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交渉成立
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何かの集まりが、行われているはずだが、それを全く感じさせることがない程、豪奢な館内は静まり返っていた。
カタカタと、寒空を吹く風が鳴らす、硝子の凍えるような音と、反響する2人分の足音が羽倉崎を振り返らせる。
「政治会派の集まりと聞いていますが、静かですね」と、感情の混じりを感じさせない近衛の声が、引き結ばれた口元を綻ばせた。
「素晴らしいですね、私の考えが分かったのですか?」
「何となく……ところで、何故あのような条件を?妾の子として産まれるより、正妻の子として生まれた方が、お子さまのためでは?」
「それは華族様のお考えですよ。妾から格上げされた正妻が、ヒソヒソと噂話の種になるのは。私みたいな少々財を成した平民の妻が、妾上がりだろうが令嬢だろうが、周りは気にしません。むしろ、妾から令嬢になり正妻に収まった方が、運気が昇るとして商売仲間も目出度いと見るでしょう」
「貴方、破談になったら面目が……などと」
「その通り、破談は困ります。が、事情を知らない人は この件をどう見ますかね? 身重の妾を男爵家の令嬢とし、子まで男爵の孫とした……それだけで十分。皆、私の交渉能力を割り増しに考えるでしょう」
「……成る程」
「しかし、田中様はお見通しですよ。あの方にとっては、私が皆から遣り手と、誉められようが知ったことではないでしょう。晃子さんに傷を付けずに、穏便に子爵家へ迎え入れることが大事なのですから」
近衛は、顎にかけた指はそのままに、うんうん――と頷く。反論はないようだ。
「条件は、3つ。協力関係にあること、これは当然です。後々、憂さ晴らしをされては困ります。養女から実子は、先の交渉能力を外に見せつける為ですが、正直どっちでも良いのですよ。妾を養女にしただけでも御の字です。最後のは……申し訳ないですが、私の憂さ晴らしですね」
羽倉崎は、はは――と 楽しげな声をあげた。掠め見る顔は、穏やかな笑みを浮かべていて、憂さ晴らしとも思えない。
「まだ、成功しておりませんが満足そうですね?」
「ええ、先程 横浜での話……田中様は、お気づきではなかった。近衛様は、気づかれたでしょう? 晃子さんは、前々から田中様を」
「ええ。ただ、恋と結婚は別物です。晃子さんは、きちんと心得ておられました」
「その通り。きっと田中様には、上手く隠していたのでしょう」
先入観もあるだろう、近衛は思った。光留は、2人の出逢いを語った時「情けない」と口にした。からかわれ、言い返すことも出来ず、膝まづいた姿を見られたことを。
そんな情けない男に、恋心を抱くわけがないという理屈と思われる。光留の欠点は、自分の考えに自信があり過ぎるところだと近衛は、軽く首を振り、思考を切り替えた。
「一応の期限は、ひと月となりましたが?」
「ええ、おそらく大丈夫かと。しかし、値の張る毛染めをご注文とは」
退出する羽倉崎を、光留は引き留めた。
以前、精養軒で話した英国産の毛染めを注文したいと。確かに鉄漿で染めるよりは、時間も短縮されるが、なにぶん値が張る物で買い手は、富豪に限られているのだが、それでも皆が使うわけではない。多少の白髪など気にしない者が多い、となれば数も少ないのは当然だ。
「ひと月、お時間を」
「それでは、その日を期限にしましょう。男爵邸に晃子さんをお連れします。咲さんもご同席を……何です? 心配気ですね。御無用です」
「畏まりました。どうしても……となった時は、仰って下さい。新橋の座敷にお招き致しますので」
「馬鹿仰い。新橋で土下座なんかしたら、次の日には 各官庁に知れ渡ってしまいますよ」
これには、近衛が吹き出した。
官庁に近い新橋は、政府高官が遊び回っている為、座敷に侍らせた芸者衆の口から一気に広まってしまうだろう。
女を取り合った―― ならまだしも、頭を下げて譲ってもらったとなると、羽倉崎のゴシップよりも信憑性の高い記事が出来上がってしまう。分かっているだろうに、口にしたのは、からかいもあったようで、この件に関しては言葉を継ぐことなく、すんなり収めたが、ふと「あ、そうそう」と溢す。
「どなたかへの贈り物でしょう? 箱など特別にあつらえますか?」
毛染めの件だ。
「いえ、母が毛染め、毛染めとうるさくて。そのままで結構、どうせ箱など破り捨てますから」
子爵夫人は、久我侯爵の令嬢というのに、随分 がさつな人だと思いつつ、羽倉崎は ひと月後の取り決めを了承し、部屋をあとにした。
冷えた風が ガタガタと窓を鳴らすのと、床を叩く踵の音、落ち着き払った話し声だけが、広々とした空間にやけに響く。
「憂さ晴らしと申しましたが、どうですかねぇ、晃子さんの気持ちが無条件に向いていることを知り、咲を認める言葉を掛けろなんて、なかなか言えないのではないかと考えたのですが……どうも、あの人の思考回路は理解できかねて」
「確かに……嫌われたくないという心情が、どう作用するか……認めさせるのは簡単と思いますよ。男爵の考えと押しきれば良いのですから、ただ それを晃子さん自身が認め、羽倉崎さんと咲さんに私の妹ですと言えるのか? これは、なかなか」
「ふふふ……横で 泰臣君に、ニヤニヤ笑って貰うのも良いかも知れませんね」
「それでも、晃子さんが承諾の言葉を告げられると、私は思いたいですが」
笑う羽倉崎が、何を思い、何を考えているのかは分からないが、きっと結果はどうでも良いのだろうと、近衛は思う。
切り替えが早く、損得で算盤を弾く効率性は近衛が、最も好むものだった。
カタカタと、寒空を吹く風が鳴らす、硝子の凍えるような音と、反響する2人分の足音が羽倉崎を振り返らせる。
「政治会派の集まりと聞いていますが、静かですね」と、感情の混じりを感じさせない近衛の声が、引き結ばれた口元を綻ばせた。
「素晴らしいですね、私の考えが分かったのですか?」
「何となく……ところで、何故あのような条件を?妾の子として産まれるより、正妻の子として生まれた方が、お子さまのためでは?」
「それは華族様のお考えですよ。妾から格上げされた正妻が、ヒソヒソと噂話の種になるのは。私みたいな少々財を成した平民の妻が、妾上がりだろうが令嬢だろうが、周りは気にしません。むしろ、妾から令嬢になり正妻に収まった方が、運気が昇るとして商売仲間も目出度いと見るでしょう」
「貴方、破談になったら面目が……などと」
「その通り、破談は困ります。が、事情を知らない人は この件をどう見ますかね? 身重の妾を男爵家の令嬢とし、子まで男爵の孫とした……それだけで十分。皆、私の交渉能力を割り増しに考えるでしょう」
「……成る程」
「しかし、田中様はお見通しですよ。あの方にとっては、私が皆から遣り手と、誉められようが知ったことではないでしょう。晃子さんに傷を付けずに、穏便に子爵家へ迎え入れることが大事なのですから」
近衛は、顎にかけた指はそのままに、うんうん――と頷く。反論はないようだ。
「条件は、3つ。協力関係にあること、これは当然です。後々、憂さ晴らしをされては困ります。養女から実子は、先の交渉能力を外に見せつける為ですが、正直どっちでも良いのですよ。妾を養女にしただけでも御の字です。最後のは……申し訳ないですが、私の憂さ晴らしですね」
羽倉崎は、はは――と 楽しげな声をあげた。掠め見る顔は、穏やかな笑みを浮かべていて、憂さ晴らしとも思えない。
「まだ、成功しておりませんが満足そうですね?」
「ええ、先程 横浜での話……田中様は、お気づきではなかった。近衛様は、気づかれたでしょう? 晃子さんは、前々から田中様を」
「ええ。ただ、恋と結婚は別物です。晃子さんは、きちんと心得ておられました」
「その通り。きっと田中様には、上手く隠していたのでしょう」
先入観もあるだろう、近衛は思った。光留は、2人の出逢いを語った時「情けない」と口にした。からかわれ、言い返すことも出来ず、膝まづいた姿を見られたことを。
そんな情けない男に、恋心を抱くわけがないという理屈と思われる。光留の欠点は、自分の考えに自信があり過ぎるところだと近衛は、軽く首を振り、思考を切り替えた。
「一応の期限は、ひと月となりましたが?」
「ええ、おそらく大丈夫かと。しかし、値の張る毛染めをご注文とは」
退出する羽倉崎を、光留は引き留めた。
以前、精養軒で話した英国産の毛染めを注文したいと。確かに鉄漿で染めるよりは、時間も短縮されるが、なにぶん値が張る物で買い手は、富豪に限られているのだが、それでも皆が使うわけではない。多少の白髪など気にしない者が多い、となれば数も少ないのは当然だ。
「ひと月、お時間を」
「それでは、その日を期限にしましょう。男爵邸に晃子さんをお連れします。咲さんもご同席を……何です? 心配気ですね。御無用です」
「畏まりました。どうしても……となった時は、仰って下さい。新橋の座敷にお招き致しますので」
「馬鹿仰い。新橋で土下座なんかしたら、次の日には 各官庁に知れ渡ってしまいますよ」
これには、近衛が吹き出した。
官庁に近い新橋は、政府高官が遊び回っている為、座敷に侍らせた芸者衆の口から一気に広まってしまうだろう。
女を取り合った―― ならまだしも、頭を下げて譲ってもらったとなると、羽倉崎のゴシップよりも信憑性の高い記事が出来上がってしまう。分かっているだろうに、口にしたのは、からかいもあったようで、この件に関しては言葉を継ぐことなく、すんなり収めたが、ふと「あ、そうそう」と溢す。
「どなたかへの贈り物でしょう? 箱など特別にあつらえますか?」
毛染めの件だ。
「いえ、母が毛染め、毛染めとうるさくて。そのままで結構、どうせ箱など破り捨てますから」
子爵夫人は、久我侯爵の令嬢というのに、随分 がさつな人だと思いつつ、羽倉崎は ひと月後の取り決めを了承し、部屋をあとにした。
冷えた風が ガタガタと窓を鳴らすのと、床を叩く踵の音、落ち着き払った話し声だけが、広々とした空間にやけに響く。
「憂さ晴らしと申しましたが、どうですかねぇ、晃子さんの気持ちが無条件に向いていることを知り、咲を認める言葉を掛けろなんて、なかなか言えないのではないかと考えたのですが……どうも、あの人の思考回路は理解できかねて」
「確かに……嫌われたくないという心情が、どう作用するか……認めさせるのは簡単と思いますよ。男爵の考えと押しきれば良いのですから、ただ それを晃子さん自身が認め、羽倉崎さんと咲さんに私の妹ですと言えるのか? これは、なかなか」
「ふふふ……横で 泰臣君に、ニヤニヤ笑って貰うのも良いかも知れませんね」
「それでも、晃子さんが承諾の言葉を告げられると、私は思いたいですが」
笑う羽倉崎が、何を思い、何を考えているのかは分からないが、きっと結果はどうでも良いのだろうと、近衛は思う。
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