紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
53 / 96

井筒

しおりを挟む
 見渡し、粗を探す必要もない。
ケチをつけようと思えば、いくらでも――と云ったボロ屋敷だ。褐色の瞳を眇め、不躾に品定めをする。質屋にでもなった気分だ。
「伯爵、至る所がいけません」
 こう言うと グルリと向き直り、玄関の向こう――、屋敷の門構えを指差してみせる。

「少々気になります……いえ、かなり気になります。御門の軒先、今にも落ちそうで みすぼらしい。御家の顔となるべき部分です。早々にお直しになられた方が……と言っても、駒子さんのお支度などで入り用でしょうし、ここは尾井坂さんに頼んでみては?」

 役にも立たない矜持を振りかざされ、言い訳をされても聞く気もない上に、時間もない。
光留は、おっとりとした京訛りが唇から放たれる前に、全てを語りきった。
 駒子の支度で入り用とでも言っておけば、プライドも維持出来るだろうと。勿論、伯爵家が 金を出す訳がないが。
 提案としては願ったりだろうが、大宮伯爵は浮かぬ顔だ。理由はすぐに語られた。

「しかし、駒子の作法まで講師を付けて頂いたし……」
「いえ、それは当然です」

 伯爵の遠慮を、ピシャリと退けるのは光留の凛とした声、一言では終わらない。これは、どうしても呑んで欲しい提案なのだ。

「駒子さんの立ち居振舞いが、尾井坂家にとって大切になるのですから、講師の手配など当然であります。ああ、何故 僕が、こんなことを口にするか不思議に思われますよね?……少々、お耳を拝借」

 有無を言わさず伯爵の肩に顔を寄せた。
密か事と認識させることが、大事なのだ。
当然ながら声音は 低く落とし、逸らされた視線は地面で揺れる草へ移る。

「男爵令嬢の縁談が、近々まとまります。あちらは、総領姫です。残念ながら泰臣君は、跡取りですが妾腹。男爵家は、夫人も揃って大変なお支度をされるでしょう。そうなると泰臣君の花嫁御寮である駒子さんのお支度が、それに勝るわけがありません」

 伯爵が、ハッと息を呑む。資金目当ての婚姻であるのだから、その目論見が崩れる事柄に敏感なのは仕方がない。

「屋敷の修繕費を心良く出させる為には、今しかありません。明日、男爵家は何やら大きな催しがあるそうで……今すぐ泰臣君を呼びつけて、お話をされるのが得策です」
「今!? 急過ぎないか?」

「何を仰っているのです!僕の話を聞いていたのですか、明日男爵家で何かあるのですよ? 本日中に承諾させないとダメでしょう」

 勿論、明日男爵邸である動きは、鬼怒川への出立であり、晃子の結婚など関係はない。

「わかった、今すぐ尾井坂さんの所へ……」
「貴方が行ってどうするんです!ああ、ちょっと、そこの貴女!」

 裏木戸へ繋がる奥で、水を汲み始めた下女を見つけると大声で呼び止めた。
しかし、距離がある上に向こうは、釣瓶を落とし、縄を引き上げているのだ、滑車の音だけでもガラガラガラと鳴り響く。
声は届いていないようだった。察した光留は、間を置いた。
 軋む縄、ひっくり返す桶からザバーと、水飛沫 飛び散る音が響き、再び下女が、井戸に釣瓶を落としかけた時

「ちょっと!そこの井筒いづつの君!」

 井筒とは、井戸の枠のことだ。
女は、すぐに自分のことだと気付いたようだが、同輩の者が ふざけ呼び止めたと思ったのだろう、気だるげに首を回すと「何や~」める視線を投げてきた――が、瞬時にギョッと眼を剥いた。
縄が、指からすり抜ける女の
「へ、へえ!何でございましょう!」と言う、上擦った叫びと 共に上がったのは、ガラガラガラ――、ドボ――ン!! と、井戸の底に叩きつけられた桶の悲鳴だった。

「手を止めて申し訳ない」

 前掛けで、手を拭きながら やって来た女に、光留は更紗の札入れから抜き取った1円札を、有無を言わさず握らせると、突き返されないように強く両手で握りしめた。
 鹿鳴館の馬車内で、晃子の手をからめとった時のようだが、同じ動作でも口にする言葉は、全く違う。驚く女に囁くのは、甘言ではない。

「良いですか? よく聞いて下さい。今から、伯爵のお使いで文を届けて貰いたいのです」

 握らされた大金に高ぶっているのか、それとも目の前の美貌の男にか、女の頬はみるみる内に真っ赤に染まった。

「はは!林檎みたいですね、美味しそう……あ、こんなこと言ってる場合じゃない。伯爵、文を。内容は ただ一言、直ぐに参るようにと、泰臣君を呼びつけてください。僕のことを匂わせてはダメですよ。尾井坂家の慶事は、宮内省で知り得たことを漏らしたのですからね」

 大嘘をつき、釘を刺す。何が何だか……といった表情だが、金が絡むとそうせざるを得ないとばかりに、伯爵は頷き 踵を返した。
 ギシギシと、軋む足音が遠ざかるのを耳に捉えつつ、握る指先の持ち主を再度、見つめ継ぐ。

「良いですか? 今から、途中までお送りします。貴女は、伯爵の使いで文を届けます。主の返答を聞き、待たせていた俥で ココにお戻りください、お返事は?」
「は、はい!」

「そして、僕のことは忘れてください。屋敷の主が何か聞いてきても、頼まれたと仰ってください。どうです? できますか? できるのならば、これでお好きな物でもお買いなさい」

 女は、荒れた指先を覆う、真っ白なグローブと握ったことのない大金に、ゴクリと唾を呑むと「お任せください」と、掠れた声と共に頷いてみせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

不器用な大富豪社長は、闇オクで買った花嫁を寵愛する

獅月@体調不良
恋愛
「 御前を幸せにする為に、俺は買ったんだ 」 〜 闇オク花嫁 〜 毒親である母親の為だけに生きてきた彼女は、 借金を得た母の言葉を聞き、 闇オークションへ売られる事になった。 どんな形にしろ借金は返済出来るし、 母の今後の生活面も確保出来る。 そう、彼女自身が生きていなくとも…。  生きる希望を無くし、 闇オークションに出品された彼女は 100億で落札された。 人食を好む大富豪か、 それとも肉体を求めてか…。 どちらにしろ、借金返済に、 安堵した彼女だが…。 いざ、落札した大富豪に引き渡されると、 その容姿端麗の美しい男は、 タワマンの最上階から5階部分、全てが自宅であり、 毎日30万のお小遣いですら渡し、 一流シェフによる三食デザート付きの食事、 なにより、彼のいない時間は好きにしていいという自由時間を言い渡した。 何一つ手を出して来ない男に疑問と不満を抱く日々……だが……? 表紙 ニジジャーニーから作成 エブリスタ同時公開

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

Pomegranate I

Uta Katagi
恋愛
 婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?  古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。 *本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

本日は桜・恋日和 ーツアーコンダクター 紫都の慕情の旅

光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
旅は好きですか? 派遣添乗員(ツアーコンダクター)の桑崎紫都32歳。 もう、仕事がらみの恋愛はしないと思っていたのに…ーー 切ない過去を持つ男女四人の二泊三日の恋慕情。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

処理中です...