74 / 96
弐
しおりを挟む
「少し前まで日本にいた、ヘーン大尉が帰国されていましてね。この人、ドイツの仕組みを日本の警察組織に教え込む……そんな任務だったらしいです。その辺りは、僕も詳しくありませんが。清浦さんは、そのヘーン大尉のツテもあり、警察制度、監獄制度について視察されました。あとドイツ公使の西園寺さんとお会いしましてね。この人は、条約改正で粘ったようですが、上手くいかなかったとか。ご存知の通り、不平等条約の改正は 政府がやり遂げなければならないものです」
自ら水注を傾け、空の湯呑みに白湯を注ぐ。チラリと向けられた視線に「私は結構」と、男爵が手のひらをかざすと、一口含んだ。
「残念ながら僕は、同席することが叶いませんでしたので内容は、分かりかねますが条約の件は絶対、話しているでしょう。ご存知とは思いますが、過去すったもんだと、散々揉め、諸外国はおろか政府内でも大騒動でした。伊藤閣下と大隈閣下の連携が取れていないんですもん。とうとう陛下が間を取り持たれるが、推進派の黒田閣下も大隈閣下も譲らず。結局、ヨーロッパから帰って来た山縣閣下が引導を渡して、改正の話はストップ。大隈閣下は足が失くなるし、黒田閣下は総理辞職、散々です……で、それからも色々ありましたが、今の内閣は 元勲内閣と呼ばれる実力者揃いです。頓挫した改正を進めようと伊藤閣下が考えるのは当然ではないでしょうか?いいえ、それだけではありません。やることは沢山あるのですから……前置きが長くなりました。申し訳ありません、突然結論を申し上げても ご納得頂けないと思いましたので」
光留は、にっこりと微笑んでみせた。ここまでで、何か?と言わんばかりに。
「続けてくれたまえ」
「はい。帝国議会において衆議院第一党と政府は、初っぱなから揉めたと聞いております。総理は山縣閣下です。その後の松方閣下も。そして、現在の伊藤閣下も。意見の相違などは仕方ないとして、やはり反対勢力が幅を利かせていたら面白くないでしょう。それに帝国議会以前の改正問題で、あれだけ辛酸を舐めた元勲の方々です。先の先を考えるのは当然、となると手始めに貴族院です」
「手始め?」
「ええ、政党をどうにかするのには、時間がかかります。爵位で議席をもつ人達を会派でまとめる……男爵も、ある意味それが目当てでしょう?そこに金を握らせ、ご自身へ投票してもらう」
「ああ、その通り」
「これは、あくまで憶測です。確証があるわけではないです……が、結構、自信あります。初っぱなに洗礼を受けたのは、山縣閣下です。きっと驚いたでしょう。そして、その後の流れを見て察した筈です。ご存知ですか? 清浦さん、官僚を辞任した日に貴族院議員になってるんですよ」
光留曰く、第1回帝国議会で山縣内閣と第一党が激しくやり合った後、清浦は官僚を辞任し、議員になったという。
「清浦さん、前々から欧州視察に興味があって、ゴネてたらしいです。もしかしたら取引があったのでは?」
「取引!? どんな!? 」
「山縣閣下の願いを了承する代わりに、欧州へ行かせてくれ……とか」
「願いとはなんだね?」
気になるものの言い方に、おもわずテーブルに身を乗り出す男爵に合わせ、光留も身を乗り出した。
「清浦さん、最近会派に所属されたんですよね。40人足らずの……男爵、こちらの会派に移ることをお勧めします。おそらく、清浦さんは この会派を育て上げる命令を受けているはずです。そして、必ずやり遂げるでしょう」
「命令?誰の 」
「山縣閣下に決まっています。自身の腹心であり、議会法に詳しい清浦さんほど頼りになる人はいないでしょう。男爵、大所帯になる前に滑り込んだ方が良いですよ。なんなら僕が、清浦さんに繋ぎます」
話は、ここまでなのだろう。光留は立ち上がると、颯爽と男爵の横に立つ。テーブルの端に置かれた2枚目の書面を滑らせ
「ご署名いただけますか?」
さらりと流れる動作で差し出した。
おそらく、答えはわかっているのだろう。男爵も、返答はしなかった。
さっと、内容に目を通すと目尻のシワを深くし、筆を滑らせる。引き上がった唇は、愉快と云わんばかりだ。
「羽倉崎君への袖の下か?」
「ご冗談を。正当な取引です」
もう話すことはない。どちらからともなく、ドアへ向かった。日暮れであることから、バザーのご夫人達も帰宅したようだ。
しんと静まる館内に、靴音だけが響いた。
「もし、私が聞く耳もたず、晃子を返せと訴え出たらどうしたのだね?」
「そうなったら、それでも良いと」
「警察沙汰になっても?いや、宮内省が間に入るか?」
「ですね。土方大臣は、令嬢をお返ししろと言うでしょう。でも、返しません。理由は、すでに僕の子が宿ってるから……と、でも言いましょうか」
「いるのかね!? 」
「いませんよ!! 」
2人の叫び声が反響し合う中、正面に停められた馬車のドアを光留、自ら開けた。
「寒い中、ご苦労様」御者を労い、男爵に手を差し伸べる。
「僕は 情けない男で、晃子さんを前にすると背伸びをしてしまいます、立派でありたいと。いつかボロが出て、嫌われてしまうのではないかと不安にもなります。寝室へ誘ったら殴られ、逃げられた――となったら、死にたくなるでしょう……ということで、羽倉崎さんの情けなさに僕が、心を痛めていたとお伝えください」
「嫌な男だな……」
握手を交わすと、男爵は馬車へ乗り込んだ。凍てつくドアノブを握り、半分ほど閉めた所で「あ、そうそう……」と、手を止めた光留は、改めて開くことはせず、隙間へ顔を覗かせる。
「ドイツでお会いした西園寺さん、清浦さんと話した後、我々が滞在しているというのに、帰国したんですよ。その時は、ご病気と聞きましたが。しかし今、兼任で役についておられるらしいじゃないですか。突然元気になったんですかねぇ……あの人、伊藤閣下の腹心ですしね、皆様色々お考えなのかもしれません。それでは」
自ら水注を傾け、空の湯呑みに白湯を注ぐ。チラリと向けられた視線に「私は結構」と、男爵が手のひらをかざすと、一口含んだ。
「残念ながら僕は、同席することが叶いませんでしたので内容は、分かりかねますが条約の件は絶対、話しているでしょう。ご存知とは思いますが、過去すったもんだと、散々揉め、諸外国はおろか政府内でも大騒動でした。伊藤閣下と大隈閣下の連携が取れていないんですもん。とうとう陛下が間を取り持たれるが、推進派の黒田閣下も大隈閣下も譲らず。結局、ヨーロッパから帰って来た山縣閣下が引導を渡して、改正の話はストップ。大隈閣下は足が失くなるし、黒田閣下は総理辞職、散々です……で、それからも色々ありましたが、今の内閣は 元勲内閣と呼ばれる実力者揃いです。頓挫した改正を進めようと伊藤閣下が考えるのは当然ではないでしょうか?いいえ、それだけではありません。やることは沢山あるのですから……前置きが長くなりました。申し訳ありません、突然結論を申し上げても ご納得頂けないと思いましたので」
光留は、にっこりと微笑んでみせた。ここまでで、何か?と言わんばかりに。
「続けてくれたまえ」
「はい。帝国議会において衆議院第一党と政府は、初っぱなから揉めたと聞いております。総理は山縣閣下です。その後の松方閣下も。そして、現在の伊藤閣下も。意見の相違などは仕方ないとして、やはり反対勢力が幅を利かせていたら面白くないでしょう。それに帝国議会以前の改正問題で、あれだけ辛酸を舐めた元勲の方々です。先の先を考えるのは当然、となると手始めに貴族院です」
「手始め?」
「ええ、政党をどうにかするのには、時間がかかります。爵位で議席をもつ人達を会派でまとめる……男爵も、ある意味それが目当てでしょう?そこに金を握らせ、ご自身へ投票してもらう」
「ああ、その通り」
「これは、あくまで憶測です。確証があるわけではないです……が、結構、自信あります。初っぱなに洗礼を受けたのは、山縣閣下です。きっと驚いたでしょう。そして、その後の流れを見て察した筈です。ご存知ですか? 清浦さん、官僚を辞任した日に貴族院議員になってるんですよ」
光留曰く、第1回帝国議会で山縣内閣と第一党が激しくやり合った後、清浦は官僚を辞任し、議員になったという。
「清浦さん、前々から欧州視察に興味があって、ゴネてたらしいです。もしかしたら取引があったのでは?」
「取引!? どんな!? 」
「山縣閣下の願いを了承する代わりに、欧州へ行かせてくれ……とか」
「願いとはなんだね?」
気になるものの言い方に、おもわずテーブルに身を乗り出す男爵に合わせ、光留も身を乗り出した。
「清浦さん、最近会派に所属されたんですよね。40人足らずの……男爵、こちらの会派に移ることをお勧めします。おそらく、清浦さんは この会派を育て上げる命令を受けているはずです。そして、必ずやり遂げるでしょう」
「命令?誰の 」
「山縣閣下に決まっています。自身の腹心であり、議会法に詳しい清浦さんほど頼りになる人はいないでしょう。男爵、大所帯になる前に滑り込んだ方が良いですよ。なんなら僕が、清浦さんに繋ぎます」
話は、ここまでなのだろう。光留は立ち上がると、颯爽と男爵の横に立つ。テーブルの端に置かれた2枚目の書面を滑らせ
「ご署名いただけますか?」
さらりと流れる動作で差し出した。
おそらく、答えはわかっているのだろう。男爵も、返答はしなかった。
さっと、内容に目を通すと目尻のシワを深くし、筆を滑らせる。引き上がった唇は、愉快と云わんばかりだ。
「羽倉崎君への袖の下か?」
「ご冗談を。正当な取引です」
もう話すことはない。どちらからともなく、ドアへ向かった。日暮れであることから、バザーのご夫人達も帰宅したようだ。
しんと静まる館内に、靴音だけが響いた。
「もし、私が聞く耳もたず、晃子を返せと訴え出たらどうしたのだね?」
「そうなったら、それでも良いと」
「警察沙汰になっても?いや、宮内省が間に入るか?」
「ですね。土方大臣は、令嬢をお返ししろと言うでしょう。でも、返しません。理由は、すでに僕の子が宿ってるから……と、でも言いましょうか」
「いるのかね!? 」
「いませんよ!! 」
2人の叫び声が反響し合う中、正面に停められた馬車のドアを光留、自ら開けた。
「寒い中、ご苦労様」御者を労い、男爵に手を差し伸べる。
「僕は 情けない男で、晃子さんを前にすると背伸びをしてしまいます、立派でありたいと。いつかボロが出て、嫌われてしまうのではないかと不安にもなります。寝室へ誘ったら殴られ、逃げられた――となったら、死にたくなるでしょう……ということで、羽倉崎さんの情けなさに僕が、心を痛めていたとお伝えください」
「嫌な男だな……」
握手を交わすと、男爵は馬車へ乗り込んだ。凍てつくドアノブを握り、半分ほど閉めた所で「あ、そうそう……」と、手を止めた光留は、改めて開くことはせず、隙間へ顔を覗かせる。
「ドイツでお会いした西園寺さん、清浦さんと話した後、我々が滞在しているというのに、帰国したんですよ。その時は、ご病気と聞きましたが。しかし今、兼任で役についておられるらしいじゃないですか。突然元気になったんですかねぇ……あの人、伊藤閣下の腹心ですしね、皆様色々お考えなのかもしれません。それでは」
0
あなたにおすすめの小説
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
不器用な大富豪社長は、闇オクで買った花嫁を寵愛する
獅月@体調不良
恋愛
「 御前を幸せにする為に、俺は買ったんだ 」
〜 闇オク花嫁 〜
毒親である母親の為だけに生きてきた彼女は、
借金を得た母の言葉を聞き、
闇オークションへ売られる事になった。
どんな形にしろ借金は返済出来るし、
母の今後の生活面も確保出来る。
そう、彼女自身が生きていなくとも…。
生きる希望を無くし、
闇オークションに出品された彼女は
100億で落札された。
人食を好む大富豪か、
それとも肉体を求めてか…。
どちらにしろ、借金返済に、
安堵した彼女だが…。
いざ、落札した大富豪に引き渡されると、
その容姿端麗の美しい男は、
タワマンの最上階から5階部分、全てが自宅であり、
毎日30万のお小遣いですら渡し、
一流シェフによる三食デザート付きの食事、
なにより、彼のいない時間は好きにしていいという自由時間を言い渡した。
何一つ手を出して来ない男に疑問と不満を抱く日々……だが……?
表紙 ニジジャーニーから作成
エブリスタ同時公開
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
Pomegranate I
Uta Katagi
恋愛
婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?
古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。
*本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
訳あり冷徹社長はただの優男でした
あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた
いや、待て
育児放棄にも程があるでしょう
音信不通の姉
泣き出す子供
父親は誰だよ
怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳)
これはもう、人生詰んだと思った
**********
この作品は他のサイトにも掲載しています
本日は桜・恋日和 ーツアーコンダクター 紫都の慕情の旅
光月海愛(こうつきみあ)
恋愛
旅は好きですか?
派遣添乗員(ツアーコンダクター)の桑崎紫都32歳。
もう、仕事がらみの恋愛はしないと思っていたのに…ーー
切ない過去を持つ男女四人の二泊三日の恋慕情。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる