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赤レンガの学舎にて
壱
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矢絣に海老茶袴をつけた女学生は、赤煉瓦の門柱の前で、真っ直ぐに伸びる道を眺めていた。
背にするのは、華族女学校。
秋晴れの中、家の者を伴い歩く海老茶式部の軽快な足取りは、普段閉鎖的な女学校では見られないものだ。
授業参観でさえ許可制なのだから、今日のように親兄弟を連れだって門をくぐる催しは、初めてではないだろうか。
宮津子は、ぼんやりと司法省の方角を眺めながら、昨日の夕食時を思い出していた。
由緒ある久我侯爵家は、光雅という跡取りがおり、曇る未来など微塵もなかった。
しかし、不運の渦に巻き込まれるのは、誰しも予想できるものではない。
狼藉者に襲われた光雅は、容体芳しくなく、一時は諦めかけたのだが、懸命な介抱により奇跡的に快復した。
そんな従五位に、皆が歓喜したのは言うまでもない。
ところが何を考えているのか、学生時分親しかったという女を追いかけ、家を飛び出してしまったのだ。
その上、家の金まで持ち出したものだから、久我侯爵は、血管が切れんばかりの大激怒!
取りなす夫人の言葉にも耳を傾けることもなく、逆に光雅のテルでも言おうものなら煙管が飛んでくる始末。
これは、廃嫡やむなし。
侯爵家の跡継ぎ問題が再度、燻り出した。
華族の養子縁組は、相手が華族であること。
もしくは男系の身内という決まりがある。
娘婿として継がせることを念頭に置く侯爵夫妻の頭には、一人の男が最有力としてあった。
夫人は、箸を置くと静かに切り出す。
「宮津子さん、明日の催しは惟前さんと、ご一緒しなさいな」
「え!? お母様は……」
「女学校のお祭りですもの。興味はありますが、惟前さんが良いでしょう」
「何故です? 」
ポッと頬を染める娘に、落とす必要のない声を落とし、夫人はヒソヒソと継ぐ。
「小耳に挟んだのですが……近衛家では、そろそろ惟前さんのお相手を――と、考えているそうよ? 」
「え⁉︎ 」
その一言に、染まった頬から血の気が引いた。
近衛とは、公家の筆頭と自他共に認める旧摂関家。
いくつも枝分かれした家系の一つ、近衛子爵家の三男が惟前だ。
比較的自由の身で一年程前には、官の欧州視察へ同行した司法官僚。
掃いて捨てるほどの縁談が舞い込むのは、想像できたが、結婚のケの字も無いような惟前だ、本人にその気があるとは思えない。
「近衛子爵家でお相手を探すと言うことは、あちらのご夫妻が決めてしまわれたら惟前さんは、首を縦に振るしかないのよ? 」
「うっ……」
言葉に詰まる宮津子に夫人は、畳み掛ける。
「よろしいの? 貴女、昔から慕っていたじゃない。隠している場合ではありません、女学校を共に歩くことで惟前さんのお相手は、久我家だと分からせておやりなさい」
「でも……来て下さるかしら? 」
「もうお願い致しました。ブツブツ仰っていたけれど、知ったことではありません。ああいう殿方は、無茶を言って押し通した方が手っ取り早いのです」
鼻息荒い母に驚きはしたが、反論などなかった。
七つ上の惟前は、幼少の頃から遊び相手になってくれた。
宮津子も懐くものだから、皆から「惟前様のお嫁さま」などと呼ばれ、そうなるものと勝手に思っていた時期もあった。
それが一変したのは、些細な出来事。
「よく撮れているだろう?」
ある日、光雅が差し出した一枚の写真。
左右に光雅と惟前、真ん中の椅子には柔らかく微笑む女学生が座っていた。
造形は、美しいとは思わなかった。だが不思議と、四方に散らばる様な上品さがあった。
その時、自分の知らない所で女性と写真を撮った惟前に嫌悪感を抱いてしまったのだ。
今思えば、馬鹿馬鹿しい悋気なのだが、一度芽吹いたものは、なかなか枯れない。
十程の娘なのだから、仕方がないのかもしれないが、ハッキリしているのは他の女に取られたくないという感情。
これは、今も変わらなかった――
「…………ん、宮津子さん! 」
「きゃぁ‼︎ 」
突然、耳元で名前を呼ばれ、飛び上がる宮津子を不審な者でも見るかのように覗き込むのは、今の今まで待ち侘びていた惟前だ。
黒のフロックコートに、目の覚める様な青タイがよく似合う。袴姿ではない為、司法省からやってきたのだろう。
「何をぼんやりしているのです? 」
囁く声は、細波のように心をざわつかせた。
昨晩、聞いた縁談話が平常を保つのを邪魔しているのだが、狼狽える訳にはいかない。
グッと、身体に力を込める。
「惟前さん、ようこそ。いえ、本当に来て下さるのかしら? と心配で……」
「……ああ、遅れてすみません。何分、急に駆り出されたもので、仕事を切り上げるのに手間が掛かって」
会釈を交わすと自然と横に並ぶ。
「初の試みらしいですね? 女学校で日頃の勉学の成果を披露する催しは」
「ええ。実は、私もよくわからないのです。皆様、鹿鳴館のバザーのようなものかしら? と、お話をしつつ、学友の駒子さんは寺子屋で行われる天神講みたいな感じではないかと仰る」
自然と会話が続き、ホッと胸を撫で下ろす。
「興味深いですね」などと、笑っているが自分が婿がねとして狙われているとは、想像もしていないのだろう。
気取られるわけにはいかない。
「養子⁉︎ 冗談じゃない! 」などと、逃げ帰られたら恥だ。
背にするのは、華族女学校。
秋晴れの中、家の者を伴い歩く海老茶式部の軽快な足取りは、普段閉鎖的な女学校では見られないものだ。
授業参観でさえ許可制なのだから、今日のように親兄弟を連れだって門をくぐる催しは、初めてではないだろうか。
宮津子は、ぼんやりと司法省の方角を眺めながら、昨日の夕食時を思い出していた。
由緒ある久我侯爵家は、光雅という跡取りがおり、曇る未来など微塵もなかった。
しかし、不運の渦に巻き込まれるのは、誰しも予想できるものではない。
狼藉者に襲われた光雅は、容体芳しくなく、一時は諦めかけたのだが、懸命な介抱により奇跡的に快復した。
そんな従五位に、皆が歓喜したのは言うまでもない。
ところが何を考えているのか、学生時分親しかったという女を追いかけ、家を飛び出してしまったのだ。
その上、家の金まで持ち出したものだから、久我侯爵は、血管が切れんばかりの大激怒!
取りなす夫人の言葉にも耳を傾けることもなく、逆に光雅のテルでも言おうものなら煙管が飛んでくる始末。
これは、廃嫡やむなし。
侯爵家の跡継ぎ問題が再度、燻り出した。
華族の養子縁組は、相手が華族であること。
もしくは男系の身内という決まりがある。
娘婿として継がせることを念頭に置く侯爵夫妻の頭には、一人の男が最有力としてあった。
夫人は、箸を置くと静かに切り出す。
「宮津子さん、明日の催しは惟前さんと、ご一緒しなさいな」
「え!? お母様は……」
「女学校のお祭りですもの。興味はありますが、惟前さんが良いでしょう」
「何故です? 」
ポッと頬を染める娘に、落とす必要のない声を落とし、夫人はヒソヒソと継ぐ。
「小耳に挟んだのですが……近衛家では、そろそろ惟前さんのお相手を――と、考えているそうよ? 」
「え⁉︎ 」
その一言に、染まった頬から血の気が引いた。
近衛とは、公家の筆頭と自他共に認める旧摂関家。
いくつも枝分かれした家系の一つ、近衛子爵家の三男が惟前だ。
比較的自由の身で一年程前には、官の欧州視察へ同行した司法官僚。
掃いて捨てるほどの縁談が舞い込むのは、想像できたが、結婚のケの字も無いような惟前だ、本人にその気があるとは思えない。
「近衛子爵家でお相手を探すと言うことは、あちらのご夫妻が決めてしまわれたら惟前さんは、首を縦に振るしかないのよ? 」
「うっ……」
言葉に詰まる宮津子に夫人は、畳み掛ける。
「よろしいの? 貴女、昔から慕っていたじゃない。隠している場合ではありません、女学校を共に歩くことで惟前さんのお相手は、久我家だと分からせておやりなさい」
「でも……来て下さるかしら? 」
「もうお願い致しました。ブツブツ仰っていたけれど、知ったことではありません。ああいう殿方は、無茶を言って押し通した方が手っ取り早いのです」
鼻息荒い母に驚きはしたが、反論などなかった。
七つ上の惟前は、幼少の頃から遊び相手になってくれた。
宮津子も懐くものだから、皆から「惟前様のお嫁さま」などと呼ばれ、そうなるものと勝手に思っていた時期もあった。
それが一変したのは、些細な出来事。
「よく撮れているだろう?」
ある日、光雅が差し出した一枚の写真。
左右に光雅と惟前、真ん中の椅子には柔らかく微笑む女学生が座っていた。
造形は、美しいとは思わなかった。だが不思議と、四方に散らばる様な上品さがあった。
その時、自分の知らない所で女性と写真を撮った惟前に嫌悪感を抱いてしまったのだ。
今思えば、馬鹿馬鹿しい悋気なのだが、一度芽吹いたものは、なかなか枯れない。
十程の娘なのだから、仕方がないのかもしれないが、ハッキリしているのは他の女に取られたくないという感情。
これは、今も変わらなかった――
「…………ん、宮津子さん! 」
「きゃぁ‼︎ 」
突然、耳元で名前を呼ばれ、飛び上がる宮津子を不審な者でも見るかのように覗き込むのは、今の今まで待ち侘びていた惟前だ。
黒のフロックコートに、目の覚める様な青タイがよく似合う。袴姿ではない為、司法省からやってきたのだろう。
「何をぼんやりしているのです? 」
囁く声は、細波のように心をざわつかせた。
昨晩、聞いた縁談話が平常を保つのを邪魔しているのだが、狼狽える訳にはいかない。
グッと、身体に力を込める。
「惟前さん、ようこそ。いえ、本当に来て下さるのかしら? と心配で……」
「……ああ、遅れてすみません。何分、急に駆り出されたもので、仕事を切り上げるのに手間が掛かって」
会釈を交わすと自然と横に並ぶ。
「初の試みらしいですね? 女学校で日頃の勉学の成果を披露する催しは」
「ええ。実は、私もよくわからないのです。皆様、鹿鳴館のバザーのようなものかしら? と、お話をしつつ、学友の駒子さんは寺子屋で行われる天神講みたいな感じではないかと仰る」
自然と会話が続き、ホッと胸を撫で下ろす。
「興味深いですね」などと、笑っているが自分が婿がねとして狙われているとは、想像もしていないのだろう。
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