紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
39 / 96

アキさん

しおりを挟む
 ――  意味のない待ちぼうけだ。

 茶を取り替えに来た女中は、これで3人目だ。いい加減、帰りたくなったが、ここで席を立っては、売った恩の有り難みが減るような気がした。

「可愛らしい猫ですね、御所の女房達が好きそうです」
「御所でございますか?」

 怪訝な声音に、やはり――と思った。おそらく、清浦の同行者ということで、司法省の人間と思われていたのだろう。

「申し遅れました。、奏任官の田中光留と申します」

 ここからは、早かった。
 独立官庁である宮内省は、宮中の一切を取り扱うものであり、内閣に強い意見を言える者でも、宮内省に文句など言いようもないのだ。扱う内容が天皇や皇族、華族なのだから畑違いである上に、下手に突けば宗秩寮に目をつけられ、不利益を被るかもしれない。
 恨みも何もない、一介の宮内省奏任官を待たせても、意味がないことであり、侍従に言いつけられ天皇の耳に入ることの方が、厄介だ。屋敷の主である黒田は、過去に妻を斬り殺した疑いが天皇の耳に入り、暫く遠ざけられていた過去がある。おそらく宮内大臣か、侍従が言いつけたのだろう。そんな過去を思い出したのか、厳めしい顔つきの黒田は、上座に着くなり「清浦どんは?」と、野太い声を放った。

「相馬子爵家の件で、宮内大臣からお呼びがかかりまして、先に退席させて頂きました。恐れながら、お預かりしております物を」

 封書を畳に滑らせたが、伸ばした腕に猫が擦り寄り、思うように届かない。
「あっちへ行きなさい」と 嗜めはするが、気ままな猫は、素知らぬ顔だ。

「田中さーは、猫が好きでごわすか?」

 黒田は、ヒョイと封書を持ち上げ無理矢理、猫を滑り落とすと、改めて光留を眺めた。

「いえ、正直、猫と長い時間を過ごしたのは、今日が初めてで」
「そうでごわすか、猫はよかど。言葉は喋りもはんが、人の気持ちは よーわかりもす。コイは、なかなか懐かん猫じゃが、おまんさーには、よう懐いとる。猫に好かれるのかもしれもはん。1度飼ってみるとよか」

 黒田は、無骨な手で抱き上げると、頬擦りをしてみせる。厳めしい髭面が、幸せそうに緩む様子が不思議に思えた。
 妻を斬り殺したり、人様の屋敷に侵入して暴れるような人間が、こうも変わるとは――と。
 猫が側にいれば、何か変わるだろうか? そう考え出すと、試してみたくなる。
 しかし、仔猫から育て上げる自信はない。おそらく、よいに任せきりになることは目に見えている。そうなれば、仔猫が懐くことはないかもしれない。と、なれば1番効率的なのは、既に懐いた猫を手に入れること。

「黒田閣下、その三毛猫を僕に譲って頂けませんか?」
「コイをか?」

 黒田は 話が飲み込めないと、どんぐりの様な目を更に、広げた。真剣な面持ちで頷く青年をどう思ったのかは、分からないが
「よか、やりもんそ」と、軽く快諾してみせ、天鵞絨ビロードのような黒い首筋を掴み上げると、荷物のように差し出した。
 ゆらゆらと揺れる しなやかな肢体に、心底まで見通すような眼。そこに映るブロンドの青年が、我が身の主と察したのか猫は、甘えた声で 喉を鳴らす。

「お名前は?」
「名前? ありもはん。オイ、コラ、好きに呼べばよか」

「いや……」
「おまんさーの好きに名付ければよか。おいは、1番ひ弱なのにかおると付けもしたが、あいは不味かった。ひ弱じゃっと、飯は食ったか?、寝床はあるどか?と、世話をやいとったら、愛着がわきもした」

 三井の番頭閣下井上 馨が聞いたら、卒倒しそうだと光留は、ぷっ――!と吹き出した。
「失礼」慌てて、澄まし顔を作ってみせたが黒田は、気にしていないようだ。

「兎に角、知り合いは避けた方がよか。そいか、よっぽど好いとるもんか」

「好いとるもん……ああ、選択肢などありません。この子はアキさんです」
「ほう、よか名でごわす」

 光留は アキを抱き上げると、ビー玉のような目を覗き込む。本駒込の屋敷に連れ帰るのが、本物ならば冗長じょうちょうだと、呆れられるほどの愛を語り、知る言の葉を尽くしているだろう。

「貴女の女主を、早くお迎え致しましょう」

 光留は 情けなさ混じる思いで、アキの耳に唇を落とした。



 ◆◆◆◆◆


 京橋采女町には、欧米の最先端技術、流行を取り入れた西洋料理店があり、外国の要人接待の場、及び、貴賓と接する官のマナーを学ぶ場として活用されていた。精養軒せいようけんと名付けられた、フランス料理のレストランだ。
 駒子のテーブルマナー講習が、終わったことを、宮内省の五等出仕から聞き及んだ光留は、泰臣と駒子を招待したのだが、現れた2人の背後には、予期せぬ人物が付き添っていた。

「田中様、偶然居合わせまして。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「ごきげんよう、羽倉崎さん。よろこんで」

 光留にとっては想定外だったが、出迎えた給仕を捕まえ「席を2つに」と命じる。
 泰臣の顔には、あからさまに反対の意志が宿ったが、当然ながら無視した。
 急に席を用意しろと言った為か、隅に追いやられた格好になったが好都合だ。光留は、のんびりとした口調で
「僕は 宮内省の者ですので、面白くも何ともありませんよ」と、切り出した。
 暗に嘘をついてまで、追いかけ回す価値はないと告げたが、羽倉崎の怜悧な眼差しは、ご謙遜を――と、物を言う。

「田中様は、別のテーブルを設けて下さいました。あの2人には聞かせたくない話をする……ということと察しましたが?」
「初々しいお2人には、僕達はお邪魔でしょうしね」

 傾ける葡萄色に映る瀟洒しょうしゃな笑みを、他人のように眺める光留は、人を魅了する上っ面に、心底感謝する。少なくとも、その下に隠した下劣な自己欲は、誰の目に触れることもなく、隠蔽されるのだから。

「単刀直入に。僕に、清浦さんとの仲を取り持って欲しいということでしょうか?」
「いいえ」

 キッパリと断言した返答に、形の良い唇は、さらに美しく弧を描いた。

「それでは、貴方のご婚約が一向に進まない理由でも知りたい――と、いったところでしょうか?」

 ゆらゆらと、揺れる葡萄酒の向こう側には、驚きを露にする恋敵。
 くるくると、手のひらで踊らせるグラスに閉じ込められたは、善に凝り固まった温柔で、優美な化けの皮。

All's fair in love and war恋愛と戦争では手段を選ばない

 溢れた微笑と言葉は、どこまでが本物か。光留は、秀麗な面差しが落ちるワインを 一気に飲み干した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

不器用な大富豪社長は、闇オクで買った花嫁を寵愛する

獅月@体調不良
恋愛
「 御前を幸せにする為に、俺は買ったんだ 」 〜 闇オク花嫁 〜 毒親である母親の為だけに生きてきた彼女は、 借金を得た母の言葉を聞き、 闇オークションへ売られる事になった。 どんな形にしろ借金は返済出来るし、 母の今後の生活面も確保出来る。 そう、彼女自身が生きていなくとも…。  生きる希望を無くし、 闇オークションに出品された彼女は 100億で落札された。 人食を好む大富豪か、 それとも肉体を求めてか…。 どちらにしろ、借金返済に、 安堵した彼女だが…。 いざ、落札した大富豪に引き渡されると、 その容姿端麗の美しい男は、 タワマンの最上階から5階部分、全てが自宅であり、 毎日30万のお小遣いですら渡し、 一流シェフによる三食デザート付きの食事、 なにより、彼のいない時間は好きにしていいという自由時間を言い渡した。 何一つ手を出して来ない男に疑問と不満を抱く日々……だが……? 表紙 ニジジャーニーから作成 エブリスタ同時公開

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

Pomegranate I

Uta Katagi
恋愛
 婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?  古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。 *本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

本日は桜・恋日和 ーツアーコンダクター 紫都の慕情の旅

光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
旅は好きですか? 派遣添乗員(ツアーコンダクター)の桑崎紫都32歳。 もう、仕事がらみの恋愛はしないと思っていたのに…ーー 切ない過去を持つ男女四人の二泊三日の恋慕情。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

処理中です...