商人の男と貴族の女~婚約破棄から始まる成り上がり~

葉月奈津・男

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【エマ編】

第5話 落とし穴を掘るぐらいなら、つらくても山を登ろう ②

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「来た」
 会場の片隅で待ち構えること十数分。
 エマが緊張した声を出した。
 自分の夫と第一夫人が腕を組んで歩いてくるのを指さしている。

 華やかな貴族夫婦。
 まるでお手本のような表情と所作で、貴族たちと挨拶を交わしていた。
 その前へ、女性二人が進み出る。

「あらあら、このようなところへ来てて大丈夫ですかー?」
「第二夫人のエマさんがまた男を漁ってしまいますよー?」
 バカにしていますと、はっきりわかる表情と声。

 自分たちに向けられると腹が立つばかりだが、他人がされていると『芸』だな。
 カロスタークは妙に感心した。

「な、なにを言っているのかね?」
「変なこと言わないでくださる?」
 驚きはしたが、意味不明なだけです。
 そんな顔で避けようとするジョルジュたち。

「え―? だってニコラ様がおっしゃっていたではありませんか—」
「お忘れですかー? 私たち偶然耳にしちゃったんですけど—」
 とある貴族家のパーティーで、エマについて愚痴るニコラの話を聞いていたと話す女性二人。
 自分たちを躱して逃げようとする者の動きに合わせて、必ず正面を維持する足運びは芸術だった。

「っ。記憶にないな」
「私もです」
 冷たく応じて逃れようとするが、逃れられず焦り始めるジョルジュたち。

「まあっ! 大丈夫ですか?」
 驚いたような声が響く。

「大変ですわ。記憶障害かしら? どなたかお医者様はいらっしゃいませんかー?」
 心配でたまりませんって顔と口調。
 劇場の演者もかくやと言う演技力に脱帽だ。

「病気などではない! 知らないと言っている!」
 貴族には病気疑惑も都合が悪い。
 健康だと示すためか、嘘を信じさせたい気持ちの表れか、声が高くなった。
 会場内の衆目が集まってくる。

「知らないだなんてっ!」
「重篤ですわね。おかわいそうに」
 悲劇を演じる二人。
 その目が油断なく周囲を見渡し、数人の人物を捕らえた。
 口元に笑みが浮かぶ。

「男爵夫人、よいところに!」
「先日のバラ園でお聞きした話をしてあげてくださいまし。記憶を失くされているようですので」

「くっ?!」
 ニコラが息を呑んだ。

 話しをしたその相手なのだろう。
 証言されては甚だマズいのだ。

「第二夫人のエマ様が男性とよくない関係を続けていらっしゃるとか、お金を勝手に持ち出すと言っていたことでしょうか?」
 突然注目された男爵夫人が、戸惑ったような顔で確認を取った。

「ええ。それですわ」
「詳しく話してあげてくださいまし。記憶を取り戻すために必要なことなのですわ!」
 切羽詰まった様子で助力を乞う。

 茶番だ。
 二人の女性も、発言を振られた男爵夫人も、もちろん会場のすべての貴族がわかっている。

 ニコラが記憶を失ってなどいないことを。
 公開されては困る話に食いつかれて、知らぬふりで押し通そうとしているのだと。

「ふむ。噂話など興味もないが・・・」
「ニコラ殿の記憶を取り戻すためと言われては止めることもできぬ」
「拝聴するがよいですぞ。ニコラ殿」
「なに。我々もついておる。安心されよ」
 真剣な顔で、高位貴族の方々が、優しく親切そうに声をかけた。

 親切『そう』だ。

 その証拠に、ニコラと名前で呼んでばかりで家名も爵位も口にしていない。
 貴族の礼儀としてあり得ないことだ。
 それだけ軽んじられていると言える。

「あ、な——」
「まっ、まって——」
 止める当事者たちの声は、全の貴族が無視をした。

「この間など、馬車が妙な揺れ方をしていたそうですわね?」
「出てきた殿方が、ズボンのベルトを直していたとか?」
 噂の詳細が語られていく。

「ち、違いますよ。そういう疑惑が——。愛する妻を心配するあまりに出た言葉でして——
 ニコラたちの顔は真っ青だ。

「それならば、やはり一人にしておくべきではあるまい」
「常にお主の側におれば、誰もそのような噂は流さぬからな」
 自分で噂を流しておいて、放置しているのはおかしくないかとの指摘だ。

 確かにそのとおりである。
 ニコラの話は完全に破綻していた。

「お前たち」
 別の方角から現れた紳士が、第一夫人の前に立った。

「お、お兄さま——」
 狼狽する第一夫人が、夫を睨みつけた。

「コイッのせいなのです! コイツが、第二夫人から金を取り上げるためだと言ってきて。無理やり巻き込んだのです! 手伝わないと実家への援助を止めると脅されて!」
 焦った第一夫人が、裏の事情を暴露した。

「なっ、バカ! そんなこと言ったらっ!」
「事実でしょ! 脅迫者のくせに被害者ぶらないで!」
「なんだと!」
「なによ!」

 このあと、二人の醜い争いがしばらく続いた。
 貴族たちにとっては、いい余興だったのだろう。

 ともかく、これでエマに対する変な噂は奇麗に忘れ去られることになるのだった。

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