紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
66 / 96

内緒

しおりを挟む
 竹小舞たけこまいが露出した土壁つちかべに手を突き、小刻みに震える黒い肩と、揺れるブロンドは 感情を圧し殺すようで、時折「ふっ、ふ」と 途切れる声を漏らす。
 真剣な里にしてみれば、憎らしい忍び笑いに文句も言いたいだろう。

「間違いなく、子爵家の従五位ですよ」

 ゆっくりと向き直ると、グローブについた藁混じの土を払い、右手を懐に差し込んだ。
 取り出されたのは、件の銀細工の煙草入れだが、何を思ったのか突然、里の手を引き掴むと、無理矢理 握らせる。

「……ただ、世間では鹿と頭につけられますがね」
「馬鹿な従五位?」

「馬鹿の所以は、僕の初恋にありましてね? そうそう。僕は、去年の春に英国へ視察に赴いて、今年の春に帰ってきました」
「え、ええ……それは存じております」

 里の口は、それの何が関係あるのか?と、疑問露に、上擦る音を発するが言われた本人は、もの柔らかな笑みを浮かべ、唇に人差し指をあてる。
 普段から、こういう真似をしているのだろうか?と思うほど自然な動作だが、こんなことをやられたら世間知らずの令嬢など、簡単に気を許してしまいそうだ――。
 里は、自分がどうこうなる訳ではないが、呑み込まれまいと、苦々しい顔を作った。

「そんなに警戒しないで下さいよ。捕って喰ったりしませんから」

 これ又、言い慣れているのか、肩をすくめてみせると、里の手を握った。

「な、何を!? 」
「何もしませんが……忠告をひとつ」

「何です!? 」
「里さんの手には、旦那様の大切な煙草入れがあります。今、僕の手を振りほどけば、落としてしまうかもしれない。いいですか?こういう場合は、受け取ったら直ぐに懐へしまうのです。まんまと手を握られ、払いも出来ず このまま……こう、唇を寄せる――男の常套手段です」

「おふざけになって!! そのような手段、聞いたこともありません!!」
「はは!失敬、僕の常套手段ですね」

 おちゃらけた光留に、里の表情が和らいだ。それを待っていたのだろう。

「晃子さんですよ、僕の目当ては」

 端麗な面立ちから向けられる、ひたむきな眼差しからして嘘偽りはないだろう。
 光留は、語った。
 晃子との出会い、縁談、視察、帰国したら羽倉崎との婚約が整っていたこと。
 そして――


「……ということで、旦那様の傷は、晃子様がランプで殴ったものだと……」

 里は、光留から説明されたことを、咲に伝えた。羽倉崎が、湯を使っている今しか話せないと。

「光留様が、晃子様を……そして晃子様も?」
「そこまでは、わかりませんが晃子様は 家を飛び出し、子爵家へ行かれたことから……おそらく」

 咲は、せり出してきた腹を そっと撫でた。宿って六月むつきになり、悪阻も収まったのだが、羽倉崎の怪我の原因にか、険しい表情を浮かべる。

「光留様が妾は、使用人。妾の産んだ子は、正妻の子には敵わない。泰臣さんは、運が良かっただけだと……。里……できる限り、この子を幸せにしてやりたいのよ」
「里も同じ気持ちでございます」

「旦那様は、階段から落ちたと言われました。この期に及び、まだ晃子様をお気遣いでしょうか?正直……面白くありません」

 視線を逸らし、乱れ箱に縫い上げた小袖をしまう咲の言葉は 低く、暗く沈む心情を物語る。
 妾は、使用人――。
 辛辣な光留の言葉は、忘れられないものとなっていた。


 ◆◆◆◆◆


 夕刻が近付くに連れ 本駒込では、いそいそと動く手足と共に、チラチラと視線を流す女中が増えてきた。目が向く先は、玄関先の振り子時計であったり、台所へ向かう廊下の壁掛け時計だったり。兎に角、針を気にするのは光留の帰宅予定である、17時が刻々と迫っているからだ。
 普段は、自室へ引きこもっている津多子が、居間でお茶を飲んでいるのも、それだろう。

「晃子さんの妾嫌いは、宵から聞いていますが……それは、世の中のすべての? それとも男爵家に関わる?」

 津多子が、言葉のすべてを語らないのは、今に始まったことではない。続きを察する必要があり、見当違いを口にすると不機嫌になるから勤まる女中は、機転が利く奈緒といった塩梅だ。

「男爵家と申し上げるのが、適切のような気がします。正直、よそ様の家の妾には興味がありません。そして、頭ではわかっているのです。男子がいなければならないと」
「……まあ、そうね。ただ、尾井坂さんの場合は、それだけじゃないものね」

 晃子の父である男爵は、泰臣の母だけではない。現に、今も何処其処に――と噂には聞いている。津多子は、お茶を含むとコクンと小さく喉を鳴らした。
 白磁のふちに薄く色づいたものを、滑らせた指先で消しさると「それでは、泰臣さんもお認めではないの?」と、尋ねた。

「いいえ、には罪はないでしょう。しかし、可愛くないのです」
「ま、ほほほほ! 可愛くないものは仕方ないわね。気持ちはわかるわ」

 晃子の睫毛が、2度ほど肌を打った。笑みを浮かべた津多子が意外だったのだ。
 子爵家へやって来て、数度見かけた夫人は感情が面に出ることはなかった。押し掛けた体の晃子を招き入れはしたが、迷惑がることも歓迎を表すこともなかった。態度でも言葉でもだ。

『ねぇ、晃子さん』
 帰国後、そう語りかけた光留は、津多子のことを口にしたことがある。
『母は、笑わないのです。昔から』と。
 どんな顔で話していたのか……と、記憶を辿るが、浮かぶのは 優麗な笑みを浮かべるものだけで、あの時の沈む音を放った表情は、思い出すことが出来なかった。

「光留さんは、妾を持つことはないでしょう。私は構いません……が」

 津多子は、強く言葉を切ると栗色の瞳をひたと晃子へあてる。

「跡継ぎは必要です。どうしても無理ならば早いうちに、貴女の口から養子を勧めなさい」
「養子……」

「ええ、赤子を貰いうけなさい。それを2人でお育てになれば良いのですよ。我が子として、私はそうしました」

 ボ――ン、ボ――ン、と 鳴りだした振り子時計に、晃子は顔をあげた。
 同時に「馬車止めに入られた!」という、使用人の声が聞こえると、波のように辺りが騒がしくなる。
 瞬きを忘れたかのように見開かれた眼は、光留の帰宅に驚いたからではない。
 普段の能面のような顔とは、打って変わり快然たる表情を浮かべ、津多子は 人差し指を唇に寄せた。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

不器用な大富豪社長は、闇オクで買った花嫁を寵愛する

獅月@体調不良
恋愛
「 御前を幸せにする為に、俺は買ったんだ 」 〜 闇オク花嫁 〜 毒親である母親の為だけに生きてきた彼女は、 借金を得た母の言葉を聞き、 闇オークションへ売られる事になった。 どんな形にしろ借金は返済出来るし、 母の今後の生活面も確保出来る。 そう、彼女自身が生きていなくとも…。  生きる希望を無くし、 闇オークションに出品された彼女は 100億で落札された。 人食を好む大富豪か、 それとも肉体を求めてか…。 どちらにしろ、借金返済に、 安堵した彼女だが…。 いざ、落札した大富豪に引き渡されると、 その容姿端麗の美しい男は、 タワマンの最上階から5階部分、全てが自宅であり、 毎日30万のお小遣いですら渡し、 一流シェフによる三食デザート付きの食事、 なにより、彼のいない時間は好きにしていいという自由時間を言い渡した。 何一つ手を出して来ない男に疑問と不満を抱く日々……だが……? 表紙 ニジジャーニーから作成 エブリスタ同時公開

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

Pomegranate I

Uta Katagi
恋愛
 婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?  古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。 *本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

本日は桜・恋日和 ーツアーコンダクター 紫都の慕情の旅

光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
旅は好きですか? 派遣添乗員(ツアーコンダクター)の桑崎紫都32歳。 もう、仕事がらみの恋愛はしないと思っていたのに…ーー 切ない過去を持つ男女四人の二泊三日の恋慕情。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

処理中です...