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4章 女の子声での配信生活
39話 優花の様子がおかしい
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「……兄さん」
「?」
ある朝。
僕にとっては不定期に訪れる、けれども世間一般と太陽の位置としては定期的な朝の時間。
いつもの優花との会話。
「……風邪。もう治りましたよね」
「え? あ、うん」
「カゼを引いてる」っていう言い訳をすっかり忘れてたのを寸前で飲み込む。
大丈夫、すっかり忘れていただけで、嘘は吐いていない……はず。
大丈夫だよね?
「………………………………」
「本当に大丈夫。ほら、声とか元通りでしょ?」
違和感あったかな。
いや、でも声質的には配信でのそれで問題ないって判断してるんだけども。
「家事も、最近はすっかり元通りにしてくれていますよね」
「うん。何か足りなかった? トイレとか、何日か前に掃除したつもりだったけど」
僕たちニートは、雇い主もとい養い主の不満を速やかに解決せねばならない義務を負う。
さもなくば「就職して?」っていう最後通牒を突きつけられるんだ。
「いえ……そうではなくてですね」
うん?
優花が……かなり言いづらそうにしてる?
「……夜中の散歩で、外の空気を吸うのと体を動かす日課。風邪を引いてから……もう、かなりしていませんよね」
「あっ」
やばい。
「さすがにそろそろ体だけでも動かしてもらわないと」
「え、えっと、へ、部屋の中でダンベルと踏み台程度は……」
「リビングのサイクルマシンは?」
「あ、えっと」
「それよりも、外に出ないと……兄さんなら分かっていますよね?」
やばい。
優花が理詰めモードに入っている……これは本気だ。
優花に嘘は吐かない――必要のない明確なものは――って決めてるし約束してるから、この体のこと以外で嘘は言っていない。
ときたま体を鍛えたくなる衝動で揃えたダンベルとか、その場でふみふみできる踏み台とか、場所を取らなくて手軽だから部屋に置いているそれらは――男のときの何分の1しかできなくとも、ちゃんとやっている。
けども――体のサイズ的にどうあがこうと無理だったサイクルマシンには触れていない。
あれは使った記録が残るし、なにより優花も使っているからイスの高さでバレているんだろう。
まずいまずい。
「無理にとは言っていません。……けれども、理由を作ってでも外に出ないと」
「
自分から出ようって思っても出られなくなる重症の引きこもりになる……うん、分かって――」
「――――――――何か。出られない理由。あるんですか?」
「ひゅっ」
僕の幼くなった目元から涙があふれ出す。
僕の幼くなった口元が歪み、カラカラになる。
「……ひっ、ひっ……」
僕の横隔膜は勝手に痙攣を始め、気持ちはどんどん悲しさと気持ち悪さと恐怖に包まれていく。
「……ごめんなさい、兄さんに当たってしまいました」
あれ?
優花の声が一瞬で元に戻っている。
「……その。体調が悪い時期でして……あの、風邪とかではなくてですね……」
「あー……うん、僕こそごめん、ずっとサボってて」
優花は――女性としての宿命である、生理ってのが重い体質らしい。
兄妹とはいえ男女、しかも歳が離れていてさらには彼女の方が年下だから、こういう話題はとても気まずい。
けども女性の、生物としての性別的な機能のせいで――僕たち男には無い代わりに「命」を生み出すっていう唯一無二なそれのせいで、女性たちは中学生くらいから毎月、つらい思いをしている。
優花は月によっては学校を休んで寝込むレベルだから、そんな気まずさとかの前に、彼女が中学のときからそれを伝えられている。
さすがに中学に入るあたりから毎月何日か、顔が真っ青になって食も細くなり、笑顔もなくなったりするしトドメに僕の前で吐いたりすれば……言うしかなかったんだろう。
彼女は――かつての同級生いわく「気分とか体調で『兄貴キモいウザい臭いモテないのは死ね』って言ってこない……うぅ……素晴らしい存在なんだ。お前はその幸運をかみしめろ。ところで優花ちゃん、最近バストサイズ……待て、誤解だ、俺はただ――」などと言われるくらいに、稀少な存在らしい。
全員が全員でないにしても、女性は女子の段階から体のせいで気分のアップダウンが激しい。
でも、優花はそういうタイプではない。
「……うん、そうだね。最近サボってた。できそうになったらまた外に出るよ」
「分かりました。無理はしなくて構いませんので」
まぁ最近はこの体にも慣れたし、薄暗い時間帯なら外に出てもバレないだろうし。
良い子な優花は夜中に起きないし、問題はないはずだし。
「本当に……すん……無理は……すん……」
「? どうかしたのか?」
「!? い、いえ! それでは学校の準備をしてきます!」
「………………………………?」
たったったっと彼女が廊下を後にする足音は、珍しく急いでいた。
……けども、特に最後の方……なんか声が妙に近かった気がしたけども……気のせいかな。
◇
「……ふぅ。――――――――兄さんの匂いが、9割減」
ぱたん。
自室のドアを閉めた優花は、胸元で片手を握りしめ、呟く。
「――――――――そして、知らない女の匂いが9割増」
彼女の声は、氷点下まで落ちる。
「年齢は小学生ほど――つまりは小学生女子。制汗剤や香水の成分はなく……だから外から来た泥棒猫だったとしても、色香で堕としたわけではない……そもそも兄さんは、そんな色仕掛けに堕ちるような人ではない……」
彼女の口元は、冷静な分析を奏でる。
「シャンプーの匂い……兄さんと私が使っているものと同じ……でも、風呂上がりだったり『髪が私以上に長くないと残らない』レベルまで濃い……はぁ……」
彼女は部屋を歩き、机の上のタブレットを前にする。
「――やはり、かすかではありましたが『兄さん以外の女の声』がかすかに聞こえました」
彼女の目は、見るものを凍らせる温度になっている。
「声質までは……危険すぎたので、あれ以上ドアに近づけませんでしたが」
彼女は「こはねちゃん」のアーカイブ画面を操作し、通学時間に聞く予定だった「数時間前」の再生画面を見る。
――薄紫の髪を伸ばした少女。
Vtuberとしてのアバター。
「兄」の性癖だろうと、それを発見して以来――横髪を伸ばし、そろそろお揃いの三つ編みを前に垂らすファッションができると喜んでいた、憧れの姿。
「………………………………」
――メールの受信画面。
毛髪の分析結果。
『DNA』の――彼女との繋がりのない存在の、実在。
「けれど……んっ……」
彼女のもう片手が、体の一部から離される。
「――先ほどの匂いでも、この声でも興奮できました」
彼女の声は、高温多湿の性質を帯びている。
「科学的な事実よりも、直感を信じるべき――特に恋愛においては」
彼女の思考は、支配されている。
「つまり、あのドアの向こうに居たのは確実に兄さん。兄さんと同じ産道を通って生まれてきた私の本能が示しているのだから、間違えるはずはありません……んっ」
そして数分間――彼女の周囲の重力が、無限大になる。
「……ふぅ」
彼女は満足し、スカートを直し、少し着崩れた制服を鏡の前で直す。
「――――――兄さん。配信。嘔吐。酒。躁鬱の内の躁の時期独特のテンションや軽口。ドッキリ企画。子供のように……んっ……ギャン泣き。そして――――――『TS』」
彼女のスマホの画面には「TS――性転換が現実的にあるのかどうか」という問いに対する答え。
それは、部分的に人類を超えた存在による「否」の回答。
しかし、別のメールの画面には『或いは』という見解の綴られたレポート。
「……私は、兄さんの妹。血の繋がりさえなければ、兄さんの倫理観がなければ――私自身の歯止めが緩ければ。そう、何千回と後悔したはずの気持ち」
彼女の目は――「彼女の兄」が見ていたら、その場に座り込んで盛大に漏らしながら泣きじゃくること必至な覚悟をたたえていて。
「それが、もし。もし。――――――もし、『根本』から変わっているのだとしたら。いえ、そうでなくとも――――――『万が一にでも子供ができない』のなら。生物的な問題も倫理的な問題も感情的な問題も世間体的な問題も……母さんも父さんも、そして兄さん自身も拒む理由が、この世界になにひとつ存在しなくなる――――――――うふ、うふふふふふふふふふふふふ……」
彼女は、数十秒間――呼吸すら忘れて笑った。
「………………………………ふぅ。いけません。まずは、そうだとしたら兄さん自身が相当困っているはず」
かつての兄を思い浮かべた妹は、「風邪で配信を休んだ始めの日」の前日のアーカイブを探し――そこのコメント欄を、ひとりずつピックアップしていく。
「……兄さんが心を許している人たち。古参と呼ばれていて、悪意のないはずの人たち。彼らなら――」
「?」
ある朝。
僕にとっては不定期に訪れる、けれども世間一般と太陽の位置としては定期的な朝の時間。
いつもの優花との会話。
「……風邪。もう治りましたよね」
「え? あ、うん」
「カゼを引いてる」っていう言い訳をすっかり忘れてたのを寸前で飲み込む。
大丈夫、すっかり忘れていただけで、嘘は吐いていない……はず。
大丈夫だよね?
「………………………………」
「本当に大丈夫。ほら、声とか元通りでしょ?」
違和感あったかな。
いや、でも声質的には配信でのそれで問題ないって判断してるんだけども。
「家事も、最近はすっかり元通りにしてくれていますよね」
「うん。何か足りなかった? トイレとか、何日か前に掃除したつもりだったけど」
僕たちニートは、雇い主もとい養い主の不満を速やかに解決せねばならない義務を負う。
さもなくば「就職して?」っていう最後通牒を突きつけられるんだ。
「いえ……そうではなくてですね」
うん?
優花が……かなり言いづらそうにしてる?
「……夜中の散歩で、外の空気を吸うのと体を動かす日課。風邪を引いてから……もう、かなりしていませんよね」
「あっ」
やばい。
「さすがにそろそろ体だけでも動かしてもらわないと」
「え、えっと、へ、部屋の中でダンベルと踏み台程度は……」
「リビングのサイクルマシンは?」
「あ、えっと」
「それよりも、外に出ないと……兄さんなら分かっていますよね?」
やばい。
優花が理詰めモードに入っている……これは本気だ。
優花に嘘は吐かない――必要のない明確なものは――って決めてるし約束してるから、この体のこと以外で嘘は言っていない。
ときたま体を鍛えたくなる衝動で揃えたダンベルとか、その場でふみふみできる踏み台とか、場所を取らなくて手軽だから部屋に置いているそれらは――男のときの何分の1しかできなくとも、ちゃんとやっている。
けども――体のサイズ的にどうあがこうと無理だったサイクルマシンには触れていない。
あれは使った記録が残るし、なにより優花も使っているからイスの高さでバレているんだろう。
まずいまずい。
「無理にとは言っていません。……けれども、理由を作ってでも外に出ないと」
「
自分から出ようって思っても出られなくなる重症の引きこもりになる……うん、分かって――」
「――――――――何か。出られない理由。あるんですか?」
「ひゅっ」
僕の幼くなった目元から涙があふれ出す。
僕の幼くなった口元が歪み、カラカラになる。
「……ひっ、ひっ……」
僕の横隔膜は勝手に痙攣を始め、気持ちはどんどん悲しさと気持ち悪さと恐怖に包まれていく。
「……ごめんなさい、兄さんに当たってしまいました」
あれ?
優花の声が一瞬で元に戻っている。
「……その。体調が悪い時期でして……あの、風邪とかではなくてですね……」
「あー……うん、僕こそごめん、ずっとサボってて」
優花は――女性としての宿命である、生理ってのが重い体質らしい。
兄妹とはいえ男女、しかも歳が離れていてさらには彼女の方が年下だから、こういう話題はとても気まずい。
けども女性の、生物としての性別的な機能のせいで――僕たち男には無い代わりに「命」を生み出すっていう唯一無二なそれのせいで、女性たちは中学生くらいから毎月、つらい思いをしている。
優花は月によっては学校を休んで寝込むレベルだから、そんな気まずさとかの前に、彼女が中学のときからそれを伝えられている。
さすがに中学に入るあたりから毎月何日か、顔が真っ青になって食も細くなり、笑顔もなくなったりするしトドメに僕の前で吐いたりすれば……言うしかなかったんだろう。
彼女は――かつての同級生いわく「気分とか体調で『兄貴キモいウザい臭いモテないのは死ね』って言ってこない……うぅ……素晴らしい存在なんだ。お前はその幸運をかみしめろ。ところで優花ちゃん、最近バストサイズ……待て、誤解だ、俺はただ――」などと言われるくらいに、稀少な存在らしい。
全員が全員でないにしても、女性は女子の段階から体のせいで気分のアップダウンが激しい。
でも、優花はそういうタイプではない。
「……うん、そうだね。最近サボってた。できそうになったらまた外に出るよ」
「分かりました。無理はしなくて構いませんので」
まぁ最近はこの体にも慣れたし、薄暗い時間帯なら外に出てもバレないだろうし。
良い子な優花は夜中に起きないし、問題はないはずだし。
「本当に……すん……無理は……すん……」
「? どうかしたのか?」
「!? い、いえ! それでは学校の準備をしてきます!」
「………………………………?」
たったったっと彼女が廊下を後にする足音は、珍しく急いでいた。
……けども、特に最後の方……なんか声が妙に近かった気がしたけども……気のせいかな。
◇
「……ふぅ。――――――――兄さんの匂いが、9割減」
ぱたん。
自室のドアを閉めた優花は、胸元で片手を握りしめ、呟く。
「――――――――そして、知らない女の匂いが9割増」
彼女の声は、氷点下まで落ちる。
「年齢は小学生ほど――つまりは小学生女子。制汗剤や香水の成分はなく……だから外から来た泥棒猫だったとしても、色香で堕としたわけではない……そもそも兄さんは、そんな色仕掛けに堕ちるような人ではない……」
彼女の口元は、冷静な分析を奏でる。
「シャンプーの匂い……兄さんと私が使っているものと同じ……でも、風呂上がりだったり『髪が私以上に長くないと残らない』レベルまで濃い……はぁ……」
彼女は部屋を歩き、机の上のタブレットを前にする。
「――やはり、かすかではありましたが『兄さん以外の女の声』がかすかに聞こえました」
彼女の目は、見るものを凍らせる温度になっている。
「声質までは……危険すぎたので、あれ以上ドアに近づけませんでしたが」
彼女は「こはねちゃん」のアーカイブ画面を操作し、通学時間に聞く予定だった「数時間前」の再生画面を見る。
――薄紫の髪を伸ばした少女。
Vtuberとしてのアバター。
「兄」の性癖だろうと、それを発見して以来――横髪を伸ばし、そろそろお揃いの三つ編みを前に垂らすファッションができると喜んでいた、憧れの姿。
「………………………………」
――メールの受信画面。
毛髪の分析結果。
『DNA』の――彼女との繋がりのない存在の、実在。
「けれど……んっ……」
彼女のもう片手が、体の一部から離される。
「――先ほどの匂いでも、この声でも興奮できました」
彼女の声は、高温多湿の性質を帯びている。
「科学的な事実よりも、直感を信じるべき――特に恋愛においては」
彼女の思考は、支配されている。
「つまり、あのドアの向こうに居たのは確実に兄さん。兄さんと同じ産道を通って生まれてきた私の本能が示しているのだから、間違えるはずはありません……んっ」
そして数分間――彼女の周囲の重力が、無限大になる。
「……ふぅ」
彼女は満足し、スカートを直し、少し着崩れた制服を鏡の前で直す。
「――――――兄さん。配信。嘔吐。酒。躁鬱の内の躁の時期独特のテンションや軽口。ドッキリ企画。子供のように……んっ……ギャン泣き。そして――――――『TS』」
彼女のスマホの画面には「TS――性転換が現実的にあるのかどうか」という問いに対する答え。
それは、部分的に人類を超えた存在による「否」の回答。
しかし、別のメールの画面には『或いは』という見解の綴られたレポート。
「……私は、兄さんの妹。血の繋がりさえなければ、兄さんの倫理観がなければ――私自身の歯止めが緩ければ。そう、何千回と後悔したはずの気持ち」
彼女の目は――「彼女の兄」が見ていたら、その場に座り込んで盛大に漏らしながら泣きじゃくること必至な覚悟をたたえていて。
「それが、もし。もし。――――――もし、『根本』から変わっているのだとしたら。いえ、そうでなくとも――――――『万が一にでも子供ができない』のなら。生物的な問題も倫理的な問題も感情的な問題も世間体的な問題も……母さんも父さんも、そして兄さん自身も拒む理由が、この世界になにひとつ存在しなくなる――――――――うふ、うふふふふふふふふふふふふ……」
彼女は、数十秒間――呼吸すら忘れて笑った。
「………………………………ふぅ。いけません。まずは、そうだとしたら兄さん自身が相当困っているはず」
かつての兄を思い浮かべた妹は、「風邪で配信を休んだ始めの日」の前日のアーカイブを探し――そこのコメント欄を、ひとりずつピックアップしていく。
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