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第6話 晴天霹靂 ⑥ ~アーシェラー山~
しおりを挟む――そして、三年前。
その時が、ついに訪れた。
最初に、大魔王サンディムーアの封印が解けた。
六千年もの間に蓄積された瘴気が地界を吹き抜け、その余波によって、他の五魔王の封印までもが次々に解かれてしまった。
危機を察知した神々は、かつてない規模の戦いに備え、各世界から戦士たちを召集した。
過去の戦いで名を馳せた勇者の末裔たち、各教会の神官、ギルドに所属する魔導師たち――あらゆる力を結集し、魔王たちの再封印に挑んだ。
集まったのは、魔導師や神官を含む千人の戦士たち。
そして、かつて魔王を封じた勇者の血を引く五人の末裔。
彼らは力を合わせ、魔王たちを一人ずつ確実に封印していった。
封印の地や方法にも細心の注意を払い、その効力が少しでも長く続くよう、慎重に慎重を重ねて。
多くの犠牲を払いながら――
やがて、五大魔王は再び封印され、最後に残った大魔王サンディムーアも、五大魔王の封印によって形成された五芒星の中心に封じられた。
五つの封印が星の一点一点となり、その魔力は五芒魔方陣として増幅され、いかに強大なサンディムーアといえど、逃れる術はなかった。
――勇者五人の命と引き換えにして。
熾烈を極めたこの戦いの末、生き延びたのは、わずかに四人。
だが、彼らは勝利の報せを告げた後、歓喜に沸く人々を残して、静かに姿を消した。
その後、彼らの姿を見た者はいない――
◇
「…と、まぁ、これが一万年――少なくとも記録に残っている限りでの、天界と地界の戦いに関する伝承よ。結局のところ、魔王や勇者がどんな戦い方をしたのか、封印の方法がどうだったのか、詳しいことは誰にもわからないの。たぶん、神々でさえもね」
「それは、そうかもね……」
鈴音は心の中で、そっと相槌を打った。
結局、戦いの真実なんて、実際に武器を手に取り、命を懸けて戦った者にしか見えないのかもしれない。
映画や小説で見る戦いは、勇気と正義に満ちた英雄譚に映る。
けれど、現実に目の前で繰り広げられたなら、それは無謀で、自己中心的で、時に残酷で、サディスティックな行為にすら見えるかもしれない。
実際に戦ったことのない者にとって、それが『戦い』というものなのだろう。
「その四人の中に……もしかしたら、義人くんもいたのかな。だとしたら、女神様がわざわざ迎えに来た理由も、なんとなくわかる気がするんだけど……」
可能性は低い。
そう思いながらも、鈴音は控えめにつぶやいた。
その言葉に、リカートはぴくりと眉をひそめ、不快げな表情を浮かべた。
「今さら、女神様が誰を何の理由で迎えに行ったかなんて、考えても仕方ないでしょ。 もう、あなたを中心にして事態は動いてるの。後戻りなんて、できないんだから」
送り出されたのは鈴音だけではない。
リカートもまた、村の総意を背負って旅立ってきた。
進む以外の道はないのだ。
怒ったような口調でそう言うと、リカートは前方を指差した。
その先には、小高い丘――いや、山と言っても差し支えないほどの高みがそびえていた。
頂には、古代ギリシャの神殿を思わせる白亜の建物が静かに佇んでいる。
恐らく、いや、間違いない。
あれがアーシェラ山。
そして、ティアット神殿だ。
鈴音は、そこにあるという『ヴァルナ聖典』を得なければならない。
神殿を見つめながら、否応なく悟らざるを得なかった。
自分に課せられた使命の重さを――そして、これから始まる苦難の旅路を。
「なるほどね。ちょっと時間がかかって、かなり疲れるのね」
感情のこもらない声で、鈴音は先ほどのリカートの言葉を繰り返した。
その視線は、目の前にそびえる山を下から上へと、まるで舐めるように辿っていく。
そこには、まるで万里の長城をそのまま階段に変えたかのような、果てしなく続く石段があった。
一気に駆け上がろうものなら、天国まで直通で昇天しそうな錯覚すら覚える。
見ているだけで息が切れそうな、そんな高さと長さだった。
「見てると嫌になるわ。行きましょう。たわわな稲も鋤の一撃からって言うでしょう?」
――たぶん、「千里の道も一歩から」と言いたかったのだろう。
意味は通じたので、鈴音はあえて突っ込まなかった。
小さく深呼吸をして、石段の一段目に足をかける。
それは、鈴音にとって――本当の意味での『冒険の旅路』への、最初の一歩だった。
◇
ティアット神殿の内部は、外観の古代ギリシャ風とは裏腹に、どちらかといえば古代エジプトの神殿を思わせる雰囲気が漂っていた。
無意味なほどに太く、堂々とした大理石の柱は、確かにギリシャ様式そのもの。
だが、その柱にびっしりと刻まれた細やかな文様は、むしろエジプトの神殿に見られる特徴に近かった。
もっとも、エジプトでは『描く』のが主流で、こちらは『刻む』。
けれど、意味合いとしては大差ない。
描かれたものは神話や歴史、あるいは予言の類であり、資料としての価値を持つものが多い。
この神殿の柱も、きっと同じような意味を持っているのだろう――そう思った鈴音は、興味を惹かれて一つひとつの柱を調べ始めた。
だが、三本目を見終えたところで、あっさりと断念した。
もしこれがエジプトのような絵文字であれば、多少なりとも意味を推測できたかもしれない。
だが、そこに刻まれていたのは、まるで楔形文字のような、見慣れない記号の羅列だった。
異世界の学者でもない自分に、読めるはずがない。
「ヴァルナ聖典を読めって言われたけど……あたし、読めないよ。この世界の文字なんて」
柱に刻まれた文字を前に、鈴音は肩を落とした。
そして――
しばらく歩いたあとで、その事実に気づき、不安げに声を漏らす。
もちろん、リカートなら読めるだろう。
だから致命的な問題ではない――そう頭ではわかっている。
けれど、またしても他人に頼らなければならないのかと思うと、鈴音は情けなさに、思わず歯を食いしばった。
「ことヴァルナ聖典に関して、その心配だけはいらないわ」
リカートが、ふと立ち止まりながら言った。
「……その聖典はね、読む人によって内容も、字体も、文字さえも変わるの。だから、読む人が読めない文字で書かれているなんてことは、絶対にないのよ。むしろ、問題は――その中身。読むに値するものならいいんだけど……」
そう言って、リカートは深々とため息をついた。
その表情を見つめながら、鈴音はようやく気づいた。
リカートがヴァルナ聖典の名を聞いたときに見せた、あの不審そうな顔の理由を。
読む人によって内容が変わるということは、裏を返せば――内容があるようで、ないようなもの。
必ずしも役に立つとは限らないし、たとえ役に立ったとしても、それを証明する術はない。
もしかしたら、何の意味もない言葉を延々と読まされるだけかもしれない。
そんなものに期待するのは、確かに気が進まないだろう。
「ま、なんにせよ。読んでみないことには始まらないわね。とりあえず、この神殿の祭司長様に会って、許可をもらいましょう」
リカートのもっともな提案に、鈴音はこくりと頷いた。
二人は足並みを揃え、神殿の奥へと歩を進めようとする。
――そのとき。
「その必要はありませんよ」
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