが。信じていた人に、すべてを奪われるのが……」

 震える声で、私は本音を漏らした。
 それは、ずっと心の奥底にしまい込んでいた、私の弱さだった。

 すると、クロード様は、私の肩を優しく抱き寄せた。

「もう、君は一人ではない」

 耳元で囁かれた声は、驚くほど穏やかで、温かかった。

「私がいる。君が誰かに傷つけられることは、私が決して許さない。このヴァルハイトの名にかけて、君を生涯守り抜くと誓う」

 それはプロポーズの言葉にも似た、力強い誓いだった。
 彼の腕の中で、私はこらえきれずに涙を流した。
 それは、絶望の涙ではなかった。過去の呪縛から、ようやく解き放たれた、安堵の涙だった。

 アリアンヌ様への忠誠心も、育ててもらった恩義も、もう私を縛る鎖にはならない。
 私は、私の人生を歩むのだ。この、温かくて、優しい人の隣で。

「クロード様……」

 見上げると、彼の蒼い瞳が、熱を帯びて私を見つめ返していた。
 窓の外では、雪が静かに降り続いている。

「リリア。君はもうベルンシュタイン公爵家の侍女ではない。アリアンヌ嬢の影でもない」

 彼は私の濡れた頬に、そっと手を添えた。

「君は、私の……大切な人だ」

 その言葉と共に、彼の顔が近づき、唇が優しく重ねられた。
 それは雪のように柔らかく、暖炉の炎のように熱い、初めての口づけだった。

 この瞬間、私は過去のすべてと、本当の意味で決別することができた。
 もう振り返らない。前だけを見て、この人と共に生きていこう。
 王都からの手紙は、皮肉にも、私たち二人の心を固く結びつけるきっかけとなったのだった。

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されて追放寸前だったのに、なぜか冷徹なはずの氷の公爵様から世界で一番甘く愛されています。

黒崎隼人
ファンタジー
「リゼット・フォン・ヴァインベルク! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」 卒業パーティーの夜、公爵令嬢リゼットは婚約者の王太子から冤罪を突きつけられ、全てを失った。 絶望の淵に沈む彼女に手を差し伸べたのは、『氷の公爵』と噂される冷徹な美青年、キリアン・アシュフォード。 「ならば、俺が君を娶ろう」 彼の屋敷で始まったのは、戸惑うほどに甘い溺愛の日々。 不器用な優しさに触れるうち、凍てついた心は少しずつ溶かされていく。 一方、リゼットを陥れた偽りの聖女は王宮で増長し、国に災いを招き寄せていた。 やがて真実が暴かれる時、元婚約者は後悔の涙を流すけれど――もう、遅い。 これは、不遇の令嬢が本当の愛を見つけ、世界で一番幸せになるまでの物語。 痛快な逆転劇と、とろけるような溺愛があなたを待っています。

「呪いの令嬢」と呼ばれて婚約破棄されたので、本当に呪わせて頂きます 〜呪い?いいえ、神の祝福です〜

霧原いと
ファンタジー
公爵令嬢エレナは「呪いの令嬢」と呼ばれ、王太子アルフォンスから婚約破棄される。 さらに偽聖女セイラや実の両親からも罵倒され、舞踏会の場で完全に断罪されてしまう。 しかしエレナには秘密があった。 それは神から与えられた“因果応報”の加護。 これまで必死に抑えていたその力を、ついに解放することにした。 「では、本当に呪わせて頂きますね」 その瞬間、王太子も偽聖女も公爵家も、罪の報いを受けることになる――。 ※この作品は他サイトさんにも投稿させて頂きます

追放された悪役令嬢、辺境で植物魔法に目覚める。銀狼領主の溺愛と精霊の加護で幸せスローライフ!〜真の聖女は私でした〜

黒崎隼人
恋愛
「王国の害悪」として婚約破棄され、魔物が棲む最果ての地『魔狼の森』へ追放された悪役令嬢リリア。 しかし、彼女には前世の記憶と、ゲーム知識、そして植物を癒やし育てる不思議な力があった! 不毛の地をハーブ園に変え、精霊と友達になり、スローライフを満喫しようとするリリア。 そんな彼女を待っていたのは、冷徹と噂される銀狼の獣人領主・カイルとの出会いだった。 「お前は、俺の宝だ」 寡黙なカイルの不器用な優しさと、とろけるような溺愛に包まれて、リリアは本当の幸せを見つけていく。 一方、リリアを追放した王子と偽聖女には、破滅の足音が迫っていて……? 植物魔法で辺境を開拓し、獣人領主に愛される、大逆転ハッピーエンドストーリー!

転生令嬢は婚約破棄されましたが、実は隣国王の最愛でした 〜裏切られた令嬢の華麗なるざまぁと幸福な再会〜

Airi
恋愛
学園の華と讃えられた令嬢クラリスは、王太子から突然の婚約破棄を告げられる。嘲笑と哀れみの視線を浴びる中、手を差し伸べたのは隣国の若き王だった。かつて命を救い合った二人の再会、暴かれる陰謀、そして“ざまぁ”の逆転劇が今、始まる。──愛を信じることを諦めなかった少女に降り注ぐ、溺愛の嵐。

「虫に話しかけてるお前が気持ち悪い」と追放された令嬢——領地の蜂蜜が消え、薬も蝋燭も作れなくなった

歩人
ファンタジー
「虫に話しかけてる姿が気持ち悪い」——辺境伯令嬢ヒルデは、領地の養蜂を一手に管理する「蜂の女王」だった。婚約者はその姿を蔑み、公衆の面前で婚約を破棄した。ヒルデが領地を去って一週間後、蜂群が一斉に巣箱を捨てて飛び去った。蜂蜜は万能薬の基剤であり、蜜蝋は蝋燭と封蝋の原料。薬も作れず、夜は闇に包まれ、公文書の封印もできなくなった。冬が来る前に蜂蜜漬けの保存食が作れず、領民が飢え始めた。婚約者が別の養蜂家を雇ったが、蜂は全く懐かなかった——蜂は「女王を覚えている」。ヒルデ以外の人間には、針を向けた。

地味で役に立たないと言われて捨てられましたが、王弟殿下のお相手としては最適だったようです

有賀冬馬
恋愛
「君は地味で、将来の役に立たない」 そう言われ、幼なじみの婚約者にあっさり捨てられた侯爵令嬢の私。 社交界でも忘れ去られ、同情だけを向けられる日々の中、私は王宮の文官補佐として働き始める。 そこで出会ったのは、権力争いを嫌う変わり者の王弟殿下。 過去も噂も問わず、ただ仕事だけを見て評価してくれる彼の隣で、私は静かに居場所を見つけていく。 そして暴かれる不正。転落していく元婚約者。 「君が隣にいない宮廷は退屈だ」 これは、選ばれなかった私が、必要とされる私になる物語。

氷の令嬢は婚約破棄のあとで世界一の溺愛を手に入れる

まりあ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられ、笑顔で身を引いた公爵令嬢・エリアナ。しかし、その裏には冷えた微笑のまま燃える復讐心があった。すべてを失った令嬢は、やがて隣国の冷徹将軍に見初められ、甘く危うい愛の中で真の強さを取り戻していく。裏切りのざまぁと、圧倒的な溺愛の果てに待つのは――氷の愛か、永遠の誓いか。

婚約破棄された令嬢は辺境で幸せになります〜冷酷公爵の溺愛は聞いてません!〜

Airi
恋愛
王都で婚約者に裏切られ、処刑寸前まで追い詰められた侯爵令嬢エリス。 彼女を救ったのは、氷の公爵と呼ばれる辺境の貴族だった。 「二度と泣かせない」と誓う彼の腕の中で、傷ついた心は少しずつ溶かされていく。 だが王都では、エリスを破滅させた恋敵たちが、彼女を利用しようと再び動きはじめ——。 これは、“ざまぁ”の先にある、本当の愛と再生の物語。