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第3章 守護霊界の掟
第3話 成瀬美月【前編】
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【真之助視点】
成瀬美月。
私たちは図書館のカウンターから一番離れた末席で彼女の様子を観察している。
肩の位置で切りそろえた黒い髪は朝日を受け滑らかな絹のように美しく輝き、文字追う黒目勝ちの瞳はリスやハムスターなどの小動物を連想させるほど可愛らしい。
図書委員の貸し出し作業の傍ら読書に夢中になっている成瀬さんは、真がひそかに思いを寄せている同じクラスの女の子だ。
「真之助様。ストーカーの気配は感じられますか?」
「何も感じないよ」
蜘蛛が迅速丁寧に糸を張るように、私は周囲の様子に神経を張り巡らせてから緊張を解くと、寿々子さんはロウソクの炎を消すように「ふう」と息を吐いた。
「お付き人に憑きまとうストーカーを追い払うために力を貸して欲しい」
それが昨夜、寿々子さんが私たちの前に現れた理由だった。
本来ならば、泣いている女性の頼み事を黙って引き受けるのが男として褒められる対応なのだろうけれど、私は彼女の頼みに対して、断りの返事しか用意していなかった。
なぜなら――。
私たち守護霊には掟があるからだ。
それは破ることが許されない鉄の掟と言われるもので、仮に掟に反する守護霊が現れた場合は、厳しい罰が与えられる。その掟のひとつにこんなものがあった。
一、守護霊同士の情報交換、又、干渉と思しき交流を禁ず。
つまり、守護霊同士は仲良くしてはいけないのだ。
現に寿々子さんの名前を知ったのは、あのあと互いの守護霊之手形を確認し合ったときであるし、毎日、学校で顔を突き合わせていても、私たちは互いの名前どころか、声も、素性も、何も知らない。
大都会に住む生者たちが隣人をよく知らないように、「○○さんの守護霊」と認識しているだけで、私たち守護霊の関係は希薄なのだ。
寿々子さんの頼みを引き受けることは、すなわち、掟を破ることになる。
どんな理由があろうとも、私は忠実に掟に従うだけのこと。
しかし、私が断りの文句を口にする前に、事態が残念な方向へ急展開してしまった。
「それは放っておけませんね。是非、オレたちにお任せください。え? 真之助の力が必要? どうぞ、どうぞ!」
自信満々で公約を掲げる政治家のように、真が軽々しく承諾の言葉を口にしてしまったからだ。
ただでさえ、日頃から呆れるほどのお人好しで、特に困っている女性にはめっぽう弱い真が、寿々子さんが成瀬さんの守護霊であることを知ってしまったからには、守護霊界の掟など通用するはずもなかった。
お人好しのお付き人を持つとほとほと苦労する。可哀想な私は今もひとり途方に暮れているところなのだ。
「寿々子さん。成瀬さんに憑きまとっているストーカーはどんなやつなんですか?」
声を洩らさぬよう口元を本で隠した真が訊ねた。この本は手近な書架から適当に引き抜いたもので、背表紙には興味もないだろう郷土史のタイトルがある。
「言うなれば」
寿々子さんは記憶を呼び起こすように天井に視線を這わせた。
「血が通っていないような青白い顔に、生気のない鋭い目、艶のない総髪に、黒装束。まるで、死人のような殿方でございました」
わずかな沈黙のあと、真は瞬きを重ねて、「そりゃ、ストーカーは死者なんですもんね。死人に見えて当然ですよ」と困惑を隠しきれないといった視線を私に投げて寄越した。
フォローをしろと目で訴えているのだ。まるで、スマートフォンの操作に戸惑う祖母の千代と同じ顔をしている。
「他に特徴は?」
仕方なく真の困惑を引き継いで訊ねると、
「特にございませんわ」
あっけらかんと寿々子さんは応えた。
「わたくしが数日前から異変を感じているのは不成仏霊の気配だけでございますから。じっと物陰に潜み、こちらの様子を窺《うかが》っているだけですので、わたくしも直接、姿を見たわけではございません。しかし、多くの不成仏霊はそういうもの」
「どういうものだよ?」
さらに困惑の重ね塗りをしたような複雑な表情を浮かべた真が疑問を私に投げてくるから、仕方なく寿々子さんの補足をする。
「不成仏霊と言っても、生前の未練や執着が成仏を阻んでいるだけで、実は彼らのほとんどは『自らの死を受け入れている』ものたちなんだ。だから、ちゃんとこの世が自分の居場所じゃないことも理解している」
「それがストーカーとどう関係あるんだよ?」
「この世が自分のいるべき場所じゃないから、問題が起こるんだ。不成仏霊は常日頃、肩身の狭い思いをして、不安で押しつぶされそうになっているんだよ。文字通り生きた心地がしない。そんな彼らの望みはただひとつ、安心できる居場所が欲しい。それだけなんだ」
「安心できる場所?」
「あの世のことだよ。不成仏霊の安住の地は本来逝くべきあの世にあるから、本心では成仏したいんだ。でも、生前の未練や執着が成仏を阻んでいるせいで、その方法を知らない彼らはあの世への案内人が必要だと思い込んでいる」
「つまりは」
寿々子さんが取って代わって説明に回る。
「成仏の仕方を知ってそうな生者をストーカーすることで、あの世への案内人として相応しいか見定めているのでございます。運悪く適任者と認められた生者は命を奪われ、不成仏霊と共にあの世へ逝くこととなります」
「そんな乱暴な……」
真は恐怖のどん底にいるような顔で押し黙った。
実際、不成仏霊が他人(生者)にストーカーをする事案は稀に発生している。
「衝動に歯止めをかけるブレーキが故障したかのようでした」元不成仏霊を招聘した守護霊界の講義で貴重な体験談を耳にしたことがあるが、彼によると不成仏霊も好き好んでストーカー行為に走っているわけではないらしい。
彼は「成仏したいと願う強い欲望に乗っ取られてしまった」と二股騒動を起こした芸能人のようなことも言ったけれど、その表現は強ち大袈裟ではないと思う。不成仏霊の弱い心に浸け込み、理性を乗っ取る輩がいるのだ。
元凶だ。
元凶が憑依する対象は不成仏霊さえ例外ではなく、元凶の憑依を受けた不成仏霊が今回のように生者に対しストーカー行為を行うのだ。
ストーカー行為がエスカレートすれば、生者の言う「悪霊による憑依」の状態になり、お付き人は元凶と不成仏霊の二方向から影響を受けることになる。
二重の憑依は守護霊もかなり苦戦を強いられるから、大抵はこうなる前に何らかの手を打つのだけれど、私たちも人間、完璧ではない。
ふいに訪れるアクシデントやトラブルにより上手く力が発揮できなければ、元凶を引き寄せる運命期とは関係なく、お付き人は不慮な事故や事件に巻き込まれ、最悪の場合、命を落としてしまうことも充分起こりえる。
「幸いにも美月はまだストーカー被害の初期でございます。しかし、不成仏霊にストーカーされるなど、わたくしにとっては初めてのこと。何分、うまく追い払えるか心配で心配でなりません。美月に万が一のことがあっては遅いのでございますから」
早期の対処が、不成仏霊を脅威に変えるか否かの要になる。
お付き人を守りたい気持ちが強ければ、寿々子さんのように慎重になるのも無理のない話だ。
成瀬美月。
私たちは図書館のカウンターから一番離れた末席で彼女の様子を観察している。
肩の位置で切りそろえた黒い髪は朝日を受け滑らかな絹のように美しく輝き、文字追う黒目勝ちの瞳はリスやハムスターなどの小動物を連想させるほど可愛らしい。
図書委員の貸し出し作業の傍ら読書に夢中になっている成瀬さんは、真がひそかに思いを寄せている同じクラスの女の子だ。
「真之助様。ストーカーの気配は感じられますか?」
「何も感じないよ」
蜘蛛が迅速丁寧に糸を張るように、私は周囲の様子に神経を張り巡らせてから緊張を解くと、寿々子さんはロウソクの炎を消すように「ふう」と息を吐いた。
「お付き人に憑きまとうストーカーを追い払うために力を貸して欲しい」
それが昨夜、寿々子さんが私たちの前に現れた理由だった。
本来ならば、泣いている女性の頼み事を黙って引き受けるのが男として褒められる対応なのだろうけれど、私は彼女の頼みに対して、断りの返事しか用意していなかった。
なぜなら――。
私たち守護霊には掟があるからだ。
それは破ることが許されない鉄の掟と言われるもので、仮に掟に反する守護霊が現れた場合は、厳しい罰が与えられる。その掟のひとつにこんなものがあった。
一、守護霊同士の情報交換、又、干渉と思しき交流を禁ず。
つまり、守護霊同士は仲良くしてはいけないのだ。
現に寿々子さんの名前を知ったのは、あのあと互いの守護霊之手形を確認し合ったときであるし、毎日、学校で顔を突き合わせていても、私たちは互いの名前どころか、声も、素性も、何も知らない。
大都会に住む生者たちが隣人をよく知らないように、「○○さんの守護霊」と認識しているだけで、私たち守護霊の関係は希薄なのだ。
寿々子さんの頼みを引き受けることは、すなわち、掟を破ることになる。
どんな理由があろうとも、私は忠実に掟に従うだけのこと。
しかし、私が断りの文句を口にする前に、事態が残念な方向へ急展開してしまった。
「それは放っておけませんね。是非、オレたちにお任せください。え? 真之助の力が必要? どうぞ、どうぞ!」
自信満々で公約を掲げる政治家のように、真が軽々しく承諾の言葉を口にしてしまったからだ。
ただでさえ、日頃から呆れるほどのお人好しで、特に困っている女性にはめっぽう弱い真が、寿々子さんが成瀬さんの守護霊であることを知ってしまったからには、守護霊界の掟など通用するはずもなかった。
お人好しのお付き人を持つとほとほと苦労する。可哀想な私は今もひとり途方に暮れているところなのだ。
「寿々子さん。成瀬さんに憑きまとっているストーカーはどんなやつなんですか?」
声を洩らさぬよう口元を本で隠した真が訊ねた。この本は手近な書架から適当に引き抜いたもので、背表紙には興味もないだろう郷土史のタイトルがある。
「言うなれば」
寿々子さんは記憶を呼び起こすように天井に視線を這わせた。
「血が通っていないような青白い顔に、生気のない鋭い目、艶のない総髪に、黒装束。まるで、死人のような殿方でございました」
わずかな沈黙のあと、真は瞬きを重ねて、「そりゃ、ストーカーは死者なんですもんね。死人に見えて当然ですよ」と困惑を隠しきれないといった視線を私に投げて寄越した。
フォローをしろと目で訴えているのだ。まるで、スマートフォンの操作に戸惑う祖母の千代と同じ顔をしている。
「他に特徴は?」
仕方なく真の困惑を引き継いで訊ねると、
「特にございませんわ」
あっけらかんと寿々子さんは応えた。
「わたくしが数日前から異変を感じているのは不成仏霊の気配だけでございますから。じっと物陰に潜み、こちらの様子を窺《うかが》っているだけですので、わたくしも直接、姿を見たわけではございません。しかし、多くの不成仏霊はそういうもの」
「どういうものだよ?」
さらに困惑の重ね塗りをしたような複雑な表情を浮かべた真が疑問を私に投げてくるから、仕方なく寿々子さんの補足をする。
「不成仏霊と言っても、生前の未練や執着が成仏を阻んでいるだけで、実は彼らのほとんどは『自らの死を受け入れている』ものたちなんだ。だから、ちゃんとこの世が自分の居場所じゃないことも理解している」
「それがストーカーとどう関係あるんだよ?」
「この世が自分のいるべき場所じゃないから、問題が起こるんだ。不成仏霊は常日頃、肩身の狭い思いをして、不安で押しつぶされそうになっているんだよ。文字通り生きた心地がしない。そんな彼らの望みはただひとつ、安心できる居場所が欲しい。それだけなんだ」
「安心できる場所?」
「あの世のことだよ。不成仏霊の安住の地は本来逝くべきあの世にあるから、本心では成仏したいんだ。でも、生前の未練や執着が成仏を阻んでいるせいで、その方法を知らない彼らはあの世への案内人が必要だと思い込んでいる」
「つまりは」
寿々子さんが取って代わって説明に回る。
「成仏の仕方を知ってそうな生者をストーカーすることで、あの世への案内人として相応しいか見定めているのでございます。運悪く適任者と認められた生者は命を奪われ、不成仏霊と共にあの世へ逝くこととなります」
「そんな乱暴な……」
真は恐怖のどん底にいるような顔で押し黙った。
実際、不成仏霊が他人(生者)にストーカーをする事案は稀に発生している。
「衝動に歯止めをかけるブレーキが故障したかのようでした」元不成仏霊を招聘した守護霊界の講義で貴重な体験談を耳にしたことがあるが、彼によると不成仏霊も好き好んでストーカー行為に走っているわけではないらしい。
彼は「成仏したいと願う強い欲望に乗っ取られてしまった」と二股騒動を起こした芸能人のようなことも言ったけれど、その表現は強ち大袈裟ではないと思う。不成仏霊の弱い心に浸け込み、理性を乗っ取る輩がいるのだ。
元凶だ。
元凶が憑依する対象は不成仏霊さえ例外ではなく、元凶の憑依を受けた不成仏霊が今回のように生者に対しストーカー行為を行うのだ。
ストーカー行為がエスカレートすれば、生者の言う「悪霊による憑依」の状態になり、お付き人は元凶と不成仏霊の二方向から影響を受けることになる。
二重の憑依は守護霊もかなり苦戦を強いられるから、大抵はこうなる前に何らかの手を打つのだけれど、私たちも人間、完璧ではない。
ふいに訪れるアクシデントやトラブルにより上手く力が発揮できなければ、元凶を引き寄せる運命期とは関係なく、お付き人は不慮な事故や事件に巻き込まれ、最悪の場合、命を落としてしまうことも充分起こりえる。
「幸いにも美月はまだストーカー被害の初期でございます。しかし、不成仏霊にストーカーされるなど、わたくしにとっては初めてのこと。何分、うまく追い払えるか心配で心配でなりません。美月に万が一のことがあっては遅いのでございますから」
早期の対処が、不成仏霊を脅威に変えるか否かの要になる。
お付き人を守りたい気持ちが強ければ、寿々子さんのように慎重になるのも無理のない話だ。
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