風のアモール ~祈りの巫女と二人の男~

葉月奈津・男

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(R18)ファタール用改稿版

第57話 帰る場所へ

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 シレーネが廃墟の入り口へ戻ってきたとき、ボルガンはその姿を見つけた瞬間、
 胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
 彼女の目は赤く、涙の跡が残っている。
 でも——
 その瞳は、もうアモールを追っていなかった。
 ボルガンは息を呑む。

(……帰ってきたんだ。俺のところに……)

 胸の奥で、安堵と痛みが同時に溢れた。
 シレーネが近づく。
 その足取りはゆっくりで、どこか迷いを振り切ったような強さがあった。

「……ボルガン」
 その声はかすれていた。
 けれど、確かに彼の名を呼んでいた。

 ボルガンは一歩、彼女へ近づいた。
 けれど、すぐには抱きしめなかった。

(……本当に、俺を選んだのか……それとも……傷ついて、戻ってきただけなのか……)

 そんな弱い疑念が胸をかすめる。
 だが、次の瞬間——
 シレーネが自分から彼の胸に顔を埋めた。

 その動きに、迷いはなかった。
 言葉は出なかった。

 なんと言えばいいのか——。
 少し考えて、でも、考えるのはやめた。
 胸の奥から自然に溢れた言葉を、そのまま口にする。

「……ただいま」

 その一言で、ボルガンの胸の奥にあった影が、音もなく崩れ落ちた。
 彼はそっと腕を回し、シレーネを抱きしめた。
 強くではなく、壊れ物を扱うように優しく。

(……あぁ……この温もりを……俺はずっと、待っていたんだ)

 シレーネの震えが、腕越しに伝わる。
 アモールの影がまだ残っていることも、完全には消えていないことも、
 ボルガンにはわかっていた。

 それでも——
 彼は受け入れた。

(いい。全部抱える。全部、受け止める。おまえが戻ってきてくれたなら……
 それだけで、十分だ)

 シレーネが小さく息を吐いた。
 その吐息は、アモールの背中を追っていたときのものではなく、『帰る場所を見つけた人間』のものだった。

 ボルガンは彼女の髪にそっと触れ、静かに言った。

「……おかえり、シレーネ」

 その声は、決意と安堵と、深い愛情が混ざっていた。

 自分は、彼女の『家』になるのだ。

「もう……離さない」

 シレーネは胸の中で小さく頷いた。

「……うん。わたし……帰ってきたよ」

 二人を包む空気は、夜明け前の冷たさとは違う、静かで確かな温もりに満ちていた。



 サラサとマルコが戻ってきた。
 どんなやりとりがあったのか、マルコは少しだけ目元を濡らしていた。
 だけど、それは悪い意味の涙ではない。
 事実、マルコもサラサも笑っている。
 涙を拭いたマルコの顔は、青空のように晴れやかだった。

 アモールは走り出す。
 あふれる外界へ、無限の広がりを目指して。  
 その背中は、どこか寂しげで、どこか解放されたようでもあった。

 シレーネ、サラサ、メモリーの三人は、微笑みながらその背中を見送る。
 シレーネの胸の奥では、さっきまで揺れていた『火』が、静かに落ち着きを取り戻していた。
 サラサは空を見上げ、ようやく肩の力が抜けるのを感じていた。
 メモリーは二人の横顔を見て、そっと安堵の息を吐いた。

(……これでいい。ようやく、みんな前を向ける)

 やがて顔を見合わせ、目で頷き、三人も走り出した。

 その顔には、苦しみも悲しみもなく、朝日に向かって駆けていく希望と勇気だけが輝いていた。
 塔を出て、街の廃墟を抜けた先に広がっていたのは——

 青と紅、紫が混ざり合う美しい空。
 雲ひとつない、澄み渡った空は、彼らの心そのものだった。

 もはや、暗黒の雲も、死の大地もない。

 《白き竜》も姿を消していた。

 荒れる風も、氷の刃も、もう飛んではいない。

 一面に広がる白銀の大地だけが、過去の名残を静かに抱いていた。

 冬が終わり、春が来る。

 すべてのものに——

「これでもう、氷世雪が起こることはないわよね」

 シレーネは、村人たちの絶望に曇った顔を思い出す。
 でも、もう悩む必要はない。

 絶望は希望に、苦しみは喜びに変わった。
 雪に閉ざされた大地が目覚め、命が芽吹く。

 白と銀の時代が終わり、青と緑の輝きが流れ始める。

 ボルガンは隣を歩くシレーネの手の温度に、胸の奥の痛みがそっと溶けていくのを感じていた。
 彼らは、自然と歩き出していた。

 本来あるべき場所へ。
 彼らを待つ誰かのところへ。
 吹き抜ける風に、小鳥のさえずりが聞こえたような気がした。  

 それは、長い冬の終わりを告げる、静かな祝福のようだった。

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