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30話 そんなシリアスは求めてない! 僕の天国を返してっ!!
しおりを挟む友人とは言え他人の屋敷の――それも公爵の、そして外部には見せられないであろう書類などがあるはずの、リラがふだん執務を――ジュリーのしていたものよりもずっと高度なものを――しているはずのそこへ、ノックだけで返事もないのに扉を開け、ずけずけと入っていこうとしているシルヴィーに向かって……ジュリーは戸惑いながらも静止しようと試みる。
「あ、あのシルヴィー? その、勝手に入ったりして。 だってここはリラのお部屋で、いえ、そもそも他の家の方が」
「少し静かにしてちょうだい? 昨日の調子だと大丈夫だとは思うけれど、起こしちゃったら困るから。 ええ、きっとね。 どうにかしてはぐらかされるだろうし」
「……先ほどからまったく話が見えないのですけれども、ですが、さっきから何のことですか? はぐらかすって。 リラが……? いえ、ですからそれ以上はっ」
根が真面目なせいで、あとはリラが寝ていると聞いて、なによりも夜半ということで……疑問の声を上げるときでさえ聞こえるか聞こえないかのぎりぎりに、ひそひそと話しているジュリーを……置いてきぼりにし、ランタンを掲げながらシルヴィーはさっさとその部屋に乗り込んでいく。
「ま、待ってくださいって、シルヴィ――……」
自分では止められないだろうと分かってしまい、それでも友人を……父の怒りに触れないように早く連れ出そうと、慌てて追いかけるようにしてジュリーが入って行ったその先には……リラが、いた。
栗色の長い髪を……前髪以外は、ではあるけれども、それでもたいして珍しくはないはずの栗色の髪。
けれどもふわふわと長く、手入れが行き届いているために光ってすら見えるその髪を持つ……この世界の常識では、年中母親のそばにいるような歳にしか見えない……彼だった彼女が。
先ほどシルヴィーが話した通りに、パジャマを着ただけの姿の彼女は……彼女の低い身長に合わせて作り直された机に向かい、イスに座ったまま突っ伏すようにして寝ていた。
ほんとうに、いつものように……静かな空間でないと生きているかどうかも分からないくらいの穏やかな寝息をあげ、ただひたすらに。
もちろん頭の中の煩悩も、このときばかりは消えている。
……もっとも夢の中ではあいかわらずなのだが、本人でさえ起きたら忘れるため、実質はないものと同じだ。
つまりはまったくに無害な妄想がこの瞬間にも、その小さな頭の中で繰り広げられている。
そう、どのようなものであれ無害だ……なにしろ、目が覚めた途端に、その日にどのようなセクハラを「愛しいお嬢さま」にしようかと考えはじめるのだから。
しかし、リラ自身が今世でいちども悟られすらしていないその煩悩を知らない、しかも大切に想っているジュリーからしてみたら……いじらしいほどに自分を慕う、純粋無垢で辛い過去を持つ同い年なのに小さく、それでいて自分よりもずっとずっと頭が良いと解釈している少女だ。
そのゆえに、ジュリーは座ったまま眠っているリラを見て、心を痛めながら声を上げる。
「……リラっ、なぜですの!? あの子、机に座ったまま寝るなんて……忙しいときのお父さまみたいなことをしてっ。 あのままでは風邪を引いてしまいます、それにろうそくもまだつきっぱなしですし、寝ぼけて倒しでもしたらリラが危ないわっ。 ……ああもう、ごめんなさいシルヴィー、少し待っていてもらえるでしょうか。 私、あの、危なっかしくて見ていられないの。 リラはとりあえず起こして、お部屋の外の使用人にの方たちにあの部屋へ連れて行ってもらいますから」
「………………………………ジュリー。 待って。 待つのよ」
リラに向かって手を伸ばそうとしていたジュリーの手を掴んで……痛くはない程度に、けれども有無を言わさない力加減で掴んで、シルヴィーはそれを遮る。
「シルっ、……」
ですからリラが風邪を引いてしまいますしなによりも危ないのです……と言おうとしたジュリーは、シルヴィーという友人の、ふだんの彼女からは考えられないくらい低い声と強い力で静止させたその顔を見上げ、……ふだんの彼女ならば決してしないような真剣な表情を、赤い目を向けてくるその姿に、息を飲む。
ジュリーが止まったのを見たシルヴィーは、そっと手を離し……リラに近づき、何本かのろうそくをそっと離れたところへ置き直し、そして、彼女の顔のそばに置きっぱなしだった、書きかけの手紙へと手を伸ばす。
「………………………………。 ………………………………はぁ……、今でも信じられないくらいに優秀なんだから。 書いている途中で寝てしまったみたいなのに、字も少しも乱れていない。 大切なところまでは……手紙の目的までは書ききっていて、ね。 たとえ明日の朝一番に出さなければならないものだとしても、問題ないくらいには仕上げていて。 ……まあ今はそれがちょうどいいんだけれどね。 それで、ジュリー?」
内容をざっと確認したシルヴィーが、その書きかけの手紙を……後ろで固まっていた金髪の少女に差し出す。
「……このろうそく、まだ半分残っているわ。 私たちが眠った後で着けたって考えるとちょうどいいのかしらね。 ということはまだまだ眠らないつもりでこの大きさのものを選んで、けれども今日……いえ、昨日の疲れで寝てしまって。 それからそう時間は経っていないのでしょうね、きっと。 なにせ、このように夜更けまで仕事をするというのはいつもなのでしょうから」
「………………………………………………………………」
手紙の差出人の許可を得ずに中身を改めることにためらいつつ、けれども何度も、ん、と差し出され……終いには手に押し付けられ、ジュリーはおずおずとその紙を受け取る。
「……ま、その前までに書いていたでしょうこっちの手紙とかはみーんな封がしてあるから駄目ね。 そこまでは許可を戴いていないのだし。 ……けれど、その近くにあるような書類とか、あっちの報告書に書かれているようなものを。 リラがあなたに隠れて続けている、仕事というものを見て欲しいの。 これはきっと、あなたたちにとって必要なこと、だから」
「………………………………シルヴィー。 あなたは、何を知っているのですか」
「それに目を通せば分かるわ。 ……ああ、もちろんこれは勝手にとか盗み見とか怒られそうなことじゃなくって、ちゃあんとあなたのお父さまにも、……外で待っている方たちも承諾を得てのことだから、遠慮なんてする必要はないわ。 ほら、今、読むの。 そうしたら、リラがどうしてこうなっているのかっていうの、分かるでしょうから」
☆
揺するだけなら大丈夫と言われたジュリーは、リラを起こそうと初めはおずおずと……やがてはそれなりに力を入れ、なんとか彼女を起こそうとする。
けれどもその試みも虚しく、栗色の髪をふわふわと机に広げている少女は深い眠りに落ちている。
「その調子じゃたぶん、ふつうの声で話しても大丈夫でしょうけれど。 近くの部屋では寝ている方もいらっしゃることだし、何よりも今起きられると面倒だもの。 それに睡眠はしっかり取らないといけないのだから、悪いけどそのまま寝ていてもらいましょうか」
「え、ええ。 ……けれど、ほんとうに起きないのですね。 これだけ揺すっても。 リラは、眠るとき……ここまで深く眠るのですね」
起きないと悟り、そして、今頭の中に流れ込んできた……片手に持ったままの手紙に書かれていた情報と今の状況を把握したジュリーは、そっと、リラの背中から手を離す。
「……あら? この子が来たのは最近ではあるけれど、でも、何ヶ月も一緒でしょう? それもこの子がくっついて離さないものだから、少し過剰なくらいに寄り添っていて。 なのにあなたはそれ、知らなかったの?」
「……これもきっと知っているのでしょう? この子、私よりも先に起きて後で寝るの。 いつも、ほとんど。 それは、私はこの子に世話をされるようになってからずっとなのだ、と」
「そうなの? そこまでは知らなかったわ。 ……けれども。 それで? ひととおり目を通してくれたのよね?」
「え、ええ。 ………………………………はい」
「そ。 ならいいわ」
返された書きかけの手紙を受け取ったシルヴィーは、静かにそれを元の場所へ、かさり、と戻す。
「それじゃー、とりあえずその子を……そこの簡易ベッドって言うのかしら? 壁に折りたためるそれへ。 ……あれ、私、昨日試しに寝転がってみたんだけれど……あれはひと晩過ごすようなものじゃないわね。 ちょっと横になっただけなのに、背中が痛くてしょうがなくなりそうだったもの」
「あの、シルヴィー? この子を寝かせるの、そこじゃなくって、その、私たちが寝ていたお部屋か私の寝室か、それともこの子のお部屋では駄目でしょうか」
「今起きられちゃったら困るって言ったでしょう? それにこの子、しょっちゅうここで寝泊まりしているみたいだから多分大丈夫でしょう、きっと慣れているもの。 ま、話が終わってからでならいいわよ。 そのためにこの子の世話役の人たちも呼んでいるんだから。 話が終わったらその方たちに任せましょう」
「………………………………それでは仕方ありませんね」
色々と……娯楽の類は一切なく、ただただ本や資料が読んだままで広げられている、昨晩彼女が試しに寝転がってみたように……公爵令嬢として生まれた彼女たちにとっては、寝苦しいところか拷問にも近いような……けれども寝息を立てているリラをはじめとした平民の、一般人にとってはごくふつうにありふれた、壁に備え付けの、木の板の上に薄い布団を敷いただけのベッド。
……もっともリラは、今でこそ小さくて愛くるしく、強く抱きしめたら潰れてしまいそうな少女でこそあるものの、中身は……記憶こそないものの前世は男だったため、そして今もそれであり続けるため、壁から引き出して寝るようなこういった代物は秘密基地みたいでかっこいいし寝るのも最高だと、本気で思っているわけだけれども。
いちいち閉まって引き出すのが屋根裏みたいなのだと、男心をくすぐるものであるゆえにわざわざこちらに泊まっているという理由も多く占めているくらいだ。
しかし、残念ながらその感覚は……そんな、彼だった彼女を心配そうな目で見つめている生粋の公爵令嬢として育ってきたふたりには理解されないだろうし、 彼だった彼女自身もそれを自分から言うことはないだろう。
なにせそれを当たり前のことだと思い込んでいるのだから。
身分以前に、性別も……合わせてはいるものの、 常識すら二重に違うのだから。
ジュリーがリラをゆっくりと……起こさないよう、丁寧に、壊れないようにと……イスから持ち上げているあいだに、そんなリラにとっては極楽でしかないベッドの上に散乱している書物を、慣れた手つきで片付けるシルヴィー。
「…………………………………………………………、ねぇ、シルヴィ――……」
「どうかしたの?」
「いえ。 その。 ……リラは、この子は。 ここまで軽かったのですね……と、思ってしまって」
そっ、と薄い布団だけが敷かれているベッドにリラを横たえて毛布を掛けたジュリーは、そう呟いた。
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