紀尾井坂ノスタルジック

涼寺みすゞ

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藩閥 と 国粋

 空っ風が、カタカタと窓を鳴らす。
 2人のやり取りから生み出された、凍てつく空気は、室内を覆い尽くし、まるで薄氷を張ったように危なっかしい。
 一つ選択を間違うと、決裂しかねない交渉の場に、引くことが許されない光留が口を開くのは、当然のことだった。

「残念ながら、僕の分が悪い。結婚のお許しが欲しいだけなのに……」
「そう、しんみりとした風に言われても困るな」

「男爵のお考えは、よくわかります。ただ、それでは上手くいきませんよ」
「何故?」

 上手くいかないと言われれば、気にもなると男爵は、興味を引かれたようだ。

「失礼ながら泰臣君に爵位を継がせ、事業と分けるのは、貴族院の議員となる為と思っております。ご存知の通り任期7年、次回 互選選挙が行われるのは5年後です。おそらく、これから根回しを始められるのでしょう?」
「ああ、その通り。5年もあれば準備も整うと思ってね。羽倉崎君ほど、頼りになる男はいないんだよ。わかってくれないか?」

「いいえ、事業の方ばかり見ていたら足元を掬われますよ。僕に」
「選挙の邪魔をするというのかね?さすがに無理だろう!」

 男爵は、ここにきて初めて笑った。
 貴族院の選挙を、何だと思っているのだと。記名式の互選で行われるのを、爵位も持たない者が口を挟める訳もなく、票を集める為の金さえ出し渋らなければ、何とかなるだろうと。

「君は 自信家のようだが、力を過信しない方が身の為だよ。これは、年寄りからの忠告と思ってくれ」
「いいえ。男爵、貴方こそ 金ですべてが動くと思ってはいけません。2年程前、貴族院の選挙が行われました。その時ならば、もしかしたら金でどうにか出来たかもしれません」

「ほう、流れは変わったと?」
「ええ、男爵も薄々そうお考えでしょう?だから、会派に所属されている……懇話会こんわかいでしたっけ?」

 光留は、疑問符をつけてみるが本当は、知っていた。
 懇話会とは、平たく言えば 同じ信念を持ち、それを実現する為に行動する会のひとつだ。
 他にも幾つかあるのだが、この懇話会の特筆すべき点は、藩閥政治を糾弾する者達が集まっていること、必然的に現政府のお偉方には、敵意を剥き出しにしている国粋主義者の集まりだった。

「懇話会の方達は、ご立派なお名前が並びますが……男爵は、伊藤閣下に恨みでも?」
「あるわけないだろう」

「あれ?懇話会は、藩閥の方達を良く思っておりませんよ?伊藤閣下など、目の敵と聞いております」
「私は、滝沢さんに誘われ、義理で入っているのだよ」

「なるほど。会派に入られたのは、お偉方から票を取り纏めてもらうおつもりと?」
「まあ、その通り」

 返答に合わせるように、残った白湯を煽り飲んだ光留は、トンッ!と テーブルを鳴らした。

「checkmate!男爵、僕の勝ちです。晃子さんをください」
「何故そうなる? 君は頭が可笑しいのか?」

「恋に夢中の馬鹿かもしれませんが、間抜けではありません。……ご納得されていませんね?」
「当たり前だろう。訳のわからない男に娘を人質に捕られ、気が狂いそうだ」

「それでは、理由をお話します。男爵は何がなんでも議員になりたいと思われている……その前提で」

 男爵は、気だるげな表情で頷くが、真剣に聞くのも癪に障る。埒があかない問答のせいで喉も乾いていたし、ちょうど良いと 流し聞くていで、湯呑みを口元に寄せ 渇いた喉を潤した。

「何故、僕の勝ちかと言いますと……」

 長テーブルを挟み、穏やかな口調で話すのは、外国人と見紛うばかりのブロンドに、男にしておくのが勿体ないほど、見目形が整った子爵家の従五位。
 男爵の相づちも、必要ではないとばかりに、スラスラと語る内容は、以下のようなものだった。
 今の内閣は、薩長土肥さっちょうどひであり、軍の上層部もしかり。
 現段階で、藩閥が占めているのに 5年程で入れ替わる訳がない。勿論、総入れ替えなどありえない。となれば、次も藩閥から総理大臣が出る可能性は高くないか?
 
「普通、反対ばかりしてくる会派など潰そうと思いませんか?僕なら、絶対にそこから議員を出しません。法案可決の邪魔となります。おそらく大臣閣下らは、この2年で思い知ったでしょう」
「ううむ……」

「これから懇話会の人達に、金を握らせ票を集めても議席を押さえる程の人数が、会派にいるでしょうか?」
「どういう意味だね?」

「そのまんまです。あと5年の間に選挙の準備は整うと男爵は、仰いました。大臣閣下らも同じです。このままでは、男爵は議席をとることはありません。僕の勝ち」
「藩閥の面々が、他の会派を勝たせると?馬鹿な……どこも、似たり寄ったりだぞ?」

 光留は、いつもの朗らかな微笑を浮かべ、首を振る。

「いいえ。このままだと、確実に選挙は落ちます。汽車でいうなら、既に脱線しております。根拠をお話しましょう……と言いたいところですが、まずはコレに署名を頂きたいのです」

 脇に置いてある封書から紙を取り出すが、それに何が記されているか、遠すぎて見えない。
 真っ白なグローブで摘まみ上げられたソレは、左右に1枚ずつ。
 光留は、右を少しだけ上げてみせる。

「こちらは、終点貴族院の汽車をレーンに戻すもの」
 次いで、左を上げると
「此方は、尾井坂家の家業を脱線させない為のもの」と、言った。

「ほう、両方どうにかすると?」
「ええ、ただし議席と商売繁盛までは、保証出来かねます。それは当人の問題ですから……しかし、ご協力は致しましょう」

「で、それは何だね? 見たところ正式な書面に見えるが……」

 文字の流れからして、毛筆で書かれたものである。政府は、正式な文書への洋墨使用を禁止している。
 普段なら、毛筆だから正式――と、判断するのも尚早と思うだろうが、光留が手にする和紙には、既に花押かおうが書き込まれている。

 ―― ……と、云うことは大臣か?

 男爵は 目を細め花押が誰のものか、懸命に見据える。まるで針の穴に糸を通すように。

「……宮?」
「近くでご覧になりますか?宮内大臣のものです」

 意味がわからないと、細めた視線をそのまま向ける男爵に、光留は満面の笑みを返す。

、ご承諾いただけますか?」
「あッ……!?」
 
 和紙に毛筆、宮内大臣の花押。
 ここにきて尾井坂男爵は、光留が手にする書面の正体を見抜いた。

 
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