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第2話「凍てつく大地への旅路」
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王都を出発してから二週間。馬車の窓から見える景色は、豊かな緑から荒涼とした岩肌へ、そして今は一面の銀世界へと変わっていた。
北部は一年の大半が雪に閉ざされた過酷な土地だ。
馬車の中には暖を取るための魔石式ヒーターが設置されているが、それでも窓の隙間から入り込む冷気は容赦なく肌を刺す。私はショールを肩まで引き上げ、白く曇る息を吐き出した。
「寒くありませんか、リリアーナ様」
向かいに座っているのは、生家から唯一ついてきてくれた侍女ではなく、アイゼンハルト家から迎えに来た御者の男性だった。名をガストンという。強面だが、道中の扱いは驚くほど丁寧だった。
「ええ、大丈夫です。景色が綺麗で、見とれてしまって」
私の言葉に、ガストンは意外そうに目を丸くした。
「綺麗、ですか。都の姫君には、この何もない雪景色は退屈かと思っておりましたが」
「いいえ。王都の喧騒より、この静寂のほうが私には心地よいのです」
それは本心だった。華やかな夜会も、強い香水の匂いも、値踏みするような視線もない。ただ純白の雪がすべてを覆い隠してくれる世界。
しばらくして、吹雪の向こうに巨大な影が浮かび上がった。
断崖絶壁の上にそびえ立つ、黒い城。アイゼンハルト城だ。鋭利な氷柱のような塔がいくつも天を突き、城壁はまるで竜の鱗のように堅牢に見える。
「到着いたしました。あちらが旦那様の城です」
馬車が城門をくぐると、その巨大さに圧倒された。
石畳の中庭に馬車が止まる。扉が開かれ、私は凍えるような寒気の中に降り立った。
出迎えのために整列している使用人たちの視線が一斉に私に注がれる。彼らの多くはベータだが、中にはアルファとおぼしき屈強な兵士たちも混ざっていた。
だが、誰一人として微笑んではいない。
彼らの目は警戒に満ちていた。「また王都から面倒な女が送られてきた」という無言の圧力が肌を焼くようだ。
その時、正面の大扉が重々しい音を立てて開いた。
現れたのは、闇夜を切り取ったかのような黒い軍服に身を包んだ、長身の男性だった。
ヴォルフガング・フォン・アイゼンハルト辺境伯。
漆黒の髪は少し乱雑にかき上げられ、彫刻のように整った顔立ちは冷徹そのもの。そして何より目を引いたのは、その瞳の色だ。
獲物を狙う猛禽類のような、鋭く輝く黄金の瞳。
彼が一歩踏み出すだけで、周囲の空気がビリビリと震えるのが分かった。これが、最強のアルファが放つ「威圧」なのか。普通のオメガなら、このプレッシャーだけで足がすくみ、場合によっては気絶してしまうかもしれない。
けれど、私は平気だった。
恐怖がないわけではない。ただ、彼から発せられる強烈な気配が、なぜか私には不快ではなく、むしろ澄んだ冬の風のように感じられたのだ。
彼は私の前で立ち止まり、黄金の瞳で見下ろした。
「……貴様が、ベルンシュタイン家の娘か」
声は低く、地響きのように腹の底に響くバリトンだった。
「はい。リリアーナ・ベルンシュタインと申します。此度はお迎えいただき、感謝申し上げます」
私は極力優雅に見えるよう、カーテシーをした。
彼は鼻を鳴らし、露骨に不快そうな顔をした。
「挨拶など不要だ。……ふん、聞いていた通りだな。オメガ特有の、あの鼻につく甘ったるい悪臭がしない」
悪臭、と言い切った。オメガのフェロモンをそこまで嫌悪しているのか。
彼は私の顔を覗き込むように近づいた。至近距離で見ると、その迫力は凄まじい。思わず後ずさりそうになるのを必死でこらえる。
「だが、勘違いするなよ。俺は妻など必要としていない。王都の連中がうるさいから、飾りの妻を受け入れただけだ」
「……承知しております」
「俺の邪魔をするな。城の運営にも口を出すな。そして絶対に、俺の寝室には近づくな。それさえ守れば、衣食住は保証してやる」
冷淡な言葉の羅列。しかし、それは私にとって都合の良い条件でもあった。
「ありがとうございます。お情けに感謝いたします、閣下」
私が真っすぐに彼を見返して答えると、ヴォルフガングは一瞬だけ怪訝な顔をした。おそらく、怯えて泣き出すか、媚びを売ろうとすり寄ってくる反応を予想していたのだろう。
「……変わった女だ」
彼はそうつぶやくと、興味を失ったように背を向けた。
「ハンス、部屋へ案内してやれ。北の塔だ」
「かしこまりました」
執事と呼ばれた初老の男性が一礼する。
こうして、私の北国での生活は、氷点下の冷遇から幕を開けたのだった。
北部は一年の大半が雪に閉ざされた過酷な土地だ。
馬車の中には暖を取るための魔石式ヒーターが設置されているが、それでも窓の隙間から入り込む冷気は容赦なく肌を刺す。私はショールを肩まで引き上げ、白く曇る息を吐き出した。
「寒くありませんか、リリアーナ様」
向かいに座っているのは、生家から唯一ついてきてくれた侍女ではなく、アイゼンハルト家から迎えに来た御者の男性だった。名をガストンという。強面だが、道中の扱いは驚くほど丁寧だった。
「ええ、大丈夫です。景色が綺麗で、見とれてしまって」
私の言葉に、ガストンは意外そうに目を丸くした。
「綺麗、ですか。都の姫君には、この何もない雪景色は退屈かと思っておりましたが」
「いいえ。王都の喧騒より、この静寂のほうが私には心地よいのです」
それは本心だった。華やかな夜会も、強い香水の匂いも、値踏みするような視線もない。ただ純白の雪がすべてを覆い隠してくれる世界。
しばらくして、吹雪の向こうに巨大な影が浮かび上がった。
断崖絶壁の上にそびえ立つ、黒い城。アイゼンハルト城だ。鋭利な氷柱のような塔がいくつも天を突き、城壁はまるで竜の鱗のように堅牢に見える。
「到着いたしました。あちらが旦那様の城です」
馬車が城門をくぐると、その巨大さに圧倒された。
石畳の中庭に馬車が止まる。扉が開かれ、私は凍えるような寒気の中に降り立った。
出迎えのために整列している使用人たちの視線が一斉に私に注がれる。彼らの多くはベータだが、中にはアルファとおぼしき屈強な兵士たちも混ざっていた。
だが、誰一人として微笑んではいない。
彼らの目は警戒に満ちていた。「また王都から面倒な女が送られてきた」という無言の圧力が肌を焼くようだ。
その時、正面の大扉が重々しい音を立てて開いた。
現れたのは、闇夜を切り取ったかのような黒い軍服に身を包んだ、長身の男性だった。
ヴォルフガング・フォン・アイゼンハルト辺境伯。
漆黒の髪は少し乱雑にかき上げられ、彫刻のように整った顔立ちは冷徹そのもの。そして何より目を引いたのは、その瞳の色だ。
獲物を狙う猛禽類のような、鋭く輝く黄金の瞳。
彼が一歩踏み出すだけで、周囲の空気がビリビリと震えるのが分かった。これが、最強のアルファが放つ「威圧」なのか。普通のオメガなら、このプレッシャーだけで足がすくみ、場合によっては気絶してしまうかもしれない。
けれど、私は平気だった。
恐怖がないわけではない。ただ、彼から発せられる強烈な気配が、なぜか私には不快ではなく、むしろ澄んだ冬の風のように感じられたのだ。
彼は私の前で立ち止まり、黄金の瞳で見下ろした。
「……貴様が、ベルンシュタイン家の娘か」
声は低く、地響きのように腹の底に響くバリトンだった。
「はい。リリアーナ・ベルンシュタインと申します。此度はお迎えいただき、感謝申し上げます」
私は極力優雅に見えるよう、カーテシーをした。
彼は鼻を鳴らし、露骨に不快そうな顔をした。
「挨拶など不要だ。……ふん、聞いていた通りだな。オメガ特有の、あの鼻につく甘ったるい悪臭がしない」
悪臭、と言い切った。オメガのフェロモンをそこまで嫌悪しているのか。
彼は私の顔を覗き込むように近づいた。至近距離で見ると、その迫力は凄まじい。思わず後ずさりそうになるのを必死でこらえる。
「だが、勘違いするなよ。俺は妻など必要としていない。王都の連中がうるさいから、飾りの妻を受け入れただけだ」
「……承知しております」
「俺の邪魔をするな。城の運営にも口を出すな。そして絶対に、俺の寝室には近づくな。それさえ守れば、衣食住は保証してやる」
冷淡な言葉の羅列。しかし、それは私にとって都合の良い条件でもあった。
「ありがとうございます。お情けに感謝いたします、閣下」
私が真っすぐに彼を見返して答えると、ヴォルフガングは一瞬だけ怪訝な顔をした。おそらく、怯えて泣き出すか、媚びを売ろうとすり寄ってくる反応を予想していたのだろう。
「……変わった女だ」
彼はそうつぶやくと、興味を失ったように背を向けた。
「ハンス、部屋へ案内してやれ。北の塔だ」
「かしこまりました」
執事と呼ばれた初老の男性が一礼する。
こうして、私の北国での生活は、氷点下の冷遇から幕を開けたのだった。
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