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第1話「氷の公爵と契約の夜」
豪華絢爛という言葉をそのまま形にしたような大聖堂。ステンドグラスから差し込む光が、私のまとう純白のドレスの上で複雑な模様を描いていた。隣に立つ夫、リアム・フォン・アークライト公爵は、その光さえも凍てつかせてしまいそうな冷たい美貌で、ただ真っ直ぐに前を見据えている。
「氷の公爵」
それが、今日から私の夫となる人の異名だ。銀糸のような髪、深く澄んだ碧眼はまるで宝石のようで、神が精魂込めて作り上げた芸術品のような人。けれど、その瞳に感情の色が浮かぶことはなく、常に絶対零度の空気をまとっている。
私たちの結婚は、愛なんて綺麗なもので彩られたものではない。傾きかけた我がクローデル伯爵家を救うための、政略結婚。それ以上でも、それ以下でもなかった。
幼い頃、一度だけ彼に会ったことがある。庭園で迷子になった私を、優しく慰めてくれた銀髪の少年。あの日の温かい記憶だけを心の支えに、私はこの日を迎えた。けれど、目の前にいる彼は、あの日の少年の面影などどこにも見当たらない、完璧な「氷の公爵」そのものだった。
誓いの口付けですら、彼の唇は氷のように冷たかった。まるで義務をこなすかのように、触れるか触れないかの距離で、すぐに離れていった。集まった貴族たちの祝福の声も、どこか遠くに聞こえる。
結婚式の後の晩餐会も、彼はほとんど言葉を発しなかった。ただ、時折向けられる鋭い視線が、私の肌を突き刺すように痛い。まるで値踏みされているような、あるいは、不愉快なものを見るような、そんな視線だった。
『ああ、やっぱり。私は歓迎されていないんだわ』
覚悟はしていた。それでも、心のどこかで淡い期待を抱いていた自分が恥ずかしくなる。
そして、とうとうその夜がやってきた。アークライト公爵家の広すぎる主寝室。豪奢な天蓋付きのベッドが、これから始まるであろう義務を私に突きつけてくる。侍女たちが用意してくれた薄絹のネグリジェは、心許なく肌に張り付いていた。
緊張で喉がカラカラに渇く。ドアが静かに開かれ、リアム様が入ってきた。彼は部屋の中央で足を止めると、値踏みするように私を上から下まで眺めた。その碧眼には、やはり何の感情も映っていない。
「待たせてしまったか」
ようやく発せられた声は、彼の見た目通り、低く、冷たい響きを持っていた。
「い、いえ。そんなことは…」
私はかろうじてそれだけ答えるのが精一杯で、俯いてしまう。沈黙が重くのしかかる。彼がゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる気配に、私はぎゅっと目を瞑った。
けれど、彼が発した言葉は、私の予想を遥かに超えて、心を抉るものだった。
「勘違いするな。これはあくまで家と家の契約だ。クローデル伯爵家には十分な援助を約束する。その代わり、君にはアークライト公爵家の夫人として、完璧に振る舞ってもらう」
顔を上げると、彼は氷のような瞳で私を見下ろしていた。
「互いに干渉はしない。プライベートに踏み込むことも、互いの時間を束縛することもない。そして…」
彼は一度言葉を切り、最後の一撃を放つように、冷たく言い放った。
「愛を期待するな。俺が君を愛することはない」
全身の血が凍りつくような感覚。頭を鈍器で殴られたような衝撃に、目の前が真っ白になった。わかっていたはずなのに。政略結婚なのだから、当たり前のことなのに。彼の口から直接告げられた言葉は、私の胸に深く、深く突き刺さった。
幼い頃の淡い思い出も、この結婚に抱いていたほんの僅かな希望も、全てが粉々に砕け散った。
「…承知、いたしました」
震える声を必死に抑え込み、私はそう答えるしかなかった。彼は私の返事を聞くと、満足したのか、興味を失ったのか、ふいと顔を背けた。
「初夜の義務は果たす。だが、それだけだ。世継ぎができれば、閨を共にすることもないだろう」
あまりに無慈悲な宣告。彼は私を妻としてではなく、ただ世継ぎを産むための道具としか見ていない。その事実が、これ以上ないほどはっきりと私に突きつけられた。
その夜、彼に抱かれながら、私はただの一度も彼と目を合わせることができなかった。感情のこもらない、ただ義務をこなすだけの行為。温もりなんてどこにもなく、ただただ冷たく、虚しかった。
事が終わると、彼はすぐに私から離れ、背を向けて眠りにつこうとした。その広い背中が、私と彼の間にそびえ立つ、決して越えることのできない壁のように思えた。
暗闇の中、私はシーツを握りしめ、静かに涙を流した。悲しくて、悔しくて、惨めで。でも、このまま泣いてばかりはいられない。
『そうよ、いつまでもメソメソしていられないわ』
彼は言った。これは契約だと。ならば、私も契約相手として、自分の利を追求したっていいはずだ。いつか、世継ぎを産んで役目を終えたら、私は離縁されるのかもしれない。その時、無一文で放り出されるわけにはいかない。
強くならなくちゃ。自分の足で立てるように、準備をしなくては。
『慰謝料、稼いでやるわ!』
ぎゅっと拳を握りしめる。涙で濡れた瞳に、強い決意の光が宿った。
これは、契約結婚で夫に全く愛されていないと勘違いした私が、いつか来る離縁の日に備えて自立を目指す物語。
まさか、その冷たい夫が、私のことを狂おしいほどに愛しているなんて、この時の私は知る由もなかったのだ。
「氷の公爵」
それが、今日から私の夫となる人の異名だ。銀糸のような髪、深く澄んだ碧眼はまるで宝石のようで、神が精魂込めて作り上げた芸術品のような人。けれど、その瞳に感情の色が浮かぶことはなく、常に絶対零度の空気をまとっている。
私たちの結婚は、愛なんて綺麗なもので彩られたものではない。傾きかけた我がクローデル伯爵家を救うための、政略結婚。それ以上でも、それ以下でもなかった。
幼い頃、一度だけ彼に会ったことがある。庭園で迷子になった私を、優しく慰めてくれた銀髪の少年。あの日の温かい記憶だけを心の支えに、私はこの日を迎えた。けれど、目の前にいる彼は、あの日の少年の面影などどこにも見当たらない、完璧な「氷の公爵」そのものだった。
誓いの口付けですら、彼の唇は氷のように冷たかった。まるで義務をこなすかのように、触れるか触れないかの距離で、すぐに離れていった。集まった貴族たちの祝福の声も、どこか遠くに聞こえる。
結婚式の後の晩餐会も、彼はほとんど言葉を発しなかった。ただ、時折向けられる鋭い視線が、私の肌を突き刺すように痛い。まるで値踏みされているような、あるいは、不愉快なものを見るような、そんな視線だった。
『ああ、やっぱり。私は歓迎されていないんだわ』
覚悟はしていた。それでも、心のどこかで淡い期待を抱いていた自分が恥ずかしくなる。
そして、とうとうその夜がやってきた。アークライト公爵家の広すぎる主寝室。豪奢な天蓋付きのベッドが、これから始まるであろう義務を私に突きつけてくる。侍女たちが用意してくれた薄絹のネグリジェは、心許なく肌に張り付いていた。
緊張で喉がカラカラに渇く。ドアが静かに開かれ、リアム様が入ってきた。彼は部屋の中央で足を止めると、値踏みするように私を上から下まで眺めた。その碧眼には、やはり何の感情も映っていない。
「待たせてしまったか」
ようやく発せられた声は、彼の見た目通り、低く、冷たい響きを持っていた。
「い、いえ。そんなことは…」
私はかろうじてそれだけ答えるのが精一杯で、俯いてしまう。沈黙が重くのしかかる。彼がゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる気配に、私はぎゅっと目を瞑った。
けれど、彼が発した言葉は、私の予想を遥かに超えて、心を抉るものだった。
「勘違いするな。これはあくまで家と家の契約だ。クローデル伯爵家には十分な援助を約束する。その代わり、君にはアークライト公爵家の夫人として、完璧に振る舞ってもらう」
顔を上げると、彼は氷のような瞳で私を見下ろしていた。
「互いに干渉はしない。プライベートに踏み込むことも、互いの時間を束縛することもない。そして…」
彼は一度言葉を切り、最後の一撃を放つように、冷たく言い放った。
「愛を期待するな。俺が君を愛することはない」
全身の血が凍りつくような感覚。頭を鈍器で殴られたような衝撃に、目の前が真っ白になった。わかっていたはずなのに。政略結婚なのだから、当たり前のことなのに。彼の口から直接告げられた言葉は、私の胸に深く、深く突き刺さった。
幼い頃の淡い思い出も、この結婚に抱いていたほんの僅かな希望も、全てが粉々に砕け散った。
「…承知、いたしました」
震える声を必死に抑え込み、私はそう答えるしかなかった。彼は私の返事を聞くと、満足したのか、興味を失ったのか、ふいと顔を背けた。
「初夜の義務は果たす。だが、それだけだ。世継ぎができれば、閨を共にすることもないだろう」
あまりに無慈悲な宣告。彼は私を妻としてではなく、ただ世継ぎを産むための道具としか見ていない。その事実が、これ以上ないほどはっきりと私に突きつけられた。
その夜、彼に抱かれながら、私はただの一度も彼と目を合わせることができなかった。感情のこもらない、ただ義務をこなすだけの行為。温もりなんてどこにもなく、ただただ冷たく、虚しかった。
事が終わると、彼はすぐに私から離れ、背を向けて眠りにつこうとした。その広い背中が、私と彼の間にそびえ立つ、決して越えることのできない壁のように思えた。
暗闇の中、私はシーツを握りしめ、静かに涙を流した。悲しくて、悔しくて、惨めで。でも、このまま泣いてばかりはいられない。
『そうよ、いつまでもメソメソしていられないわ』
彼は言った。これは契約だと。ならば、私も契約相手として、自分の利を追求したっていいはずだ。いつか、世継ぎを産んで役目を終えたら、私は離縁されるのかもしれない。その時、無一文で放り出されるわけにはいかない。
強くならなくちゃ。自分の足で立てるように、準備をしなくては。
『慰謝料、稼いでやるわ!』
ぎゅっと拳を握りしめる。涙で濡れた瞳に、強い決意の光が宿った。
これは、契約結婚で夫に全く愛されていないと勘違いした私が、いつか来る離縁の日に備えて自立を目指す物語。
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