商人の男と貴族の女~婚約破棄から始まる成り上がり~

葉月奈津・男

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【歴史の礎編】

第23話 洞窟の中ではカナリアが先に死ぬ ②

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 坂はどんどんとキツくなっていった。
 タバルが、ふと顔を上げた。
 首を傾げて耳を澄ましているようだ。

「なにか、声がしないか?」
「そうですね。なんというか、大勢が一斉に声を上げているような感じです」
 副長も耳を澄まして相槌を打った。

「トイ! トイはいるか?!」
 副長が誰かを呼んだ。

「は、はい! いますよ!」
 後方にいた若い隊員が、ぴょんぴょん飛び跳ねて手を振る。

「こっちに来い!」
 副長の命令を聞いた周囲の者が道をあけて、若い隊員を通してくれる。

「トイ。お前は耳がいい。この声がなにを言っているのか聞き分けてくれ」
「声? あー、これですか。ちょっと待ってください」
 若い隊員は耳に手を添えて、目を閉じた。

「えっとですね。『難民にはパンとスープを!』『敵兵には矢と槍を!』って言うのを繰り返してます」
 その言葉を聞いた他の隊員が、あっと声を上げた。

「じゃあ、間違ってないんだ!」
 やっぱそうなんだ! と、嬉しそうだ。

「なにがだ?」
「匂いですよ! 小麦の! 焼き立てのパンの匂いです!」
「なんだと?!」
 全員が一斉に鼻をスンスン鳴らして匂いを嗅ぎ始めた。
 風呂にも入れず歩き詰めだった男たちの饐えた臭いが充満するなかで、確かに香ばしい小麦の匂いが漂っている。

「た、隊長」
 副長が、タバルを呼んだ。

 遥か前方を指差している。
 ちょうど、橋の高さが最大になる地点だった。
 前方がよく見晴らせる。

「早いわけだ」
 乾いた呟きが漏れた。

 列の進み具合の話だ。
 何万人もの列にしては早すぎると感じていたが、理由がわかった。

 五本の橋。
 そこから伸びていく動線の両側に、祭りの夜店のような露店が並んでいる。
 石造りの釜ではパンが焼かれているのだろうし、火に掛けられた巨大な鍋ではスープが煮込まれているのだろう。

 雑兵たちがパンとお椀を持っている様子が、見て取れた。
 腹を空かせた者たちの前に、暖かな食事が置かれているのだ。
 列が進まないわけがない。

「なぜだ?」
 数万人規模なのに、まったく混乱が見えない。
 騒ぐ姿がまったく見えないのだ。
 もっとこう、騒ぎが起きていそうなものだが、誰もが普通に笑顔でパンを口に入れている。

「隊長!」
 再び副長が注意を促した。

 今度は遥か前方ではなく、少し近い。
 橋を渡って五十メートルほど離れた位置、露店が並び始める辺りだ。

 若い女性がいた。
 肌の露出は少ないが、女性ならではの起伏がはっきりと出る服装で。
 その女性が、橋を渡り終えた者たちに近づいて、手振り身振りを交えて誘導している。

 女性は一人ではない。
 他に何人も待機している。
 何十人かもしれない。

「案内人まで用意しているのか」
 あえぐようにして、タバルが言葉をこぼす。

 もちろん、案内人がいるだけで、こんなに順調な動きにはならない。
 スムーズに行っている最大の理由は別にある。

 カロスターク曰く、『埋伏の毒』が機能した結果だった。
 埋伏の毒、敵の中に手の者を埋め伏せること。

 すなわち、避難させた北王国の若者のうち、帝国軍に紛れ込んだ者たちのことである。
 彼らには三つの役割が与えられていた。

 一つ、安全な避難先の確保。
 敵の中に紛れることで、これは完遂した。

 二つ、帝国軍の食糧を食い潰すこと。
 これも、うまくいった。

 三つ目が、このタイミングでの心理的誘導だ。

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