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第4章 生きることは、守られること
第2話 ごめん
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【真視点】
久しぶりに穏やかな夢を見た。
夢の中のオレはまだ小さな子供で、温かな背中に揺られ、子守唄に包まれていた。
薄目を開けると提灯の明かりが遠く前方にぼんやり見えた。この橙色の明かりが提灯だとすぐにわかったのはお祭りに来ていたからだった。
ごった返す人ごみの中、いつの間にか家族とはぐれ、迷子になったのだ。家族を探して辿り着いた先は人気のない稲荷神社。ついさっきまで、境内の隅っこで膝を抱えひとり泣いていたはずだったのだが、気がついたときには、こうして誰かに負ぶわれていた。
背中から伝わる緩やかな歩調と優しい歌声。
子供の限られた世界から、知っている大人を探し出すと、たったひとり思い当たる人物がいた。
じいちゃんだ!
すべての謎を解き明かした名探偵のように脳内で電球が光ると、今見ている風景が過去の記憶であることに気がついた。
まだ自転車の練習をする前の、ほんの小さな子供だった頃の記憶が、なぜ、今になって蘇ったのだろうか。
ふとそんな些細な疑問が湧き起こったが、思考はすぐに流れていく。
言うべき言葉があったのだ。
じいちゃんとケンカしたままサヨナラしたのだから、ちゃんと仲直りをしなければならない。有りっ丈の勇気をかき集めるのだ。そして、たった一言でいい。
――ごめん。
しかし、言えずじまいだった言葉は夢の中でも口にすることを許されないらしい。
再び瞼が下り始めた。きっと現実世界の目覚めが近いのだろう。
勇気にもタイミングにも見放されるとは、憶病者め。
自分自身に呆れながら、意識が浮上した――。
※ ※ ※
――目が覚めたときには、カーテンの隙間からキラキラと光がこぼれ、朝がやって来ていた。
スマホを確認したところ、早朝と呼ぶには憚られる時刻で、慌てて布団をはね除けた。
「どうして起こしてくれなかったんだよ!」
床にゴロリと寝転びながら、緩慢な動作で漫画本のページを捲る真之助に怒りの矢を放つ。
しかし、矢は真之助まで届くことはなく、緊張感の欠片もない大欠伸ひとつで躱されてしまった。
「何度も起こしたのに起きなかったのはそっちじゃないか。恵子さんだって諦めていたよ。もう知らないってさ」
「ちょ……母さん、息子を見捨てんのかよ」
ようやく本を閉じた真之助は涙を拭いながら、視線を上げた。
「お願いがあるんだけど。この漫画、もう読み飽きちゃったから、別なのを買ってよ。台詞まで丸暗記しちゃって、退屈しのぎにもならないんだ」
「それ、買ったばかりの新刊だっつうの。オレはまだ一回も読んでいないんだからな。勝手に読むんじゃねえよ」
真之助はオレの抗議を聞こえないものと決め込んだのか、億劫そうに体を起こし、「うーん」と呻りながら大きく伸びあがった。
これではオレと真之助のどっちが寝起きなのかわかったものではない。そもそも、守護霊は寝ずの番をしているのではなかったか。
職務怠慢を指摘しようとしたとき、オレの心中を見抜いたかのように真之助が言った。
「言っておくけど、私は一睡もしてないからね。前にも言ったと思うんだけど、守護霊はお付き人が眠っている間、時間を持て余しているんだよ」
「だからって、深夜にスパイダーウォークをするやつのイカれた神経が理解できねえよ」
「あれは筋トレ」
「筋トレならもっと地味で無害なやつがあるだろう。いいか、金輪際、スパイダーウォークは禁止だ。元凶にやられる前に心臓が止まったら、真之助のせいだからな。守護霊として責任取れるんだろうな?」
オレはシャツを脱ぎ捨て、学生服に袖を通しながら早口で捲し立てた。最後はほとんどガラの悪い脅し文句になったが、やはり真之助には一撃もかすらない。
「だったら、何をしていればいいのさ? 真が寝ている間はスマホもダメ、スパイダーウォークもダメ。掟にも真にも拘束されて息がつまる生活だ」
「息がつまるんだったら、その大袈裟な溜め息は何だよ。気道全面開通じゃねえか」
能天気な守護霊と口論している時間はないと我に返り、通学カバンを引っ手繰るようにしてドアまで駆けて行ったが、ふと大切なことを思い出し、結局踵を返した。
カーテンを開け放つ。朝日とともに窓辺に現れたのは小さな植木鉢だ。
「芽、出た?」
真之助がオレの手元を覗き込む。
「いいや、相変わらず出てない」
この植木鉢はじいちゃんが死ぬ数日前にオレに預けたものだった。しっかり水をやっているのに、どういう訳か一向に芽が出ない。
「孝志君は何の種を蒔いたんだろうね」
「さあな。もう腐っているのかもしれない」
硬い種の中で眠る緑の新芽はいつまでオレを焦らし続ければ気が済むのだろうか。
植木鉢を元に戻し、気を取り直して、廊下へ出る。
オレは後ろから付いてくる真之助の気配に「おい」と横柄に声だけを投げた。振り返りはしなかった。それだけ気恥ずかしいことを告白するのだから。
「昨日はいきなり怒鳴りつけて悪かったな。だから、その……ごめんな?」
久しぶりにじいちゃんとの思い出を夢に見たからだろうか。ケンカ別れした後悔が胸の中でくすぶっていた。
もう二度と後悔を残したくない。
じいちゃんに言えなかった「ごめん」の言葉を、身代わりとして真之助に伝えると、薬物のように一過性のものに違いないが、溜飲が下がり、胸に清々しい風が吹き抜けた。
しかし、真之助は「真が素直すぎて気持ちが悪いなあ」と余計な詮索を始めた。
「まさか、私に隠し事をしてる? 春画でも隠し持っているんじゃないの?」
「はあ? 隠してねえよ!」
ベッドの下を覗き込もうとする真之助はなかなかの強敵だ。オレは全力で阻止するために一気呵成に言葉を繋いだ。
「じいちゃんの夢を見たんだよ。ガキの頃の夏祭りの夢でさ、オレをおんぶしながら子守唄を歌ってくれたんだ。ほら、じいちゃんは歌が上手かっただろ。市のカラオケ大会で優勝したこともあった。その歌声を聴けたんだ、目覚めが悪いはずがない。真之助に謝ったのはな、じいちゃんのお陰で気分がよかったからだよ。お前、じいちゃんに感謝しろよな」
「わかった。孝志君に感謝するから、暇つぶしのスパイダーウォークは認めてよ」
「誰が認めるか。今の言葉で本音が出たぞ。お前こそ、オレに隠し事をしていたな。スパイダーウォークの動機は筋トレじゃない、ただの暇つぶしの悪趣味ってことだ」
すると、真之助は心底感心したとでも言うように、目を丸くして拍手をする。
「随分と勘が鋭くなったじゃないか。バレちゃ仕方がない。あれは真を驚かすためにわざとやったんだ」
「スパイダーウォークは永遠に封印しろ。お前みたいな性悪野郎には二度と謝らないからな!」
先ほどは後悔を残したくないと決意したにも関わらず、早くも後悔するオレだった。
久しぶりに穏やかな夢を見た。
夢の中のオレはまだ小さな子供で、温かな背中に揺られ、子守唄に包まれていた。
薄目を開けると提灯の明かりが遠く前方にぼんやり見えた。この橙色の明かりが提灯だとすぐにわかったのはお祭りに来ていたからだった。
ごった返す人ごみの中、いつの間にか家族とはぐれ、迷子になったのだ。家族を探して辿り着いた先は人気のない稲荷神社。ついさっきまで、境内の隅っこで膝を抱えひとり泣いていたはずだったのだが、気がついたときには、こうして誰かに負ぶわれていた。
背中から伝わる緩やかな歩調と優しい歌声。
子供の限られた世界から、知っている大人を探し出すと、たったひとり思い当たる人物がいた。
じいちゃんだ!
すべての謎を解き明かした名探偵のように脳内で電球が光ると、今見ている風景が過去の記憶であることに気がついた。
まだ自転車の練習をする前の、ほんの小さな子供だった頃の記憶が、なぜ、今になって蘇ったのだろうか。
ふとそんな些細な疑問が湧き起こったが、思考はすぐに流れていく。
言うべき言葉があったのだ。
じいちゃんとケンカしたままサヨナラしたのだから、ちゃんと仲直りをしなければならない。有りっ丈の勇気をかき集めるのだ。そして、たった一言でいい。
――ごめん。
しかし、言えずじまいだった言葉は夢の中でも口にすることを許されないらしい。
再び瞼が下り始めた。きっと現実世界の目覚めが近いのだろう。
勇気にもタイミングにも見放されるとは、憶病者め。
自分自身に呆れながら、意識が浮上した――。
※ ※ ※
――目が覚めたときには、カーテンの隙間からキラキラと光がこぼれ、朝がやって来ていた。
スマホを確認したところ、早朝と呼ぶには憚られる時刻で、慌てて布団をはね除けた。
「どうして起こしてくれなかったんだよ!」
床にゴロリと寝転びながら、緩慢な動作で漫画本のページを捲る真之助に怒りの矢を放つ。
しかし、矢は真之助まで届くことはなく、緊張感の欠片もない大欠伸ひとつで躱されてしまった。
「何度も起こしたのに起きなかったのはそっちじゃないか。恵子さんだって諦めていたよ。もう知らないってさ」
「ちょ……母さん、息子を見捨てんのかよ」
ようやく本を閉じた真之助は涙を拭いながら、視線を上げた。
「お願いがあるんだけど。この漫画、もう読み飽きちゃったから、別なのを買ってよ。台詞まで丸暗記しちゃって、退屈しのぎにもならないんだ」
「それ、買ったばかりの新刊だっつうの。オレはまだ一回も読んでいないんだからな。勝手に読むんじゃねえよ」
真之助はオレの抗議を聞こえないものと決め込んだのか、億劫そうに体を起こし、「うーん」と呻りながら大きく伸びあがった。
これではオレと真之助のどっちが寝起きなのかわかったものではない。そもそも、守護霊は寝ずの番をしているのではなかったか。
職務怠慢を指摘しようとしたとき、オレの心中を見抜いたかのように真之助が言った。
「言っておくけど、私は一睡もしてないからね。前にも言ったと思うんだけど、守護霊はお付き人が眠っている間、時間を持て余しているんだよ」
「だからって、深夜にスパイダーウォークをするやつのイカれた神経が理解できねえよ」
「あれは筋トレ」
「筋トレならもっと地味で無害なやつがあるだろう。いいか、金輪際、スパイダーウォークは禁止だ。元凶にやられる前に心臓が止まったら、真之助のせいだからな。守護霊として責任取れるんだろうな?」
オレはシャツを脱ぎ捨て、学生服に袖を通しながら早口で捲し立てた。最後はほとんどガラの悪い脅し文句になったが、やはり真之助には一撃もかすらない。
「だったら、何をしていればいいのさ? 真が寝ている間はスマホもダメ、スパイダーウォークもダメ。掟にも真にも拘束されて息がつまる生活だ」
「息がつまるんだったら、その大袈裟な溜め息は何だよ。気道全面開通じゃねえか」
能天気な守護霊と口論している時間はないと我に返り、通学カバンを引っ手繰るようにしてドアまで駆けて行ったが、ふと大切なことを思い出し、結局踵を返した。
カーテンを開け放つ。朝日とともに窓辺に現れたのは小さな植木鉢だ。
「芽、出た?」
真之助がオレの手元を覗き込む。
「いいや、相変わらず出てない」
この植木鉢はじいちゃんが死ぬ数日前にオレに預けたものだった。しっかり水をやっているのに、どういう訳か一向に芽が出ない。
「孝志君は何の種を蒔いたんだろうね」
「さあな。もう腐っているのかもしれない」
硬い種の中で眠る緑の新芽はいつまでオレを焦らし続ければ気が済むのだろうか。
植木鉢を元に戻し、気を取り直して、廊下へ出る。
オレは後ろから付いてくる真之助の気配に「おい」と横柄に声だけを投げた。振り返りはしなかった。それだけ気恥ずかしいことを告白するのだから。
「昨日はいきなり怒鳴りつけて悪かったな。だから、その……ごめんな?」
久しぶりにじいちゃんとの思い出を夢に見たからだろうか。ケンカ別れした後悔が胸の中でくすぶっていた。
もう二度と後悔を残したくない。
じいちゃんに言えなかった「ごめん」の言葉を、身代わりとして真之助に伝えると、薬物のように一過性のものに違いないが、溜飲が下がり、胸に清々しい風が吹き抜けた。
しかし、真之助は「真が素直すぎて気持ちが悪いなあ」と余計な詮索を始めた。
「まさか、私に隠し事をしてる? 春画でも隠し持っているんじゃないの?」
「はあ? 隠してねえよ!」
ベッドの下を覗き込もうとする真之助はなかなかの強敵だ。オレは全力で阻止するために一気呵成に言葉を繋いだ。
「じいちゃんの夢を見たんだよ。ガキの頃の夏祭りの夢でさ、オレをおんぶしながら子守唄を歌ってくれたんだ。ほら、じいちゃんは歌が上手かっただろ。市のカラオケ大会で優勝したこともあった。その歌声を聴けたんだ、目覚めが悪いはずがない。真之助に謝ったのはな、じいちゃんのお陰で気分がよかったからだよ。お前、じいちゃんに感謝しろよな」
「わかった。孝志君に感謝するから、暇つぶしのスパイダーウォークは認めてよ」
「誰が認めるか。今の言葉で本音が出たぞ。お前こそ、オレに隠し事をしていたな。スパイダーウォークの動機は筋トレじゃない、ただの暇つぶしの悪趣味ってことだ」
すると、真之助は心底感心したとでも言うように、目を丸くして拍手をする。
「随分と勘が鋭くなったじゃないか。バレちゃ仕方がない。あれは真を驚かすためにわざとやったんだ」
「スパイダーウォークは永遠に封印しろ。お前みたいな性悪野郎には二度と謝らないからな!」
先ほどは後悔を残したくないと決意したにも関わらず、早くも後悔するオレだった。
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