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薄月の下
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「坊ちゃま、上手いこと運んだのですか?」
無愛想な声が、背中越しにかかる。
未だにヘソを曲げているのか、投げやりにも聞こえる声に、振り返ることなく「みたいですね」と、答えた。
上手いこと運ばせたのは 津多子である。
会話中は、隣で聞き耳を立ててはいたが、相手方の声は、漏れ聞こえることはない。
ただ、尾井坂夫人は ほとんど聞き役だったと思われる。何故なら薄く紅が引かれた唇は、殆んど止まることなく動いていたからだ。
おっとりとしているが、何処か毅然とした声が語ったのは、屋敷へ迎え入れた過程。
もちろん、実際の状況とは異なるのだが、咄嗟に思い付いたわりには、上手く出来ていた。しかし、口裏合わせも大事だ。
一旦、本日は――と、仕切り直すと思いきや、話は まだ続いた。
「明日にでも、お引き合わせしたいのですが、私、所用がありましてね? 申し訳ないのですが、明後日お越し下さい。あぁ、そうだわ。明後日のお昼にいらして下さいな。昼食会をやりますのよ、……いえいえ、5名程の身内の集まりですわ。……そのようなことはございません、ぜひいらして」
何て押しが強いんだ――、光留は 少々呆れた。明日迎えに来られても、予定があるから挨拶が受けられない。
つまり挨拶に来い。普段 人様の挨拶など、お気になさらずと断るくせにだ。
「何も御心配いりませんわ。……ええ、そうですわね。久我侯爵夫人や大炊御門侯爵夫人、他には、大名家のご夫人が3名程……良い機会ですわ、皆様、お忙しいから なかなか、お目にかかることもございませんのよ?」
何故、そんな敷居の高い名前を口にするのかと、受話器を奪いたくなる。しかも、口振りからして男爵夫人は、渋っているのだろう。
「ご遠慮なさらないで」
「ちょっと……」
堪らず小声で制止するが、シッシッ――と 払われる手が、あっちへ行けと拒絶を表す。
「時間は、明日にでも家令からご連絡いたしますわね、それではごきげんよう」
カタン――、受話器が置かれた。
「……え? 色好いお返事でした?」
「さあ? 切ってしまったので知りません。明日、家令にお返事なされるのでは?」
津多子は、スイッと光留の横をすり抜け、歩きだす。スルスルと進む摺り足は、普段より早い。これは、着いてくるなという意思表示だ。こういう時は、追っても意味がない。
むしろ追わない方が、明日 簡単に聞き出せるだろう。内玄関から伸びる廊下は、真っ直ぐ行けば母屋へ、左に折れれば 渡り廊下へ続く。光留は、迷わず左へ向かった。
待ち構えていたのは、件の宵だ。
待ってました!と、ばかりに 尋ねてきたが、返答に納得がいかなかったのだろう。怪訝な顔を向けてくる。
「みたいですね、ってどういう……」
「僕も知りません。それより宵さん、奈緒に伝えて。晃子さんとお話がしたいから、あとで中庭で待っていると。時間は合わせます」
母屋と離れの間には、中庭がある。渡り廊下が通る部分になるのだが、両方の居間を繋ぐような位置に石畳が引かれ、燈籠が点々と置かれるだけの簡素なものだ。
散策するには狭く、眺めるには池もないし、花もない。
「中庭? 何故です?」
「何故って……母屋の居間で話すと晃子さんが、お気を使われるでしょう。だからと言って、僕が客間へ入る訳にはいきません。ほら!早く行って」
津多子のように、シッシッと 手を払うと、障子をピシャリと鳴らすが、閉め出された宵は、未だに「こちらにも居間があるではありませんか」と、立ち止まっている。
魂胆は、立ち聞きだろう。中庭で話をされたら、側に忍び寄ることも出来ない。
光留は、スッ――と開けた障子から、目だけを覗かせた。
「正直に言いますが、誰にも言いませんか?」
「もちろんでございます」
「離れに晃子さんを入れると、帰したくなくなります」
「は?」
「分からない人ですね、母屋の客間に帰さずに若奥様の寝室へ、お通しすると言っているのです」
「良いではありませんか、あそこは晃子様のお部屋でしょう?」
宵は、キョトンと見上げてくる。光留は、呆れた。
「……本当に、まあ、無粋なお人であらしゃいますなぁ」
「夫人の口真似は、お止めください!」
「それでは、おぼこ娘のような乳母殿へ、ハッキリと申し上げます。そんなことになったら僕は、明日晃子さんの横で目を覚ますと言っているのです」
「……」
「まだ分かりませんか? 夜這いをかけると言っているのです。冗談ではありませんよ? 僕、自信あります。どうです? 子爵家は、体面を汚すことになります。許嫁のある令嬢を屋敷へ招き入れ……ほら!さっさと、お伺いを立ててきなさい」
僅かな隙間さえも、ピシャリ!と閉められ、空気を打つ音と共に、強く言い含める言葉が放たれた。
対面は、20時を回った頃となった。
奈緒は、台所横にある下働きの休憩室に走り、遅い食事を済ませた下男を捕まえると、中庭に、簡単な椅子を用意して欲しい――と 告げる。遅いし、早朝でいいだろう?と答える下男に理由を話せば、慌てふためき物置小屋へ走り出す。
晩酌でもするのかと、先回りする考えは 居合わせた女中に、肴の準備も言いつける。先程までの白月は雲に隠れ、庭に置かれた灯籠の他にも、灯りが用意された。奈緒が若いのに気が利くと言われる所以だ。
母屋と離れの居間には、奈緒と宵が控える中、光留は薄月の下、緋色の腰掛けに晃子を誘った。
「明日、晃子さんの女中を呼び寄せる手配をします。男爵夫人は明後日、見えられる予定ですので、もし可能なら電話……いや、泰臣君が出る可能性もありますね、お手紙が良いかもしれません。家を飛び出した経緯くらい前もって知らせた方がよいかと」
「はい、そういたします」
「僕は、貴女を男爵家へ帰すつもりはありません。もし、帰すとしたら羽倉崎さんとの婚約が正式にご破算となり、僕と婚約が成立してからです。時間をかける気はありません、ただ……こればっかりは、いつとお約束が出来ないのです」
頷いた晃子に、意外だったのか、はたまた予想していたのか、光留は静かに微笑んだ。
「良いのですか?急かさないで。もしかしたら、白髪のご令嬢になってしまうかもしれませんよ?」
無愛想な声が、背中越しにかかる。
未だにヘソを曲げているのか、投げやりにも聞こえる声に、振り返ることなく「みたいですね」と、答えた。
上手いこと運ばせたのは 津多子である。
会話中は、隣で聞き耳を立ててはいたが、相手方の声は、漏れ聞こえることはない。
ただ、尾井坂夫人は ほとんど聞き役だったと思われる。何故なら薄く紅が引かれた唇は、殆んど止まることなく動いていたからだ。
おっとりとしているが、何処か毅然とした声が語ったのは、屋敷へ迎え入れた過程。
もちろん、実際の状況とは異なるのだが、咄嗟に思い付いたわりには、上手く出来ていた。しかし、口裏合わせも大事だ。
一旦、本日は――と、仕切り直すと思いきや、話は まだ続いた。
「明日にでも、お引き合わせしたいのですが、私、所用がありましてね? 申し訳ないのですが、明後日お越し下さい。あぁ、そうだわ。明後日のお昼にいらして下さいな。昼食会をやりますのよ、……いえいえ、5名程の身内の集まりですわ。……そのようなことはございません、ぜひいらして」
何て押しが強いんだ――、光留は 少々呆れた。明日迎えに来られても、予定があるから挨拶が受けられない。
つまり挨拶に来い。普段 人様の挨拶など、お気になさらずと断るくせにだ。
「何も御心配いりませんわ。……ええ、そうですわね。久我侯爵夫人や大炊御門侯爵夫人、他には、大名家のご夫人が3名程……良い機会ですわ、皆様、お忙しいから なかなか、お目にかかることもございませんのよ?」
何故、そんな敷居の高い名前を口にするのかと、受話器を奪いたくなる。しかも、口振りからして男爵夫人は、渋っているのだろう。
「ご遠慮なさらないで」
「ちょっと……」
堪らず小声で制止するが、シッシッ――と 払われる手が、あっちへ行けと拒絶を表す。
「時間は、明日にでも家令からご連絡いたしますわね、それではごきげんよう」
カタン――、受話器が置かれた。
「……え? 色好いお返事でした?」
「さあ? 切ってしまったので知りません。明日、家令にお返事なされるのでは?」
津多子は、スイッと光留の横をすり抜け、歩きだす。スルスルと進む摺り足は、普段より早い。これは、着いてくるなという意思表示だ。こういう時は、追っても意味がない。
むしろ追わない方が、明日 簡単に聞き出せるだろう。内玄関から伸びる廊下は、真っ直ぐ行けば母屋へ、左に折れれば 渡り廊下へ続く。光留は、迷わず左へ向かった。
待ち構えていたのは、件の宵だ。
待ってました!と、ばかりに 尋ねてきたが、返答に納得がいかなかったのだろう。怪訝な顔を向けてくる。
「みたいですね、ってどういう……」
「僕も知りません。それより宵さん、奈緒に伝えて。晃子さんとお話がしたいから、あとで中庭で待っていると。時間は合わせます」
母屋と離れの間には、中庭がある。渡り廊下が通る部分になるのだが、両方の居間を繋ぐような位置に石畳が引かれ、燈籠が点々と置かれるだけの簡素なものだ。
散策するには狭く、眺めるには池もないし、花もない。
「中庭? 何故です?」
「何故って……母屋の居間で話すと晃子さんが、お気を使われるでしょう。だからと言って、僕が客間へ入る訳にはいきません。ほら!早く行って」
津多子のように、シッシッと 手を払うと、障子をピシャリと鳴らすが、閉め出された宵は、未だに「こちらにも居間があるではありませんか」と、立ち止まっている。
魂胆は、立ち聞きだろう。中庭で話をされたら、側に忍び寄ることも出来ない。
光留は、スッ――と開けた障子から、目だけを覗かせた。
「正直に言いますが、誰にも言いませんか?」
「もちろんでございます」
「離れに晃子さんを入れると、帰したくなくなります」
「は?」
「分からない人ですね、母屋の客間に帰さずに若奥様の寝室へ、お通しすると言っているのです」
「良いではありませんか、あそこは晃子様のお部屋でしょう?」
宵は、キョトンと見上げてくる。光留は、呆れた。
「……本当に、まあ、無粋なお人であらしゃいますなぁ」
「夫人の口真似は、お止めください!」
「それでは、おぼこ娘のような乳母殿へ、ハッキリと申し上げます。そんなことになったら僕は、明日晃子さんの横で目を覚ますと言っているのです」
「……」
「まだ分かりませんか? 夜這いをかけると言っているのです。冗談ではありませんよ? 僕、自信あります。どうです? 子爵家は、体面を汚すことになります。許嫁のある令嬢を屋敷へ招き入れ……ほら!さっさと、お伺いを立ててきなさい」
僅かな隙間さえも、ピシャリ!と閉められ、空気を打つ音と共に、強く言い含める言葉が放たれた。
対面は、20時を回った頃となった。
奈緒は、台所横にある下働きの休憩室に走り、遅い食事を済ませた下男を捕まえると、中庭に、簡単な椅子を用意して欲しい――と 告げる。遅いし、早朝でいいだろう?と答える下男に理由を話せば、慌てふためき物置小屋へ走り出す。
晩酌でもするのかと、先回りする考えは 居合わせた女中に、肴の準備も言いつける。先程までの白月は雲に隠れ、庭に置かれた灯籠の他にも、灯りが用意された。奈緒が若いのに気が利くと言われる所以だ。
母屋と離れの居間には、奈緒と宵が控える中、光留は薄月の下、緋色の腰掛けに晃子を誘った。
「明日、晃子さんの女中を呼び寄せる手配をします。男爵夫人は明後日、見えられる予定ですので、もし可能なら電話……いや、泰臣君が出る可能性もありますね、お手紙が良いかもしれません。家を飛び出した経緯くらい前もって知らせた方がよいかと」
「はい、そういたします」
「僕は、貴女を男爵家へ帰すつもりはありません。もし、帰すとしたら羽倉崎さんとの婚約が正式にご破算となり、僕と婚約が成立してからです。時間をかける気はありません、ただ……こればっかりは、いつとお約束が出来ないのです」
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