紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
23 / 96

 光留は、瀬戸物町を訪れていた。出迎えたのは、あの日と同じ親子にも見える、50程の女と20前の女。しかし、一目で若い女の顔色が悪いことに気がついた。

「体調が、優れませんか?」

 若い女は、嬉しそうに微笑みを浮かべ、静かに首を振ると、茶を運んできた年配の女が「おめでたなのです」と、囁いた。

「これは、おめでとうございます」
「ありがとうございます」

 光留は、この幸薄げにも見える女が、家を与えられた妾であると思っている。そして、それは間違いないだろう。
 ――となると、旦那の愛情が無くなっても子供がいれば、生活の不便はない。女にとって言葉通りの意味よりも、ことだと。

「僕は、名乗らないつもりでしたが、貴女達の名前を知らないというのも、落ち着かないものです。光留と言います。お名前を伺っても?」

 2人は、顔を見合わせ肩を揺らす。
 笑い方まで同じとは、本当は親子なのでは?と、光留は わざとらしく懐疑の眼差しを向け、すぐに柔らかく笑ってみせる。
 若い女は、ほっそりとした指先を口許に寄せ、又しても、ふ、ふふ――と揺れ、青白い面を隠すような紅唇を開いた。

「申し訳ありません。静かに笑えと、旦那様のお言いつけなのです。親子ではありませんよ。私は、さきと申します。こっちは、さとと申します」
「静かに笑う? 奇妙な言いつけですね。あ、そうだ、里さん。瀬戸物町について尋ねたいことがあるのです。ちょっと良いですか?」

 光留は、里を手招きし、手入れの行き届いた庭の垣根へ歩んだ。先に進んでしまえば里は、ついて来ざるを得ない。一言、主である咲に断り、草履を引っ掻けると小走りに寄った。

「咲さんの顔色……医者は大丈夫と?」
「ええ、悪阻で食が細くなっておりまして。ただ、果物はよく食べるので大丈夫と」

「あと1つ。僕は尾井坂家の泰臣君と学友でして、此方の話をしましたら大層、慌てておられたけど……何かお力になれることがないかと思っております」
「まあ……!ありがとうございます。しかし、ご心配はいりません。ああ……こう言ってしまうと、つっけんどんと思われてしまうでしょうね」

 愁いげに瞼を伏せる光留は、見ず知らずの女の為に骨をおると言っているのだ。明らかに立場が上の者からの申し出を断る――という状況に、里が狼狽えるのは無理なかった。
 おそらく、想定もしていないことであり、無礼でない辞退の言葉を知らないだろう。
 そして焦り、ペラペラと口が軽くなるのではないか?と、淡い期待をするのは光留だ。

「ああ、ここだけのお話ですよ。咲様は、泰臣様のお母様の姪にあたられます」
「……長崎の?」

「良かった。泰臣様がそこまで話されているということは、本当に仲がよろしいのですね」

 里は、掛け衿を指でなぞり、ホッとした様子をみせた。光留は素知らぬ顔で「ええ、学友ですので」とうそぶく。
 生母のことを口にしない泰臣が、光留に語ったとなると、深い信頼関係にあると思うのは当然だ。必然的に里の口は、滑らかになった。光留の知る情報は、晃子からもたらされた物なのだが、知るよしもない里は、語る。
 元々、泰臣の生母に仕えていた里は、主が亡くなっても、男爵家の厚意で与えられた家に咲と2人で住んでいた。
 しかし、亡くなった妾の使用人の面倒をみることはないと、男爵夫人により家を追い出された2人に泰臣が、家を借りてくれたと。
 なかなか複雑な事情に光留は、あの日、泰臣が苛立たしい感情を露にしたことが、ストンと腑に落ちた。そっとして欲しいことを、突っかれた状態だったのだと。

「しかし、どうなのだろう?従妹が、妾奉公とは……男爵家のご家族が知ったら」

 晃子の嫌悪を浮かべる顔が、簡単に想像できた。何故なら、あの日、晃子はハッキリ口にしたのだ。妾を持つような男は嫌いだと。それは、妾、本人にも言えたことだろう。

「やはり、お気づきでしたか。こちらが妾と」
「悪いと言っているわけではないのです。咲さんを、心配しております」

 光留は、あくまで咲を心配していると告げた。これに、安堵を浮かべた里は継いだ。

「実は……ここだけの話でございます。この住まいは、泰臣様が借りた家ではありません」

 声を落とす里に、光留は耳を寄せた。
 豆腐売りのラッパが近くで響き、そこらの女が「こっち!こっち!」と、呼び止める声が垣根の向こうから聞こえる。威勢の良い豆腐売りの「へい!」と、小気味良い返事に里は、自身の声を紛れ込ませた。

「泰臣様が、咲様の面倒をみられていたのですが、事情を知るお知り合いが、当時学生であられる泰臣様より、色々とお世話ができるから……と、生活の面倒までみてくださいまして……」
「成る程、その人が旦那ですか」

「はい。初めは本当に泰臣様の代わりといった風だったのですが……」
「まあ、男女の仲なんてどう転ぶか分かりませんからね」

「はい。泰臣様は、大変なお怒りで……。それで、こちらに引っ越して参りました。すぐに咲様は身籠られ、泰臣様が大変辛い立場になられると思えば、私も苦しく」
「何故、泰臣君が辛いのです?」

 光留は、怪訝に眉をひそめた。何か聞き漏らしたか?と。その時、母屋の咲が「あ、旦那様」と嬉々とした声を放った。
 反射的に振り返った里には、姿が見えたのだろう。
「まあ!まあ!よくお越しくださいました!」と、こちらも嬉しそうだ。光留そっちのけで駆け出した。妾奉公ならば、旦那の訪れが第一なのだから仕方ない。
「近くを通りましたので」
 落ち着いた低い声が、光留の耳に届いた。秒針が少しずれた印象、声の次に生垣からスラリとした長身の男が姿を現した。
 チラリと光留を捉えた眼が、微かに見開かれ、薄い唇から「田中様……?」と疑問を投げ掛ける音が漏れた。

「羽倉崎さん……」

 光留から、一切の音が消えた。
 軽快なラッパの音も、井戸端を繰り広げる女達の笑い声も――。
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

お兄様はやさしく笑って、逃げ道だけをなくしていく

星乃和花
恋愛
縁談に悩む子爵令嬢リゼットが助けを求めたのは、名門侯爵家の長男アルフレッド。 穏やかでやさしく、理想のお兄様のような彼は、「君のことは僕が見ている」と甘く手を差し伸べてくれる。 送り迎え、花や手紙、完璧なエスコート。 守られているだけのはずが、気づけば周囲には「彼女はもうノースウェル侯爵家のもの」という空気ができあがっていて――。 ふわふわ優しいのに、実はかなり策略家。 やさしく逃げ道をなくしてくるお兄様系ヒーローに、恋愛に疎い令嬢がじわじわ囲い落とされていく、甘くて幸せな溺愛ラブストーリー。 ――「待つよ」と言いながら、外堀はきっちり埋めてくる―― (完結済ー本編10話+後日談2話)

触れられないはずの私が、ただ一人の彼にだけ心も体も許してしまいました

由香
恋愛
男性に触れられると体調を崩す令嬢リリア。 そんな彼女にとって唯一“触れられる”存在は――幼なじみの公爵令息レオンだけだった。 手を取られ、抱き寄せられ、当たり前のように触れられる日々。 それがどれほど特別なことなのか、彼女はまだ知らない。 やがて政略結婚の話が持ち上がり、“触れられない相手との結婚”か、“彼に触れられる人生”かを選ぶことに。 「お前に触れていいのは俺だけだ」 逃げ場のない独占と、甘すぎる溺愛。 これは、触れられないはずの少女が、ただ一人にだけすべてを許していく物語。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

「君はいらない」と捨てられた夜、天敵の冷徹社長に「なら、俺が貰う」と拾われました。――手を出さない約束でしたが、彼の理性が限界のようです

葉山 乃愛
恋愛
【婚約破棄から始まる、不器用なライオン(冷徹社長)の猛烈な求愛!】 「俺の妻になるなら覚悟しろ。……もう、指一本逃がすつもりはない」 ★あらすじ★ 「美月は完璧すぎて、可愛げがないんだよ」 28歳の誕生日。 一流ホテルのウエディングプランナーである相沢美月(あいざわ みつき)は、婚約者の裏切りにより、結婚目前ですべてを失った。 雨の降る路地裏。 ヒールも折れ、心も折れてうずくまっていた美月の前に現れたのは、かつての高校時代の天敵であり、現在は勤務先の冷徹な社長 一条蓮(いちじょう れん)だった。 「捨て猫以下だな」 そう憎まれ口を叩きながらも、彼は泥だらけの美月を躊躇なく抱き上げ、最高級ペントハウスへと連れ帰る。 そして、彼が突きつけたのは、あまりにも強引な提案だった。 「住む場所がないなら、俺の家に来い。その代わり――俺の『婚約者』役を演じろ」 利害の一致した契約関係。 条件は「お互いに干渉しないこと」、そして「決して手を出さないこと」。 ……のはずだったのに。 「髪、濡れたままだと風邪を引く」 「あんな男のために泣くな。顔が台無しだ」 同居生活で見えてきたのは、冷徹な仮面の下に隠された、不器用すぎるほどの優しさと独占欲。 美月が作った手料理を誰よりも美味しそうに食べ、元婚約者が復縁を迫ってくれば「俺の女に触れるな」と徹底的に排除する。 天敵だったはずの彼に守られ、凍っていた美月の心は次第に溶かされていく。 しかし、ある雷雨の夜。 美月が不用意に彼に触れた瞬間、一条の理性のタガが外れてしまい――。 「……手を出さない約束? 撤回だ」 「そんな無防備な顔で見つめて、何もしないでいられるほど、俺は聖人君子じゃない」 10年越しの片思いをこじらせたハイスペック社長 × 仕事熱心で恋愛に臆病なプランナー。 契約から始まった二人の関係が、本物の愛(溺愛)に変わるまで。 元婚約者への痛快な「ざまぁ」も収録した、極上の大人のシンデレラストーリー! 【登場人物】 ◆相沢 美月(28) ホテルの敏腕ウエディングプランナー。真面目でお人好しな性格が災いし、「つまらない女」と婚約破棄される。実は家事万能で、酔うと少しだけ甘えん坊になる(本人は無自覚)。 ◆一条 蓮(28) ホテルグループの社長。美貌と才覚を併せ持つが、他人に興味を示さないため「氷の貴公子」と呼ばれる。実は高校時代から美月を一途に想い続けており、彼女のこととなると冷静さを失う。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)