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Chapter1 ー友達の作り方ー
白昼夢
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アイリーンが生まれ、厄災を振り払った土地。始まりと終わりの地――クレバーン。
マルティネス王国の首都であるクレバーンは別名“音楽の街”と親しまれ、その名に相応しく、今日も窓の外では陽気な掛け声と様々な音色が飛び交っていた。
その昔、水の都だったというこの地は、今もその名残が残っているのか水が美しい都である。美味しい水と、それを使った酒や料理が上手いと専らの評判で、観光地としても人が賑わう土地だった。
街に流れる青が美しいというなら、空を流れる青も美しいとこれまた人気を呼んで、真っ白に膨らんだ雲の形を指差しては子供たちの笑い声が音楽に乗って聞こえてくる。クレバーンに流れる穏やかな風は美味しい香りと音楽、それから新しい出会いを連れてくるのだ。
決して赤に穢されない青に囲まれ、人々は笑い、音楽を奏で、美味しい物を胃に入れる。
他の国のように飢餓に怯えることも、魔物の脅威に怯えることもない。
余裕のある生活があるからこそ、彼らは外からやってきた人にも隔てなく優しくできるのだ。
そんな、理想のような土地。それが、クレバーンだった。
この世は、様々な不思議が満ち溢れている。
魔法に遺跡。そこに隠された謎、仕掛けられた罠や、その先に待っている財宝や未知なる世界――。
魔物という危険な存在を分かっていても誰もが一度は外の世界に興味と夢を抱き“冒険者”に憧れるような時代。
勿論、それはコニ・レオニスも例外ではなかった。
立派な屋敷の窓から外の世界を見つめ、憂いを秘めたアイスブルーの瞳をそっと伏せる。
コニの母親は元から身体が弱く、出産を乗り越えると体調は更に悪化した。愛する子供と共に過ごすことも難しく、そのまま数年後。静かに息を引き取った。当時、コニはまだ死を理解できないような幼い子供だった。
母親から受け継いだ艶やかな紺の髪や、美しく整った顔立ちは儚げな印象を人に植え付ける。そして同年代に比べて小さな身体は相乗して周囲を過保護にさせた。
病弱な体質まで受け継いでしまったと思われたまま、コニは屋敷の敷地から出ることを滅多に許されない。生まれてこの方、クレバーンから出たことは一度もなく、外の世界に恋い焦がれる毎日を送るのだった。
屋敷を訪れる家庭教師たちのおかげで様々なことができるようになったとはいえ、コニは物足りなさを感じて仕方がない。そもそも、外に出ることが許されないのにどうして剣技や古代語を始めとしたものを叩き込まれているのか、彼には理解ができなかった。
剣技を学ぶほど、古代文化を学べば学ぶほど外という未知なる世界への憧れは募るばかりで、遂には勉学を通して忍耐力を試されているような錯覚さえ抱いてしまう。
いつになったら自分は外に出られるというのだろう。王宮剣士としての称号を手に入れたとしても、王宮に仕えるまま、この地に縛られ続けないといけないのか。いや、それどころかこのまま一生、屋敷から出られないのではないか?
未来への不安から小さな身体が震えるも、その直後、何かに惹かれるようにコニの視線が動いた。
コニの手元でヴァイオリンに埋め込まれたダイヤモンドのようなものが点滅する。警告するような光り方だ。しかし、それに目をくれることもなく、しなやかに伸びた木の枝の上にある人影を捉え、コニの目が細くなった。
気配を殺して距離を縮め、壁に背を預ける形でゆっくりと息を吐く。そうすることで、突っ込むタイミングを自身で作った。
そうして影の正体を見抜こうと覗き込んだものの、角度が悪かったのか陽の光をまともに喰らってしまう。反射的に固く閉ざされたが、今まで部屋に閉じこもっていた目は、コニの想像以上にダメージを受けた。再び壁に身を寄せ、体制を整える。
瞳の裏に焼きついた人影は予想していたものより小さなものだった。脳裏を掠めた“侵入者”の三文字にコニの眉間は深く皺が刻まれる。
この大きな屋敷は有名だ。財力があることは勿論、コニを始めとした手練れが多くいることはクレバーンに限らず、マルティネス国の人間なら知っていることである。
ここまで侵入できたということはある程度の力を持っているようだが、余程の田舎者なのか、馬鹿なのか。どちらにしろ、捕まえてやるとアイスブルーの奥で何かが燃え上がった。
懐に忍ばせているダガーの位置へ手を添える。同じ轍は踏まないと、今度は窓枠の下を潜るようにして逆側に回り込んだ。窓の隅からそっと様子を伺ってみると、どうやら相手はまだコニに気付いていないようだった。
不審者の正体は、コニとあまり年が離れていないように見える――。子供だ。
自分の何倍もある木の上に腰掛け、真っ直ぐ一点を見つめている。何を見ているのかまでは分からない。しかし、コニにはここにはない、果てなく遠い“何か”を見ているように見えた。
風が吹き、葉が揺れる。
その中で穏やかな横顔と、柔らかく見える髪が照らされ、柔い色を纏う。
気まぐれに移動する木漏れ日が優しく照らす子供の姿は幻想的だ。どれだけ技術や経験を積んだ画家でもそうそう描けないような美しい一枚絵のようにも見える。
陽の光を受けて風を舞う髪は、高級な金糸を思わせた。
煌めく双眸は瞬く度に違うものを連想させる。メイドのメアリーが作るパンケーキの上にかけられた特製シロップ、ホットミルクにいれられた蜂蜜、焼き菓子を飾る艶々と輝いたマーマレードの色にも見えた。
よく見えないために、正確な色が判断できない。それが少し残念に思えるほど美しい佇まいに、用意していた言葉は一緒に呑み込まれた。不審者の存在を屋敷中に知らせることもまた、叶わなかった。
熱い視線を気にも留めず、その人物は大きく伸びをする。次の瞬間、影は木を蹴りあげた。
コニがいるのは屋敷の二階。不審者が腰を降ろしていた位置は高さがあったはずだが、子供は音もなく、軽やかに地へ足を付ける。行く宛があるのか、歩む足は迷いがない。
コニは不意に、その後を追いたい衝動に駆られる。
その場を離れて庭に出るべきか、しかし階段を下りている間に見失ってしまう可能性の方が高い。
悩むコニと、不審者の視線が宙でかち合った。
音が鳴る。そんな錯覚をするほど勢いよく、綺麗にぶつかったそれに、コニの中で目をそらしたい気持ちとそらしてはいけないような気持ちが同時に沸いた。反する気持ちが戦っているせいか、コニの身体は上手く動かない。ふと、目の前の人物が微笑んだ。
細められた双眸があまりにも優しいものだったので、コニは自分の見間違いかと括目する。
悪いことはしていないはずなのに、一連を傍観していたことがなんだか気恥ずかしいようにも思えてしまう。
じわりじわりと上がってくる熱の対処法も浮かばず、コニは固く目を閉じたものの結局は正体を知りたいという好奇心には勝てず、五回と深呼吸しない内に瞼が上がる。
しかし、視界の先に不審者はいなかった。慌てて庭中、視線を走らせるが、不審者どころか人の影一つ見当たらない。不思議と、取り逃がした腹立たしさや悔しさよりも、見失ったことを残念に思えてならない。
それが不審者に対して抱く感情として間違っているとコニは大きく頭を左右に振った。
「――なんだったんだ」
MS.エリザベスを見送り終えたメイドが、茫然とその場に立ち尽くしているコニの名を呼ぶ。
気配には敏感な方だというのに、接近に全く気付けなかった。
複雑な表情を前に、メイドは首を傾げる。眉を下げ、体調が悪いのかと尋ねられコニはゆるりと首を振った。
「なんでもない」
安堵したメイドが、焼き菓子を用意したと微笑む。コニもまた、引き締めていた口元を緩めた。
少し前まで胸の内で渦巻いていたMS.エリザベスに対する負の感情は自然と消えていたのだが、案内するメイドの後ろをついて歩くコニ自身はそのことに気付いていなかった。
清々しいというか、穏やかというか不思議な気持ちである。足取りも妙に軽い気がするが、それは焼き菓子が待っているからだろうか。
それ以外の理由もあるような気がするが、先ほどの光景を見た実感が沸かない。
優しい眼差しではなく、寧ろあの場にあんなにも美しい存在がいたということ自体が見間違いだったのかもしれない。
まるで夢でも見ていたようだと、コニはぼんやり思った。
夢だとしたら、奇妙な夢だ。
しかし、奇妙な夢だと分かっていても見れるものならもう一度見てみたいものだとコニは再び、窓から外の世界を見つめるのだった。
マルティネス王国の首都であるクレバーンは別名“音楽の街”と親しまれ、その名に相応しく、今日も窓の外では陽気な掛け声と様々な音色が飛び交っていた。
その昔、水の都だったというこの地は、今もその名残が残っているのか水が美しい都である。美味しい水と、それを使った酒や料理が上手いと専らの評判で、観光地としても人が賑わう土地だった。
街に流れる青が美しいというなら、空を流れる青も美しいとこれまた人気を呼んで、真っ白に膨らんだ雲の形を指差しては子供たちの笑い声が音楽に乗って聞こえてくる。クレバーンに流れる穏やかな風は美味しい香りと音楽、それから新しい出会いを連れてくるのだ。
決して赤に穢されない青に囲まれ、人々は笑い、音楽を奏で、美味しい物を胃に入れる。
他の国のように飢餓に怯えることも、魔物の脅威に怯えることもない。
余裕のある生活があるからこそ、彼らは外からやってきた人にも隔てなく優しくできるのだ。
そんな、理想のような土地。それが、クレバーンだった。
この世は、様々な不思議が満ち溢れている。
魔法に遺跡。そこに隠された謎、仕掛けられた罠や、その先に待っている財宝や未知なる世界――。
魔物という危険な存在を分かっていても誰もが一度は外の世界に興味と夢を抱き“冒険者”に憧れるような時代。
勿論、それはコニ・レオニスも例外ではなかった。
立派な屋敷の窓から外の世界を見つめ、憂いを秘めたアイスブルーの瞳をそっと伏せる。
コニの母親は元から身体が弱く、出産を乗り越えると体調は更に悪化した。愛する子供と共に過ごすことも難しく、そのまま数年後。静かに息を引き取った。当時、コニはまだ死を理解できないような幼い子供だった。
母親から受け継いだ艶やかな紺の髪や、美しく整った顔立ちは儚げな印象を人に植え付ける。そして同年代に比べて小さな身体は相乗して周囲を過保護にさせた。
病弱な体質まで受け継いでしまったと思われたまま、コニは屋敷の敷地から出ることを滅多に許されない。生まれてこの方、クレバーンから出たことは一度もなく、外の世界に恋い焦がれる毎日を送るのだった。
屋敷を訪れる家庭教師たちのおかげで様々なことができるようになったとはいえ、コニは物足りなさを感じて仕方がない。そもそも、外に出ることが許されないのにどうして剣技や古代語を始めとしたものを叩き込まれているのか、彼には理解ができなかった。
剣技を学ぶほど、古代文化を学べば学ぶほど外という未知なる世界への憧れは募るばかりで、遂には勉学を通して忍耐力を試されているような錯覚さえ抱いてしまう。
いつになったら自分は外に出られるというのだろう。王宮剣士としての称号を手に入れたとしても、王宮に仕えるまま、この地に縛られ続けないといけないのか。いや、それどころかこのまま一生、屋敷から出られないのではないか?
未来への不安から小さな身体が震えるも、その直後、何かに惹かれるようにコニの視線が動いた。
コニの手元でヴァイオリンに埋め込まれたダイヤモンドのようなものが点滅する。警告するような光り方だ。しかし、それに目をくれることもなく、しなやかに伸びた木の枝の上にある人影を捉え、コニの目が細くなった。
気配を殺して距離を縮め、壁に背を預ける形でゆっくりと息を吐く。そうすることで、突っ込むタイミングを自身で作った。
そうして影の正体を見抜こうと覗き込んだものの、角度が悪かったのか陽の光をまともに喰らってしまう。反射的に固く閉ざされたが、今まで部屋に閉じこもっていた目は、コニの想像以上にダメージを受けた。再び壁に身を寄せ、体制を整える。
瞳の裏に焼きついた人影は予想していたものより小さなものだった。脳裏を掠めた“侵入者”の三文字にコニの眉間は深く皺が刻まれる。
この大きな屋敷は有名だ。財力があることは勿論、コニを始めとした手練れが多くいることはクレバーンに限らず、マルティネス国の人間なら知っていることである。
ここまで侵入できたということはある程度の力を持っているようだが、余程の田舎者なのか、馬鹿なのか。どちらにしろ、捕まえてやるとアイスブルーの奥で何かが燃え上がった。
懐に忍ばせているダガーの位置へ手を添える。同じ轍は踏まないと、今度は窓枠の下を潜るようにして逆側に回り込んだ。窓の隅からそっと様子を伺ってみると、どうやら相手はまだコニに気付いていないようだった。
不審者の正体は、コニとあまり年が離れていないように見える――。子供だ。
自分の何倍もある木の上に腰掛け、真っ直ぐ一点を見つめている。何を見ているのかまでは分からない。しかし、コニにはここにはない、果てなく遠い“何か”を見ているように見えた。
風が吹き、葉が揺れる。
その中で穏やかな横顔と、柔らかく見える髪が照らされ、柔い色を纏う。
気まぐれに移動する木漏れ日が優しく照らす子供の姿は幻想的だ。どれだけ技術や経験を積んだ画家でもそうそう描けないような美しい一枚絵のようにも見える。
陽の光を受けて風を舞う髪は、高級な金糸を思わせた。
煌めく双眸は瞬く度に違うものを連想させる。メイドのメアリーが作るパンケーキの上にかけられた特製シロップ、ホットミルクにいれられた蜂蜜、焼き菓子を飾る艶々と輝いたマーマレードの色にも見えた。
よく見えないために、正確な色が判断できない。それが少し残念に思えるほど美しい佇まいに、用意していた言葉は一緒に呑み込まれた。不審者の存在を屋敷中に知らせることもまた、叶わなかった。
熱い視線を気にも留めず、その人物は大きく伸びをする。次の瞬間、影は木を蹴りあげた。
コニがいるのは屋敷の二階。不審者が腰を降ろしていた位置は高さがあったはずだが、子供は音もなく、軽やかに地へ足を付ける。行く宛があるのか、歩む足は迷いがない。
コニは不意に、その後を追いたい衝動に駆られる。
その場を離れて庭に出るべきか、しかし階段を下りている間に見失ってしまう可能性の方が高い。
悩むコニと、不審者の視線が宙でかち合った。
音が鳴る。そんな錯覚をするほど勢いよく、綺麗にぶつかったそれに、コニの中で目をそらしたい気持ちとそらしてはいけないような気持ちが同時に沸いた。反する気持ちが戦っているせいか、コニの身体は上手く動かない。ふと、目の前の人物が微笑んだ。
細められた双眸があまりにも優しいものだったので、コニは自分の見間違いかと括目する。
悪いことはしていないはずなのに、一連を傍観していたことがなんだか気恥ずかしいようにも思えてしまう。
じわりじわりと上がってくる熱の対処法も浮かばず、コニは固く目を閉じたものの結局は正体を知りたいという好奇心には勝てず、五回と深呼吸しない内に瞼が上がる。
しかし、視界の先に不審者はいなかった。慌てて庭中、視線を走らせるが、不審者どころか人の影一つ見当たらない。不思議と、取り逃がした腹立たしさや悔しさよりも、見失ったことを残念に思えてならない。
それが不審者に対して抱く感情として間違っているとコニは大きく頭を左右に振った。
「――なんだったんだ」
MS.エリザベスを見送り終えたメイドが、茫然とその場に立ち尽くしているコニの名を呼ぶ。
気配には敏感な方だというのに、接近に全く気付けなかった。
複雑な表情を前に、メイドは首を傾げる。眉を下げ、体調が悪いのかと尋ねられコニはゆるりと首を振った。
「なんでもない」
安堵したメイドが、焼き菓子を用意したと微笑む。コニもまた、引き締めていた口元を緩めた。
少し前まで胸の内で渦巻いていたMS.エリザベスに対する負の感情は自然と消えていたのだが、案内するメイドの後ろをついて歩くコニ自身はそのことに気付いていなかった。
清々しいというか、穏やかというか不思議な気持ちである。足取りも妙に軽い気がするが、それは焼き菓子が待っているからだろうか。
それ以外の理由もあるような気がするが、先ほどの光景を見た実感が沸かない。
優しい眼差しではなく、寧ろあの場にあんなにも美しい存在がいたということ自体が見間違いだったのかもしれない。
まるで夢でも見ていたようだと、コニはぼんやり思った。
夢だとしたら、奇妙な夢だ。
しかし、奇妙な夢だと分かっていても見れるものならもう一度見てみたいものだとコニは再び、窓から外の世界を見つめるのだった。
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