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悋気
清浦は、光留の誘いを受けテーブルについていた。
場所は精養軒。欧米諸国と肩を並べるにあたり、官主導ともとれる流れで造られた西洋料理店であり、娯楽施設やホテルまで備えられていた。そんな場所だから、政府役人も多く出入りする。退庁したあとも職場の者と会いたいなど誰も思わない。勿論、遣り手の司法次官も。
そんな理由か? それとも取って付けた理由なのかは分からないが、清浦は密室となる座敷を好むのだが、敢えてそこを避けた光留に2つ返事でついてきたのは、たまたま暇だったから――などでは、ないだろう。
「研究会の首尾は、如何です?」
光留は、開口一番尋ねた。研究会とは、例の会派だ。
元々は、政務研究会と云っていたようだが、結成の翌年にあたる明治24年、名を改めたらしい。初期は会員が40名ほどだったが、清浦の手により着々と会員を増やし、大会派となる片鱗を見せつつあった。
山縣の意を酌くんで、衆議院の政党と対抗できる勢力を作り上げる任務なのだから、清浦にとっては、司法次官の職務と同等に大事な仕事だろう。
「まあ……なるようになると……いや、そんなことより君の話だよ。今日は、今までの礼として誘ってくれたのだろう?」
「ええ。大変お世話になりましたから……」
「ま、好きでやったことだがね。で? まだ、届を出してないらしいが?」
「婚礼の日、もしくは前日にと」
「君、なかなか奥手だねぇ。驚いた、あれだろ?既に同衾してるってことはないのだろ?」
煙草の代わりに、切り分けた肉を口に咥えた。
「当然です。僕は今……はぁ」
何やら煮え切らない。憂い顔も様になる男など、なかなかお目にかかれないが、こんな男を夫にすると妻は、自分の顔を情けなく思わないのだろうか?と、余計な考えが過る。
清浦は、含むものを呑み込むと
「何だね? 言ってみなさい。力になれるかもしれないよ」
「いや、今回はそのような事ではないのです。ひょんなことから、今までの行動を洗いざらい話す羽目になりまして」
「ほう?」
聞けばきっかけは、咲に選んだ櫛らしい。
元々、見繕ったのは羽倉崎であり、たまたま居合わせた光留が選んだという。それが、晃子に露見した流れと。
「ほう、悋気か……。君、なかなかやるじゃないか。追っかけ回していたのが、妬かれるとは随分な出世だよ」
くくくっ……と、喉を鳴らす清浦は、一口大に切り取った肉を口に運ぶ。
「ええ、ええ。束縛によって窒息しても本望です。しかし、悋気の様子が他の女と違うのです」
あまり語り過ぎるのは不味いと思い、聞かれたことだけを答えるが、ふと疑問に思った。尋ねられる内容をだ。
「駒子さんとは、筆のお勉強をされていましたが、何でも泰臣さんは、同席していなかったとか?」
誰から聞いたのか、密室に2人きりだったことが露見した。とは云っても、これは泰臣が悪いと光留は、唇を尖らせたが
「それならそれで、早々に知らせて頂けたら女中でも同席させましたのに。2人揃って秘密にされていたのは、良い気分ではありません」
駒子にも、飛び火した。
さすがにあの駒子が、気が回るわけがない。
「僕の配慮が足りませんでした――と、口にしたら、余計機嫌が悪くなってしまいました。あら、私が口煩く言っているよう……って。何故、櫛から筆道まで話が飛んだのか……見当がつきません」
「取り敢えず、櫛は贈ったのかい?」
「咲さんの次……ってなったら、逆鱗に触れそうで」
「成る程、君……晃子さんのことになると……」
「ああ、言わないで下さい。これでも、悋気を起こす女は見てきております。口先だけのも、本気で妬いているのも。ただ、どちらとも違うのです」
今まで見てきたと言っても、それは玄人だ。手練手管で「寂しい」とすり寄り、他の女の話に至ると拗ねてみせるのは、商売でもあるからだ。ただ、それに本心が伴う場合もある。以前、津多子が見聞きした半玉がソレにあたるだろう。
晃子の悋気は、当てはまらない。
「光留様が、他の女に櫛を見繕うなんて私、嫌ですわ。なんて言われたら、僕は抱きついてしまうでしょう。だけど、違うのです。冷たい……そう、冷たいのです。悋気って熱い筈でしょう? 愛が怒りに変わったような、違うのです……怖い……」
ぶっ! 清浦は、危うく肉の残骸を吹き出すところだった。
気に触ったのか、目の前の男は眇めた視線を向けている。「いやいやいや……」清浦は、ふしくれだった指先を顔の前で立てた。片手の合掌を表すことから、謝罪だろう。
「怖いって、鈍器で殴られそうになったわけじゃないのだろう?」
「当たり前です。人の許嫁を何だと思っているんですか。怖いっていうのは、そっちの意味じゃありません。1度手にした愛情と信頼を失うのが怖いって意味です。下手打てば、嫌われるのではないかと……」
「ふぅ~ん。しかし、君を嫌っても晃子さんは逃げられないだろう? 君が逃がすわけがない」
「当然です。逃がしてなるものですか、しかし清浦さん、嫌われるのはイヤなのです」
「まあ、当然だろうねぇ……で、私の意見を聞きたいと?」
「別に聞きたくないですよ。貴方が、話を振ったから……」
「まあ、まあ、聞きなさい。年の功だよ。玄人は、割りきっているさね。君のことを憎からず想っても無駄だと。そして君は、あまり座敷遊びなどしないだろう?」
「まあ……視察前は、ことある事に晃子さんを付け回すのに忙しかったですので」
悪びれもせずグラスを傾ける。言っていることは、恥ずべきことだが口にする姿は、見惚れる程だ。清浦は、苦笑いを浮かべると合わせるようにワインを含む。
喉を通る旨くもないものに、眉をしかめ「それそれ」と呟いた。
「君の体験した玄人の悋気は、諦めもあり競争相手もいないだろう? 例えば、君に贔屓の芸妓でもいたら違ったかもだが」
「どういう意味です?」
「晃子さんは、咲さんや駒子さんに劣りたくない。いや、負けたくないのではないか? 悋気とは、そういうものさ」
女心をわかった風に語る司法次官に、半信半疑の視線を向ける。言いたいことを察したのだろう「ま、何もやらないよりはマシさ。何事もね」と、清浦は意味深な笑いを浮かべた。
場所は精養軒。欧米諸国と肩を並べるにあたり、官主導ともとれる流れで造られた西洋料理店であり、娯楽施設やホテルまで備えられていた。そんな場所だから、政府役人も多く出入りする。退庁したあとも職場の者と会いたいなど誰も思わない。勿論、遣り手の司法次官も。
そんな理由か? それとも取って付けた理由なのかは分からないが、清浦は密室となる座敷を好むのだが、敢えてそこを避けた光留に2つ返事でついてきたのは、たまたま暇だったから――などでは、ないだろう。
「研究会の首尾は、如何です?」
光留は、開口一番尋ねた。研究会とは、例の会派だ。
元々は、政務研究会と云っていたようだが、結成の翌年にあたる明治24年、名を改めたらしい。初期は会員が40名ほどだったが、清浦の手により着々と会員を増やし、大会派となる片鱗を見せつつあった。
山縣の意を酌くんで、衆議院の政党と対抗できる勢力を作り上げる任務なのだから、清浦にとっては、司法次官の職務と同等に大事な仕事だろう。
「まあ……なるようになると……いや、そんなことより君の話だよ。今日は、今までの礼として誘ってくれたのだろう?」
「ええ。大変お世話になりましたから……」
「ま、好きでやったことだがね。で? まだ、届を出してないらしいが?」
「婚礼の日、もしくは前日にと」
「君、なかなか奥手だねぇ。驚いた、あれだろ?既に同衾してるってことはないのだろ?」
煙草の代わりに、切り分けた肉を口に咥えた。
「当然です。僕は今……はぁ」
何やら煮え切らない。憂い顔も様になる男など、なかなかお目にかかれないが、こんな男を夫にすると妻は、自分の顔を情けなく思わないのだろうか?と、余計な考えが過る。
清浦は、含むものを呑み込むと
「何だね? 言ってみなさい。力になれるかもしれないよ」
「いや、今回はそのような事ではないのです。ひょんなことから、今までの行動を洗いざらい話す羽目になりまして」
「ほう?」
聞けばきっかけは、咲に選んだ櫛らしい。
元々、見繕ったのは羽倉崎であり、たまたま居合わせた光留が選んだという。それが、晃子に露見した流れと。
「ほう、悋気か……。君、なかなかやるじゃないか。追っかけ回していたのが、妬かれるとは随分な出世だよ」
くくくっ……と、喉を鳴らす清浦は、一口大に切り取った肉を口に運ぶ。
「ええ、ええ。束縛によって窒息しても本望です。しかし、悋気の様子が他の女と違うのです」
あまり語り過ぎるのは不味いと思い、聞かれたことだけを答えるが、ふと疑問に思った。尋ねられる内容をだ。
「駒子さんとは、筆のお勉強をされていましたが、何でも泰臣さんは、同席していなかったとか?」
誰から聞いたのか、密室に2人きりだったことが露見した。とは云っても、これは泰臣が悪いと光留は、唇を尖らせたが
「それならそれで、早々に知らせて頂けたら女中でも同席させましたのに。2人揃って秘密にされていたのは、良い気分ではありません」
駒子にも、飛び火した。
さすがにあの駒子が、気が回るわけがない。
「僕の配慮が足りませんでした――と、口にしたら、余計機嫌が悪くなってしまいました。あら、私が口煩く言っているよう……って。何故、櫛から筆道まで話が飛んだのか……見当がつきません」
「取り敢えず、櫛は贈ったのかい?」
「咲さんの次……ってなったら、逆鱗に触れそうで」
「成る程、君……晃子さんのことになると……」
「ああ、言わないで下さい。これでも、悋気を起こす女は見てきております。口先だけのも、本気で妬いているのも。ただ、どちらとも違うのです」
今まで見てきたと言っても、それは玄人だ。手練手管で「寂しい」とすり寄り、他の女の話に至ると拗ねてみせるのは、商売でもあるからだ。ただ、それに本心が伴う場合もある。以前、津多子が見聞きした半玉がソレにあたるだろう。
晃子の悋気は、当てはまらない。
「光留様が、他の女に櫛を見繕うなんて私、嫌ですわ。なんて言われたら、僕は抱きついてしまうでしょう。だけど、違うのです。冷たい……そう、冷たいのです。悋気って熱い筈でしょう? 愛が怒りに変わったような、違うのです……怖い……」
ぶっ! 清浦は、危うく肉の残骸を吹き出すところだった。
気に触ったのか、目の前の男は眇めた視線を向けている。「いやいやいや……」清浦は、ふしくれだった指先を顔の前で立てた。片手の合掌を表すことから、謝罪だろう。
「怖いって、鈍器で殴られそうになったわけじゃないのだろう?」
「当たり前です。人の許嫁を何だと思っているんですか。怖いっていうのは、そっちの意味じゃありません。1度手にした愛情と信頼を失うのが怖いって意味です。下手打てば、嫌われるのではないかと……」
「ふぅ~ん。しかし、君を嫌っても晃子さんは逃げられないだろう? 君が逃がすわけがない」
「当然です。逃がしてなるものですか、しかし清浦さん、嫌われるのはイヤなのです」
「まあ、当然だろうねぇ……で、私の意見を聞きたいと?」
「別に聞きたくないですよ。貴方が、話を振ったから……」
「まあ、まあ、聞きなさい。年の功だよ。玄人は、割りきっているさね。君のことを憎からず想っても無駄だと。そして君は、あまり座敷遊びなどしないだろう?」
「まあ……視察前は、ことある事に晃子さんを付け回すのに忙しかったですので」
悪びれもせずグラスを傾ける。言っていることは、恥ずべきことだが口にする姿は、見惚れる程だ。清浦は、苦笑いを浮かべると合わせるようにワインを含む。
喉を通る旨くもないものに、眉をしかめ「それそれ」と呟いた。
「君の体験した玄人の悋気は、諦めもあり競争相手もいないだろう? 例えば、君に贔屓の芸妓でもいたら違ったかもだが」
「どういう意味です?」
「晃子さんは、咲さんや駒子さんに劣りたくない。いや、負けたくないのではないか? 悋気とは、そういうものさ」
女心をわかった風に語る司法次官に、半信半疑の視線を向ける。言いたいことを察したのだろう「ま、何もやらないよりはマシさ。何事もね」と、清浦は意味深な笑いを浮かべた。
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