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第3章 守護霊界の掟

第12話 中村寿々子【前編】

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【真之助視点】

 たたずまいの美しい麗人れいじんのように花菖蒲はなしょうぶが咲いている。

 瞠目どうもくするほど高貴な紫、息を詰める神秘的な白、空を溶かしたような青、活力を内に秘めた黄色と、咲き誇る姿は色とりどりの蝶々が舞っているかのようにも見える。

 私はその花々の美しさに負けずとも劣らない、島田髷にセーラー服の佳麗な守護霊と木道で向かい合っている。

「ずっとわたくしの後をつけておられましたね。ストーカーと見間違うところでございました」

 まるで、手のひらを返したかのような冷え冷えとした寿々子すずこさんの対応に私は不満を口にする。

「ストーカーとはあんまりだなあ。最初に不成仏霊を追い払うために手伝って欲しいと言ったのはそっちじゃないか」
 
「その件でございますが、もう解決いたしました。ですから、ご協力くださる必要はございません。お引き取りくださいませ」

 寿々子さんの背後には真と成瀬さんが話し込んでいる東屋あずまやがあった。その東屋を守るかのようにここから先へは通さないという強い意志が言葉と視線に表れていた。
 
「帰るわけにはいかないよ。私も寿々子さんに話があって来たんだから」

「いよいよ、わたくしを口説いてくださる気になりましたか」

「生憎、寿々子さんはタイプじゃないんだ」 

「相変わらず、つれないお方」
 
 私たちは成瀬さんはもとより、真にも気配を感じ取られないように霊力のスイッチをオフにしていたから、これからつけなければならない決着の顛末を誰かに知られる心配はなかった。手加減も遠慮もせずにやらせてもらうつもりだ。

「真を殺そうとしたね」

「一体、何のお話でございましょう」
 
「真が屋上から落ちたあとに、扇子を広げている貴女を見たんだ。生まれて間もない元凶は扇子で起こした風に乗せることも造作ない。屋上に集めるのも簡単だ。貴女は私たちが屋上にいるのを知っていてわざと元凶を集めたんだ」

 扇子を使って生まれたばかりの元凶を風に乗せる――。

 これは守護霊ならば誰もが持っている知識だった。

 そして、また未熟な元凶と言えども油断ならないことも周知の事実で、小魚が集合し魚群となったときに他を圧倒する大きなエネルギーを得るように、元凶同士が結合し成長すれば、お付き人を狙う脅威へと変わるのだ。実際、あのとき、真の運命期も相まって元凶の成長と結合が異常な速度で早まり、かなり危険な状況にあった。

 寿々子さんは首を傾げた。

「わたくしは何も存じ上げません」

 薄い紙のような鋭い笑みが私を切りつけるが、私も気持ちとは相反する笑みを浮かべてお構いなしに間合いを詰めた。

「さっき、貴女は不成仏霊の件が解決したと言ったけど」

「それが何か」

「彼は真を殺そうとして、屋上に現れたんだ。これって不成仏霊の標的が成瀬さんから真へ変わったために解決した、ということだよね」

「言いがかりにございます。真之助様は想像力が豊かなところが欠点でございますね」

「そろそろしらを切るのもやめにしない? あのタイミングで元凶と不成仏霊が出現するなんて、あまりにも筋書きができすぎている。私には寿々子さんが手引きしたとしか考えられないんだ。もう二度と真に近づくのはやめて欲しい」

 私の懇願を寿々子さんは忍び笑いとともに受け流す。
 
「まあ、怖い。わたくしを斬ってしまいたい。そうお顔に書いてございますわ」

 そのまま、ねっとりとした視線を私の無防備な左腰へと注いだ。
 
「もっとも、その丸腰ではわたくしを斬ることなど叶いませんけれど」 

「何も斬るのが刀ばかりとは思わない方がいい。こちらには切り札があるんだ」
 
 先ほど屋上で不成仏霊が落としていった手鏡を見せると、薄ら笑いが跡形もなく引いていった。

「どうして、真之助様が持っていらっしゃるのですか」

「不成仏霊が立ち去るときに落としたんだ。貴女の髪飾りとお揃いの花菖蒲が描かれている。この手鏡はかんざしくし、手鏡の三点で一組としてわざわざあつらえたものじゃないのかな。それを持っていたということは、彼と寿々子さんは過去に因果があった。もしくは今でも懇意の仲にある。違う?」

 寿々子さんの緩やかな山の稜線りょうせんのような眉が、切り立つ崖のようにつり上がった。

「お願いだから、真にきちんと謝って欲しい。そうじゃなければ、私は貴女のことを守護霊界のおさに報告しなければならない」

「わたくしを脅すおつもりですか」

 寿々子さんはこの世で一番耳にしたくない言葉を聞いたかのような青褪めた顔で唇をわななかせた。

 それもそのはず。守護霊界の長はそれだけ私たち守護霊にとって脅威の存在なのだ。彼の気まぐれな一言で私たちは職を失うのだから。

 私はダメ押しで懇願の仮面をかぶった脅迫を続けた。

「クビになりたくなければ、大人しく観念するんだ」

「ふざけんなよ、この腑抜け侍が!!!!!」

 たがが外れたかのようだった。

 寿々子さんは歯茎を剥き、荒々しい言葉を投げつけると私のふところへ飛び込んできた。

 飛び込んできたと色気のある表現をしても、実際は昨夜の縋り付くような抱擁ではなく、憎々しい相手に憎悪の念を乗せたロケットを発射する凄まじい勢いだった。

 私の体は風に舞う落ち葉のように無抵抗に吹き飛ばされ、花菖蒲の海に沈んだ。身を起こす間もなく、馬乗りになった寿々子さんに体の自由を奪われる。

「どうして、どいつもこいつも、わたくしの邪魔ばかりする!」
 
「貴女は最初から真を殺そうとして私たちに近づいたんだね」

「美月を守るためよ。彼女のためならば、何を犠牲にしたって構うことはないわ。例え、他人のお付き人を巻き込んだってね。美月はわたくしの全てであり、生き甲斐なの。生前は縁遠かった幸せをあの子が与えてくれたのよ。子を授からなかったわたくしに初めて預けられた命。大切に守り抜こう、そう決めたのに。こんなところでクビになって堪るものですか!」

 寿々子さんは螺鈿らでんの簪を髪から引き抜くと、殺意を包み隠すことなく私の喉元へ振り下ろした。

 簪が皮膚を突き破る感覚が走る――。

 が、私は幽霊だ。痛みはない。生者で言うところの致命傷を負っても死にやしないのだ。

 無敵の体に感謝していると、私の余裕に勘づいた寿々子さんが目を血走らせた。

「あんたみたいに太平な時代に生まれ、何の苦労もなく恵まれて育ったような人間が憎らしくて憎らしくて仕方がないのよ!」

 荒れ狂った波が打ち寄せるように何度も何度も腕を振り下ろした。

「あんたにわかる? 家の汚点のように扱われ、日の当たらない屋敷の離れで息を潜めるだけの惨めな人生を送ったわたくしの苦しみが! 挙げ句の果て、世の中は倒幕だ、戦だ、落城したから藩のために喉を突いて自刃しろですって? バッカじゃないの」

 自暴自棄とも取れる口調で吐き捨てた。一緒に武家の娘としての誇りやプライドもかなぐり捨ててしまったのか、崇高な精神は微塵も感じられなかったが、私にとって彼女がどんな風に生き、人生を終えたのか、この状況下ではどうでもいいことだった。

「言いたいことはそれだけ?」

「どういう意味?」

「寿々子さんを捕まえたって意味だよ。貴女は私から逃げられない」

「!!」

 ようやく自分の窮地に気がついたようだった。すぐに簪から手を離そうとしたが、私はそれを許さなかった。

 寿々子さんの腕を捻り上げ、大きくバランスを崩したところを組み敷いた。上下の位置が入れ替わる。

 そして、首に残ったままの簪を引き抜いて、彼女の細い喉元へと突きつけた。

「で。結局、貴女は自害したの?」

 私がほくそ笑むと、寿々子さんは悲鳴にもならない小さな息を洩らした。

 守護霊にとって生前の死因が最大のトラウマになることがある。

 寿々子さんの恐怖に歪んだ顔がそれをあからさまに示していた。

 真を危険な目に遭わせた許しがたい罪は、私の内にあるひどく冷たい静かな炎を燃え上がらせた。

 生前の悪い癖が出始めた。

 私は案外短気なのだ。
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