異境の人 ~鈴音が紡ぐ世界~

葉月奈津・男

文字の大きさ
7 / 36

第6話 晴天霹靂 ⑥ ~アーシェラー山~

しおりを挟む
  

 ――そして、三年前。
 その時が、ついに訪れた。

 最初に、大魔王サンディムーアの封印が解けた。
 六千年もの間に蓄積された瘴気が地界を吹き抜け、その余波によって、他の五魔王の封印までもが次々に解かれてしまった。

 危機を察知した神々は、かつてない規模の戦いに備え、各世界から戦士たちを召集した。

 過去の戦いで名を馳せた勇者の末裔たち、各教会の神官、ギルドに所属する魔導師たち――あらゆる力を結集し、魔王たちの再封印に挑んだ。

 集まったのは、魔導師や神官を含む千人の戦士たち。
 そして、かつて魔王を封じた勇者の血を引く五人の末裔。

 彼らは力を合わせ、魔王たちを一人ずつ確実に封印していった。
 封印の地や方法にも細心の注意を払い、その効力が少しでも長く続くよう、慎重に慎重を重ねて。

 多くの犠牲を払いながら――

 やがて、五大魔王は再び封印され、最後に残った大魔王サンディムーアも、五大魔王の封印によって形成された五芒星の中心に封じられた。

 五つの封印が星の一点一点となり、その魔力は五芒魔方陣として増幅され、いかに強大なサンディムーアといえど、逃れる術はなかった。

 ――勇者五人の命と引き換えにして。

 熾烈を極めたこの戦いの末、生き延びたのは、わずかに四人。

 だが、彼らは勝利の報せを告げた後、歓喜に沸く人々を残して、静かに姿を消した。

 その後、彼らの姿を見た者はいない――

    ◇

 「…と、まぁ、これが一万年――少なくとも記録に残っている限りでの、天界と地界の戦いに関する伝承よ。結局のところ、魔王や勇者がどんな戦い方をしたのか、封印の方法がどうだったのか、詳しいことは誰にもわからないの。たぶん、神々でさえもね」

「それは、そうかもね……」

 鈴音は心の中で、そっと相槌を打った。
 結局、戦いの真実なんて、実際に武器を手に取り、命を懸けて戦った者にしか見えないのかもしれない。

 映画や小説で見る戦いは、勇気と正義に満ちた英雄譚に映る。
 けれど、現実に目の前で繰り広げられたなら、それは無謀で、自己中心的で、時に残酷で、サディスティックな行為にすら見えるかもしれない。

 実際に戦ったことのない者にとって、それが『戦い』というものなのだろう。

「その四人の中に……もしかしたら、義人くんもいたのかな。だとしたら、女神様がわざわざ迎えに来た理由も、なんとなくわかる気がするんだけど……」

 可能性は低い。
 そう思いながらも、鈴音は控えめにつぶやいた。

 その言葉に、リカートはぴくりと眉をひそめ、不快げな表情を浮かべた。

「今さら、女神様が誰を何の理由で迎えに行ったかなんて、考えても仕方ないでしょ。 もう、あなたを中心にして事態は動いてるの。後戻りなんて、できないんだから」

 送り出されたのは鈴音だけではない。
 リカートもまた、村の総意を背負って旅立ってきた。
 進む以外の道はないのだ。

 怒ったような口調でそう言うと、リカートは前方を指差した。

 その先には、小高い丘――いや、山と言っても差し支えないほどの高みがそびえていた。
 頂には、古代ギリシャの神殿を思わせる白亜の建物が静かに佇んでいる。

 恐らく、いや、間違いない。
 あれがアーシェラ山。
 そして、ティアット神殿だ。

 鈴音は、そこにあるという『ヴァルナ聖典』を得なければならない。
 神殿を見つめながら、否応なく悟らざるを得なかった。

 自分に課せられた使命の重さを――そして、これから始まる苦難の旅路を。

 「なるほどね。ちょっと時間がかかって、かなり疲れるのね」

 感情のこもらない声で、鈴音は先ほどのリカートの言葉を繰り返した。
 その視線は、目の前にそびえる山を下から上へと、まるで舐めるように辿っていく。

 そこには、まるで万里の長城をそのまま階段に変えたかのような、果てしなく続く石段があった。

 一気に駆け上がろうものなら、天国まで直通で昇天しそうな錯覚すら覚える。
 見ているだけで息が切れそうな、そんな高さと長さだった。

「見てると嫌になるわ。行きましょう。たわわな稲も鋤の一撃からって言うでしょう?」

 ――たぶん、「千里の道も一歩から」と言いたかったのだろう。
 意味は通じたので、鈴音はあえて突っ込まなかった。

 小さく深呼吸をして、石段の一段目に足をかける。

 それは、鈴音にとって――本当の意味での『冒険の旅路』への、最初の一歩だった。
  
     ◇

 ティアット神殿の内部は、外観の古代ギリシャ風とは裏腹に、どちらかといえば古代エジプトの神殿を思わせる雰囲気が漂っていた。

 無意味なほどに太く、堂々とした大理石の柱は、確かにギリシャ様式そのもの。
 だが、その柱にびっしりと刻まれた細やかな文様は、むしろエジプトの神殿に見られる特徴に近かった。

 もっとも、エジプトでは『描く』のが主流で、こちらは『刻む』。
 けれど、意味合いとしては大差ない。
 描かれたものは神話や歴史、あるいは予言の類であり、資料としての価値を持つものが多い。

 この神殿の柱も、きっと同じような意味を持っているのだろう――そう思った鈴音は、興味を惹かれて一つひとつの柱を調べ始めた。

 だが、三本目を見終えたところで、あっさりと断念した。

 もしこれがエジプトのような絵文字であれば、多少なりとも意味を推測できたかもしれない。
 だが、そこに刻まれていたのは、まるで楔形文字のような、見慣れない記号の羅列だった。

 異世界の学者でもない自分に、読めるはずがない。

「ヴァルナ聖典を読めって言われたけど……あたし、読めないよ。この世界の文字なんて」

 柱に刻まれた文字を前に、鈴音は肩を落とした。
 そして――
 しばらく歩いたあとで、その事実に気づき、不安げに声を漏らす。

 もちろん、リカートなら読めるだろう。
 だから致命的な問題ではない――そう頭ではわかっている。

 けれど、またしても他人に頼らなければならないのかと思うと、鈴音は情けなさに、思わず歯を食いしばった。

 「ことヴァルナ聖典に関して、その心配だけはいらないわ」

 リカートが、ふと立ち止まりながら言った。

「……その聖典はね、読む人によって内容も、字体も、文字さえも変わるの。だから、読む人が読めない文字で書かれているなんてことは、絶対にないのよ。むしろ、問題は――その中身。読むに値するものならいいんだけど……」

 そう言って、リカートは深々とため息をついた。

 その表情を見つめながら、鈴音はようやく気づいた。
 リカートがヴァルナ聖典の名を聞いたときに見せた、あの不審そうな顔の理由を。

 読む人によって内容が変わるということは、裏を返せば――内容があるようで、ないようなもの。
 必ずしも役に立つとは限らないし、たとえ役に立ったとしても、それを証明する術はない。

 もしかしたら、何の意味もない言葉を延々と読まされるだけかもしれない。
 そんなものに期待するのは、確かに気が進まないだろう。

「ま、なんにせよ。読んでみないことには始まらないわね。とりあえず、この神殿の祭司長様に会って、許可をもらいましょう」

 リカートのもっともな提案に、鈴音はこくりと頷いた。
 二人は足並みを揃え、神殿の奥へと歩を進めようとする。

 ――そのとき。

「その必要はありませんよ」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋い焦がれて

さとう涼
恋愛
小学校時代の担任教諭・佐野に七年ぶりに再会し、話の流れで佐野の恋人へのエンゲージリングを選ぶために一緒にジュエリーショップに行くことになってしまった二十歳の女子大学生・輝。 最初はそんなつもりはなかったのに、次第に佐野を意識してしまうようになり、自分でも困惑してしまう。 必死に自分の想いを打ち消そうとする輝。 だけど佐野も恋人との関係に悩んでいるようで、複雑な想いを抱え続けることになる。 そんな輝を見守る(ちょっかいをかける?)バイト先の店長。 さらに佐野の恋人は意外な人物で、輝は大混乱。 ※ドロドロではなく純愛系を目指していますが、ビターテイストなお話です ※理想的で格好いいヒーローではありません(…すみません) ※調べながら執筆をしているのですが、無知なところも多々あるので、間違っているところがありましたら教えてください。ツイッターでも受け付けています。 https://twitter.com/SATORYO_HOME

マチ恋 ―君に捧げるLove song― 一夜の相手はスーパースター。誰にも言えない秘密の恋。【完結】

remo
恋愛
あなたにとっては遊びでも、私にとっては、…奇跡の夜だった。 地味で平凡で取り柄のない私に起きた一夜のキセキ。 水村ゆい、23歳、シングルマザー。 誰にも言えないけど、愛息子の父親は、 今人気絶頂バンドのボーカルなんです。 初めての恋。奇跡の恋。離れ離れの恋。不倫の恋。一途な恋。最後の恋。 待っている… 人生で、一度だけの恋。 【完結】ありがとうございました‼︎

【完結】呪いを解いて欲しいとお願いしただけなのに、なぜか超絶美形の魔術師に溺愛されました!

藤原ライラ
恋愛
 ルイーゼ=アーベントロートはとある国の末の王女。複雑な呪いにかかっており、訳あって離宮で暮らしている。  ある日、彼女は不思議な夢を見る。それは、とても美しい男が女を抱いている夢だった。その夜、夢で見た通りの男はルイーゼの目の前に現れ、自分は魔術師のハーディだと名乗る。咄嗟に呪いを解いてと頼むルイーゼだったが、魔術師はタダでは願いを叶えてはくれない。当然のようにハーディは対価を要求してくるのだった。  解呪の過程でハーディに恋心を抱くルイーゼだったが、呪いが解けてしまえばもう彼に会うことはできないかもしれないと思い悩み……。 「君は、おれに、一体何をくれる?」  呪いを解く代わりにハーディが求める対価とは?  強情な王女とちょっと性悪な魔術師のお話。   ※ほぼ同じ内容で別タイトルのものをムーンライトノベルズにも掲載しています※

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

リトライさせていただきます!〜死に戻り令嬢はイケメン神様とタッグを組んで人生をやり直す事にした。今度こそ幸せになります!!〜

ゆずき
恋愛
公爵家の御令嬢クレハは、18歳の誕生日に何者かに殺害されてしまう。そんなクレハを救ったのは、神を自称する青年(長身イケメン)だった。 イケメン神様の力で10年前の世界に戻されてしまったクレハ。そこから運命の軌道修正を図る。犯人を返り討ちにできるくらい、強くなればいいじゃないか!! そう思ったクレハは、神様からは魔法を、クレハに一目惚れした王太子からは武術の手ほどきを受ける。クレハの強化トレーニングが始まった。 8歳の子供の姿に戻ってしまった少女と、お人好しな神様。そんな2人が主人公の異世界恋愛ファンタジー小説です。 ※メインではありませんが、ストーリーにBL的要素が含まれます。少しでもそのような描写が苦手な方はご注意下さい。

〖完結〗終着駅のパッセージ

苺迷音
恋愛
分厚い眼鏡と、ひっつめた髪を毛糸帽で覆う女性・カレン。 彼女はとある想いを胸に北へ向かう蒸気機関車に乗っていた。 王都から離れてゆく車窓を眺めながら、カレンは振り返る。 夫と婚姻してから三年という長い時間。 その間に夫が帰宅したのは数えるほどだった。 ※ご覧いただけましたらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。

【完結】仕事のための結婚だと聞きましたが?~貧乏令嬢は次期宰相候補に求められる

仙桜可律
恋愛
「もったいないわね……」それがフローラ・ホトレイク伯爵令嬢の口癖だった。社交界では皆が華やかさを競うなかで、彼女の考え方は異端だった。嘲笑されることも多い。 清貧、質素、堅実なんていうのはまだ良いほうで、陰では貧乏くさい、地味だと言われていることもある。 でも、違う見方をすれば合理的で革新的。 彼女の経済観念に興味を示したのは次期宰相候補として名高いラルフ・バリーヤ侯爵令息。王太子の側近でもある。 「まるで雷に打たれたような」と彼は後に語る。 「フローラ嬢と話すとグラッ(価値観)ときてビーン!ときて(閃き)ゾクゾク湧くんです(政策が)」 「当代随一の頭脳を誇るラルフ様、どうなさったのですか(語彙力どうされたのかしら)もったいない……」 仕事のことしか頭にない冷徹眼鏡と無駄使いをすると体調が悪くなる病気(メイド談)にかかった令嬢の話。

王太子に理不尽に婚約破棄されたので辺境を改革したら、王都に戻ってきてくれと言われました

水上
恋愛
【全18話完結】 「君は中身まで腐っている」と婚約破棄されたエリアナ。 そんな彼女は成り行きで辺境へ嫁ぐことに。 自身の知識と技術で辺境を改革するエリアナ。 そんな彼女を、白い結婚のはずなのに「膝枕は合理的だ」と甘やかす夫。 一方、エリアナを追放した王都では、彼女の不在の影響が出始めて……。

処理中です...