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馬鹿な従五位の所以
「貴女と鹿鳴館で逢うとすれば、ここほど相応しい場所はありません。ただ人目もあり、ここが妥協ギリギリなのですが……」
光留は、建物から1番離れたベンチに晃子を誘った。木々で作られたトンネルは、煌きらしく漏れる鹿鳴館の灯りにより、辛うじて仄かな新緑を浮かび上がらせ、奥へ続く、ほの暗い闇は花灯りにより、点々と道を印していた。
「僕は、帰国後、色々と考えていたのです。しかし、自分の考えだけでは人様の気持ちなど推し量ることなど困難であり、先に進むことも出来ません。どうしたものかと首を捻るのですが、時が過ぎれば過ぎるほど、又しても、厄介な事情を抱え込むことにもなりかねないと、貴女を本日お誘いしました。まず、貴女には羽倉崎さんという男爵が決めた許嫁がいらっしゃる。紛れもない事実です。しかし貴女は仰った、親が決めたことだと。本当にそうなのですか? 慕う お気持ちの欠片もないのでしょうか? ああ……、申し訳ありません。此れ幸いと畳み掛けているように思われるかも知れませんが、聞いておかねばならないことなのです」
光留は、今宵ほどの好機はないと思っていた。男爵邸で2人になることは、まずない。応接室では泰臣が同席し、庭を散策するにしても、下男や女中、あまたの目がある。婚約者である羽倉崎が、晃子の様子を知ることは容易いのだ。やましいことがないとは云え、瀬戸物町で出くわしてしまった手前、現状、あまり接点を持ちたくはなかった。
そうなると鹿鳴館は、大変都合が良い。普段から、睨みを利かせる泰臣は今頃、貴賓室で優雅に舌鼓を打っているだろう。
周りの者達は、自分たちが楽しむことに夢中であり、2人ベンチで話をしていても官の要請で出席させた令嬢を、役人が相手をしているとしか受け取らないはずだ。
そんな光留の考えを知りもしない晃子は、真意を問うようにチラリと視線を流す。いつもなら真っ直ぐに、こちらを見つめる褐色の瞳は、微かに伏せられ、何処と無く躊躇っているようにも見えた。ともなれば、合わぬ視線に気持ちを推し量る術はない。
ふっ――と、軽く息を吐くと告げた。
「その通りです。父が決めた許嫁。これ以上でも、以下でもありませんし、嫌いでも好きでもないと言ったところでしょうか」
「それでは、まとまっても破れても気にもならない適度なのでしょうか?」
「ご縁がなかったのでしょう」
「淡々とされてますね?相手は、誰でもよろしいといった感じでしょうか?」
「誰でもは、嫌ですわ」
「何故です?」
「何故って……」
嫌に決まっている。誰しもがそうである筈なのに、追及する光留の顔は真剣そのものだ。嫌だわ――と、晃子は吹き出した。
木隠れに、あの日の景色を望もうにも漏れる灯りだけでは、足元も覚束ない。せめて白亜を照らすア-ク灯が、ほんの1灯でもあれば2人して、暗闇のアーチをくぐることが出来るのだろうか? フッと、過った不思議な感情に薄く失笑を漏らし、今度は口にした――
「……ふふ、嫌だわ」
これが、何に対しての言葉なのか、横で問い質す光留には分からないだろう。晃子は、シルク地の扇子をグッと握りしめると、真紅の唇から耳を撫でる円舞曲に添わせるかのように、言葉を継いだ。
「さすがに誰でも良いとは思いません。光留様だって誰でも――では、ないでしょう?」
「確かに。ただし僕の場合は、少々違います。おそらく皆様は、誰でも良い訳ではないが、条件に合えば、その中の誰でも良いのだと思います」
「そうですわね。皆様そう。泰臣さんのご結婚も、堂上華族の方で年齢が合えば父も、泰臣さんも良かったのでしょう。大宮家でなくては――、駒子様でなくては――、なんてあり得ませんもの」
「僕が、晃子さんでなくては――と思っていることをご存知でしょうか?」
光留は、指先を伸ばし晃子の手ではなく、扇子の先を握りしめた。
「光留様……お離しになって」
「嫌です。どうしてもと仰るのならば晃子さんが、お離し下さい。僕をうち捨てて、そのままキラキラと輝く輪に加わり皆様の前で、こう仰って下さい。馬鹿な男に言い寄られ、不愉快ですわ――と。恥をかかされなければ僕は、分かりません」
「何て馬鹿なことを仰るの!」
「馬鹿で結構、いえ、そもそも僕は馬鹿なのですよ。お逃げになりませんか?まだ猶予を頂けるのならば、今まで噂のままになっていた事柄を、貴女に話すべきだと思うのです」
周りに落ちる影はない。無論、人影も。大広間からは辛うじて、こちらの影は見えるかもしれないが、円舞曲で手を取り合い踊る人達の幾人が、バルコニーにいるというのだろう。
「皆様、一堂に会し、お家柄もお人柄さえも掴める この夜会に僕は、初めから貴女しか見ておりません。それは、今宵に限ったことではないのです。僕が、馬鹿な子爵家の従五位と陰口を叩かれる所以です」
「そのような陰口、聞いたこともありません。木隠れの、この先で起こった出来事と同じ類いでしょう。所詮、光留様をやっかんでのこと」
光留は、ここにきて楽しげな声を上げた。揺れるブロンドも闇に紛れ、いつもの華やかさはないと思われたが、微笑み晃子を見つめる端正な顔立ちは、黒漆喰の中に一筋の金水流が漂うのと同じく、真逆に凄みを増し息を呑む程だ。
「やっかみ――そうですね。確かに……あの日は、そうだったかも知れません。しかし、馬鹿な従五位は本当なのですよ。僕は、慌ただしく官に同行し、事情など貴女に話す暇もありませんでした……いいえ、これは言い訳に過ぎませんね。先様に恥をかかせる訳にもいかず、口をつぐんで出立するしかありませんでした。しかし、噂とはそれなりに広まるものです。ただ、内容が内容だけに大きな噂にはなってないようですが、僕の様子で察する者達がいたのは事実です。滔々と流れる大河のように、人の気持ちも移り変わる――これは、至極真っ当な考えです。しかし、理屈じゃないのは感情です。少なくとも僕の心情は、流れることはなかった。貴女を想う気持ちは、流れて消えることがないのです。これ程、愚かな感情はないと思います……が、そうなのだから仕方がないのです。ねぇ、晃子さん。もうおわかりでしょう?僕は、貴女をお慕いしているのです」
光留は、建物から1番離れたベンチに晃子を誘った。木々で作られたトンネルは、煌きらしく漏れる鹿鳴館の灯りにより、辛うじて仄かな新緑を浮かび上がらせ、奥へ続く、ほの暗い闇は花灯りにより、点々と道を印していた。
「僕は、帰国後、色々と考えていたのです。しかし、自分の考えだけでは人様の気持ちなど推し量ることなど困難であり、先に進むことも出来ません。どうしたものかと首を捻るのですが、時が過ぎれば過ぎるほど、又しても、厄介な事情を抱え込むことにもなりかねないと、貴女を本日お誘いしました。まず、貴女には羽倉崎さんという男爵が決めた許嫁がいらっしゃる。紛れもない事実です。しかし貴女は仰った、親が決めたことだと。本当にそうなのですか? 慕う お気持ちの欠片もないのでしょうか? ああ……、申し訳ありません。此れ幸いと畳み掛けているように思われるかも知れませんが、聞いておかねばならないことなのです」
光留は、今宵ほどの好機はないと思っていた。男爵邸で2人になることは、まずない。応接室では泰臣が同席し、庭を散策するにしても、下男や女中、あまたの目がある。婚約者である羽倉崎が、晃子の様子を知ることは容易いのだ。やましいことがないとは云え、瀬戸物町で出くわしてしまった手前、現状、あまり接点を持ちたくはなかった。
そうなると鹿鳴館は、大変都合が良い。普段から、睨みを利かせる泰臣は今頃、貴賓室で優雅に舌鼓を打っているだろう。
周りの者達は、自分たちが楽しむことに夢中であり、2人ベンチで話をしていても官の要請で出席させた令嬢を、役人が相手をしているとしか受け取らないはずだ。
そんな光留の考えを知りもしない晃子は、真意を問うようにチラリと視線を流す。いつもなら真っ直ぐに、こちらを見つめる褐色の瞳は、微かに伏せられ、何処と無く躊躇っているようにも見えた。ともなれば、合わぬ視線に気持ちを推し量る術はない。
ふっ――と、軽く息を吐くと告げた。
「その通りです。父が決めた許嫁。これ以上でも、以下でもありませんし、嫌いでも好きでもないと言ったところでしょうか」
「それでは、まとまっても破れても気にもならない適度なのでしょうか?」
「ご縁がなかったのでしょう」
「淡々とされてますね?相手は、誰でもよろしいといった感じでしょうか?」
「誰でもは、嫌ですわ」
「何故です?」
「何故って……」
嫌に決まっている。誰しもがそうである筈なのに、追及する光留の顔は真剣そのものだ。嫌だわ――と、晃子は吹き出した。
木隠れに、あの日の景色を望もうにも漏れる灯りだけでは、足元も覚束ない。せめて白亜を照らすア-ク灯が、ほんの1灯でもあれば2人して、暗闇のアーチをくぐることが出来るのだろうか? フッと、過った不思議な感情に薄く失笑を漏らし、今度は口にした――
「……ふふ、嫌だわ」
これが、何に対しての言葉なのか、横で問い質す光留には分からないだろう。晃子は、シルク地の扇子をグッと握りしめると、真紅の唇から耳を撫でる円舞曲に添わせるかのように、言葉を継いだ。
「さすがに誰でも良いとは思いません。光留様だって誰でも――では、ないでしょう?」
「確かに。ただし僕の場合は、少々違います。おそらく皆様は、誰でも良い訳ではないが、条件に合えば、その中の誰でも良いのだと思います」
「そうですわね。皆様そう。泰臣さんのご結婚も、堂上華族の方で年齢が合えば父も、泰臣さんも良かったのでしょう。大宮家でなくては――、駒子様でなくては――、なんてあり得ませんもの」
「僕が、晃子さんでなくては――と思っていることをご存知でしょうか?」
光留は、指先を伸ばし晃子の手ではなく、扇子の先を握りしめた。
「光留様……お離しになって」
「嫌です。どうしてもと仰るのならば晃子さんが、お離し下さい。僕をうち捨てて、そのままキラキラと輝く輪に加わり皆様の前で、こう仰って下さい。馬鹿な男に言い寄られ、不愉快ですわ――と。恥をかかされなければ僕は、分かりません」
「何て馬鹿なことを仰るの!」
「馬鹿で結構、いえ、そもそも僕は馬鹿なのですよ。お逃げになりませんか?まだ猶予を頂けるのならば、今まで噂のままになっていた事柄を、貴女に話すべきだと思うのです」
周りに落ちる影はない。無論、人影も。大広間からは辛うじて、こちらの影は見えるかもしれないが、円舞曲で手を取り合い踊る人達の幾人が、バルコニーにいるというのだろう。
「皆様、一堂に会し、お家柄もお人柄さえも掴める この夜会に僕は、初めから貴女しか見ておりません。それは、今宵に限ったことではないのです。僕が、馬鹿な子爵家の従五位と陰口を叩かれる所以です」
「そのような陰口、聞いたこともありません。木隠れの、この先で起こった出来事と同じ類いでしょう。所詮、光留様をやっかんでのこと」
光留は、ここにきて楽しげな声を上げた。揺れるブロンドも闇に紛れ、いつもの華やかさはないと思われたが、微笑み晃子を見つめる端正な顔立ちは、黒漆喰の中に一筋の金水流が漂うのと同じく、真逆に凄みを増し息を呑む程だ。
「やっかみ――そうですね。確かに……あの日は、そうだったかも知れません。しかし、馬鹿な従五位は本当なのですよ。僕は、慌ただしく官に同行し、事情など貴女に話す暇もありませんでした……いいえ、これは言い訳に過ぎませんね。先様に恥をかかせる訳にもいかず、口をつぐんで出立するしかありませんでした。しかし、噂とはそれなりに広まるものです。ただ、内容が内容だけに大きな噂にはなってないようですが、僕の様子で察する者達がいたのは事実です。滔々と流れる大河のように、人の気持ちも移り変わる――これは、至極真っ当な考えです。しかし、理屈じゃないのは感情です。少なくとも僕の心情は、流れることはなかった。貴女を想う気持ちは、流れて消えることがないのです。これ程、愚かな感情はないと思います……が、そうなのだから仕方がないのです。ねぇ、晃子さん。もうおわかりでしょう?僕は、貴女をお慕いしているのです」
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※表紙はイメージです
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