紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

文字の大きさ
69 / 96

帰京

しおりを挟む
 ◆◆◆◆◆

 男爵が戻って来たという報告は、瀬戸物町の里によってもたらされた。羽倉崎が、尾井坂邸へ向かったと云うことも。
 明日の午前中には、尾井坂家から連絡があると見当をつけ、屋敷の者達に何が起きても、晃子を屋敷外へ出さないこと――と申し付ける。それは、それは、強く言いつけるものだから、討ち入りでも起こるのかと、勘繰った者もいた程だ。
 そんな光留は、朝から司法省を訪ねた。
 大臣執務室の横にある次官執務室は、相も変わらず薄灰の煙が漂う。
 真っ白いグローブで作った拳を寄せ、ゲホッ、ゲホッ――と、咳き込んでみせるが、素知らぬ顔の清浦は、顎で着座を促す。

「こちらが不利な場合は、先手を打つことが重要と思っております。尾井坂男爵からすれば、自分が決めた許嫁を殴り、別の男の元へ走った娘です。考えられることは勘当ですが、これはないでしょう」
「当然だな。走った先が、君の所なんだから」

 脇に寄せられた黒盆の中身からして、相変わらず多忙なのが窺える。それでも時間を割いてくれるのは、乗り掛かった船ということか。

「ええ、それと羽倉崎さんが決して破談に首を振らないでしょう。あの人、晃子さんというより、尾井坂家の令嬢にご執心ですから」
「ほう、聞いたのかい?」

「ええ。精養軒せいようけんで、揺さぶりを掛けたことがありましてね」

 家柄や美貌も含めて晃子だと言った羽倉崎に、爵位の剥奪を匂わせた件だ。
 馬鹿馬鹿しいと思っていたようだが、宮内省の役人が語るのだから少々、気になっていたようにも見えた。

「ただの晃子さんでは、興味がないようでした。尾井坂家との強いパイプが、欲しいのでしょう。そのまま縁談を進めた方が、得策と考えても不思議ではありません」
「成る程、君よりマトモな考えをしているじゃないか、で?先手ってどうするんだい?」

 チクリと、嫌味の針を刺してくるから堪らない――が、聞き流す。いちいち反論していては話が進まない、清浦も承知で言っているのだ。

「おそらく明日には、何か言ってくるでしょう。それならば、先に呼びつけるまで」
「何処に?」

「鹿鳴館です」
「……ほう、ほう、成る程。場所に申し分はないなぁ」

 旧鹿鳴館は、華族の集まりに使われており、名を華族会館と改めていたが通りが良いのは、数年経った今でも鹿鳴館という名称だった。

「あそこは、宮内省内匠寮ないしょうりょうの管轄なので、すぐに押さえることができます」
「そういえば……近君が、肉を噛みちぎったのも貴賓室だったらしいじゃないか。今度、私も招待してくれないかい?」

「喜んで」

 今の清浦ならば、簡単に入れるというのに、わざわざ下手にでて頼む形を取るのは、人身掌握の手練手管なのか、元々の人となりなのか――
 光留は、朗らかな笑みを浮かべてみせると、深々と頭を下げ「感謝いたします」と礼を述べた。
 言葉の代わりに、フ――ッと 吐かれた白煙は、窓の向こうの枯れ枝とは対称的に、ゆっくりと たなびく。
 冬隣の北風が身に染みる季節に、木枯らしで カタカタと鳴る、ガラスに どちらからともなく視線を流した。

「時が経つのは、早いと思わないかい?」
「ええ、全くです。1年前、僕は宮家との縁談に絶望していました」

「私は、馬鹿な子爵家の跡取りの話を聞いた頃だ」
「馬鹿ですかね、やはり」

「いいや。昔、海軍少尉が品川の遊女に惚れて、足抜けさせたことがあったが……君も含めて、たいしたものだ。まあ、君の場合は晃子さんが、遊女だった方が簡単だったかもしれないがね」
「遊女でも、懸命に口説いていたでしょうね。僕は、晃子さんが 勘当されて無一文で投げ出されても気にならないし、想いは変わらないのです」

「そんなこと、欧州で思い知ったさ」
「……だから清浦さん、もう少し付き合ってください」

 思いかけず神妙な声音に「ほう?」と答えた清浦は、考慮する仕草を見せるが、すぐに軽く首を振った。

「何を?と尋ねようと思ったが、好きにするがいいさ。私に出来ることなら力になる」
「貴方は、何でも無理を利いてくれますね?いつも、娘を貰えなどと言っていましたが、あれは冗談でしょう?本当は、何が狙いなのです?」

「はは!人を高利貸しみたいに……近君から聞いていないかい? 私は、敵を作らないように心掛けている。味方を作るより、そっちが為になるんだよ」
「本当かなぁ……」

 真っ直ぐ向けられた眼に、清浦は肩をすくめ 蓄えた髭を、一撫でしてみせると
「ま、持ちつ持たれつ……」
 休憩はおしまい――と、名残惜しげに 煙草を灰皿に押し付けた。

「それでは、お時間を割いていただき、感謝致します。清浦閣下」
「はい、はい……はい!? 」

 文字を追う清浦の視線が、急ぎ 声の主を振り仰いだ時には、バタンと閉じた焦げ茶色の扉で遮られた。
 閣下――
 天皇の命とされる勅旨ちょくしによって任じられる、勅任官ちょくにんかんの敬称になる。実は、清浦はだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

不器用な大富豪社長は、闇オクで買った花嫁を寵愛する

獅月@体調不良
恋愛
「 御前を幸せにする為に、俺は買ったんだ 」 〜 闇オク花嫁 〜 毒親である母親の為だけに生きてきた彼女は、 借金を得た母の言葉を聞き、 闇オークションへ売られる事になった。 どんな形にしろ借金は返済出来るし、 母の今後の生活面も確保出来る。 そう、彼女自身が生きていなくとも…。  生きる希望を無くし、 闇オークションに出品された彼女は 100億で落札された。 人食を好む大富豪か、 それとも肉体を求めてか…。 どちらにしろ、借金返済に、 安堵した彼女だが…。 いざ、落札した大富豪に引き渡されると、 その容姿端麗の美しい男は、 タワマンの最上階から5階部分、全てが自宅であり、 毎日30万のお小遣いですら渡し、 一流シェフによる三食デザート付きの食事、 なにより、彼のいない時間は好きにしていいという自由時間を言い渡した。 何一つ手を出して来ない男に疑問と不満を抱く日々……だが……? 表紙 ニジジャーニーから作成 エブリスタ同時公開

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

Pomegranate I

Uta Katagi
恋愛
 婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?  古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。 *本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

本日は桜・恋日和 ーツアーコンダクター 紫都の慕情の旅

光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
旅は好きですか? 派遣添乗員(ツアーコンダクター)の桑崎紫都32歳。 もう、仕事がらみの恋愛はしないと思っていたのに…ーー 切ない過去を持つ男女四人の二泊三日の恋慕情。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

処理中です...