紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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美醜

 羽倉崎は、仕事柄いろいろな人間と会うが、目の前の男以上に、顔形が整った者を見たことがない。もちろん、男限定だが。
 本来ならば、ブロンドの髪は悪目立ちし、後ろ指を差されるのだろうが、それさえも気にならないほどだ。おそらく、そう考えるのは、羽倉崎だけではないだろう。
 初対面の折りも、ただの役人ではないと見当を付けていが、さきの話から名を知り、それが田中子爵家の従五位であり、義弟になる泰臣とは学友であることを知った時は、思わぬ幸運が転がってきたと思ったほどだ。
 何せ、清浦が親しげに連れていたのだ、お近づきになっていて、損などあるわけがないと。しかし、なかなか上手くいかない。
 そんな折、山寺から妙な話が飛び出した。それは、春先に帰国した欧州視察の一行の噂話――。

 上品で深いと表現するのが、ピタリとはまる目の前の男の微笑は、ケチのつけようがない。故に、何を考えているのかサッパリわからない。商売には駆け引きも必要だが、ここはハッキリと尋ねた方が、賢いやり方だと羽倉崎は、不敬を承知で口を開いた。

「ご無礼を承知で……よろしいでしょうか?」
「ええ」

「山寺という者を覚えておいででしょうか?」
「承知しております」

「その山寺が、妙な噂話をするのです」
「噂……?何でしょう。僕に関することでしょうか?構わず、一気に語ってください」

 羽倉崎は「失礼を承知で申します」と断ると、淀みなく語る。

「先日、清浦様の話に至りまして。司法次官とは大したものだと。そこで先頃の欧州視察の話が飛び出しました。同行した田中様の噂話が……」

 チラリと目の前の男を窺うが、別段驚く様子もない。普通、自分の噂話が飛び交っていると聞いたら、気になり声をあげるものだが。

「田中様には、宮家との縁談が上がっていたが視察が決まり破談になったと」
「ええ、本当のことですよ」

 ここで初めて目の前の男は、肩を揺らし笑う。漏らした言葉は「何だ、そんなことか」と。羽倉崎は、慌てて「まだ続きがあります!」と身を乗り出した。

「食事をしながら聞きましょう。給仕を困らせてしまいます」
「あ、そうですね……」

「しかし、僕は美食家でも食通でもありませんので、気の利いた御託を並べることは出来ませんが」
「いえ。聞きたいことは、他のことですので」

「どうぞ」

 何でも聞いて構わないと、澄ました顔でナイフを手にする。切り分ける動作も、全てが整っているのが癪に障る。これから口にする内容は、羽倉崎にとって一大事なのだ。
 しかし、声を荒らげることができる相手ではない。落ち着け――と、乾いた口内に水を含んだ。

「何故、破談に?」
「欧州に行くことになったからです。娘より視察を優先するとは、けしからんと思われたのでしょう。潮が引くように……」

「何故、相手方の意向に沿わなかったのですか?」
「何故、僕が相手に合わせなければならないのです?」

「失礼、それでは世間の噂をご存じで?」
「ええ、存じております」

 貼り付けられた微笑が、華やかな笑みに変わったことに羽倉崎は、内心驚いた。これは本当に、ただの噂なのかもしれない――と。

「噂では僕が、宮家との縁談を蹴ったことになっております。理由は、想い人の存在であり、縁談を蹴る為に欧州に行ったと」
「はい。その想い人にお心当たりは?」

「全くありませんね」
「晃子さんと囁かれております」

 肝心なのは、ここなのだ。噂が他の令嬢だったら、気にもしないだろう。ただ、晃子だったら話は違うと羽倉崎は、テーブルクロスで隠れた拳を握りしめた。

「根も葉もない噂ですね」
「証拠は?」
 
 追及する悪い癖が出た。しかし、目の前の男は落ち着いている。

「……羽倉崎さん、根も葉もないものの証拠をどう証明しろっていうのです」

 少々、間があったが当然の返答を返してきた。

「……確かに、申し訳ありません」
「しかし、そうですね。証拠となるか微妙ですが晃子さんは、昔から評判の美人でしてね。学友の間でも、そのお心を射止めたいと願う者は多かったのです」

 チッ……小さな舌打ちは、館内で奏でられるピアノのしらべに紛れたが、寄せた眉は くっきりと不快感を露にする。聞きたくもない話だが、今 聞かねば今後、好機は訪れないだろう。

「そして、僕は晃子さんと少々面識がありましてね。元々のやっかみも相まって、何者かが妙な噂を流したのです」
「どういうことです?」

「先程の噂と似たようなものです。子爵家の従五位は、男爵令嬢に懸想しているが、なかなか思い通りにできないらしい。情けない……まあ、こんな類いです」
「それでは、やはり……ただの噂で?」

「少なくとも僕は、学友に晃子さんを慕っているなど申したことはありません。それに、視察に赴くにあたり、縁談を壊す為だ――などと、失礼なことも申していないのです」
「それでは、本当に噂だと? 田中様は、晃子さんのことを何とも思っておられないと?」

 我ながらクドイと思うが、勝手に口から念を押す言葉が出てしまった。遠慮ぎみに視線を這わせると、案の定、拳を口元に寄せ、肩を震わせている。揺れるブロンドは、シャンデリアの明かりにキラキラと輝き、白鼈甲を彷彿とさせる凛とした気品を放っていた。

「羽倉崎さん、何とも思っていないなど口が裂けても申し上げられません。女性に対して失礼です。ただ、僕は女の美醜には、それほど拘りがありません。あとね、格なども興味がないのですよ。吉原の遊女でも品川の飯盛女でも、大して変わりませんよ」

 おそらく、自分が持つ特権のような物が、他の者から見たら ヨダレが出るほど羨ましいという認識がないのだろう。羽倉崎は納得した。
 美醜に拘らないのは、細工のように繊細で美しい顔を持つ為であり、財に興味を示さないのも子爵家の資産があってこそだろう。
 羽倉崎は、過去にあった晃子の縁談を把握している。全て、華族からのものであり財政的なものや、晃子の容姿に惹かれた類いのものと思われた。当然ながら、田中子爵家からの申し出はなかった。男爵家の資産にも、晃子の美貌にも興味がないと、目の前の男は言っているのだ。

 ―― やはり、ただの噂か……。

 羽倉崎は、微かに笑みを浮かべた。
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