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司法省
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◆◆◆◆◆
「ねぇ、近衛さん」
「何です?敵前逃亡した光留さん」
「嫌な言い方だなぁ……」
昨晩 商人を見送りに出た光留は、待てど暮らせど、座敷には戻ってこなかった。
手袋を置いて出た為、戻ってくると思っていたが、考えが甘かったようだ。
そもそも光留は、手袋の1つや2つを惜しいと思うような男ではなく、どちらかと云えば席を立ったのを、これ幸いと帰宅する方がらしかった。
「田中様ですか? あら、山寺様をお見送りされた後、お帰りになられましたよ。ええ、こちらのお座敷には伝えているからと、仰られて」
女将が、紅を塗りたくった腫れぼったい唇に、愛想笑いを浮かべながら話したのは、退席から30分程経った頃だった。
やられた――と、思っても後の祭り。こうして近衛は、帰国後、1度も屋敷に戻らないまま司法省へ出仕する羽目になった。
そんな、こんなで目の前に現れた光留に、恨み言の一つでも言ってやりたいが、きっと屁とも思わないだろう。近衛は、机にある書類に視線を落としたまま、口をつぐんだ。
「妓楼でしたか? それともお座敷で、ドンチャンですか?どちらにしても良い思いをしましたね。結構なことで」
「呆れた。謝罪に来たのかと思えば……」
「そうそう!貴方に会いにきたのですよ!近さん」
光留は、机に向かう近衛を覗き込んだ。無理矢理、視線を合わせられては仕方がない。
近衛は「何か用でも?」と冷静に尋ねた。
「用がなきゃ、司法省まで出向きませんよ。お願いがあるのです」
「……お願い?お珍しい。何ですか?」
「さすが!近さん、話が早い!」
「話を聞くという意味です」
光留は、壁に寄せられた椅子をガタガタと引っ張りだし、近衛の前に座ると差し出すように、卓上に顎を乗せた。
「ギロチンみたいですね」
「この恋が破れたら、僕は死んだも同然です。こうならないように――とのお願いです」
「大袈裟な。女は晃子さんだけじゃありませんよ」
「百も承知だよ。でもね、僕はあの方じゃないと駄目なのです」
さも呆れたと言わん表情の近衛だが、本腰を入れて聞く気になったのだろう。紙の束に文鎮を置き、卓上に組んだ腕に身を乗り出した。
「……何です?願いとは」
「民間の……昨夜会った山寺、他の商人などの案件があれば知らせて欲しいのです」
近衛の組んだ指先がピクリと上がった。光留の言葉に含まれたものに気付かない訳がない。商人の案件――、ここは司法省だ。
裁判沙汰になるような案件を知らせろと言う光留に、近衛は「いやいや……」と脱力気味に軽く首を振る。
「貴方、裁判に首を突っ込む気ですか?」
「いいえ、弱味を握りたいのです」
「弱味!? あの達磨みたいな商人の!? 」
「達磨……ああ、僕は恵比寿と思っていました」
「そんなことは、どうでも良いでしょう。どういうことです?」
「本命は、昨晩の眼鏡の方です」
「眼鏡……?」
フッと視線をさ迷わせ、昨晩の商人を思い描いた。巨体と細身の二人組、シルエットは浮かぶが――。しばらく考え込んでみたが、食って呑んで――と、やっていた為、肝心の顔が思い出せない。
まあ、いいや――。近衛は気を取り直す。
「あの後、何があったのですか?貴方に無礼でも?」
「無礼……?」
光留は、卓上に乗せた麗しい顔を不機嫌に歪め、近衛の問いを噛み締めるかのように反芻すると
「 ええ、ええ、その通り。無礼にも程がありますよ。それがなければ、とても良い友人になれそうな人なのに」
「ハッキリ仰ってください、光留さん」
「あの男は、羽倉崎さん。尾井坂男爵家の泰臣君の話では、28歳、そして貿易商です。おそらく男爵が信頼している男でしょう」
「まさか……」
「その通りです。晃子さんの許嫁です」
「光留さん!」
近衛の叫びと共に、ガタ――ン!と、けたたましい音が響いた。余程驚愕したのだろう。飛び起きる――ならぬ、飛ぶように起立した近衛の足は、腰掛けていた椅子を床に叩き倒した。しかも、そのままの勢いで駆け出すものだから、勢い余って机の角で腰を打つ始末。
「……痛ッ!! 」悲鳴と共に、所定の位置から大きくズレた机、光留は未だに顔を乗せたままだ。
「ちょっと……近さん、落ち着いて」
「貴方がです!」
「僕は、落ち着いていますよ」
「いいえ!民間の訴訟に手を回す気ですか!?」
「そんなこと言っていませんよ。僕は、商人が絡む揉め事を知りたいと」
「同じです!そこで、羽倉崎の案件が出れば貴方は叩きにかかるでしょう!」
「酷いなぁ……やりませんよ。何故なら、君に迷惑をかけることになるから……近さん、僕は自分でやります。ただ知っておくだけなら問題はないでしょう?調べようと思えば、調べはつく。ただ、近さん経由が早いから頼んでいるのです」
相変わらず机に顎を乗せ、チラリと目だけを動かす光留は、拗ねたように仏頂面だ。
「ギロチンスタイルは、お止めください」
「君が了承してくれるなら」
「知らせるだけなら……」
「ありがとう!近さん!」
現金なもので、光留は満面の笑みを浮かべると立ち上がり、近衛の手をとった。
「私が教えないと、逆に心配だから引き受けるのです。……が、悪いことは言いません。深追いは、身を滅ぼしますよ。聡い貴方です、不味いと思ったら、私の言葉を思い出してください」
「何です?」
「晃子さんより、若くお美しい姫様は、おられます――と」
「……肝に銘じます」
「あと、昨晩寄った店に少し晃子さんに似た女がおりました。世の中には似た顔もおります。そのような者を見つけ、別邸におくのも良いと思いますよ」
「肝に銘じる為に……どちらの店です?」
「は?」
諭す声音が、すっとんきょうに跳ね上がるのに光留は、腹を抱えて笑った。
きっと、廊下まで響いているだろうと思うが、止まらない。苦しいとばかりに身を屈め、絞り出す
「I do not need the imitation jewel」と。
近衛の耳には、確かに届いていた。どんな顔をして言っているのかなど、確認するまでもなかった。
「ねぇ、近衛さん」
「何です?敵前逃亡した光留さん」
「嫌な言い方だなぁ……」
昨晩 商人を見送りに出た光留は、待てど暮らせど、座敷には戻ってこなかった。
手袋を置いて出た為、戻ってくると思っていたが、考えが甘かったようだ。
そもそも光留は、手袋の1つや2つを惜しいと思うような男ではなく、どちらかと云えば席を立ったのを、これ幸いと帰宅する方がらしかった。
「田中様ですか? あら、山寺様をお見送りされた後、お帰りになられましたよ。ええ、こちらのお座敷には伝えているからと、仰られて」
女将が、紅を塗りたくった腫れぼったい唇に、愛想笑いを浮かべながら話したのは、退席から30分程経った頃だった。
やられた――と、思っても後の祭り。こうして近衛は、帰国後、1度も屋敷に戻らないまま司法省へ出仕する羽目になった。
そんな、こんなで目の前に現れた光留に、恨み言の一つでも言ってやりたいが、きっと屁とも思わないだろう。近衛は、机にある書類に視線を落としたまま、口をつぐんだ。
「妓楼でしたか? それともお座敷で、ドンチャンですか?どちらにしても良い思いをしましたね。結構なことで」
「呆れた。謝罪に来たのかと思えば……」
「そうそう!貴方に会いにきたのですよ!近さん」
光留は、机に向かう近衛を覗き込んだ。無理矢理、視線を合わせられては仕方がない。
近衛は「何か用でも?」と冷静に尋ねた。
「用がなきゃ、司法省まで出向きませんよ。お願いがあるのです」
「……お願い?お珍しい。何ですか?」
「さすが!近さん、話が早い!」
「話を聞くという意味です」
光留は、壁に寄せられた椅子をガタガタと引っ張りだし、近衛の前に座ると差し出すように、卓上に顎を乗せた。
「ギロチンみたいですね」
「この恋が破れたら、僕は死んだも同然です。こうならないように――とのお願いです」
「大袈裟な。女は晃子さんだけじゃありませんよ」
「百も承知だよ。でもね、僕はあの方じゃないと駄目なのです」
さも呆れたと言わん表情の近衛だが、本腰を入れて聞く気になったのだろう。紙の束に文鎮を置き、卓上に組んだ腕に身を乗り出した。
「……何です?願いとは」
「民間の……昨夜会った山寺、他の商人などの案件があれば知らせて欲しいのです」
近衛の組んだ指先がピクリと上がった。光留の言葉に含まれたものに気付かない訳がない。商人の案件――、ここは司法省だ。
裁判沙汰になるような案件を知らせろと言う光留に、近衛は「いやいや……」と脱力気味に軽く首を振る。
「貴方、裁判に首を突っ込む気ですか?」
「いいえ、弱味を握りたいのです」
「弱味!? あの達磨みたいな商人の!? 」
「達磨……ああ、僕は恵比寿と思っていました」
「そんなことは、どうでも良いでしょう。どういうことです?」
「本命は、昨晩の眼鏡の方です」
「眼鏡……?」
フッと視線をさ迷わせ、昨晩の商人を思い描いた。巨体と細身の二人組、シルエットは浮かぶが――。しばらく考え込んでみたが、食って呑んで――と、やっていた為、肝心の顔が思い出せない。
まあ、いいや――。近衛は気を取り直す。
「あの後、何があったのですか?貴方に無礼でも?」
「無礼……?」
光留は、卓上に乗せた麗しい顔を不機嫌に歪め、近衛の問いを噛み締めるかのように反芻すると
「 ええ、ええ、その通り。無礼にも程がありますよ。それがなければ、とても良い友人になれそうな人なのに」
「ハッキリ仰ってください、光留さん」
「あの男は、羽倉崎さん。尾井坂男爵家の泰臣君の話では、28歳、そして貿易商です。おそらく男爵が信頼している男でしょう」
「まさか……」
「その通りです。晃子さんの許嫁です」
「光留さん!」
近衛の叫びと共に、ガタ――ン!と、けたたましい音が響いた。余程驚愕したのだろう。飛び起きる――ならぬ、飛ぶように起立した近衛の足は、腰掛けていた椅子を床に叩き倒した。しかも、そのままの勢いで駆け出すものだから、勢い余って机の角で腰を打つ始末。
「……痛ッ!! 」悲鳴と共に、所定の位置から大きくズレた机、光留は未だに顔を乗せたままだ。
「ちょっと……近さん、落ち着いて」
「貴方がです!」
「僕は、落ち着いていますよ」
「いいえ!民間の訴訟に手を回す気ですか!?」
「そんなこと言っていませんよ。僕は、商人が絡む揉め事を知りたいと」
「同じです!そこで、羽倉崎の案件が出れば貴方は叩きにかかるでしょう!」
「酷いなぁ……やりませんよ。何故なら、君に迷惑をかけることになるから……近さん、僕は自分でやります。ただ知っておくだけなら問題はないでしょう?調べようと思えば、調べはつく。ただ、近さん経由が早いから頼んでいるのです」
相変わらず机に顎を乗せ、チラリと目だけを動かす光留は、拗ねたように仏頂面だ。
「ギロチンスタイルは、お止めください」
「君が了承してくれるなら」
「知らせるだけなら……」
「ありがとう!近さん!」
現金なもので、光留は満面の笑みを浮かべると立ち上がり、近衛の手をとった。
「私が教えないと、逆に心配だから引き受けるのです。……が、悪いことは言いません。深追いは、身を滅ぼしますよ。聡い貴方です、不味いと思ったら、私の言葉を思い出してください」
「何です?」
「晃子さんより、若くお美しい姫様は、おられます――と」
「……肝に銘じます」
「あと、昨晩寄った店に少し晃子さんに似た女がおりました。世の中には似た顔もおります。そのような者を見つけ、別邸におくのも良いと思いますよ」
「肝に銘じる為に……どちらの店です?」
「は?」
諭す声音が、すっとんきょうに跳ね上がるのに光留は、腹を抱えて笑った。
きっと、廊下まで響いているだろうと思うが、止まらない。苦しいとばかりに身を屈め、絞り出す
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