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10章 「綾瀬直羽/こはね」
131話 「外」へ
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「――――――はっはっは」
風景が、流れる。
「はっはっはっ」
僕は、全身の筋肉という筋肉を1本ずつ意識して動かす。
「はっはっはっ――」
正直、吐きそうなくらいに疲れている。
けども。
「……あはは」
幹線道路沿いの大通り――本来なら両脇のビルしか目に入らない場所。
でも、今の僕は子供なんだ。
だから、
「――――――そらが、きれい」
低い目線から見上げる、青い空。
目に染みるくらいの光が、僕の目の前に広がっている。
背が低くって、だから必然上を見上げるから。
こんな綺麗な光景は、きっと子供のころ以来で――だから。
「もう駄目だ……おろろろろ」
「うわ、汚ぇこいつ」
「はぁ、はぁっ……な、なんであのガキ、俺たちより走れるんだよ……子供より大人の方がスタミナあるとか、おかしいだろ……」
【がんばれ】
【がんばれ】
【女の子、がんばれ】
【こはるちゃん? 残り5人だよ もうちょっとだよ】
【こはねちゃんだぞ】
【こはねちゃん……かわいい名前 登録しないと】
【え、すごくない……? 正直仕込みかと思ってたけど、もう何十分も、たったのひとりで】
【さっきは野良の学生集団に保護されてたけど、1人で走りだして】
【ああ、TLで流れてきた経緯見て知ったわ】
【人見知りで怖がりで、だからVtuberとして顔も正体も隠してたって】
【何年か前に何かあって引きこもってたけど、お姉さんたちのために走ってるって】
【引きこもりなのに……突然のピンチになったからって、もう2キロくらい成人男性たちからマラソンで逃げてる女の子とか、応援するしかないでしょ】
【何回転びかけても起き上がってる子なんて……】
【体幹も運動神経も なにより、心が強いよね】
【本当にすごいよね】
【――さんの配信なのに――さんの応援が誰1人居なくって草】
【そりゃあバズ狙いの配信者と、そこから逃げてる小さな子 どっちを応援するかだよ】
【かわいいは正義】
【健気は正義】
【炎上狙い数十人と、たった1人の逃走劇 普通なら、もちろん――】
【今脱落したから、あと3人 もうみんな外に出たし、悪質なのはお巡りさんたちに あとちょっとだよ、こはねちゃん】
「――はっはっ――――――」
ああ。
「ぼく……ずいぶん、そん、してたんだぁ……」
僕は10年以上も、目の前に広がってるはずのなんてことない昼間の空すら、見ようとしていなかったんだ。
学校生活、勉強、友人関係、成績――僕が、どう見られているか。
確かに大切だけども、そんなことよりももっと大切なものを、ずっと見落としていたし引きこもるためにカーテンで閉ざしていた。
換気のために窓を開けても、空を見上げることすらしてこながんたんだ。
げろげろを吐きそうなくらいな苦しさなのに、1歩ずつ踏み出すのが楽しい。
限界まで体を酷使して、限界になってから気合で体を動かす――子供じゃなくなってから「格好悪いから」って、みんなに合わせてほどほどでセーブしていた身体能力。
そうだ――溶けそうなくらい眠くなるまで遊ぶのを全力で楽しむのが、子供だったんだ。
そんなことも忘れて、僕は。
【え、あれってこはねちゃん?】
【綾咲さんだよね?】
【私の知ってる綾咲さんと変わってない……え、でも、もうずっと前に……あり得ないけど、でも、そっくり】
【中学1年までは国体選手有望って言われてた、あの子……?】
【は?】
【??】
【もしかして:リアル情報知ってる人たち】
【え、でも、こはねちゃんって引きこもりニートなんじゃ】
【ちょっと、それはひどくない?】
【若年性――――を発症して泣く泣く運動諦めて入院してた子のこと、そんな風に言うの?】
【ずっとがんばってリモートで授業にも出て、治療もして……会えなくなるさいごまで復帰するってがんばって】
【で、でも……こはねさんは、もう……っ……】
【!?】
【!!??】
【ちょっと待って、急に重くなってきた】
【走ってるよ、こはねちゃんは 今も】
【そうだ、あの子は走るのが得意だったんだ 早く――なければ、きっと今ごろはアスリートでもアイドルでもなんでもなれる子だったんだ】
【うん こはねちゃんは、絶対にーなないって言ってくれた だから今も、走ってるんだ ……こんな良い夢見れたし、明日は久しぶりに――へ、こはねちゃんの好きだった――】
――3本先の通路の先。
そこから、重低音が響いている。
「ふっふっ……」
そうだ――僕は、頭の中で乱反射する、こういう声から逃げるために何も聞こえないようにしていたんだ。
だから最後は僕の部屋/無菌室へ引きこもって、真っ黒/真っ白な部屋でたったひとりぼっち/ひとりぼっちで過ごしていたんだ。
――ねぇ。
『なぁに?』
――この体、君のなんでしょ?
『……んー。そうだけどそうじゃない……かなぁ』
――君は、まだ生きたいはずだ。
だから、こんな僕なんかよりも、さっきまでみたいに君へ体を――
◇
「――ばかっ」
ごつんっ。
「に゛ぇっ!?」
「に゛ゃっ!?」
僕は、なんにもない空間で誰かから頭突きを食らわされる。
「「う゛にゅう゛ぅぅぅぅ……!」」
……そして、2人して悶える。
「「み゛ゃぁぁぁ゛ぁ゛ぁ゛……!」」
ごろごろ転がって、ときどき体がぶつかり合って。
「「いたい……ぐす」」
同じタイミングで涙ぐんで、さすりさすり起き上がって――それはまるで、鏡越しに「女の子になった僕」を見ているようで。
「……僕は、みんなに迷惑をかけ続けてきた、ろくでなしだ」
「もっかいする? ごっつんこ」
「ごめんなさい」
僕は頭を下げる。
……この小さな女の子の体は、痛みに敏感なんだ。
「優花お姉ちゃん、ひよりちゃん――覚える限りさいごまで見届けてくれた、小児科医のきさらぎ先生」
彼女は、淡い紫の髪を整えながら――真っ白すぎて「病的」な肌をさすりながら、言う。
「僕が推しにしてるって、普段から配信を観てるって……たぶん、お姉ちゃんがお手紙書いて――本当かどうかも分からないのにわざわざ会いに来てくれたアイドルのはるなお姉ちゃんも、みなみちゃんも」
彼女は――座り込んだまま、座り込んだ僕へずりずりと近寄ってきて、自慢の三つ編みをふにふにする。
「どうせ居なくなるからって、入院してから暇つぶしで始めた配信に来てくれて、応援してくれて――声を出せなくなるさいごまで一緒だった視聴者の人たち。『介護班』の人たちも、応援してくれてる」
「……介護班」
そんな。
僕とは、覚悟も何もかも違うのに。
「うん。僕の病気を知っていろんな声をかけてくれて、いろんな楽しいことを教えてくれて――最『期』の日まで、最新の治療とかを教えてくれてた人たち。だから、介護班。『僕を死なせないための介護』と『死んじゃう僕を見届ける介護をしたい』って言ってくれた、人たち」
目の前の幼い女の子が、笑顔のまま涙を流している。
「――君の世界のみんなは、僕じゃない。『女の子になった君』を、応援してるんだよ」
彼女は、泣いている。
僕のことを喜んで。
「でも、たぶん……いい歳した大人になってもお荷物な僕なんかよりも――」
「ちがうよ」
彼女は――ぎゅっと。
女の子になった僕から漂う匂いを香らせながら、言う。
「『君』だから。……僕とそっくりだけど違って、僕より長く生きて大人で……男の人で。いろいろ知ってて、でも優しい君のことが、好きだから。だから、楽しく生きて」
「………………………………」
ぱちぱち。
いろんな視覚と聴覚と痛覚が、流れてくる。
――女の子として生まれた僕が感じていた小学校卒業間際からの、ときどき吐きそうになる痛み。
けれど、何件かお医者さんに言っても「気のせいでしょう」「生理痛が酷いのでしょう」でおしまいで。
中学まで行っても我慢していたけれども、みんなの前で痛いあまりに吐いちゃって、あわてて病院に行って――それから1回も部屋にも帰ることのできなかった寂しさ。
あんなに安心できて心地よくって――だから、1回で良いから帰ってくつろぎたかった、僕の部屋。
会いに来るたびに泣いちゃう父さんと母さんに、優花。
「絶対に治してみせる」――そう言って、最期の日まで自分をなげうって世界中へ助けを求めてくれて、いろんな最新治療を施してくれた如月先生の真っ青な笑顔。
もうお薬で感覚がなくなっていたけども、冷たくなった手のひらを握って――いつもの配信のように楽しく笑いながらおもしろい企画を即興で配信して笑わせてくれた、はるなさんとみなみさん。
小学校低学年からの友達で、ずっと一緒に居てくれた、ひより先生。
彼らと最期まで、1秒たりとも無駄にしなかった日々。
――彼女の短い人生と比べて、僕はすべてを無駄にしてきた。
「なのに……君じゃなく、僕が」
「うん。だって、その体は君のだから」
僕よりずっとずっと小さいのに、僕よりずっとずっと立派な少女が、言う。
「――だから」
彼女は――ああ、そうだ、「これは小さいころから『あっちでは先に産まれていた優花』に編んでもらっていた」三つ編みを手に取って、笑う。
僕が子供のころ以来忘れていたような、太陽のような笑みを浮かべて。
「引きこもってても、いい。みなみちゃんだって引きこもりVtuberって人気のアイドルだもん。学校に行かなくたって、お仕事しなくたって、いい。『ニートってのは最高の身分だ』って、みなみちゃん言ってたもん。たった1人でも誰かを楽しませたなら、それで勝ちなんだって。なにより――自分が楽しんでたら、それだけで勝ちだって」
「……教育に悪いね」
「『それでも、居てくれるだけで嬉しい』――はるなお姉ちゃんが、言ってた。大切な友達が生きていてくれたら、それだけで嬉しいからって。その子がどんなことをしてるのかなんて、関係ない。ただただ生きていてくれたらって」
彼女はきっと、僕よりもずっと、すべてを知っている。
途中で投げ出して分かった気持ちになっていた、僕よりも。
「ひよりちゃんも、言ってた。お友達は、ときどき話してくれるだけで嬉しいんだって」
「……うん」
「優花お姉ちゃんも、言ってた。――家族は……か、ぞくはっ」
「――うん」
僕は――彼女を、抱きしめ返す。
小さすぎて儚すぎる女の子が、震えている。
「こはね……さん」
「こはねで良いよ。なおはお兄ちゃん」
「……うん。こはね」
――ぎゅうううっ。
「……痛いよ」
「ごめん。でも」
僕は――今の僕と同じ顔の彼女を、真正面から見る。
ずっとヒゲ剃り以外ではまともに見ることができなかった鏡を、今度こそしっかりと見るように。
「――ありがとう」
「――――……………………」
彼女は一瞬、きょとんとして。
それから。
「……僕の夢、アイドルだったんだ。はるなお姉ちゃんみたいな、アイドル」
「……なら、あと何十万人の登録者を集めれば良いんだね。『こっちのこはね』として」
「できるの? 直羽お兄ちゃんな君に」
「やるよ。君のためにも――なによりも、僕のためにも」
僕は、真ん前を見る。
「もう、逃げないから」
そうだ。
この体を「受け継いだ」以上――僕は、もう逃げない。
「……ときどきは逃げても良いんだよ。けど、元気になったら戻ってね」
「うん。もう、大丈夫。僕の安心できる部屋で、充分過ぎるほど休んだから」
「……そっか」
揺らぎ始めた視界の中で――僕は、たまたま出会った「異世界の同位体/あり得た世界の僕」と、別れを告げる。
「――だから、ありがとう。僕は、部屋から出られるよ」
「……よかったっ」
彼女は――最後に、子供みたいな笑みを浮かべて――――
◇
「――――――たーっち!」
僕の伸ばした腕が、ぐいっと持ち上げられる。
「こはね様……すごい、です」
「うん、すごい。あんな大軍からたったの1人で逃げただなんて」
ぶるんぶるん。
僕の目の前には――いや、もう座らされたおしりの下には、大きな赤い塗装のバイク――はるなさんのそれがあって。
【あああああ】
【あああああ】
【よかったぁぁぁぁ】
【ないた】
【マジで、たった1人でたどり着いたんだね……】
【音声だけだけど、はるなちゃんたちの配信でこはねちゃんの無事が聞けるだなんて】
【追いかけてた配信者たち、こはねちゃんが横道に入って見えなくなったとたんに限界が来て全員げろげろ中 こはねちゃんは、やり遂げたんだよ】
【もうずっと応援するからね】
【こはねちゃん、がんばったよ】
【本当に、たったの1人でここまで……】
「……ううん、1人じゃない。僕は、みんなに助けてもらったんだ」
僕は、みなみさんの匂いのするヘルメットをかぶせられながら、言う。
「――『こはね』はひとりぼっちじゃないんだって、応援してもらえたから」
僕は、涙をくしくし拭ってから――言う。
「だから――僕は、もうちょっとがんばるよ。ひとまずは……そうだなぁ」
――ぶろろろ。
「後は、任せて」
「うん。みなみちゃんも人自体は苦手だからほどほどにね」
遠ざかるみなみさんを見やりつつ、はるなさんの腰に手を回して。
「もうちょっと、外に出る時間と……あと、新規の人たちも、ちょっとずつ増やして。――いずれは、部屋から出て、家から出てみて……ね」
ちょっと大きなヘルメット越しにもういちど見上げた空には――虹の橋が架かっていた。
風景が、流れる。
「はっはっはっ」
僕は、全身の筋肉という筋肉を1本ずつ意識して動かす。
「はっはっはっ――」
正直、吐きそうなくらいに疲れている。
けども。
「……あはは」
幹線道路沿いの大通り――本来なら両脇のビルしか目に入らない場所。
でも、今の僕は子供なんだ。
だから、
「――――――そらが、きれい」
低い目線から見上げる、青い空。
目に染みるくらいの光が、僕の目の前に広がっている。
背が低くって、だから必然上を見上げるから。
こんな綺麗な光景は、きっと子供のころ以来で――だから。
「もう駄目だ……おろろろろ」
「うわ、汚ぇこいつ」
「はぁ、はぁっ……な、なんであのガキ、俺たちより走れるんだよ……子供より大人の方がスタミナあるとか、おかしいだろ……」
【がんばれ】
【がんばれ】
【女の子、がんばれ】
【こはるちゃん? 残り5人だよ もうちょっとだよ】
【こはねちゃんだぞ】
【こはねちゃん……かわいい名前 登録しないと】
【え、すごくない……? 正直仕込みかと思ってたけど、もう何十分も、たったのひとりで】
【さっきは野良の学生集団に保護されてたけど、1人で走りだして】
【ああ、TLで流れてきた経緯見て知ったわ】
【人見知りで怖がりで、だからVtuberとして顔も正体も隠してたって】
【何年か前に何かあって引きこもってたけど、お姉さんたちのために走ってるって】
【引きこもりなのに……突然のピンチになったからって、もう2キロくらい成人男性たちからマラソンで逃げてる女の子とか、応援するしかないでしょ】
【何回転びかけても起き上がってる子なんて……】
【体幹も運動神経も なにより、心が強いよね】
【本当にすごいよね】
【――さんの配信なのに――さんの応援が誰1人居なくって草】
【そりゃあバズ狙いの配信者と、そこから逃げてる小さな子 どっちを応援するかだよ】
【かわいいは正義】
【健気は正義】
【炎上狙い数十人と、たった1人の逃走劇 普通なら、もちろん――】
【今脱落したから、あと3人 もうみんな外に出たし、悪質なのはお巡りさんたちに あとちょっとだよ、こはねちゃん】
「――はっはっ――――――」
ああ。
「ぼく……ずいぶん、そん、してたんだぁ……」
僕は10年以上も、目の前に広がってるはずのなんてことない昼間の空すら、見ようとしていなかったんだ。
学校生活、勉強、友人関係、成績――僕が、どう見られているか。
確かに大切だけども、そんなことよりももっと大切なものを、ずっと見落としていたし引きこもるためにカーテンで閉ざしていた。
換気のために窓を開けても、空を見上げることすらしてこながんたんだ。
げろげろを吐きそうなくらいな苦しさなのに、1歩ずつ踏み出すのが楽しい。
限界まで体を酷使して、限界になってから気合で体を動かす――子供じゃなくなってから「格好悪いから」って、みんなに合わせてほどほどでセーブしていた身体能力。
そうだ――溶けそうなくらい眠くなるまで遊ぶのを全力で楽しむのが、子供だったんだ。
そんなことも忘れて、僕は。
【え、あれってこはねちゃん?】
【綾咲さんだよね?】
【私の知ってる綾咲さんと変わってない……え、でも、もうずっと前に……あり得ないけど、でも、そっくり】
【中学1年までは国体選手有望って言われてた、あの子……?】
【は?】
【??】
【もしかして:リアル情報知ってる人たち】
【え、でも、こはねちゃんって引きこもりニートなんじゃ】
【ちょっと、それはひどくない?】
【若年性――――を発症して泣く泣く運動諦めて入院してた子のこと、そんな風に言うの?】
【ずっとがんばってリモートで授業にも出て、治療もして……会えなくなるさいごまで復帰するってがんばって】
【で、でも……こはねさんは、もう……っ……】
【!?】
【!!??】
【ちょっと待って、急に重くなってきた】
【走ってるよ、こはねちゃんは 今も】
【そうだ、あの子は走るのが得意だったんだ 早く――なければ、きっと今ごろはアスリートでもアイドルでもなんでもなれる子だったんだ】
【うん こはねちゃんは、絶対にーなないって言ってくれた だから今も、走ってるんだ ……こんな良い夢見れたし、明日は久しぶりに――へ、こはねちゃんの好きだった――】
――3本先の通路の先。
そこから、重低音が響いている。
「ふっふっ……」
そうだ――僕は、頭の中で乱反射する、こういう声から逃げるために何も聞こえないようにしていたんだ。
だから最後は僕の部屋/無菌室へ引きこもって、真っ黒/真っ白な部屋でたったひとりぼっち/ひとりぼっちで過ごしていたんだ。
――ねぇ。
『なぁに?』
――この体、君のなんでしょ?
『……んー。そうだけどそうじゃない……かなぁ』
――君は、まだ生きたいはずだ。
だから、こんな僕なんかよりも、さっきまでみたいに君へ体を――
◇
「――ばかっ」
ごつんっ。
「に゛ぇっ!?」
「に゛ゃっ!?」
僕は、なんにもない空間で誰かから頭突きを食らわされる。
「「う゛にゅう゛ぅぅぅぅ……!」」
……そして、2人して悶える。
「「み゛ゃぁぁぁ゛ぁ゛ぁ゛……!」」
ごろごろ転がって、ときどき体がぶつかり合って。
「「いたい……ぐす」」
同じタイミングで涙ぐんで、さすりさすり起き上がって――それはまるで、鏡越しに「女の子になった僕」を見ているようで。
「……僕は、みんなに迷惑をかけ続けてきた、ろくでなしだ」
「もっかいする? ごっつんこ」
「ごめんなさい」
僕は頭を下げる。
……この小さな女の子の体は、痛みに敏感なんだ。
「優花お姉ちゃん、ひよりちゃん――覚える限りさいごまで見届けてくれた、小児科医のきさらぎ先生」
彼女は、淡い紫の髪を整えながら――真っ白すぎて「病的」な肌をさすりながら、言う。
「僕が推しにしてるって、普段から配信を観てるって……たぶん、お姉ちゃんがお手紙書いて――本当かどうかも分からないのにわざわざ会いに来てくれたアイドルのはるなお姉ちゃんも、みなみちゃんも」
彼女は――座り込んだまま、座り込んだ僕へずりずりと近寄ってきて、自慢の三つ編みをふにふにする。
「どうせ居なくなるからって、入院してから暇つぶしで始めた配信に来てくれて、応援してくれて――声を出せなくなるさいごまで一緒だった視聴者の人たち。『介護班』の人たちも、応援してくれてる」
「……介護班」
そんな。
僕とは、覚悟も何もかも違うのに。
「うん。僕の病気を知っていろんな声をかけてくれて、いろんな楽しいことを教えてくれて――最『期』の日まで、最新の治療とかを教えてくれてた人たち。だから、介護班。『僕を死なせないための介護』と『死んじゃう僕を見届ける介護をしたい』って言ってくれた、人たち」
目の前の幼い女の子が、笑顔のまま涙を流している。
「――君の世界のみんなは、僕じゃない。『女の子になった君』を、応援してるんだよ」
彼女は、泣いている。
僕のことを喜んで。
「でも、たぶん……いい歳した大人になってもお荷物な僕なんかよりも――」
「ちがうよ」
彼女は――ぎゅっと。
女の子になった僕から漂う匂いを香らせながら、言う。
「『君』だから。……僕とそっくりだけど違って、僕より長く生きて大人で……男の人で。いろいろ知ってて、でも優しい君のことが、好きだから。だから、楽しく生きて」
「………………………………」
ぱちぱち。
いろんな視覚と聴覚と痛覚が、流れてくる。
――女の子として生まれた僕が感じていた小学校卒業間際からの、ときどき吐きそうになる痛み。
けれど、何件かお医者さんに言っても「気のせいでしょう」「生理痛が酷いのでしょう」でおしまいで。
中学まで行っても我慢していたけれども、みんなの前で痛いあまりに吐いちゃって、あわてて病院に行って――それから1回も部屋にも帰ることのできなかった寂しさ。
あんなに安心できて心地よくって――だから、1回で良いから帰ってくつろぎたかった、僕の部屋。
会いに来るたびに泣いちゃう父さんと母さんに、優花。
「絶対に治してみせる」――そう言って、最期の日まで自分をなげうって世界中へ助けを求めてくれて、いろんな最新治療を施してくれた如月先生の真っ青な笑顔。
もうお薬で感覚がなくなっていたけども、冷たくなった手のひらを握って――いつもの配信のように楽しく笑いながらおもしろい企画を即興で配信して笑わせてくれた、はるなさんとみなみさん。
小学校低学年からの友達で、ずっと一緒に居てくれた、ひより先生。
彼らと最期まで、1秒たりとも無駄にしなかった日々。
――彼女の短い人生と比べて、僕はすべてを無駄にしてきた。
「なのに……君じゃなく、僕が」
「うん。だって、その体は君のだから」
僕よりずっとずっと小さいのに、僕よりずっとずっと立派な少女が、言う。
「――だから」
彼女は――ああ、そうだ、「これは小さいころから『あっちでは先に産まれていた優花』に編んでもらっていた」三つ編みを手に取って、笑う。
僕が子供のころ以来忘れていたような、太陽のような笑みを浮かべて。
「引きこもってても、いい。みなみちゃんだって引きこもりVtuberって人気のアイドルだもん。学校に行かなくたって、お仕事しなくたって、いい。『ニートってのは最高の身分だ』って、みなみちゃん言ってたもん。たった1人でも誰かを楽しませたなら、それで勝ちなんだって。なにより――自分が楽しんでたら、それだけで勝ちだって」
「……教育に悪いね」
「『それでも、居てくれるだけで嬉しい』――はるなお姉ちゃんが、言ってた。大切な友達が生きていてくれたら、それだけで嬉しいからって。その子がどんなことをしてるのかなんて、関係ない。ただただ生きていてくれたらって」
彼女はきっと、僕よりもずっと、すべてを知っている。
途中で投げ出して分かった気持ちになっていた、僕よりも。
「ひよりちゃんも、言ってた。お友達は、ときどき話してくれるだけで嬉しいんだって」
「……うん」
「優花お姉ちゃんも、言ってた。――家族は……か、ぞくはっ」
「――うん」
僕は――彼女を、抱きしめ返す。
小さすぎて儚すぎる女の子が、震えている。
「こはね……さん」
「こはねで良いよ。なおはお兄ちゃん」
「……うん。こはね」
――ぎゅうううっ。
「……痛いよ」
「ごめん。でも」
僕は――今の僕と同じ顔の彼女を、真正面から見る。
ずっとヒゲ剃り以外ではまともに見ることができなかった鏡を、今度こそしっかりと見るように。
「――ありがとう」
「――――……………………」
彼女は一瞬、きょとんとして。
それから。
「……僕の夢、アイドルだったんだ。はるなお姉ちゃんみたいな、アイドル」
「……なら、あと何十万人の登録者を集めれば良いんだね。『こっちのこはね』として」
「できるの? 直羽お兄ちゃんな君に」
「やるよ。君のためにも――なによりも、僕のためにも」
僕は、真ん前を見る。
「もう、逃げないから」
そうだ。
この体を「受け継いだ」以上――僕は、もう逃げない。
「……ときどきは逃げても良いんだよ。けど、元気になったら戻ってね」
「うん。もう、大丈夫。僕の安心できる部屋で、充分過ぎるほど休んだから」
「……そっか」
揺らぎ始めた視界の中で――僕は、たまたま出会った「異世界の同位体/あり得た世界の僕」と、別れを告げる。
「――だから、ありがとう。僕は、部屋から出られるよ」
「……よかったっ」
彼女は――最後に、子供みたいな笑みを浮かべて――――
◇
「――――――たーっち!」
僕の伸ばした腕が、ぐいっと持ち上げられる。
「こはね様……すごい、です」
「うん、すごい。あんな大軍からたったの1人で逃げただなんて」
ぶるんぶるん。
僕の目の前には――いや、もう座らされたおしりの下には、大きな赤い塗装のバイク――はるなさんのそれがあって。
【あああああ】
【あああああ】
【よかったぁぁぁぁ】
【ないた】
【マジで、たった1人でたどり着いたんだね……】
【音声だけだけど、はるなちゃんたちの配信でこはねちゃんの無事が聞けるだなんて】
【追いかけてた配信者たち、こはねちゃんが横道に入って見えなくなったとたんに限界が来て全員げろげろ中 こはねちゃんは、やり遂げたんだよ】
【もうずっと応援するからね】
【こはねちゃん、がんばったよ】
【本当に、たったの1人でここまで……】
「……ううん、1人じゃない。僕は、みんなに助けてもらったんだ」
僕は、みなみさんの匂いのするヘルメットをかぶせられながら、言う。
「――『こはね』はひとりぼっちじゃないんだって、応援してもらえたから」
僕は、涙をくしくし拭ってから――言う。
「だから――僕は、もうちょっとがんばるよ。ひとまずは……そうだなぁ」
――ぶろろろ。
「後は、任せて」
「うん。みなみちゃんも人自体は苦手だからほどほどにね」
遠ざかるみなみさんを見やりつつ、はるなさんの腰に手を回して。
「もうちょっと、外に出る時間と……あと、新規の人たちも、ちょっとずつ増やして。――いずれは、部屋から出て、家から出てみて……ね」
ちょっと大きなヘルメット越しにもういちど見上げた空には――虹の橋が架かっていた。
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