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内緒
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竹小舞が露出した土壁に手を突き、小刻みに震える黒い肩と、揺れるブロンドは 感情を圧し殺すようで、時折「ふっ、ふ」と 途切れる声を漏らす。
真剣な里にしてみれば、憎らしい忍び笑いに文句も言いたいだろう。
「間違いなく、子爵家の従五位ですよ」
ゆっくりと向き直ると、グローブについた藁混じの土を払い、右手を懐に差し込んだ。
取り出されたのは、件の銀細工の煙草入れだが、何を思ったのか突然、里の手を引き掴むと、無理矢理 握らせる。
「……ただ、世間では馬鹿なと頭につけられますがね」
「馬鹿な従五位?」
「馬鹿の所以は、僕の初恋にありましてね? そうそう。僕は、去年の春に英国へ視察に赴いて、今年の春に帰ってきました」
「え、ええ……それは存じております」
里の口は、それの何が関係あるのか?と、疑問露に、上擦る音を発するが言われた本人は、もの柔らかな笑みを浮かべ、唇に人差し指をあてる。
普段から、こういう真似をしているのだろうか?と思うほど自然な動作だが、こんなことをやられたら世間知らずの令嬢など、簡単に気を許してしまいそうだ――。
里は、自分がどうこうなる訳ではないが、呑み込まれまいと、苦々しい顔を作った。
「そんなに警戒しないで下さいよ。捕って喰ったりしませんから」
これ又、言い慣れているのか、肩をすくめてみせると、里の手を握った。
「な、何を!? 」
「何もしませんが……忠告をひとつ」
「何です!? 」
「里さんの手には、旦那様の大切な煙草入れがあります。今、僕の手を振りほどけば、落としてしまうかもしれない。いいですか?こういう場合は、受け取ったら直ぐに懐へしまうのです。まんまと手を握られ、払いも出来ず このまま……こう、唇を寄せる――男の常套手段です」
「おふざけになって!! そのような手段、聞いたこともありません!!」
「はは!失敬、僕の常套手段ですね」
おちゃらけた光留に、里の表情が和らいだ。それを待っていたのだろう。
「晃子さんですよ、僕の目当ては」
端麗な面立ちから向けられる、ひたむきな眼差しからして嘘偽りはないだろう。
光留は、語った。
晃子との出会い、縁談、視察、帰国したら羽倉崎との婚約が整っていたこと。
そして――
「……ということで、旦那様の傷は、晃子様がランプで殴ったものだと……」
里は、光留から説明されたことを、咲に伝えた。羽倉崎が、湯を使っている今しか話せないと。
「光留様が、晃子様を……そして晃子様も?」
「そこまでは、わかりませんが晃子様は 家を飛び出し、子爵家へ行かれたことから……おそらく」
咲は、せり出してきた腹を そっと撫でた。宿って六月になり、悪阻も収まったのだが、羽倉崎の怪我の原因にか、険しい表情を浮かべる。
「光留様が妾は、使用人。妾の産んだ子は、正妻の子には敵わない。泰臣さんは、運が良かっただけだと……。里……できる限り、この子を幸せにしてやりたいのよ」
「里も同じ気持ちでございます」
「旦那様は、階段から落ちたと言われました。この期に及び、まだ晃子様をお気遣いでしょうか?正直……面白くありません」
視線を逸らし、乱れ箱に縫い上げた小袖をしまう咲の言葉は 低く、暗く沈む心情を物語る。
妾は、使用人――。
辛辣な光留の言葉は、忘れられないものとなっていた。
◆◆◆◆◆
夕刻が近付くに連れ 本駒込では、いそいそと動く手足と共に、チラチラと視線を流す女中が増えてきた。目が向く先は、玄関先の振り子時計であったり、台所へ向かう廊下の壁掛け時計だったり。兎に角、針を気にするのは光留の帰宅予定である、17時が刻々と迫っているからだ。
普段は、自室へ引きこもっている津多子が、居間でお茶を飲んでいるのも、それだろう。
「晃子さんの妾嫌いは、宵から聞いていますが……それは、世の中のすべての? それとも男爵家に関わる?」
津多子が、言葉のすべてを語らないのは、今に始まったことではない。続きを察する必要があり、見当違いを口にすると不機嫌になるから勤まる女中は、機転が利く奈緒といった塩梅だ。
「男爵家と申し上げるのが、適切のような気がします。正直、よそ様の家の妾には興味がありません。そして、頭ではわかっているのです。男子がいなければならないと」
「……まあ、そうね。ただ、尾井坂さんの場合は、それだけじゃないものね」
晃子の父である男爵は、泰臣の母だけではない。現に、今も何処其処に――と噂には聞いている。津多子は、お茶を含むとコクンと小さく喉を鳴らした。
白磁のふちに薄く色づいたものを、滑らせた指先で消しさると「それでは、泰臣さんもお認めではないの?」と、尋ねた。
「いいえ、あれには罪はないでしょう。しかし、可愛くないのです」
「ま、ほほほほ! 可愛くないものは仕方ないわね。気持ちはわかるわ」
晃子の睫毛が、2度ほど肌を打った。笑みを浮かべた津多子が意外だったのだ。
子爵家へやって来て、数度見かけた夫人は感情が面に出ることはなかった。押し掛けた体の晃子を招き入れはしたが、迷惑がることも歓迎を表すこともなかった。態度でも言葉でもだ。
『ねぇ、晃子さん』
帰国後、そう語りかけた光留は、津多子のことを口にしたことがある。
『母は、笑わないのです。昔から』と。
どんな顔で話していたのか……と、記憶を辿るが、浮かぶのは 優麗な笑みを浮かべるものだけで、あの時の沈む音を放った表情は、思い出すことが出来なかった。
「光留さんは、妾を持つことはないでしょう。私は構いません……が」
津多子は、強く言葉を切ると栗色の瞳をひたと晃子へあてる。
「跡継ぎは必要です。どうしても無理ならば早いうちに、貴女の口から養子を勧めなさい」
「養子……」
「ええ、赤子を貰いうけなさい。それを2人でお育てになれば良いのですよ。我が子として、私はそうしました」
ボ――ン、ボ――ン、と 鳴りだした振り子時計に、晃子は顔をあげた。
同時に「馬車止めに入られた!」という、使用人の声が聞こえると、波のように辺りが騒がしくなる。
瞬きを忘れたかのように見開かれた眼は、光留の帰宅に驚いたからではない。
普段の能面のような顔とは、打って変わり快然たる表情を浮かべ、津多子は 人差し指を唇に寄せた。
真剣な里にしてみれば、憎らしい忍び笑いに文句も言いたいだろう。
「間違いなく、子爵家の従五位ですよ」
ゆっくりと向き直ると、グローブについた藁混じの土を払い、右手を懐に差し込んだ。
取り出されたのは、件の銀細工の煙草入れだが、何を思ったのか突然、里の手を引き掴むと、無理矢理 握らせる。
「……ただ、世間では馬鹿なと頭につけられますがね」
「馬鹿な従五位?」
「馬鹿の所以は、僕の初恋にありましてね? そうそう。僕は、去年の春に英国へ視察に赴いて、今年の春に帰ってきました」
「え、ええ……それは存じております」
里の口は、それの何が関係あるのか?と、疑問露に、上擦る音を発するが言われた本人は、もの柔らかな笑みを浮かべ、唇に人差し指をあてる。
普段から、こういう真似をしているのだろうか?と思うほど自然な動作だが、こんなことをやられたら世間知らずの令嬢など、簡単に気を許してしまいそうだ――。
里は、自分がどうこうなる訳ではないが、呑み込まれまいと、苦々しい顔を作った。
「そんなに警戒しないで下さいよ。捕って喰ったりしませんから」
これ又、言い慣れているのか、肩をすくめてみせると、里の手を握った。
「な、何を!? 」
「何もしませんが……忠告をひとつ」
「何です!? 」
「里さんの手には、旦那様の大切な煙草入れがあります。今、僕の手を振りほどけば、落としてしまうかもしれない。いいですか?こういう場合は、受け取ったら直ぐに懐へしまうのです。まんまと手を握られ、払いも出来ず このまま……こう、唇を寄せる――男の常套手段です」
「おふざけになって!! そのような手段、聞いたこともありません!!」
「はは!失敬、僕の常套手段ですね」
おちゃらけた光留に、里の表情が和らいだ。それを待っていたのだろう。
「晃子さんですよ、僕の目当ては」
端麗な面立ちから向けられる、ひたむきな眼差しからして嘘偽りはないだろう。
光留は、語った。
晃子との出会い、縁談、視察、帰国したら羽倉崎との婚約が整っていたこと。
そして――
「……ということで、旦那様の傷は、晃子様がランプで殴ったものだと……」
里は、光留から説明されたことを、咲に伝えた。羽倉崎が、湯を使っている今しか話せないと。
「光留様が、晃子様を……そして晃子様も?」
「そこまでは、わかりませんが晃子様は 家を飛び出し、子爵家へ行かれたことから……おそらく」
咲は、せり出してきた腹を そっと撫でた。宿って六月になり、悪阻も収まったのだが、羽倉崎の怪我の原因にか、険しい表情を浮かべる。
「光留様が妾は、使用人。妾の産んだ子は、正妻の子には敵わない。泰臣さんは、運が良かっただけだと……。里……できる限り、この子を幸せにしてやりたいのよ」
「里も同じ気持ちでございます」
「旦那様は、階段から落ちたと言われました。この期に及び、まだ晃子様をお気遣いでしょうか?正直……面白くありません」
視線を逸らし、乱れ箱に縫い上げた小袖をしまう咲の言葉は 低く、暗く沈む心情を物語る。
妾は、使用人――。
辛辣な光留の言葉は、忘れられないものとなっていた。
◆◆◆◆◆
夕刻が近付くに連れ 本駒込では、いそいそと動く手足と共に、チラチラと視線を流す女中が増えてきた。目が向く先は、玄関先の振り子時計であったり、台所へ向かう廊下の壁掛け時計だったり。兎に角、針を気にするのは光留の帰宅予定である、17時が刻々と迫っているからだ。
普段は、自室へ引きこもっている津多子が、居間でお茶を飲んでいるのも、それだろう。
「晃子さんの妾嫌いは、宵から聞いていますが……それは、世の中のすべての? それとも男爵家に関わる?」
津多子が、言葉のすべてを語らないのは、今に始まったことではない。続きを察する必要があり、見当違いを口にすると不機嫌になるから勤まる女中は、機転が利く奈緒といった塩梅だ。
「男爵家と申し上げるのが、適切のような気がします。正直、よそ様の家の妾には興味がありません。そして、頭ではわかっているのです。男子がいなければならないと」
「……まあ、そうね。ただ、尾井坂さんの場合は、それだけじゃないものね」
晃子の父である男爵は、泰臣の母だけではない。現に、今も何処其処に――と噂には聞いている。津多子は、お茶を含むとコクンと小さく喉を鳴らした。
白磁のふちに薄く色づいたものを、滑らせた指先で消しさると「それでは、泰臣さんもお認めではないの?」と、尋ねた。
「いいえ、あれには罪はないでしょう。しかし、可愛くないのです」
「ま、ほほほほ! 可愛くないものは仕方ないわね。気持ちはわかるわ」
晃子の睫毛が、2度ほど肌を打った。笑みを浮かべた津多子が意外だったのだ。
子爵家へやって来て、数度見かけた夫人は感情が面に出ることはなかった。押し掛けた体の晃子を招き入れはしたが、迷惑がることも歓迎を表すこともなかった。態度でも言葉でもだ。
『ねぇ、晃子さん』
帰国後、そう語りかけた光留は、津多子のことを口にしたことがある。
『母は、笑わないのです。昔から』と。
どんな顔で話していたのか……と、記憶を辿るが、浮かぶのは 優麗な笑みを浮かべるものだけで、あの時の沈む音を放った表情は、思い出すことが出来なかった。
「光留さんは、妾を持つことはないでしょう。私は構いません……が」
津多子は、強く言葉を切ると栗色の瞳をひたと晃子へあてる。
「跡継ぎは必要です。どうしても無理ならば早いうちに、貴女の口から養子を勧めなさい」
「養子……」
「ええ、赤子を貰いうけなさい。それを2人でお育てになれば良いのですよ。我が子として、私はそうしました」
ボ――ン、ボ――ン、と 鳴りだした振り子時計に、晃子は顔をあげた。
同時に「馬車止めに入られた!」という、使用人の声が聞こえると、波のように辺りが騒がしくなる。
瞬きを忘れたかのように見開かれた眼は、光留の帰宅に驚いたからではない。
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