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第2章 守護霊を解放せよ

第4話 通り魔事件発生中!

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 駅前で受け取ったチラシは、桜並木警察署が通り魔事件の概要と注意を喚起する目的で作成した「号外かわら版」だった。

 普段は回覧板や交番、駅の掲示板に貼られているものだが、号外のため、ボランティアの手で配られていたようだ。

 発行日には今日の日付が記されている。

「通り魔事件ってずいぶん物騒な話題だな」

 友人Aが手元を覗き込んできた。

「ホントホント」とオレの左側では怨霊男が同意した。

「昨日、どこかの誰かさんは私のことを通り魔犯だって疑ったよね。冤罪だ」

 面白がるように言う。

 友人Aは当然のことながら、怨霊男の声が聞こえていないわけだから、オレも受け流す努力をする。

「今、市内で度々起こってるんだよ。オレも詳しくは知らないけれど、前に母さんが隣の佐藤さんと話していたんだ。駅周辺に通り魔が出るって」

 記事の内容はこうだ。

『桜並木駅周辺で、通り魔事件が四月から五月半ばまでに立て続けに六件発生しています。これまでに被害にあったのは十代から三十代までの女性で、夜、帰宅途中、一人で歩いていたところを何者かに刃物で切りつけられそうになり、逃げる際に転倒し怪我をしている――』

 そこまで読んで、今朝のホームルームでの二階堂の説明がフラッシュバックした。

『聖子先生は昨日の下校時に転んで怪我をしてしまったそうだ』

 二人もそう考えたようで、オレたち三人は顔を見合わせ、喉仏を上下させた。

「まさかとは思うけどよ」と最初に口を開いたのは友人Aだ。

「似ているよね」と怨霊男。

「ああ、似てはいるな」とオレ。

「帰宅時、転倒、怪我、か。二階堂の話とだいぶ一致するぞ」

 友人Aは文字を睨みながら忌々しげに言った。

 それに応えるように怨霊男が「二階堂先生の説明は不自然だったよね。聖子先生が検査やの事情で学校をお休みするとも話していたけれど、もろもろって何だろう?」とオレに訊ねる。

「もろもろの事情っていうのは何か言いにくいことがあったんだろうな。二階堂はわざとらしいほどたし」

 オレはボス猿によく似た二階堂の顔を思い浮かべた。

 友人Aは頭をガシガシとむしり、困惑の声を洩らす。

「聖子ちゃんがこの六件目の被害者じゃねえだろうな」

「その可能性は捨てきれないよね。聖子先生が被害にあったのが昨晩だとすると、今日の日付でかわら版が作られたことにも合点がいくよ」

 怨霊男は探偵然として、生えてもいない口髭くちひげを撫でる仕草をし、「間違いない、これは事件だ。事件のにおいがする!」と断言した。

 それは彼なりの軽いジョークのつもりなのかもしれないが、占い師が未来を予言するよりも、怨霊という特殊な存在が断言すると不吉なほどに信憑性が増す。

 オレはひとり探偵ごっこを開催し、犯人探しを提案しかねない怨霊男をたしなめる。

「二階堂は、聖子先生が刃物で切りつけられそうになったなんて言っていなかったぜ? まして通り魔の被害にあったなんて一言もな。聖子先生は本当に転んだだけかもしれないし、オレたちの考えすぎってこともあるだろう? 確かにかわら版の発行タイミングや状況からすれば、事件のにおいがすると勘ぐりたくなる気持ちはわかるけどさ」

 だが、逆効果だったようだ。

 怨霊男の存在を感じることができない友人Aの不安を助長させるだけだったのだ。

 すでに冷静さを失っている友人Aは目を充血させながら、

「やっぱり、事件のにおいしかしねえじゃんか! 二階堂が何か隠している風だったのはいなめねえし。なあ真、聖子ちゃんは本当に手首を捻っただけなんだろうな? 命に別状はねえんだろうな? 貞操は無事なんだろうな?」

 オレの両肩をがっちり掴み、脳みそが前後に揺れるほど激しく揺さぶった。

「オレだって知らねえよ! 何なんだよ、貞操って」

「聖子ちゃんにヨコシマな気持ちを抱くやつは許せねえ!」

「お前もそのひとりだろうが」

 友人Aの腕を振り払い、にべもなく言うと、友人Aは心外だと喚きながら、「オレは特別純粋なプラトニックラブなんだよ」と付け加えた。

「コラコラ、慌てん坊さんたち。ほら、ここ読んでみてよ」

 すでにひとり探偵ごっこを完結させたマイペースな怨霊男はかわら版の一部を指さし、よく通る声で読み上げた。

「『今のところ、被害者は全員軽傷ですが、特に女性のひとり歩きは避けるようにしてください。桜並木警察署では今後一層パトロールを強化していきます』だって。怪我の具合は不幸中の幸い、ひとまず安心だね」

 何が「コラコラ、慌てん坊さんたち」だ。自分を棚に上げて、人を食ったような笑顔を向けてくる怨霊男に苛立ちが募る。

 そもそも誰の発言のお陰で、友人Aが取り乱したというのだ。勘違いさせるような発言をしたオレにも一端の責任はあるが、聖子先生が通り魔事件に巻き込まれたかどうかも判然としないのに、事件のにおいがすると言って探偵ごっこを始めたのは怨霊男の方なのだ。

 オレや友人Aが「慌てん坊さんたち」ならば、怨霊男だって正式メンバーだ。何なら、リーダーに任命してやってもいいくらいだ。

 オレは横目で怨霊男をしっかりひと睨みしてから、友人Aにその一文を教えてやると、友人Aはようやく落ち着きと正気を取り戻したようだった。

 その後、聖子先生の帰りを待ったが、オレたちを不審に思った隣人が時折ドアの隙間から怪訝な顔を覗かせるものだから、今日のところはひとまず帰ることになった。

 玄関ドアの前にピンクの花束と書き置きを残す。

「愛しい聖子さん。僕と崎山君で選んだお見舞いのお花です。早く元気になってください。貴女の瑛市と一生徒の真より」

 ……何のこっちゃ。

 
 
「こういう事件を起こすやつの動機って何だろうな」
 
 桜並木駅へ向かう途中で、友人Aがぽつりと言った。
 
「うーん。通り魔の動機は世の中への不満だってニュースで聞いたことがあるぜ」
 
「世の中への不満、ねえ……」

 おうむ返しに言った友人Aは、早熟の果物を囓《かじ》ったような渋い顔をして続けた。

「世の中への不満って言ったって、だいたいが、自分の力で乗り越えなきゃなんねえことを他人のせいにして、その鬱憤うっぷんを力の弱いものへ暴力を使って当たり散らす、身勝手な行為じゃねえか」

「お前、たまにはまともなことを言うんだな」

「ひと言、余計だな」
 
 狭い路地を抜けて大通りに出ると、車の往来や人通りが増え、町の喧噪が戻ってきた。やっと迷路から抜けだしたような安心感がふわりと舞い降りる感じだ。
 
 これが夜道で、しかも女性だったら、なおのこと心細いに違いない。

 オレは改めて元来た道を振り返った。閑静な住宅街に毛細血管のように細く入り組んだ通りが伸びている。

 こうして見ると桜並木市は通り魔事件が起こりやすいというよりも、起こしやすいといった方が正しい地域なのかもしれない。

 この街は城下町の名残から、駅周辺と言えども、繁華街から少しでも逸れると、車が倦厭《けんえん》しがちな細い道が入り組んでいるところが多いのだ。

 これまで意識して確認したこともなかったが、防犯カメラや夜道を照らす街路灯の数も決して多くはなく、必然的に死角が生まれやすい。

 昔の殿様がよかれと思って作った道が、現代の通り魔犯にとって、好都合な犯行現場になっているのは皮肉なものだ。

「どんな理由があるにせよ、そういう甘えたやつが許せねえんだよ。昔の自分を見ているみたいで」

 今にも消え入りそうな声で友人Aは言葉を落とした。

 それがどういう意味なのか解りかねて、長身の横顔を見上げたとき、友人Aのスマートフォンが鳴った。
 
 雲が霧散するように友人Aの表情が一気に晴れたが、着信の相手を確認した途端、この世の終わりを目の当たりにしたかのような暗い顔になった。

「何だよ、お袋じゃねえか。もしもし」

 友人Aは「悪い」と唇の動きだけで伝えてくると、会話の内容を聞かれるのが照れ臭いのか、さっさと先へ行ってしまった。

「ねえ、真」

 ずっと沈黙を守っていた怨霊男が突然立ち止まり、オレの腕を引いた。
 
「早く家へ帰ろう、嫌な気配がする」

「嫌な気配?」

 いぶかり訊ねると、珍しく怨霊男の真顔と出くわした。整った顔立ちが精悍せいかんさを帯びて引き締まり、普段の緊張感のないヘラヘラした笑顔とのギャップの大きさが、状況の悪さをはっきりと示しているようだった。

「まさか、あんた以外の怨霊がオレを狙っているのか?」

 恐る恐る言葉を発すると、怨霊男は無言で顎を引いた。

「どこにいるんだよ、怨霊は」

 焦りから声を荒げるオレを無視して、怨霊男は神経を研ぎ澄ませるように、すうっと目を閉じた。

「怖いから目を開けろよ」

 自分の命を狙っている怨霊男を頼りにするのは情けないが、自分の意志とは無関係に、体の震えは止まらない。

 今オレが立ち竦んでいる駅前ロータリーが、コロシアムの闘技場のように見える。猛獣の前にひとり取り残され、心細さにおびえる剣闘士の気分だ。

 あたふたしていると、目の前にバスが停車した。

 プシュッと空気の抜けるような音がしてドアが開き、乗客が降車する。

 その中で見知った学生服を見つけた。

 向こうもオレに気がついたようで、嫌な笑みを張りつけて近づいてきた。

「崎山じゃねえか」

 見るからに素行不良の看板を背負った短髪の少年が、親しみとは程遠い物言いで、オレの名を呼んだ。

「上野」

「久しぶり。お前、まだ飽きずにチビやってんだな」

 オレは中学時代、こいつ上野聡うえのさとしにイジメの標的にされていた。
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