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ねつこ草
乱闘
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病人の見舞いに来たと言うのに、通されたのは何故か客室。
侯爵邸の間取りは頭にあるが、ここは光雅の部屋からも遠い。流行り病ならいざ知らず、刃傷沙汰ならば問題ないだろうに。
「ご容体は? 」
あからさまに不審の色が滲む声だったことから、侯爵夫人の視線は、ゆらり、ゆらり、と定まらない。
「刃傷沙汰と聞きましたが? 」
「ま、まあ! 誰がそのような……」
「司法次官清浦閣下です」
「うっ……そ、そうですか」
とぼける気満々だったのだろうが、司法次官の名前を出されたら、知らぬ存ぜぬとは言えないようで。
綿でも食っているのか? と聞きたくなるほど、モゴモゴと口を動かしている。
「もう日が暮れますね、夫人」
長い影を地面に落とす石灯籠を眺め、ぼんやりと口ずさむ。
要は「さっさと話せ」と、言うことだが伝わっていないのか? それとも言い出せないのか?
カラスの物悲しい声だけが、耳朶を震わせる。
「詳しく話してくれませんか? 」
「ええ、でも……大したことではないのよ? 」
「全部話して下さい。でなければ、お力になれません。刃傷沙汰となれば、相手方もいるのでしょう? 裁判になったら家名に傷がつく可能性がありませんか? 私は、これでも法学校を出て政府の欧州視察にも同行しております。司法官僚として顔もききます。必ずお力になれると思うのですが? 」
不名誉な事件ならば、藁にも縋る所だろうと手を差し伸べてみるが、薄紅がのる唇は開く気配がない。
―― 余程言いづらいのか?
嫌な予感に眉根を寄せ、目の前の顔を見つめる。
しかし、愛しい人ならいざ知らず、無言で見つめ合うには、相手が不足過ぎる。
―― キツイ……!
このまま無駄に時が過ぎるのも、効率性を重んじる惟前にとって耐えられない。
チラリ――
宮津子に、促す視線を向けると意を汲んでくれたのか「お母様」と、背を押す声を掛けてくれた。
「そうね……隠しても仕方ないわね」
心細げに呟くと、夫人は顔を上げた。
「結論から言いますと、光雅の口からは何も語られていないのです。まだ話せなくて……」
「話せない? 」
頷く夫人は、事のあらましを語る。
これは、三日ほど前の話。
「こちらの若様が‼︎ 」
血相を変えた町方の者が、こんな風に叫びながら玄関先に駆け込んできた。
聞けば、光雅が喧嘩をし大怪我を負ったと言う。
家令と下男二人で飛び出して行くと、掴み合ったのか着物は着崩れ、鼻血吹き出した光雅が、ドブ板の上に転がっているではないか。
辺りを見回す家令達を見守るのは、住人のみで、狼藉者の姿はない。
皆が言うには、女を巡っての騒動だったという。
「女ぁ⁉︎ 」
「ええ、こちらも驚きました。薄汚い長屋に住む女だとか。光雅が上がり込んでいた所に、女の内縁の夫が帰宅して鉢合わせ。襲いかかったというのよ」
「まさか! 久我侯爵の従五位が、長屋住まいの女ですって⁉︎ 」
絶叫する惟前に大きく頷くのは、光雅を溺愛する夫人だ。
「翌日、詳しく話を聞きに行かせたのよ……」
再度、家令を遣わし、隣近所に聞き回らせたと言う。皆、口を揃えるのだから間違いはないだろう。
光雅は、何処かの座敷で桔梗という名の芸者を見初め言い寄ったが、相手にされなかったと言う。
どんな手を使ったのか? そこは分からないが、結果として光雅は女の家に居た。そこに内縁の夫長治が現れ、突然殴りかかったと。
「で? 長治は行方不明と……では、女は何処です? 」
「いなくなったのよ。おそらく乱暴を働いた長治に、女が光雅の正体を話したのではないかしら? 華族を殴りつけたとなると、大変なことになるわ。それで二人して逃げたと」
「なるほど、あり得ます。まずは二人を見つけ出しましょう」
「見つかるかしら? 」
「例え見つからなくとも、捜索をするという形が必要です。ただ、あちらが出てくるとは思えませんので、痛み分けとなるでしょうが……」
本人からも事情を聞きたいと申し入れたが、夫人は苦しげに首を振る。余程悪いのだろう。
「……本当に女を見初めたのなら、当家にとっては良いことよ? 数年前に想いを寄せた女が、別の人と結婚なさって気落ちしていたし。そのせいか一年前から塞ぎきって、軍にも顔を出さないのだから。ただ、夫がいる女はダメよ 」
頭が痛いと、こめかみを抑える夫人の横で「あ……」と、宮津子が声を上げる。
「そういえば、昨日女中が言っていました。お兄様が動かない手で懸命に筆をとり、ねつこ草と書いたと」
「ねつこ草? 」
「ええ、小石川辺りに薬を取りに行くと言ったら、そう書いたと。詰んでこいという意味と思い、花瓶に活けておりました」
―― ねつこ草?
難しい顔をする惟前に、宮津子が厳しい目を向ける。
「花に興味などないお兄様が、可笑しいわね。女が好きな花なのかしら? それとも、小石川辺りに潜んでいるということかしら?」
侯爵邸の間取りは頭にあるが、ここは光雅の部屋からも遠い。流行り病ならいざ知らず、刃傷沙汰ならば問題ないだろうに。
「ご容体は? 」
あからさまに不審の色が滲む声だったことから、侯爵夫人の視線は、ゆらり、ゆらり、と定まらない。
「刃傷沙汰と聞きましたが? 」
「ま、まあ! 誰がそのような……」
「司法次官清浦閣下です」
「うっ……そ、そうですか」
とぼける気満々だったのだろうが、司法次官の名前を出されたら、知らぬ存ぜぬとは言えないようで。
綿でも食っているのか? と聞きたくなるほど、モゴモゴと口を動かしている。
「もう日が暮れますね、夫人」
長い影を地面に落とす石灯籠を眺め、ぼんやりと口ずさむ。
要は「さっさと話せ」と、言うことだが伝わっていないのか? それとも言い出せないのか?
カラスの物悲しい声だけが、耳朶を震わせる。
「詳しく話してくれませんか? 」
「ええ、でも……大したことではないのよ? 」
「全部話して下さい。でなければ、お力になれません。刃傷沙汰となれば、相手方もいるのでしょう? 裁判になったら家名に傷がつく可能性がありませんか? 私は、これでも法学校を出て政府の欧州視察にも同行しております。司法官僚として顔もききます。必ずお力になれると思うのですが? 」
不名誉な事件ならば、藁にも縋る所だろうと手を差し伸べてみるが、薄紅がのる唇は開く気配がない。
―― 余程言いづらいのか?
嫌な予感に眉根を寄せ、目の前の顔を見つめる。
しかし、愛しい人ならいざ知らず、無言で見つめ合うには、相手が不足過ぎる。
―― キツイ……!
このまま無駄に時が過ぎるのも、効率性を重んじる惟前にとって耐えられない。
チラリ――
宮津子に、促す視線を向けると意を汲んでくれたのか「お母様」と、背を押す声を掛けてくれた。
「そうね……隠しても仕方ないわね」
心細げに呟くと、夫人は顔を上げた。
「結論から言いますと、光雅の口からは何も語られていないのです。まだ話せなくて……」
「話せない? 」
頷く夫人は、事のあらましを語る。
これは、三日ほど前の話。
「こちらの若様が‼︎ 」
血相を変えた町方の者が、こんな風に叫びながら玄関先に駆け込んできた。
聞けば、光雅が喧嘩をし大怪我を負ったと言う。
家令と下男二人で飛び出して行くと、掴み合ったのか着物は着崩れ、鼻血吹き出した光雅が、ドブ板の上に転がっているではないか。
辺りを見回す家令達を見守るのは、住人のみで、狼藉者の姿はない。
皆が言うには、女を巡っての騒動だったという。
「女ぁ⁉︎ 」
「ええ、こちらも驚きました。薄汚い長屋に住む女だとか。光雅が上がり込んでいた所に、女の内縁の夫が帰宅して鉢合わせ。襲いかかったというのよ」
「まさか! 久我侯爵の従五位が、長屋住まいの女ですって⁉︎ 」
絶叫する惟前に大きく頷くのは、光雅を溺愛する夫人だ。
「翌日、詳しく話を聞きに行かせたのよ……」
再度、家令を遣わし、隣近所に聞き回らせたと言う。皆、口を揃えるのだから間違いはないだろう。
光雅は、何処かの座敷で桔梗という名の芸者を見初め言い寄ったが、相手にされなかったと言う。
どんな手を使ったのか? そこは分からないが、結果として光雅は女の家に居た。そこに内縁の夫長治が現れ、突然殴りかかったと。
「で? 長治は行方不明と……では、女は何処です? 」
「いなくなったのよ。おそらく乱暴を働いた長治に、女が光雅の正体を話したのではないかしら? 華族を殴りつけたとなると、大変なことになるわ。それで二人して逃げたと」
「なるほど、あり得ます。まずは二人を見つけ出しましょう」
「見つかるかしら? 」
「例え見つからなくとも、捜索をするという形が必要です。ただ、あちらが出てくるとは思えませんので、痛み分けとなるでしょうが……」
本人からも事情を聞きたいと申し入れたが、夫人は苦しげに首を振る。余程悪いのだろう。
「……本当に女を見初めたのなら、当家にとっては良いことよ? 数年前に想いを寄せた女が、別の人と結婚なさって気落ちしていたし。そのせいか一年前から塞ぎきって、軍にも顔を出さないのだから。ただ、夫がいる女はダメよ 」
頭が痛いと、こめかみを抑える夫人の横で「あ……」と、宮津子が声を上げる。
「そういえば、昨日女中が言っていました。お兄様が動かない手で懸命に筆をとり、ねつこ草と書いたと」
「ねつこ草? 」
「ええ、小石川辺りに薬を取りに行くと言ったら、そう書いたと。詰んでこいという意味と思い、花瓶に活けておりました」
―― ねつこ草?
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