紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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奏任官の正体

 ベルベッドの柔らかい椅子張りに、背をもたれた羽倉崎は、やはり不満を露にしていた。晃子は衣装替えの為、応接室には居らず、必然的に泰臣への事情聴取が始まったのだが、尋ねられることは、当然ながら愛する晃子の一挙手一投足。

「それでは泰臣君は、晃子さんとご一緒ではなかったと?」
「ええ、見合いの席をが、用意しておりまして」

 羽倉崎の追及を逃れる為に、官のせいにした。

「……お姉様なのだから、ご一緒しても良かったのでは?」
「え!? それは……大宮家が付き添いがいないのに、当家が連れているのは少々……」

 今度は、大宮家のせいにした。
 納得したのか、それとも妥協したのか、羽倉崎は、溜め息混じりの言葉を吐いた「晃子さんに聞くとしますか」と。
 そうしているうちに、絽の付け下げ姿の晃子が現れ、現在に至る。
 羽倉崎は「どうぞ」と、泰臣の横に誘導した。揃って向かい合うとは、商談でもするようだが、光留のことを口走れない手前、得も言われぬ罪悪感から視線が泳ぐ。許可待ちとはいえ、羽倉崎は晃子の婚約者である。
 そこに以前から晃子を慕う学友が、付け文のような物を送り、誘い出した可能性があるのだ。しかし、それを言い付ける訳にはいかないのは、明るみに出て損をするのは、尾井坂男爵家だということ。光留の懸想を知った羽倉崎は、黙っていないだろう。そして光留も。
 騒ぎになり、面白可笑しく新聞に書き立てられでもしたら、光留の欧州視察、羽倉崎の妾など暴露されてしまう。
 父である男爵が、貴族院の議席を欲していることを、泰臣は把握していた。大宮家との縁談も血筋と金の引き換えであり、議席を取る為の布石でもあるのだから、スキャンダルは ご法度ともいえる。
 それに加え、光留が宮家との縁談を蹴ったのが、晃子の為と知れれば、宮家の顔色も変わるだろう。

 ―― うちは、何も悪くないのに……。

 泰臣にとって対等な商談というより、人様の為に、高利貸しに頭を下げるような 情けなさを伴うものだった。そんな思いは、露とも知らず――

「大変お美しい私の晃子さんは、さぞや夜会でも人の目を引いたのでしょうね。誰と手を取り合い、踊られたのでしょうか?」
「踊っておりませんわ。ずっと座って話をしておりました」
「ほう、誰と?」

「宮内省の方ですわ。ご足労感謝いたしますと」
「男ですか?」

「当たり前でしょう」
「2人で? それは、少々いただけませんね。その人、誰です?」

「待ってください!羽倉崎さん、そんな根掘り葉掘りになると僕達は、このまま夜明けを迎えてしまいます。正直、僕は寝たい」
「しかし、何でも報告するという約束でしたよ。だから私は、渋々……」

 泰臣の堪らないと言いたげな言葉に、羽倉崎は、約束を違えることは許せない――と、組んでいた足を解き、身を乗り出した。恨みがましい視線は、白い顔に当てられている。話すまで、解放する気はなさそうだ。晃子は、身じろぎもせず「田中子爵家の方です」と、歌集でも口ずさむように話し出した。

「宮内省に出仕なさっています。身元もお人柄も確かですし、泰臣さんのご学友であられるから問題もありません」
「泰臣君の……それは、良かった」

 羽倉崎の口元に笑みが溢れた。学友という立場に安心したのだろうが、光留を知る泰臣は 内心、空恐ろしさを感じた。夜会に誘い、2人で何を話したというのか。明らかに、一歩踏み出した光留の行動は、波風を立てるものでしかない。これ以上、光留の名を羽倉崎に聞かせない方がよい。泰臣は「それでは……」と腰を浮かせた。

「あ、少々お待ちを。申し訳ない。もう1つ、泰臣君にお尋ねしたいことがありました。清浦さんと親しい奏任官そうにんかんについて」

「清浦?……あ、すみません。僕は、清浦さんとは面識自体がなくて奏任官も、誰を従えているのか……」
「それならば、調べて欲しいのです」

「まあ、人に頼めば何とかなるかも……」

 清浦ならば、光留が親しい。連れている奏任官も見知っているかもしれないと了承した。

「ありがとうございます。近藤と田中という者ですが、この田中というのは光留と名乗っていたそうなのです」
「よりによって、何で……」

 当然ながら泰臣は、光留と羽倉崎を引き合わせる気はない。避けたい方へ事が進むのは、何故だ――と、眉間を押さえた。

「何で……って、ああ、不思議に思われるのも当然ですね。先日、清浦様とお会いした時に連れられていた人達でして、特に田中様は うちの使用人と顔見知りで」
「使用人? 何で光……、奏任官が……」

「少々、お困りの所を偶然お助けしたそうで、先日うちに ご挨拶に見えられたそうなんですよ」
「羽倉崎さんのお宅? 千駄ヶ谷せんだがやのですか?」

「え……ああ、まあ。わざわざお礼にお越し頂いたのに、お構いも出来ず……田中様には是非とも又、お越し頂きたいと思いますし、近藤様とも懇意にさせて頂けたらと」

 羽倉崎の言いたいことは、よく分かった。官と繋がることは良いことだ。清浦の供をしていたとなると、かなり強力な手駒になると踏んだのだろう。
 会わせたくない、しかし既に 顔見知りならば、下手に隠す方が後々、怪しまれるだろう。泰臣は、グッと腹に力を入れると「羽倉崎さん」と、切り出した。

「近藤というのは知りませんが、尋ねてみましょう。そして田中というのは先程、話がでた僕の学友です」
「宮内省の?お知り合いですか!」

「ええ、しかし光留は、誘いには乗らないと思います。清浦さんに同行していたのは、欧州視察の やむを得ない事情というものでしょう」
「欧州に……それは、益々お声がけをお願いしたい。先日は、お食事をされ、清浦様の馴染みの店に揚がられたと聞いておりますので、その流れでもよろしい」

「……嫌だわ、そのような話を私の前で」
「ああ、誤解のないように。私は揚がりません」

 泰臣は、嘘だと思ったが大仰に頷いてみせた。

「それに光留様が、そのような場所へ行かれるかしら?」

 晃子は、席を立つ気だろう。裾を押さえ、呟いた。

「晃子さんは、可愛らしいですね。妾は嫌だと言い募ったり、田中様が店にお揚がりにならないと思われていたり……」
「羽倉崎さん、ふざけてらっしゃるの?私は、本気で妾を持つ方が嫌いなのです。花柳の女が媚を売るような、駆け引きでもありません」

「はい、はい、わかっておりますよ。しかし、変な幻想を抱かれては、堪ったものではありません。山寺さんの話によれば、清浦様は馴染みの店へ、奏任官をお連れになったと。請求があがっているのですから間違いはないでしょう」

 晃子の柳眉が、ひそめられた。
 不機嫌露といった顔つき、どちらも折れない不毛な争いに発展する前に「人様の話なんて、どうでもいいでしょう」と、泰臣は 終止符を打った。
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