紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
45 / 96

恋ふらく

しおりを挟む
 ◆◆◆◆◆


「何を考えているんですか!」

 怒声を浴びせる相手は、学習院からの学友であり、晃子の弟にあたる泰臣だ。
 瀬戸物町で思わぬことを知り、そのまま飛び出し、たどり着いたのが尾井坂男爵邸なのは、当然の成り行きと云える。
 テーブルを叩きつける勢いの光留に対して、冷めた様子で「うるさい」と告げる泰臣は、腕を組み、そっぽを向く。なかなか横着な態度だ。

「ああ、そうだ。の鬼怒川行きを進めたのは、俺だよ。別にいいだろう? お父様が鬼怒川の事業へ、羽倉崎さんを呼んだんだ。なかなか行ける所でもなし、2人でお父様に会いに行っては?と」
「嘘をおっしゃい! 君は、男爵へ手を回したでしょう!? 」

「何だ、そんなことまで知っているのか。そうだ。羽倉崎さんに言っても、父の指図がないのに姉を連れ出せるわけがない。そして、も行かないだろう。だが、父に呼ばれたら行かざるを得ない」
「何故、そんな真似をしたのです!? 君は、咲さんの件で羽倉崎さんに、良い感情を持ってないと思ってました」

 光留は 以前、里から聞いていた。従妹である咲を妾として囲ったことに、泰臣が激怒したと。今にして思えば、矛盾点もなく鵜呑みにしたことを後悔した。チッ――と、憎々しげに鳴る舌打ちに、泰臣は軽く笑い声を上げると「そうそう……」と、言葉を紡ぐ。

「良い感情を持つわけがない。2つ年下の咲は、物心ついた頃から一緒だった。妾などではなく、それなりの家の正妻として嫁がせることは、造作もない。俺は、尾井坂家の跡取りとして此処に居るのだから。だが……光留、俺は、其なりに根に持っているんだ」

 低く声を落とし、ベルベットの背もたれから、身を離す泰臣の射抜く視線は、晃子に良く似ている。ただ、皮肉げに歪む唇は、似ても似つかない。「早く先を」光留は、さっさと結論を出したいと急いた。

「勲功で爵位を授かったのは、明治17年。俺は12歳、下町で母と暮らしていた頃だった。男爵になったはいいが、正妻には跡継ぎがいない。当然ながら、俺は迎え入れられた。母が亡くなったのは、その直前だった」
「……君、想像で大それたことを言うものじゃありません」

 先走って止めた光留に、泰臣は肩を震わせると「失敬」と、カップに唇を寄せた。一口含む珈琲が喉を鳴らす。

「円山芸者だった母は、本来、気風が良い人だったらしい。それが貶められ、住まいの周りにも手を回され、陰口を叩かれていくうちに、引きこもり塞ぎ混む日が増えていったと。男の子を産んだばかりに、の憎しみを受けてしまった。そんな母にとって里は 無論、咲の存在は拠り所だっただろう。しかし咲は、妾となった……俺は、母のようになることを案じ、又、羽倉崎さんに対して怒りを覚えた……だがな、光留、一つ良いことがあった」

 一旦、句切るとニッコリと微笑む
「何だと思う?」即座に返ってきたのは「知りませんよ」という光留の一言。
 期待はずれの返答だったのだろう。泰臣は、あからさまに眉を寄せると、溜め息をついた。おそらく呆れを表す、最大の嫌味として。

「泰臣君、正直、君には興味がないんです。良いことがあれば、結構なことで。としか言いようがない」
「急く気持ちは分かるが……まあ、いい。良いこと、それは咲がの妾だということ。全く関係ない男の妾ならば、腹立ちしかないが、これは良い意趣返しだと」

「はぁ!? 」

 とんでもないことを、言い出した学友の真意は、何処にあるのか?それを覗こうと試み、褐色の瞳を眇めてみせるが、今にも口笛を吹きそうな程、ご機嫌露な表情の本音など、見たまんまのような気がする。

「君、正気? それで、今回の鬼怒川行きですか? 結果、身重の咲さんは辛い思いをする」
「そんなの身から出た錆びだ。妾ならば正妻の影になるのは、うちの母を見て知っていた筈」

 煽っているのか?と思うほど、泰臣は冷静に言葉を継ぐ。反論のしようがない、逆の立場なら光留もそう答えるからだ。実に模範的で始末に終えない。苛立ちを見せると負けだろう、光留は無駄だと知りながらも、諭す言葉を繰り出した。

「咲さんに、選択肢はあったのですか?ないでしょう?学生である君の負担になる訳にはいかない。世話をやいてくれる羽倉崎さんから、甘言を囁かれたら? 断れないでしょう?」
「だから何だと言うんだ? 妾と正妻、それが咲と姉という事実だけで十分だろう。そして、今回 羽倉崎さんと姉は、鬼怒川まで。世間は、見るだろう。誰かさんが、裏で手を回して縁談を止めていても、世間の目にハッキリと映るだ。」

「行かせる気はありませんよ。晃子さんは、どちらに?」
「会わせると思うのか?」

「会わせない気ですか?」
「まさか、会わせたくても今、留守だ」

 晃子が外出とは、珍しい――と、思いはするが、つまらない嘘をついて、面会させない手段を講じる必要はない為、本当だろう。

「留守? どちらへ」
「何処かは知らないが、入り用の物を揃えるとかで、出掛けている。日本橋付近じゃないか?お気の毒さま」

「なかなか、苛つく物言いをしますね?」
「ははは! ついでに、もう一つ。鬼怒川行きを計画したのは、お前には悪いが初恋成就を潰す為だ」

 爽やかな朗笑と共に放たれた意味のある言葉に、今更驚くこともなく。さもありなん――と軽く頷いてみせるが、恨み言くらいは――と、憂いある面立ちを作ってみせた。
 
「ひどい人ですね。僕が、どんな思いで欧州に渡ったか、察してもくれないなんて」
「邪魔するのは、お前のではないよ」

「どういう意味です?」
「あの女の初恋を潰す。少々、不幸になってもバチは当たらないよ。未来の子爵夫人じゃなくても、貿易商の妻で十分だろう? 忌み嫌う妾つきの」

 泰臣は、堪らないと吹き出すと無作法にも、光留の鼻先を指で差す。深い闇色の瞳は、ゆっくりと繊月せんげつを形作った。

「あの女の初恋は、お前だろ? 感謝しているんだ、これでも。妾のいる夫を持つ……、本来これだけだったのが、恋破れて……ときた。これ程、愉快なことはないよ。ありがとう、。あの女を落としてくれて」

 泰臣は、満面の笑みを浮かべ、右手を差し出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

不器用な大富豪社長は、闇オクで買った花嫁を寵愛する

獅月@体調不良
恋愛
「 御前を幸せにする為に、俺は買ったんだ 」 〜 闇オク花嫁 〜 毒親である母親の為だけに生きてきた彼女は、 借金を得た母の言葉を聞き、 闇オークションへ売られる事になった。 どんな形にしろ借金は返済出来るし、 母の今後の生活面も確保出来る。 そう、彼女自身が生きていなくとも…。  生きる希望を無くし、 闇オークションに出品された彼女は 100億で落札された。 人食を好む大富豪か、 それとも肉体を求めてか…。 どちらにしろ、借金返済に、 安堵した彼女だが…。 いざ、落札した大富豪に引き渡されると、 その容姿端麗の美しい男は、 タワマンの最上階から5階部分、全てが自宅であり、 毎日30万のお小遣いですら渡し、 一流シェフによる三食デザート付きの食事、 なにより、彼のいない時間は好きにしていいという自由時間を言い渡した。 何一つ手を出して来ない男に疑問と不満を抱く日々……だが……? 表紙 ニジジャーニーから作成 エブリスタ同時公開

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

Pomegranate I

Uta Katagi
恋愛
 婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?  古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。 *本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

本日は桜・恋日和 ーツアーコンダクター 紫都の慕情の旅

光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
旅は好きですか? 派遣添乗員(ツアーコンダクター)の桑崎紫都32歳。 もう、仕事がらみの恋愛はしないと思っていたのに…ーー 切ない過去を持つ男女四人の二泊三日の恋慕情。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

処理中です...