14 / 65
ねつこ草
シャボン玉
しおりを挟む
皿のように目を見開くとは、このことだろう。
惟前の睫毛は、肌を打つことを忘れ微動だにしない。
「桔梗? 」
絞り出した声に弾かれ、瞬きをした。
間違いを正すように繰り返すが、何度見ても顔が変わることはない。紛れもなく桔梗だ。
「ああ、名は違うがな。当然ながら桔梗は源氏名だ。あれは、さわちゃんの学友だった」
「どういうことだ? 」
「ここで話しても又、食い違うだろう。桔梗を連れてきてくれないか? 皆で話そう」
「いや! 無理だろう!? 芸者に敷居を跨がせる気か!? 」
「そこを何とかしなきゃ片付かないぞ? 司法省の近衛様」
「ぐ……! 」
その通りだ。早く片付けないと代言人の思う壺。「遅かったね」などと、嘲り笑われたら怒りで頭がどうにかなってしまう。
「わかった。ところでコレは、何処から入手した?」
「さわちゃんの葬式の後に、形見分けとしてもらったよ。あまり屋敷に残したくなかったのだろう、止められることもなく何品か譲り受けた」
惟前は、もう一度モノクロの写真を見つめた。
微笑む女学生は、育ちの良さが滲み出る程、上品な女だった。
柔らかい声は、今も耳朶に残る。法学校へ入学することが決まったことを受け、衍子は言った。
「法学校だなんて凄いわね。将来は外務省かしら? いいえ、違うわね。きっと司法省! ね、司法省の近衛様」
眼前が滲んだ。
みるみるうちに何もかも見えなくなり、頬を伝う涙が握りしめる拳を濡らす。
光雅は、どんな顔をして泣く友を見ているのか? いや、見ないでいてくれているのか?
確かめることを諦める程の涙を情けなく思う。
「海を渡りたいと願ったさわちゃんは、結婚によって道を断たれた。それを横目に私は、留学したんだ。どんな気持ちだったのか……」
「喜んだに決まっているだろう? さわちゃんは、君の夢を知っていたんだから。叶える為にはベストな選択だ」
盆に置かれた真っさらな手拭いを惟前に投げやると、衍子へ視線を落とした。
「ああすれば、こうすれば……誰しも後悔はある。僕は、何故もっと早く前田侯爵へ縁談を持ち込まなかったのか……」
「君の優しさだろう。さわちゃんの夢を知っていたから」
「ああ、馬鹿な優しさだった」
「私は、そういう優しさが好きだよ。自分より相手を想い、身を引くことも素晴らしいだろう? 」
「慰めか? それとも身に覚えでもあるのか? 」
「さぁね……」
思わせぶりな態度だが光雅は、追求しなかった。二つの額を眼前の友へ向ける。
「形見分け。この写真でもいいし、手鏡もある」
「いや。出国時に着物一揃え頂いたんだ。それで十分だよ」
一針一針、無事を祈り、縫い上げたと言う衍子は「一緒に海を渡らせて」と、押し付けてきた。
近衛本家の若奥様となっが、一人の学友として一生懸命、餞別を考えてくれたようだ。
若かりし頃、互いに語った夢は大きく、シャボンのように弾ける淡いものだったが、天を突き抜けるほど高く、広く、そして青い春を謳歌する日々は、三人にとって、かけがえのないものだった。
道別れたのは、十五の年。
惟前は司法省法学校へ、光雅は学習院に残った。そして衍子は、海外どころか学ぶ権利も取り上げられ、嫁ぐことが決まった――。
桃の節句、白い顔のお雛様と同様、指先まで真っ白のお嫁様は、綿帽子の下でどんな顔をしていたのか。
記憶を辿っても、シャボン玉のように不確かに揺れ、朧気な光の屈折が邪魔をする。
「さわちゃんが夢を諦めたのは、近衛との縁談だったろ? そこに欧州視察の話が決まった。罪悪感に押し潰されそうだったよ。さわちゃんの夢を取り上げて私が、横取りしたような錯覚を覚えた」
「そんな馬鹿な……我が事のように喜んでいただろう? 」
「ああ、とても。帰国したら一番に駆けつけて、土産話をすると約束したんだ。まさか、いなくなるとは思わなかった。しかも、新しい若奥様がすでにいて……言葉も出なかったよ」
光雅も、すぐに再婚した近衛公爵に怒りを覚えたはずだ。夢を捨てた結果がこれか――と。
一年程前から塞ぎ込んで、軍にも顔を出さない光雅は、その死を受け入れるのが、難しかったのだろう。
―― 桔梗が、光雅君の心を支えてくれる存在ならば、この件は穏便に収めるのが得策かもしれない……。
久我侯爵家の若奥様の兄が、開拓地で農業をやっているというのは、問題だ。
先の目的が定まれば、そこに至るまでの計画は瞬時に思いつく。惟前は、桔梗を預かる羽倉崎に、電話を掛けた。
惟前の睫毛は、肌を打つことを忘れ微動だにしない。
「桔梗? 」
絞り出した声に弾かれ、瞬きをした。
間違いを正すように繰り返すが、何度見ても顔が変わることはない。紛れもなく桔梗だ。
「ああ、名は違うがな。当然ながら桔梗は源氏名だ。あれは、さわちゃんの学友だった」
「どういうことだ? 」
「ここで話しても又、食い違うだろう。桔梗を連れてきてくれないか? 皆で話そう」
「いや! 無理だろう!? 芸者に敷居を跨がせる気か!? 」
「そこを何とかしなきゃ片付かないぞ? 司法省の近衛様」
「ぐ……! 」
その通りだ。早く片付けないと代言人の思う壺。「遅かったね」などと、嘲り笑われたら怒りで頭がどうにかなってしまう。
「わかった。ところでコレは、何処から入手した?」
「さわちゃんの葬式の後に、形見分けとしてもらったよ。あまり屋敷に残したくなかったのだろう、止められることもなく何品か譲り受けた」
惟前は、もう一度モノクロの写真を見つめた。
微笑む女学生は、育ちの良さが滲み出る程、上品な女だった。
柔らかい声は、今も耳朶に残る。法学校へ入学することが決まったことを受け、衍子は言った。
「法学校だなんて凄いわね。将来は外務省かしら? いいえ、違うわね。きっと司法省! ね、司法省の近衛様」
眼前が滲んだ。
みるみるうちに何もかも見えなくなり、頬を伝う涙が握りしめる拳を濡らす。
光雅は、どんな顔をして泣く友を見ているのか? いや、見ないでいてくれているのか?
確かめることを諦める程の涙を情けなく思う。
「海を渡りたいと願ったさわちゃんは、結婚によって道を断たれた。それを横目に私は、留学したんだ。どんな気持ちだったのか……」
「喜んだに決まっているだろう? さわちゃんは、君の夢を知っていたんだから。叶える為にはベストな選択だ」
盆に置かれた真っさらな手拭いを惟前に投げやると、衍子へ視線を落とした。
「ああすれば、こうすれば……誰しも後悔はある。僕は、何故もっと早く前田侯爵へ縁談を持ち込まなかったのか……」
「君の優しさだろう。さわちゃんの夢を知っていたから」
「ああ、馬鹿な優しさだった」
「私は、そういう優しさが好きだよ。自分より相手を想い、身を引くことも素晴らしいだろう? 」
「慰めか? それとも身に覚えでもあるのか? 」
「さぁね……」
思わせぶりな態度だが光雅は、追求しなかった。二つの額を眼前の友へ向ける。
「形見分け。この写真でもいいし、手鏡もある」
「いや。出国時に着物一揃え頂いたんだ。それで十分だよ」
一針一針、無事を祈り、縫い上げたと言う衍子は「一緒に海を渡らせて」と、押し付けてきた。
近衛本家の若奥様となっが、一人の学友として一生懸命、餞別を考えてくれたようだ。
若かりし頃、互いに語った夢は大きく、シャボンのように弾ける淡いものだったが、天を突き抜けるほど高く、広く、そして青い春を謳歌する日々は、三人にとって、かけがえのないものだった。
道別れたのは、十五の年。
惟前は司法省法学校へ、光雅は学習院に残った。そして衍子は、海外どころか学ぶ権利も取り上げられ、嫁ぐことが決まった――。
桃の節句、白い顔のお雛様と同様、指先まで真っ白のお嫁様は、綿帽子の下でどんな顔をしていたのか。
記憶を辿っても、シャボン玉のように不確かに揺れ、朧気な光の屈折が邪魔をする。
「さわちゃんが夢を諦めたのは、近衛との縁談だったろ? そこに欧州視察の話が決まった。罪悪感に押し潰されそうだったよ。さわちゃんの夢を取り上げて私が、横取りしたような錯覚を覚えた」
「そんな馬鹿な……我が事のように喜んでいただろう? 」
「ああ、とても。帰国したら一番に駆けつけて、土産話をすると約束したんだ。まさか、いなくなるとは思わなかった。しかも、新しい若奥様がすでにいて……言葉も出なかったよ」
光雅も、すぐに再婚した近衛公爵に怒りを覚えたはずだ。夢を捨てた結果がこれか――と。
一年程前から塞ぎ込んで、軍にも顔を出さない光雅は、その死を受け入れるのが、難しかったのだろう。
―― 桔梗が、光雅君の心を支えてくれる存在ならば、この件は穏便に収めるのが得策かもしれない……。
久我侯爵家の若奥様の兄が、開拓地で農業をやっているというのは、問題だ。
先の目的が定まれば、そこに至るまでの計画は瞬時に思いつく。惟前は、桔梗を預かる羽倉崎に、電話を掛けた。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
Pomegranate I
Uta Katagi
恋愛
婚約者の彼が突然この世を去った。絶望のどん底にいた詩に届いた彼からの謎のメッセージ。クラウド上に残されたファイルのパスワードと貸金庫の暗証番号のミステリーを解いた後に、詩が手に入れたものは?世代を超えて永遠の愛を誓った彼が遺したこの世界の驚愕の真理とは?詩は本当に彼と再会できるのか?
古代から伝承されたこの世界の秘密が遂に解き明かされる。最新の量子力学という現代科学の視点で古代ミステリーを暴いた長編ラブロマンス。これはもはや、ファンタジーの域を越えた究極の愛の物語。恋愛に憧れ愛の本質に悩み戸惑う人々に真実の愛とは何かを伝える作者渾身の超大作。
*本作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる