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第3章 守護霊界の掟
第10話 守護霊の心、生者は知らず【前編】
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【真視点】
オレは花火を見たのだ。
きつく目をつぶっていたから、この衝撃は比喩にすぎないが、闇を彩る美しい花火が瞼の内側でドカンと花開き、驚いて目を開けた。
すると、口を開いて待っているはずの地面はいつになっても近づいてくる気配がなく、足はじたばたと宙を泳いだまま。
不思議に思い見上げれば、切れ長の瞳を細め微笑みをたたえている真之助が目に入った。
相変わらず飄々とした涼しい顔だが、その温度とは似つかわしくない燃えるような熱を、しっかりと掴まれた腕から感じ取った途端、オレの視界はぼんやりと霞んでいった。
「案外上手に泳げるみたいだね。もう少しこのまま宙を泳いでいようか?」
「……いいから、とっとと引き揚げろよ。人目につくだろ」
「そう言えば、人にものを頼むときは何て言うか知っている?」
「オネガイシマス、タスケテクダサイ」
「随分な棒読みだけど、仕方がない助けてあげるか」
恩着せがましい言葉とは裏腹、ぬくもりを感じる眼差しだった。
その太陽のような眩しさに目が眩む。
オレはこのすべてを見透かす澄み渡った瞳に恐れをなしていた。
なぜなら、この三年間、誰にも悟られぬよう潜り込んだ闇の深さを真之助が知っていることは容易に想像できたからだ。オレのすべてを知っている。弱みのすべてを知っている――。
そして、最も恐ろしかったのは、この瞳の前では闇の世界が無力化する予感があったからかもしれない。
『貴方の生きたいと願う強い思いが奇跡を起こすんだ』
落下する瞬間になって脳裏で響いたのは、怨霊と名乗っていた頃の真之助の台詞だった。
実際に真之助がそう叫んだのか、記憶の中の台詞なのかわからないが、頭の中で強烈な光を発し、闇の世界はあっと言う間に消え去った。
つまりは死にたい死にたいと願いながらも、恋焦がれた死に手が届きそうになったところで、卑怯にも藁に縋ったのだ。
途端に身体は落下を止め、真之助によって無事屋上へと引き揚げられた。
胸を激しく上下させながら、大の字で横になる。
生死の狭間を彷徨い生還した人が空を見上げて、その青さに感動するのと同じくらい、オレは感動していた。世界はひと皮剥けたかのように色鮮やかで、真っ青な空が色濃く見えた。
息を整え身体を起こすと、屋上にはオレと真之助以外誰もいなかった。
「平沢は?」
「逃げたみたいだよ」
「そう言えばストーカーは? さっき平沢に襲われたときに真之助と対峙しているところを見たんだ。あれは成瀬さんのストーカーだろ? 何だってオレたちの前に現れたんだ?」
「それはこっちが訊きたいくらいだよ」
真之助はうんざりだと言うように肩を竦た。
「私たちが屋上に上がったときには暗雲が立ち込めるように元凶が蔓延っていたんだ。平沢君は元凶に憑依を受けている状態だし、そこに不成仏霊は現れるし、真を助けるのに骨を折ったよ」
そして、再び懐から鉄扇を取り出すと、長い指を動かしてパッと開いた。その仕草がトランプを自在に操るマジシャンのように滑らかで、次に何が起こるのだろうと思わず期待してしまうが、鳩が出てくるようなことはなく、淡々と種明かしがされていった。
「通常、生まれたばかりの元凶はある程度の数なら鉄扇で散らすことができるんだ。でも、数が限度を超えていて、鉄扇が使えなかった」
そこで真之助は霊力に頼ることにしたらしい。オレを助けるために霊力を使えば、平沢を傷つける恐れもあったが、背に腹は代えられないという判断で、一か八か、元凶と不成仏霊を追い払うために風を起こした。それによって、平沢の憑依は解け、不成仏霊が逃げ去ったはいいが、オレが屋上から落下したという。
「その説明だと、オレが落ちたのは、まさかのお前のせいってことになるよな?」
「ま、捉えようによってはそうなるね。助かったんだからよかったじゃないか」
「お前のせいにしかならねえよ。お陰で死ぬところだったろうが!」
ついさっきまで心の闇に引きずり込まれていたことを棚に上げて声を荒げると、真之助は高笑いして、「細かいことを気にする男はモテないよ」と言うから、怒りに無理やり重石を乗せて蓋をした。それから、逃げたというストーカーについて、モテる要素を逃しかねない細かい疑問をぶつけた。
「でもさ、霊感のないオレにストーカーが見えたんだけど、それっておかしくないか? 真之助や寿々子さんのようにオレに姿を見せるための親切心で霊力を使ったってわけじゃなさそうだし」
「ああ、それは」
今度は珍しく極まりが悪そうに鼻の頭をかいた。
「私が風を起こすために霊力を使ったのが原因なんだ。霊力を大量に消費すると周囲の霊にもエネルギーが作用して、影響を受けた霊が生者に見えてしまうことがあるんだ。今回は反省点ばかりだ、私もまだまだだなあ」
「ま、助かったんだからよかったんじゃね?」
たまにはフォローしてやるかと真之助の台詞を真似て、労ってやる。
すると、拍子抜けをしたようで、真之助は一瞬きょとんとしてから、微笑んだ。その瞳が不思議ともう怖くはなかった。
「元凶は意図的に集められたんだと思う」
真之助は鉄扇を下へ向け、射的で狙いを定めるように軽く睨んだ。
野次馬を警戒してそっと見下ろすと、扇子を広げた寿々子さんが慌てた様子で立ち去るところだった。
「まさか、寿々子さんが関係しているってことなのか?」
「そして、不成仏霊も。これは彼の落とし物だよ」
真之助が腰を屈めて拾い上げたのは、掌に収まる小さな手鏡だ。そのモチーフに見覚えがある。
「寿々子さんの髪飾りと同じ花じゃねえか。それをストーカーが持っていたってことは寿々子さんから盗んだっていうのか?」
真之助はそれには応えず、「きっと成瀬さんのためだ」と呟いた。整った顔からは表情が消えている。
「いいかい、真。よく聞いて。生者間の問題は生者同士で解決するのが原則だから、ここから先は私たち守護霊はノータッチだ。守護霊の仕事はあくまでもお付き人を元凶から守ることで、例えどんなにお付き人が人の道から外れても、黙って見守ることしかできないからね。親の様に道徳的に導く権限は一切ない。だから、成瀬さんのことは真に任せたよ。私は寿々子さんと決着をつける」
「決着だって?」
何をまた大袈裟な。そう言い返そうとしたが、冗談の欠片がひとつも浮かんでいない真之助の引き締まった口元を見て言葉を飲み込んだ。
「寿々子さんと成瀬さんを追うよ」
今いる場所から成瀬さんの姿は見えないが、掟によって、「お付き人と離れてはいけない」と決められているから、近くにいるはずだった。
疑問符で頭の中がパンクしそうだったが、真之助の脳内では点と点が線で繋がっているようだ。
オレが心の闇に捕らわれ、ひとり膝を抱えていたとき、真之助の心境はどんなだったのだろうと、先を走る背中を見て思った。
オレは花火を見たのだ。
きつく目をつぶっていたから、この衝撃は比喩にすぎないが、闇を彩る美しい花火が瞼の内側でドカンと花開き、驚いて目を開けた。
すると、口を開いて待っているはずの地面はいつになっても近づいてくる気配がなく、足はじたばたと宙を泳いだまま。
不思議に思い見上げれば、切れ長の瞳を細め微笑みをたたえている真之助が目に入った。
相変わらず飄々とした涼しい顔だが、その温度とは似つかわしくない燃えるような熱を、しっかりと掴まれた腕から感じ取った途端、オレの視界はぼんやりと霞んでいった。
「案外上手に泳げるみたいだね。もう少しこのまま宙を泳いでいようか?」
「……いいから、とっとと引き揚げろよ。人目につくだろ」
「そう言えば、人にものを頼むときは何て言うか知っている?」
「オネガイシマス、タスケテクダサイ」
「随分な棒読みだけど、仕方がない助けてあげるか」
恩着せがましい言葉とは裏腹、ぬくもりを感じる眼差しだった。
その太陽のような眩しさに目が眩む。
オレはこのすべてを見透かす澄み渡った瞳に恐れをなしていた。
なぜなら、この三年間、誰にも悟られぬよう潜り込んだ闇の深さを真之助が知っていることは容易に想像できたからだ。オレのすべてを知っている。弱みのすべてを知っている――。
そして、最も恐ろしかったのは、この瞳の前では闇の世界が無力化する予感があったからかもしれない。
『貴方の生きたいと願う強い思いが奇跡を起こすんだ』
落下する瞬間になって脳裏で響いたのは、怨霊と名乗っていた頃の真之助の台詞だった。
実際に真之助がそう叫んだのか、記憶の中の台詞なのかわからないが、頭の中で強烈な光を発し、闇の世界はあっと言う間に消え去った。
つまりは死にたい死にたいと願いながらも、恋焦がれた死に手が届きそうになったところで、卑怯にも藁に縋ったのだ。
途端に身体は落下を止め、真之助によって無事屋上へと引き揚げられた。
胸を激しく上下させながら、大の字で横になる。
生死の狭間を彷徨い生還した人が空を見上げて、その青さに感動するのと同じくらい、オレは感動していた。世界はひと皮剥けたかのように色鮮やかで、真っ青な空が色濃く見えた。
息を整え身体を起こすと、屋上にはオレと真之助以外誰もいなかった。
「平沢は?」
「逃げたみたいだよ」
「そう言えばストーカーは? さっき平沢に襲われたときに真之助と対峙しているところを見たんだ。あれは成瀬さんのストーカーだろ? 何だってオレたちの前に現れたんだ?」
「それはこっちが訊きたいくらいだよ」
真之助はうんざりだと言うように肩を竦た。
「私たちが屋上に上がったときには暗雲が立ち込めるように元凶が蔓延っていたんだ。平沢君は元凶に憑依を受けている状態だし、そこに不成仏霊は現れるし、真を助けるのに骨を折ったよ」
そして、再び懐から鉄扇を取り出すと、長い指を動かしてパッと開いた。その仕草がトランプを自在に操るマジシャンのように滑らかで、次に何が起こるのだろうと思わず期待してしまうが、鳩が出てくるようなことはなく、淡々と種明かしがされていった。
「通常、生まれたばかりの元凶はある程度の数なら鉄扇で散らすことができるんだ。でも、数が限度を超えていて、鉄扇が使えなかった」
そこで真之助は霊力に頼ることにしたらしい。オレを助けるために霊力を使えば、平沢を傷つける恐れもあったが、背に腹は代えられないという判断で、一か八か、元凶と不成仏霊を追い払うために風を起こした。それによって、平沢の憑依は解け、不成仏霊が逃げ去ったはいいが、オレが屋上から落下したという。
「その説明だと、オレが落ちたのは、まさかのお前のせいってことになるよな?」
「ま、捉えようによってはそうなるね。助かったんだからよかったじゃないか」
「お前のせいにしかならねえよ。お陰で死ぬところだったろうが!」
ついさっきまで心の闇に引きずり込まれていたことを棚に上げて声を荒げると、真之助は高笑いして、「細かいことを気にする男はモテないよ」と言うから、怒りに無理やり重石を乗せて蓋をした。それから、逃げたというストーカーについて、モテる要素を逃しかねない細かい疑問をぶつけた。
「でもさ、霊感のないオレにストーカーが見えたんだけど、それっておかしくないか? 真之助や寿々子さんのようにオレに姿を見せるための親切心で霊力を使ったってわけじゃなさそうだし」
「ああ、それは」
今度は珍しく極まりが悪そうに鼻の頭をかいた。
「私が風を起こすために霊力を使ったのが原因なんだ。霊力を大量に消費すると周囲の霊にもエネルギーが作用して、影響を受けた霊が生者に見えてしまうことがあるんだ。今回は反省点ばかりだ、私もまだまだだなあ」
「ま、助かったんだからよかったんじゃね?」
たまにはフォローしてやるかと真之助の台詞を真似て、労ってやる。
すると、拍子抜けをしたようで、真之助は一瞬きょとんとしてから、微笑んだ。その瞳が不思議ともう怖くはなかった。
「元凶は意図的に集められたんだと思う」
真之助は鉄扇を下へ向け、射的で狙いを定めるように軽く睨んだ。
野次馬を警戒してそっと見下ろすと、扇子を広げた寿々子さんが慌てた様子で立ち去るところだった。
「まさか、寿々子さんが関係しているってことなのか?」
「そして、不成仏霊も。これは彼の落とし物だよ」
真之助が腰を屈めて拾い上げたのは、掌に収まる小さな手鏡だ。そのモチーフに見覚えがある。
「寿々子さんの髪飾りと同じ花じゃねえか。それをストーカーが持っていたってことは寿々子さんから盗んだっていうのか?」
真之助はそれには応えず、「きっと成瀬さんのためだ」と呟いた。整った顔からは表情が消えている。
「いいかい、真。よく聞いて。生者間の問題は生者同士で解決するのが原則だから、ここから先は私たち守護霊はノータッチだ。守護霊の仕事はあくまでもお付き人を元凶から守ることで、例えどんなにお付き人が人の道から外れても、黙って見守ることしかできないからね。親の様に道徳的に導く権限は一切ない。だから、成瀬さんのことは真に任せたよ。私は寿々子さんと決着をつける」
「決着だって?」
何をまた大袈裟な。そう言い返そうとしたが、冗談の欠片がひとつも浮かんでいない真之助の引き締まった口元を見て言葉を飲み込んだ。
「寿々子さんと成瀬さんを追うよ」
今いる場所から成瀬さんの姿は見えないが、掟によって、「お付き人と離れてはいけない」と決められているから、近くにいるはずだった。
疑問符で頭の中がパンクしそうだったが、真之助の脳内では点と点が線で繋がっているようだ。
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