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第34話 比翼連理 ④ ~連なる想い~
しおりを挟む焼け焦げた壁。
鼻をつく、鉄のような血のにおい。
どこかで、子どもが泣いている。
「おかあさん…どこ…?」
母親が、名前を呼びながら瓦礫の中をさまよっている。
そのすぐそばでは、マネキンのように転がる死体。
糸の切れた人形のように、ただ座り込む人々。
剣戟の音は、もうほとんど聞こえない。
代わりに響くのは、馬のいななき、怒号、断末魔の叫び。
そして――少女たちの絶望の悲鳴。
その地獄の中を、一つの影が走っていた。
戦うためじゃない。
逃げるために。
敵からでも、戦場からでもない。
自分の『弱さ』から、逃げるために。
逃げたって、何も変わらない。
それは分かっていた。
でも、足は止まらなかった。
――そのとき。
「……!」
影が、ぴたりと足を止めた。
耳に届いたのは、聞き覚えのある声。
他の悲鳴とは違う、知っている少女の声だった。
考えるより先に、影は走り出していた。
逃げた先に、誰もいなかった。
だから、戻るしかなかった。
怖くて、でも――もう、逃げたくなかった。
何をするつもりかなんて、分からない。
でも、行かなきゃいけない――そう思った。
声の主は、納屋にいた。
白金色の髪は煤で黒く汚れ、乱れていた。
彼女は、幼い妹を胸に抱きしめていた。
まるで、抱きしめることで妹をこの世界から隠そうとしているかのように。
その視線の先には、化け物たち。
欲望にまみれた笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてくる。
姉は、短剣を握りしめた。
そして――叫びながら、化け物たちに飛びかかった。
奇跡のように、その刃は一体の目を貫いた。
だが、それだけだった。
彼女は泣きながら、必死に戦った。
めちゃくちゃな剣筋。
でも、その姿に、影の中で何かが目を覚ました。
怒りでも、恐怖でもない。
もっと深い、熱いもの。
化け物たちはすぐに態勢を立て直し、組織的に襲いかかる。
少女の胸が裂かれ、太ももが切り裂かれ、地面に倒れる。
それでも、彼女は短剣を振るい続けた。
だが、数の暴力は容赦なく、彼女の身体は次第に傷だらけになっていく。
顔も腕も、血に染まり、倒れた彼女に容赦なく刃が振り下ろされた。
その場に響くのは、肉を裂く音と、少女の叫び――。
「やめろぉぉぉっ!!」
影が叫んだ。
自分でも驚くほどの声だった。
本当なら、今ごろはどこかの物陰で震えていたはずなのに。
でも、もう逃げなかった。
叫びながら、剣を抜いた。
訓練でさえ抜いたことのなかった中剣を。
――気がつくと、足元には化け物たちの死体。
剣を振った記憶もない。
ただ、そこにあったのは、静かに腐り始めた死臭だけ。
その隣で、幼い少女が姉の血だまりに座り込んでいた。
胸に抱きしめているのは、姉の髪。
かつて白金色だったそれは、今や夕焼けのように赤く染まっていた。
影は、震える手を差し出した。
「行こう、ライザ。 生きてる者には、死んだ者以上にやらなきゃいけないことがある」
少女は、コクリとうなずいた。
自分の足で立ち上がり、顔を上げる。
その瞳には、もう涙はなかった。
すべてを流し尽くしてしまったのだろう。
「うん。……わかってる。わかってるよ、オーリンにいちゃん」
◇
「鈴音は…塔に入ったか?」
荒い息の合間に、ライザが問いかけた。
「ええ…さっき、小窓から見えました。階段を駆け上がってて…もう半分は登ってるはずです」
リカートもまた、息を整えるのに必死だった。
声はかすれ、肩は上下に波打っている。
「そっか…なら、あたしたちの使命は果たされたってわけね。ここからは、気兼ねなく戦えるってもんだわ」
これまでも、気を抜く余裕なんてなかった。
でも、『鈴音を守る』という大義が果たされた今、ライザはただの戦士として、剣を振るうことができる。
命を懸ける理由が、自分だけになった。
それは、ある意味で――自由だった。
敵は、選ぶまでもなくそこにいた。
剣を振れば、必ず何かに当たる。
同時に、どこを向いても、敵の刃が待っている。
「やれやれ…あたしたち、本当に働き者ね」
結界を背にしていたおかげで、背後を取られることはなかった。
でも、前も横も、敵だらけ。
二人は常に、二体以上を相手にしていた。
もう、逃げ道なんてない。
逃げるつもりも、最初からなかったけど。
自分たちが倒れるか、敵が全滅するか。
いや――それより先に、世界が消えるかもしれない。
ライザは、戦士だった。
剣と盾を巧みに操り、一体の攻撃を受け止めながら、もう一体に鋭い一撃を叩き込む。
その一撃で、敵の肩が裂け、血が噴き出す。
倒れた敵に、リカートがとどめを刺す。
魔法を使い果たした彼には、もうそれだけの力しか残っていなかった。
「これまで、ね…」
ライザが、ぽつりと呟いた。
剣の動きが、鈍ってきている。
リカートも、咳き込みながらふらついている。
――もう、限界だ。
ライザは、覚悟を決めた。
盾を前に投げ捨て、中剣を両手で握り直す。
低く構え、全身の気力を振り絞るように、叫んだ。
「ウォォォォッ!!」
その瞬間、彼女は弾けた。
視界はもう、敵も味方も見えていなかった。
ただ、脳裏に浮かぶのは――幼い頃、自分をかばって命を落とした姉の姿。
その最期の瞬間が、まざまざと蘇る。
そして、閃光のように――何かが、心に走った。
『そうか…そうなのね、姉さん』
ライザは、心の中で叫んでいた。
ようやく、わかった。
あのとき姉が見ていたもの。
あのとき姉が守ろうとしたもの。
それが、今の自分の中にある。
だから、もう迷わない。
この命、燃やし尽くしてもいい。
それが、あのときの『ありがとう』に、ようやく返せる気がしたから。
剣を振るう前、一瞬だけ風の音が聞こえた。
まるで、姉が背中を押してくれたようだった。
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