紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
42 / 96

藤袴

しおりを挟む
 ◆◆◆◆◆

 別れ際 尋ねた羽倉崎の予定は、夕刻から伊勢町での会合。時間もそこまでないことから瀬戸物町で時間を潰すと思われた。もしかしたら、今宵は妾宅で過ごすのかもしれない――と、なると光留の行き先は決まった。

「そこの正門前で止めて」
「へぇ!」

 人様の敷地に、車夫といえども招き入れるきっかけを与えることは、よろしくないと男爵邸の前で俥を止めさせ、ブラブラと歩く。手入れの行き届いた木々は、白秋迫る季節を思わせることもなく、まだまだ緑豊かな色彩を放っていた。
 昨年の今頃は、英国で日々が過ぎるのを指折り数えていたことを思うと、今、男爵邸に足を踏み入れていることが夢のようだ。
 そんなことを考える光留の耳に、甲高い笑い声が響き、幸せの余韻が割かれる。
 男爵夫人のものでも、晃子のものでもない。誰だ?と、興味が向くのは当然だ。巡らせた視線に、見慣れない一頭立て。微かに眉を寄せた。視線は探るものに変わり、そのまま玄関に1番近い応接室へ吸い寄せられたのは、成り行きだ。
 過ごしやすい季節であり、昼間であることから応接室の窓は、両手を広げるように目一杯に開け放たれ、絹地のレースはヒラヒラと はためく。窓辺にある円卓に座り、機嫌良く 指先を頬にあてがっているのは、鹿鳴館で駒子の介添人として、顔を会わせた滝沢男爵夫人。
 あの時は、降り注ぐシャンデリアの灯りに見慣れない洋装ということもあり、華やかな印象であったが、今、焦げ茶の壁に絵画のように見えるのは、黒の羽織を身につけ、キリッと髪を巻き上げた姿。

 ―― ああ、丁度いい。鹿鳴館のお礼を申し上げよう。

 ついでとばかりに あの輪に入り、晃子の生母に挨拶しておくのも悪くないと、一歩踏み出した――その時、室内に他の人物がチラリと見え、慌てて庭のアーチに身を屈める。暇をもて余した夫人達が、茶会でも開いていると思いきゃ、見えたのは 黒のフロックコートに短髪の男。
 泰臣のわけはない。尾井坂男爵は、白髪混じりの為、窓枠の向こうの男と合致しない。滝沢男爵は、髪の毛がないから話にならない。

 ―― 誰だ? 

 中腰になり覗くが、よく見えない。腰から上 しかも、後ろ姿となると情報は限られている。黒のフロックコートと短髪、何処にでもいる。背は低いように見える。何故なら向かい合う、もう1人の人物と変わらないからだ。

「あ~あ、何故、貴女は笑っているのです?」

 淡い紫紅色の小さな花弁が、パッと散るように開く藤袴の根元に身を屈め、覗く褐色の瞳には、男に微笑む 晃子の白い顔が映った。こそ泥のように地面に手を突き、室内を覗く。

「まるで若紫を垣間見る、光源氏みたいですね、光留様」
「光栄です……って!ヨネさん!! いつから!?」

「ずっとおりましたよ」
「教えてくださいよ……」

 光留は、立ち上がり膝を払った。
 ヨネは、古くから男爵家に仕える女中頭のような者だが、最近は 寄る年波もあり、もっぱら泰臣の身の回りの世話をやいているらしいが、今は庭の手入れか? 側には、雑草が山と積まれていた。

「あれは誰です?」
「滝沢男爵夫人とご子息と聞いております」

峯一郎みねいちろう君? 」

 物陰からもう一度、視線を向けた。互いの母親が揃い、適齢期を迎えた男女が笑い合う――。見ようによっては、見合いのようだが羽倉崎の存在があるので、それは考えられない。峯一郎は、光留より3つ程 年上になる。つまり、晃子より2つ上。

「 学習院以来だけど、ずいぶん色黒になられて……」

 遠目でも分かるのは、真っ黒に日焼けした顔。笑うと対照的な歯の白さが、さらに肌の黒さを際立たせた。
 ヨネは、雑草を刈る手をピタリと止めると、無遠慮な視線を光留の全身に這わせる。物言いたげな目だ。

「何です? ご婦人に見つめられると勘違いしてしまいますよ?」

 わざとすがめ、見下ろしてみるが艶めいた言葉は、初老の女には 通用しないようだ。笑うでもなく、返答を返すわけでもない。ヨネは 鎌を軽く振り上げ、勢いをつけると掘り返した地面へ突き刺した。

「光留様は、何故あの方をご存知なのです?ご学友でもありませんのに……」

 声音に含まれるのは、疑い。
 何でも知っている風の光留が、男爵家の内情を嗅ぎ回ってる――などと、泰臣に吹き込まれたのだろう。多少違うかもしれないが、泰臣の留守中、晃子を訪ねかねない光留を牽制する為に、愚痴を漏らしている可能性は高い。やっかいな小舅だ。光留は 溜め息をつき、ヨネの目の前にストン!と しゃがみ込んだ。

「峯一郎君は、僕に良くしてくれたのです。あの時分は、髪の色をからかわれていた頃でしたので、印象に残っています。あの人の学友が、近衛さんでしてね。ふと思い出して経緯を話したことがあるのですが、面倒見の良い人らしくて……僕を、不憫に思われたのかもしれませんね」

 光留は、ニッと唇を引き上げると立ち上がり、焦げ茶の額縁の中にある絵画を眺めた。それは動く、美しい令嬢の肖像ともいえる。薄く笑みを浮かべる表情は、貼り付いた面のようで退屈そうな瞳が、窮屈な空間を破る切っ掛けを探すように漂い、額縁からこちらを射ぬいた。

「肖像画は、不機嫌にはなりません。微笑む人と ずっと見つめ合える、とても幸せな気分になるでしょう。しかし、10に1つでも あのような莞爾の微笑みを溢されたら、途方もない快楽を味わった気になれます。どうです?ヨネさん、あの顔、僕に向けられているんですよ?」
「あれは……、退屈な席から抜け出せるという安堵からきたものでは?」

「もう! 少しくらい、自惚れさせてください」

 言葉では肯定してみせるが、ほころぶ微笑は ヨネの意見を全否定する。晃子が笑うことが珍しいというのは、誰よりも男爵家の人間が知っているはずだ。

「光留様……ヨネは、泰臣様も、光留様も好きでございますよ。あまり波風をおたてになられないように。晃子様は、羽倉崎さんの奥様になられるのです」
「……聞こえません」

「良いご令嬢は、他にもおられましょうに」
「ヨネさん。先程、源氏の話をされましたが、知っています?若紫を覗き見た源氏は、手に摘み――と、詠みますが これは若紫を手にしたいという意味ではないのです。少女の面影に初恋の人を見たのです。初恋の人に若紫を手にしたいと。僕の想い人は、人妻ではありません。摘みたいと願っても良いではないですか」

「ダメです」
「……石頭!」

 光留は 間髪いれず返したヨネに、プッ!と吹き出すと、足元に咲く藤袴を手折り白髪混じりの髪に差した。

「同じ野の露にやつるる藤袴あはれはかけよかことばかりも……。僕は、恋やつれで とても苦しい思いをしています。どうか哀れと思ってください」
「……」

「……ヨネさん、お顔が赤いですよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

不器用な大富豪社長は、闇オクで買った花嫁を寵愛する

獅月@体調不良
恋愛
「 御前を幸せにする為に、俺は買ったんだ 」 〜 闇オク花嫁 〜 毒親である母親の為だけに生きてきた彼女は、 借金を得た母の言葉を聞き、 闇オークションへ売られる事になった。 どんな形にしろ借金は返済出来るし、 母の今後の生活面も確保出来る。 そう、彼女自身が生きていなくとも…。  生きる希望を無くし、 闇オークションに出品された彼女は 100億で落札された。 人食を好む大富豪か、 それとも肉体を求めてか…。 どちらにしろ、借金返済に、 安堵した彼女だが…。 いざ、落札した大富豪に引き渡されると、 その容姿端麗の美しい男は、 タワマンの最上階から5階部分、全てが自宅であり、 毎日30万のお小遣いですら渡し、 一流シェフによる三食デザート付きの食事、 なにより、彼のいない時間は好きにしていいという自由時間を言い渡した。 何一つ手を出して来ない男に疑問と不満を抱く日々……だが……? 表紙 ニジジャーニーから作成 エブリスタ同時公開

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

Pomegranate I

Uta Katagi
恋愛
 婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?  古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。 *本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

本日は桜・恋日和 ーツアーコンダクター 紫都の慕情の旅

光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
旅は好きですか? 派遣添乗員(ツアーコンダクター)の桑崎紫都32歳。 もう、仕事がらみの恋愛はしないと思っていたのに…ーー 切ない過去を持つ男女四人の二泊三日の恋慕情。

友達婚~5年もあいつに片想い~

日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は 同僚の大樹に5年も片想いしている 5年前にした 「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」 梨衣は今30歳 その約束を大樹は覚えているのか

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

処理中です...