紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
55 / 96

前夜

「申し訳ありません。林田とお話中かと思いまして、部屋を出るのが遅くなってしまいましたわね」
「嫌味ですか?」

「あら、そう思われることを なさっているのかしら? 参りましょう」
「どちらへ?」

 晃子は、踏み出した足をピタリと止めた。どちらへ――とは、いかなることか。ここは、晃子の部屋であるのだから、応接室へ移動するのは当然だ。

「羽倉崎さん、婦女子の部屋へ入り込むなど 恥ずべきことですわよ?」
「恥とも思いませんね、ここで結構」

 羽倉崎は、ズカスガと入り込むと、窓辺に置かれた椅子に腰を掛けた。こうなっては、聞く耳を持たないと知っている晃子は、さっさと話を終わらせるべく、向かい側へ腰を下ろす。

「司法省へ呼び出されて、遅くなってしまいました」
「司法省? 何かあったのですか?」

「いや、あくどい事をやっている連中がいるらしく、それについて知っていることはないか?と……まあ、誤解は溶けたようだったから、大丈夫でしょう」

 首もとのタイを指で引き下げ、疲れた様子をみせる羽倉崎に、光留の言葉を思い出した。夕刻まで足止めされる――、つまり司法省の件は、光留が手を回したことだろう。そして 帰り際、こうも言った。

「晃子さん、明日上野駅で羽倉崎さんを足止めしようと思います。屋敷で止めても、別の日に出立されては解決しません。ギリギリの時刻で止めます。晃子さんは、先に汽車に乗り、羽倉崎さんは乗せません。僕と鬼怒川へ参りましょう」

 とんでもない提案に、聞きたいことは山ほどあったが、すぐに終わる話ではないだろう。庭に立つ理由も、不意に泰臣が帰宅した場合に備えてのことかもしれない――と、察した。

 ――  明日、上野駅で足止めをする為の理由として、司法省へ呼び出したのかしら?

 ぼんやりと目の前の婚約者を見つめた。
 懐から煙草を取り出し、先端にフッ!と 息を吹きかける羽倉崎は、ここで向けられた視線に気付いたようで「あ!」と、指で摘まんだ煙草を口元から離した。
 無意識だったのだろう「失礼しました」と、元の煙草入れに戻し、深い溜め息をつく。落胆したようにも見える仕草に
「心ここにあらず……といった風ですわね」と、静かに尋ねた。

「そんなことはありません。少々、不思議な呼び出しだったもので……ところで、田中様が見えられたとか?」

「ええ、泰臣さんを訪ねて。ただ不在と知ると帰ってしまわれました」
「何を話されたのです?」

「また、そのような……」
「また、始まったという顔ですね。そうではないのですよ、聞き捨てならないことを耳にしましてね……ああ、ダメだ。つい指が煙草に伸びる」

 羽倉崎は、苦々しいとばかりに眉を寄せると、煙草をテーブルに滑らせた。

「袂にでも突っ込んで、私に見えないようにしてください」
「ふふ!そんなに美味しいものですか」

「何でしょうかね、落ち着くと言った方がしっくりきます。で、何を話されたのです?」
「特には……」

 羽倉崎は、涼しげな目をフッと窓へ向けた。腕を組み、顎をしゃくる仕草にを差していることは、すぐに気づいた。そして、それが誰の話にたどり着くのかも。
 しかし、あの時 周りには人がいなかったことから、会話を聞いていた者など存在しない。見ていたとしたら、遠目だろう。

「ご挨拶のような言葉でしたので、記憶にありませんわ」

 晃子は、袂へ煙草を仕舞いながら口にした。視線を逸らせたことが、動揺を隠すことに一役買い、ありがたかった。
 羽倉崎に知られてはならない。上野駅で足止め――、知れば大変なことになるだろう。
 光留が、鬼怒川へ同行する。これは、2人揃って父の前に出ると言うことだ。おそらく、結婚の承諾を得る為に。
「僕と、鬼怒川へ参りましょう」
 そう言った光留は、窓枠に置かれた晃子の細い指先を掬い上げると、静穏であるが確かな熱を孕む眼差しで見上げてきた。

「あの日も、このように貴女を見上げました。キラキラと輝く葉間の日差しの中、こう仰られたのを覚えておられますか?貴女は、僕を忘れないと その唇で確かに仰られたのです」

 あの日とは、初めて出逢った日のことだ。晃子は、頷いた。キラキラと輝いていたのは、とても綺麗なお日様色の髪を持つ少年だった。
 今もなお、美しく輝く姿に変わりはないが、あの日の潤む瞳は、見る影もなく、ただ直向ひたむきで、乞う眼差しは 強い決意を秘めているよう。

「あの時、僕は 何と返答すれば良かったのか。何度も、何度も考えました。結局、答えなど出ません。もし、あの時に戻れても僕は、言葉にすることが出来ないでしょう」

 光留は、瞼を伏せた。見下ろす形の晃子からは、苦笑いを浮かべたようにも見えたが、すぐに唇は、キュッと引き結ばれる。

「可笑しいでしょう? 僕は、貴女を前にすると甘美な言葉も口にできません、気の利いたことも言えない。言葉を尽くし、貴女に思いの丈を打ち明けられたら、どんなに幸せなことか。しかし、どうしても言い尽くせないのです。それでも、僕の知り得る言葉で 貴女に恋うる気持ちを打ち明けるとするならば、この一言しかないと思っております」

 掬われた指先に光留の唇が触れた。秋陽に煌めくブロンドの髪が 伏せられた顔と共に、ゆっくりと天を仰ぎ見、褐色の眼差しは 静かに晃子へ当てられる。引き締まった形の良い唇は、これまでの長い片恋に、終止符を打つべく静かに開かれた。

 「晃子さん、僕と結婚してください」

 
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

お兄様はやさしく笑って、逃げ道だけをなくしていく

星乃和花
恋愛
縁談に悩む子爵令嬢リゼットが助けを求めたのは、名門侯爵家の長男アルフレッド。 穏やかでやさしく、理想のお兄様のような彼は、「君のことは僕が見ている」と甘く手を差し伸べてくれる。 送り迎え、花や手紙、完璧なエスコート。 守られているだけのはずが、気づけば周囲には「彼女はもうノースウェル侯爵家のもの」という空気ができあがっていて――。 ふわふわ優しいのに、実はかなり策略家。 やさしく逃げ道をなくしてくるお兄様系ヒーローに、恋愛に疎い令嬢がじわじわ囲い落とされていく、甘くて幸せな溺愛ラブストーリー。 ――「待つよ」と言いながら、外堀はきっちり埋めてくる―― (完結済ー本編10話+後日談2話)

触れられないはずの私が、ただ一人の彼にだけ心も体も許してしまいました

由香
恋愛
男性に触れられると体調を崩す令嬢リリア。 そんな彼女にとって唯一“触れられる”存在は――幼なじみの公爵令息レオンだけだった。 手を取られ、抱き寄せられ、当たり前のように触れられる日々。 それがどれほど特別なことなのか、彼女はまだ知らない。 やがて政略結婚の話が持ち上がり、“触れられない相手との結婚”か、“彼に触れられる人生”かを選ぶことに。 「お前に触れていいのは俺だけだ」 逃げ場のない独占と、甘すぎる溺愛。 これは、触れられないはずの少女が、ただ一人にだけすべてを許していく物語。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

藤白ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

「君はいらない」と捨てられた夜、天敵の冷徹社長に「なら、俺が貰う」と拾われました。――手を出さない約束でしたが、彼の理性が限界のようです

葉山 乃愛
恋愛
【婚約破棄から始まる、不器用なライオン(冷徹社長)の猛烈な求愛!】 「俺の妻になるなら覚悟しろ。……もう、指一本逃がすつもりはない」 ★あらすじ★ 「美月は完璧すぎて、可愛げがないんだよ」 28歳の誕生日。 一流ホテルのウエディングプランナーである相沢美月(あいざわ みつき)は、婚約者の裏切りにより、結婚目前ですべてを失った。 雨の降る路地裏。 ヒールも折れ、心も折れてうずくまっていた美月の前に現れたのは、かつての高校時代の天敵であり、現在は勤務先の冷徹な社長 一条蓮(いちじょう れん)だった。 「捨て猫以下だな」 そう憎まれ口を叩きながらも、彼は泥だらけの美月を躊躇なく抱き上げ、最高級ペントハウスへと連れ帰る。 そして、彼が突きつけたのは、あまりにも強引な提案だった。 「住む場所がないなら、俺の家に来い。その代わり――俺の『婚約者』役を演じろ」 利害の一致した契約関係。 条件は「お互いに干渉しないこと」、そして「決して手を出さないこと」。 ……のはずだったのに。 「髪、濡れたままだと風邪を引く」 「あんな男のために泣くな。顔が台無しだ」 同居生活で見えてきたのは、冷徹な仮面の下に隠された、不器用すぎるほどの優しさと独占欲。 美月が作った手料理を誰よりも美味しそうに食べ、元婚約者が復縁を迫ってくれば「俺の女に触れるな」と徹底的に排除する。 天敵だったはずの彼に守られ、凍っていた美月の心は次第に溶かされていく。 しかし、ある雷雨の夜。 美月が不用意に彼に触れた瞬間、一条の理性のタガが外れてしまい――。 「……手を出さない約束? 撤回だ」 「そんな無防備な顔で見つめて、何もしないでいられるほど、俺は聖人君子じゃない」 10年越しの片思いをこじらせたハイスペック社長 × 仕事熱心で恋愛に臆病なプランナー。 契約から始まった二人の関係が、本物の愛(溺愛)に変わるまで。 元婚約者への痛快な「ざまぁ」も収録した、極上の大人のシンデレラストーリー! 【登場人物】 ◆相沢 美月(28) ホテルの敏腕ウエディングプランナー。真面目でお人好しな性格が災いし、「つまらない女」と婚約破棄される。実は家事万能で、酔うと少しだけ甘えん坊になる(本人は無自覚)。 ◆一条 蓮(28) ホテルグループの社長。美貌と才覚を併せ持つが、他人に興味を示さないため「氷の貴公子」と呼ばれる。実は高校時代から美月を一途に想い続けており、彼女のこととなると冷静さを失う。

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)