紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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貴族院

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 尾井坂男爵が、貴族院の議席を欲しているのではないか?
 そう思ったのは、晃子と羽倉崎の婚約を知った頃だ。箔をつける為に、大宮駒子との縁談を進めている泰臣に対して、総領姫である晃子の相手が、平民という部分に引っ掛かりを覚えた。
 いくら見込みのある貿易商とはいえ、魂胆なしに娘を嫁がせるか?と。
 数年前に叙爵じょしゃくした尾井坂家は、貿易商であり現在は、男爵が中心となってやっているが、元々、華族の家業は 家令に任せている場合が多い。勿論、商いに詳しい者を、家令にしているパターンもある。
 他家に倣い、信頼できる者に任せる気なのではないか?雇い入れた者ではなく、婿に任せ、自身は 華族の特権中の特権とされる貴族院議員の椅子に座ることを考えても、何ら可笑しなことでもない。
 決められた年齢に達すると、自動的に議員になる公爵きみこうしゃく侯爵そうろうこうしゃくとは違い、伯爵・子爵・男爵は、同爵位の者との互選により選ばれる。
 無条件に議員になる侯爵らは、無報酬だが伯爵以下は、収入が得られるというのが大きな違いとなる。だが、尾井坂男爵が収入を目当てにしているとも思えない。華族と勅任官ちょくにんかんしか、議員になれないのだから、権威の象徴のように感じているのだろうと、容子に尋ねたが答えは「わからない」だった。

「ねぇ、志賀さん。貴女は何か知らないですか?」

 光留は、今しがた尾井坂家からやってきた女中に声をかけた。
「見知った者を1人寄越したい」と、容子が申し出て、選ばれたのが晃子付きの女中頭――、至って無難な選択だ。

「旦那様は、そういったことをお話にはなりませんので」
「やはり、そうですか……」

 何となく、そんな気がしていた。きっと水面下でやっているのだろう。
「あ、そういえば……」志賀が、フッと思い出したと顔をあげた。

「此方へ参る前に、家令がコッソリ教えてくれたんですが、旦那様が近い内にお戻りになると。何でも、羽倉崎様のお怪我を御心配されてるとかで、晃子様に対しても大層お怒りとか……私は、心配で心配で……」
「ああ、そうなるでしょうね」

 羽倉崎が、鬼怒川へ行けなくなったのだから理由を伝えるはずだ。すべてを話したとしても、男爵ならば羽倉崎の肩を持つに決まっている。
 商売の片腕となる男と、旧大名の若様など勝負にならないだろう――。志賀の顔には、そう書いてあった。

「……志賀さん、僕はそんなに頼りないですかね?」
「は!い、いえ!滅相も……」

 光留は、唇を尖らせると
「そう書いてありますよ、お顔に」
 恨みがましい目付きで、トントンと 自身の頬を弾いてみせた。



 ◆◆◆◆◆


「とりあえず、晃子さんを子爵家へ滞在させることに成功したそうですよ、清浦さん」
「ほう、良かったじゃないか。ランプで殴り付けたと聞いた時には、揉み消して下さい!などと、無茶を言われるのではないか?と ゾッとしたんだがね」

 司法省の奥まった一室で、語るのは清浦と近衛だ。いつもの如く 世間話をする傍ら、視線と手は、キビキビと動く。
 清浦の迷惑そうな言葉とは裏腹に、楽しげに緩む口元は、近衛の失笑を呼んだ。この男が、笑うとは珍しい。 
 文書に滑らせていた筆を止め「何か面白いことがあったのかい?」と、尋ねた。

「いえ……子爵家で昼食会が開かれ、侯爵家や大名家が呼ばれる所に、尾井坂さんが呼ばれたようなんですよ」
「ほう」

 近衛は、昼食会の話をサッと流し聞かせる。居心地の悪い席になりうる場所に、晃子の生母を思い、滝沢夫人を呼ぶことに成功したと。

「滝沢……ああ、君の学友か。光留君は泣きついてきたかい?」
「いえ、滝沢は私の学友ではありますが、あの2人は学習院で少々、面識がありましてね。面倒見のよい男で、嫌がらせを受ける光留さんを度々、庇っていた男です」

「成る程、そこに泣きついたか。しかし、歳も違うのだから、そこまで親しくはないだろう?」

「ええ。滝沢は、とても面倒見が良いのです。心優しいと言った方が良いのか……例えば 清浦さん、アレどう思います?」

 近衛は、窓の外へ視線を向けた。枝がしなり、乾燥したセミの脱け殻のような葉が、北風に負けじと必死にしがみついている。

「どうって……枯れ葉……」
「ダメですねぇ、滝沢に言わせれば姿なのです」

「いやいや、花ならまだしも……」

 清浦は、納得がいかないと食い下がるが近衛は、首を横に振った。

「逆風に堪える姿、あとは何もない更地に建物が並ぶ様子も美しい。綺麗処が揃う店のが美しいのは、当然でしょう? だから失格。しかし、井戸の水を汲む町娘が美しいのは、思わぬ収穫を得たようで琴線に触れるとか」
「変わり者ではないか」

 清浦は意味がわからないと、止めた筆を再び滑らせたが、近衛は もう少し休憩をするつもりか、揃える書類に手を触れない。
 ジッ――と、窓辺を眺める視線は、そのままに 懐かしむ色を滲ませる声を発した。

「昔、こうして窓の外を眺めていたんです。裏手に面した教室でしてね、見ると3人程の学生に囲まれた者がいて、何やら揉めているのか?と……横に立つ 滝沢も初めは、オイオイ、男なら殴れ!などと笑い、応援していたようでしたが……パタと声援が途切れたんです」
「ほう」

 清浦は、通達を書き記し、最後の名に着手した。

「満足したのか、囲んでいた者達が立ち去ると、そこに膝を突いていたのは、輝くブロンドの学生で大層、目をひきました。拳で 顔を撫でたのか、頬には泥がついていましたが……」
「ああ、とても美しかったと? 光留君か」

「その通り、うるさかった声援が途切れたことで、私は横に立つ学友を振り返りました。目を疑いました、まるで恋に堕ちたかのような顔をしていたんです」
「はあ!?」

 清浦ので、筆が止まった。ジワリと広がる墨汁に、近衛の見開かれた目が 釘付けられたのは云うまでもない。

「清浦さん!墨が!墨がぁ!」
「それより、続き!! 」

「談話している場合ですか!話はあとです!」

 驚愕が大きかったのは、清浦か近衛か、奉書ほうしょに記された名は、清――しか読み取れず、書類の山に仕事がもうひとつ追加され、次官と官吏の間を駆け回り、疲れきった近衛が再び口を開いた頃には、入相の鐘が鳴っていた。

「清浦さん、尾井坂男爵がお戻りになられたようです」
「近君、話が違う……」
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