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白袴隊
◆◆◆◆◆
焦げ茶を基調とした男爵邸は、廊下を誘うように緋毛氈がひかれている。花台には人目を引く白磁の一輪挿し。その中の椿に光留は、瀬戸物町の優しげな女を思い出した。
出回るはずのない一輪挿しを、旦那が持ってきたと言った。勿論、女が嘘をつくとは思えないのだが、泰臣が嘘をついている風にもみえなかった。男爵邸と男爵の商社に置かれている物であり、記念で作られた物ならば流通するはずがないのだが、それならば何故 女の旦那は、入手出来たのか?
光留は、旦那が泰臣ではないか?と考えた。辻褄は合うが一輪挿しと瀬戸物町の話を同時に聞き、泰臣が慌てたのは瀬戸物町という地名だけだ。一輪挿しについては、知らないといった素振りだったことを思い出す。
―― 一輪挿しのことなんか、忘れている可能性もあるな……。
「晃子さん」
「はい」
「Ophelia、楽しみにしています」
「ええ、庭師と相談して良い物を選びます」
光留は、満足げに頷くと「あ、そうそう」と、清浦から聞いた白袴の話を思い出した。
「そういえば、物騒な事件が流行っているらしいですね。うちに参られる時は、お気を付けて」
「物騒な?」
「ええ、忠告されてしまいました。白い袴の男に気を付けろと」
「あ……」
何かに思い当たったのか、晃子が小さく声を上げた。指先を口元に寄せ、瞼を伏せる姿が恥じらっているようにも見え、不思議に思うが気にせず「ご存じですか?」と尋ねた。しかし、晃子は、頷くだけで会話が続かない。
「忠告をしてくれたのは、元警察関係の人だからご親切に教えて下さったのでしょう。晃子さんもお気をつけて」
「私は大丈夫かと……」
「何を仰っているんです。何でも徒党を組んで襲いかかってくるらしいですよ。しかも槍で。僕は、狙われそうだから注意するようにと車夫も忠告してくれました」
「……」
「どうされました?恐ろしいことを話してしまいましたか?」
「いいえ、お気になさらず」
俯く晃子の頬が、染まっているのを又々、不思議に思う。今の話で何かあっただろうか?
それにしても染まる頬が先程、遠目で見たOpheliaの花びらのようだ。白磁の肌がほんのりと桃色に染まるのに、妙なときめきを感じると同時に、祖国の地を踏んだことを思い知らされる。
1年の歳月は、無駄ではなかったと。
汽船で語った決意のように、今すぐにでも「結婚してください」と、口に出してしまいたいと思うが、分が悪い。何とかしなければならないことが、山のようにあるとグッと言葉を呑み込んだ。
「晃子さん、また近い内に参ります……と泰臣君にお伝えを」
「はい」
貴女に逢いに……と、簡単なことも言えない我が身を嘆き、光留は馬車に乗った。
「……と、こうして僕は、ここにいるんですよ。お二方」
腕を組み語っていた光留は、膳の上から視線を上げた。見渡しても寄席の客たる者は、清浦と近衛だけなのだが、いつもなら「ほう、ほう、それで」など、次を聞き出そうとする清浦は難しい顔をし、近衛は あからさまに眉を寄せている。
「どうしたのです?」
さすがに変だと思い、尋ねてみた。
騒いでいたお座敷客は、お開きになったのか、はたまた場所を変えたのか、離れに人の声は届かない。
その代わり、先程まで微かに聞こえていた三味線の音色が間近に聴こえる。
「俗謡でしょうか、最近流行っているとか……」
「ああ、芸者などを遠ざけているから女将が気を利かせて、そのあたりで弾かせているのだろう……ところで光留君」
「何です?」
「私は、駅で白袴の男に気を付けろ。出会ったら大変なことになる……と言ったな?」
「ええ、その通り」
「狼藉や槍などという言葉は、一言もいってないよな?」
「ええ、それは車夫が教えてくれましたが、何です?」
「そうか、安心した。近君、教えてやってくれ」
「私がですか!? 」
手酌をしていた近衛は、危うくお猪口を取り落としそうになった。
「おっと!」と、一声あげた唇を寄せ、すすり飲むと「光留さん」と名を呼ぶ。
向けられた瞳は、憐憫を含むように見え、光留は膳を横に押し退け、じっくり話を聞く体勢に入る。
「いえね、光留さん。別に大したことはありませんので、大丈夫です。晃子さんが恥じらっていた理由ですが、見当はつきますか?」
「理由……さぁ、ただ僕に恥じらったのでは?」
「何故?」
「何故って、久しぶりに会った僕が立派に見えたとか……」
「残念、違います」
あり得ないと断言され、光留は少々、ヘソを曲げたのか「そうですか、そうですか」と唇を尖らせ、そっぽを向く。
近衛は徳利を、左手に持つお猪口へ傾けると、一気に煽り呑んだ。
「白袴の集団、白袴隊と呼ばれています。町を歩き、狼藉を働くのですが、働く相手は決まっています。若者です、しかも美貌の」
「はぁ?」
「白い袴……勿論、男です。そいつらが綺麗な顔立ちの男を集団で襲うのです」
「はぁ!? 」
「車夫が言ったのでしょう?光留さんに、気を付けろと。確かに貴方は、気を付けないと不味いでしょうね」
「徒党を組んで槍で襲われると!」
「ええ、代わる代わる槍で襲います。車夫は間違っておりません。晃子さんが恥じらったのは、貴方が 変なことを言ったからです」
「変な……」
「変だろう……普通に。君は晃子嬢に『僕は、白袴隊に狙われそうだ』なんて言ったんだよ。そりゃ、たまがるだろうよ」
清浦の呆れた顔が、妙に心に突き刺さる。適当人間に呆れ、落胆されるのが、こんなにダメージを受けるものなのかと。
「まあ、大丈夫ですよ。晃子さんも次に会った時には、素知らぬふりをして下さいますよ」
「当たり前でしょう!」
光留の怒鳴り声に、遠慮したのか廊下から「あのぅ……」と、尻窄みの甘ったるい声がかけられた。
障子に映る影は、てっぷりと肥えた身体に丸髷――、女将のようだ。
「何だい?」
「清浦様が、いらっしゃると半玉が、お座敷でうっかり……そこのお客様が、ぜひともご挨拶をと申されておられますが」
きた。やっと。
光留と近衛は、顔を見合せた。
「そうかね。それでは、どうぞ」
清浦は、馴れた様子で受けた。
焦げ茶を基調とした男爵邸は、廊下を誘うように緋毛氈がひかれている。花台には人目を引く白磁の一輪挿し。その中の椿に光留は、瀬戸物町の優しげな女を思い出した。
出回るはずのない一輪挿しを、旦那が持ってきたと言った。勿論、女が嘘をつくとは思えないのだが、泰臣が嘘をついている風にもみえなかった。男爵邸と男爵の商社に置かれている物であり、記念で作られた物ならば流通するはずがないのだが、それならば何故 女の旦那は、入手出来たのか?
光留は、旦那が泰臣ではないか?と考えた。辻褄は合うが一輪挿しと瀬戸物町の話を同時に聞き、泰臣が慌てたのは瀬戸物町という地名だけだ。一輪挿しについては、知らないといった素振りだったことを思い出す。
―― 一輪挿しのことなんか、忘れている可能性もあるな……。
「晃子さん」
「はい」
「Ophelia、楽しみにしています」
「ええ、庭師と相談して良い物を選びます」
光留は、満足げに頷くと「あ、そうそう」と、清浦から聞いた白袴の話を思い出した。
「そういえば、物騒な事件が流行っているらしいですね。うちに参られる時は、お気を付けて」
「物騒な?」
「ええ、忠告されてしまいました。白い袴の男に気を付けろと」
「あ……」
何かに思い当たったのか、晃子が小さく声を上げた。指先を口元に寄せ、瞼を伏せる姿が恥じらっているようにも見え、不思議に思うが気にせず「ご存じですか?」と尋ねた。しかし、晃子は、頷くだけで会話が続かない。
「忠告をしてくれたのは、元警察関係の人だからご親切に教えて下さったのでしょう。晃子さんもお気をつけて」
「私は大丈夫かと……」
「何を仰っているんです。何でも徒党を組んで襲いかかってくるらしいですよ。しかも槍で。僕は、狙われそうだから注意するようにと車夫も忠告してくれました」
「……」
「どうされました?恐ろしいことを話してしまいましたか?」
「いいえ、お気になさらず」
俯く晃子の頬が、染まっているのを又々、不思議に思う。今の話で何かあっただろうか?
それにしても染まる頬が先程、遠目で見たOpheliaの花びらのようだ。白磁の肌がほんのりと桃色に染まるのに、妙なときめきを感じると同時に、祖国の地を踏んだことを思い知らされる。
1年の歳月は、無駄ではなかったと。
汽船で語った決意のように、今すぐにでも「結婚してください」と、口に出してしまいたいと思うが、分が悪い。何とかしなければならないことが、山のようにあるとグッと言葉を呑み込んだ。
「晃子さん、また近い内に参ります……と泰臣君にお伝えを」
「はい」
貴女に逢いに……と、簡単なことも言えない我が身を嘆き、光留は馬車に乗った。
「……と、こうして僕は、ここにいるんですよ。お二方」
腕を組み語っていた光留は、膳の上から視線を上げた。見渡しても寄席の客たる者は、清浦と近衛だけなのだが、いつもなら「ほう、ほう、それで」など、次を聞き出そうとする清浦は難しい顔をし、近衛は あからさまに眉を寄せている。
「どうしたのです?」
さすがに変だと思い、尋ねてみた。
騒いでいたお座敷客は、お開きになったのか、はたまた場所を変えたのか、離れに人の声は届かない。
その代わり、先程まで微かに聞こえていた三味線の音色が間近に聴こえる。
「俗謡でしょうか、最近流行っているとか……」
「ああ、芸者などを遠ざけているから女将が気を利かせて、そのあたりで弾かせているのだろう……ところで光留君」
「何です?」
「私は、駅で白袴の男に気を付けろ。出会ったら大変なことになる……と言ったな?」
「ええ、その通り」
「狼藉や槍などという言葉は、一言もいってないよな?」
「ええ、それは車夫が教えてくれましたが、何です?」
「そうか、安心した。近君、教えてやってくれ」
「私がですか!? 」
手酌をしていた近衛は、危うくお猪口を取り落としそうになった。
「おっと!」と、一声あげた唇を寄せ、すすり飲むと「光留さん」と名を呼ぶ。
向けられた瞳は、憐憫を含むように見え、光留は膳を横に押し退け、じっくり話を聞く体勢に入る。
「いえね、光留さん。別に大したことはありませんので、大丈夫です。晃子さんが恥じらっていた理由ですが、見当はつきますか?」
「理由……さぁ、ただ僕に恥じらったのでは?」
「何故?」
「何故って、久しぶりに会った僕が立派に見えたとか……」
「残念、違います」
あり得ないと断言され、光留は少々、ヘソを曲げたのか「そうですか、そうですか」と唇を尖らせ、そっぽを向く。
近衛は徳利を、左手に持つお猪口へ傾けると、一気に煽り呑んだ。
「白袴の集団、白袴隊と呼ばれています。町を歩き、狼藉を働くのですが、働く相手は決まっています。若者です、しかも美貌の」
「はぁ?」
「白い袴……勿論、男です。そいつらが綺麗な顔立ちの男を集団で襲うのです」
「はぁ!? 」
「車夫が言ったのでしょう?光留さんに、気を付けろと。確かに貴方は、気を付けないと不味いでしょうね」
「徒党を組んで槍で襲われると!」
「ええ、代わる代わる槍で襲います。車夫は間違っておりません。晃子さんが恥じらったのは、貴方が 変なことを言ったからです」
「変な……」
「変だろう……普通に。君は晃子嬢に『僕は、白袴隊に狙われそうだ』なんて言ったんだよ。そりゃ、たまがるだろうよ」
清浦の呆れた顔が、妙に心に突き刺さる。適当人間に呆れ、落胆されるのが、こんなにダメージを受けるものなのかと。
「まあ、大丈夫ですよ。晃子さんも次に会った時には、素知らぬふりをして下さいますよ」
「当たり前でしょう!」
光留の怒鳴り声に、遠慮したのか廊下から「あのぅ……」と、尻窄みの甘ったるい声がかけられた。
障子に映る影は、てっぷりと肥えた身体に丸髷――、女将のようだ。
「何だい?」
「清浦様が、いらっしゃると半玉が、お座敷でうっかり……そこのお客様が、ぜひともご挨拶をと申されておられますが」
きた。やっと。
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