52 / 60
第4章 生きることは、守られること
第11話 絶交宣言
しおりを挟む
オレは一体どこを歩いているのだろうか。
そう思うほど、頭はひどく混乱していて、思考が上手くまとまらなかった。
三田村さんたちと別れてから、オレはあてもなく街をさ迷っている。
真之助がカランコロンと下駄を鳴らしながら、付いてきているのはわかったが、気に留める余裕など微塵も持ち合わせていなかった。
小さな段差につまずいて、我に返ったときには道路を押し倒す格好になっていた。掌や腕がジンジンする。
「洋画のベッドシーンみたいだ」
「……うるせぇな」
頭上から真之助の声が落ちてきたが、顔を上げられそうもなかった。
苛立ちと情けなさが、ない交ぜになり、視界が滲んでいたからだ。
一見、中学生に見えるオレにだって、惨めな顔を誰にも見せたくないと思うほどの男のプライドがあり、一見、無神経に見える真之助にだって、意気消沈している男に無用な情けをかけるような野暮な神経は持ち合わせていない。
道路に視線を這わせたまま、またしばらく歩くと、小さなバス停があった。
すでに気力と体力の限界を迎えていたオレはよろよろと腰を下ろした。
「どうして、じいちゃんが死ななきゃならなかったんだよ」
隣に真之助が座るのを待ってから、オレは愚痴を吐き出した。そう愚痴のつもりだった。
「殺されたかもしれないだって? 笑わせんじゃねえよ。真之助は『生者には必ず守護霊が付いている』って言ったよな? なのに、どうしてじいちゃんは殺されたんだよ? じいちゃんの守護霊は何をしていたんだよ。こんなんじゃ、守護霊の意味ねえじゃん。ふざけんなよ!」
愚痴はエスカレートし、オレはすっかり感情に飲み込まれてしまっていた。白くなった拳を太ももに何度も何度も叩き込む。涙が制服にシミを作った。
「守護霊だって完璧じゃないんだ」
真之助の静かな声が夕闇にぽつりと落ちた。
「生者が失敗することがあるように、私たちだって失敗することがあるんだ。どんなに厳しい訓練を積んだ優秀な守護霊でも、完璧な仕事なんてありえないんだよ。だからこそ、私たちは完璧に近づけるよう毎日努力しているんだ。理解してくれとは言わない。でも、守護霊は己の未熟さをちゃんと知っているから、誰もが命懸けでベストを尽くさなきゃいけない」
「意識高い系かよ」
オレは鼻で笑い、また突っかかる。
真之助の言葉が説教じみた古い言葉に聞こえ、体が異物を排除するように素直に聞き入れることができなかった。
「恐らく、孝志君は運命期にあったんだと思う。生者の運命期は守護霊が足掻いたところで、どうにもならないことも多いからね」
「だからって、じいちゃんの死に納得しろって言うのは強引だよな。真之助は運命期のオレを死なせないって言ったぜ?」
すでに言質を取っているのだと、言葉の端々に皮肉をたっぷりと含ませる。
「世の中には理不尽なことが多く存在するから、今は納得できなくてもいいよ。ただ、人は必ず死ぬ。遅かれ早かれ必ず、だ。これは生者にとって逃れられない絶対の真理なんだよ」
「何、いきなり畏まった顔で真理とか言っちゃってんの? 同僚の失態を庇ったって美談にならないからな。それとも、今の言葉がお前の本音だって言いたいのか?」
真之助は、立ち向かう勢いで詰問したオレを宥めすかしたり、躱したりすることなく、無情にも真っすぐ顎を引いた。
それを目の当たりにしたオレはほとんど反射的に立ち上がった。
「お前となんか、絶交だ。守護霊クビ、クビ、クビ!」
頭はグラグラと煮え立っていた。怒りが噴きこぼれるように、口から感情剥きだしの熱い塊が溢れ出す。
「最悪だな。とっくの昔に死んでいるお前は、生きている人間の気持ちを忘れちまったから、無神経な言葉を軽々しく口に出せるんだよ。オレたちは今この瞬間から赤の他人だからな。じゃあな!」
真之助の唇が何か言葉をかたどろうとしたが、オレは足を威勢よく踏み出していた。
真之助に失望していた。
今の真之助が言った台詞は、出会ってから今日までの日々を全否定するものだったからだ。
屋上から平沢に突き落とされそうになったとき、一瞬でも「生」に執着し、真之助に助けを求めた自分自身を恥ずかしく思った。
真之助の「生きる望みを捨てないこと」、そんな使い古された甘言を鵜呑みにし、命を繋ぐ頼みの綱としたのに、まさかの真之助の方からあっけなく切り落とされてしまうとは。
そして、そのことに愕然としているオレ自身に愕然とした。
日々、死にたいと願いながらも、真之助が「死なせない」と言ってくれたとき、本当は嬉しかったのだ。
暗い闇の中に堕ちていたオレに、真之助がそっと救いの手を差し伸べてくれたお陰で、何かが変わると思っていたし、変わることに期待していたのだ。
やっぱり、オレはじいちゃんに放った言葉の責めを受けるべきなのだ。死を以ってでしか償えない罪なのだから――。
感情が高揚すると脳から麻薬のようなホルモンが分泌されるというのは本当らしい。
上り坂が続いていたが、疲労感を感じることはなかった。
坂の中腹まで来たところで、ようやくオレは気が付いた。
ここがさっき藤木さんの車で通過したばかりの県道だったということに。
辺りは往来する車や人影はなく、ひっそりと静まり返っている。まるで、忘れ去られた海底の遺跡にただひとり佇んでいるようだ。
街路灯はあるものの、電球が切れかかっているのか、何かの通信の暗号のように不規則に明滅する。
そして、ひんやりとした空気が流れ込んでいること気が付いたときには、思わず悲鳴を上げそうになった。
目の前に、いつの間に現れたのか、着物姿の女の子がしゃがみ込んで泣いていたからだ。
『立て看板のある電柱のところで女の子が泣いている』
『この辺りはね、幽霊坂。そう呼ばれているんだよ』
車内での会話がようやく実像を結び始め、オレは震え上った。
恥ずかしげもなく前言を撤回する。
「お助けください、真之助様!!!」
絶交したばかりの真之助に助けを求めるのは調子がいいなあと自分でも思う。
そう思うほど、頭はひどく混乱していて、思考が上手くまとまらなかった。
三田村さんたちと別れてから、オレはあてもなく街をさ迷っている。
真之助がカランコロンと下駄を鳴らしながら、付いてきているのはわかったが、気に留める余裕など微塵も持ち合わせていなかった。
小さな段差につまずいて、我に返ったときには道路を押し倒す格好になっていた。掌や腕がジンジンする。
「洋画のベッドシーンみたいだ」
「……うるせぇな」
頭上から真之助の声が落ちてきたが、顔を上げられそうもなかった。
苛立ちと情けなさが、ない交ぜになり、視界が滲んでいたからだ。
一見、中学生に見えるオレにだって、惨めな顔を誰にも見せたくないと思うほどの男のプライドがあり、一見、無神経に見える真之助にだって、意気消沈している男に無用な情けをかけるような野暮な神経は持ち合わせていない。
道路に視線を這わせたまま、またしばらく歩くと、小さなバス停があった。
すでに気力と体力の限界を迎えていたオレはよろよろと腰を下ろした。
「どうして、じいちゃんが死ななきゃならなかったんだよ」
隣に真之助が座るのを待ってから、オレは愚痴を吐き出した。そう愚痴のつもりだった。
「殺されたかもしれないだって? 笑わせんじゃねえよ。真之助は『生者には必ず守護霊が付いている』って言ったよな? なのに、どうしてじいちゃんは殺されたんだよ? じいちゃんの守護霊は何をしていたんだよ。こんなんじゃ、守護霊の意味ねえじゃん。ふざけんなよ!」
愚痴はエスカレートし、オレはすっかり感情に飲み込まれてしまっていた。白くなった拳を太ももに何度も何度も叩き込む。涙が制服にシミを作った。
「守護霊だって完璧じゃないんだ」
真之助の静かな声が夕闇にぽつりと落ちた。
「生者が失敗することがあるように、私たちだって失敗することがあるんだ。どんなに厳しい訓練を積んだ優秀な守護霊でも、完璧な仕事なんてありえないんだよ。だからこそ、私たちは完璧に近づけるよう毎日努力しているんだ。理解してくれとは言わない。でも、守護霊は己の未熟さをちゃんと知っているから、誰もが命懸けでベストを尽くさなきゃいけない」
「意識高い系かよ」
オレは鼻で笑い、また突っかかる。
真之助の言葉が説教じみた古い言葉に聞こえ、体が異物を排除するように素直に聞き入れることができなかった。
「恐らく、孝志君は運命期にあったんだと思う。生者の運命期は守護霊が足掻いたところで、どうにもならないことも多いからね」
「だからって、じいちゃんの死に納得しろって言うのは強引だよな。真之助は運命期のオレを死なせないって言ったぜ?」
すでに言質を取っているのだと、言葉の端々に皮肉をたっぷりと含ませる。
「世の中には理不尽なことが多く存在するから、今は納得できなくてもいいよ。ただ、人は必ず死ぬ。遅かれ早かれ必ず、だ。これは生者にとって逃れられない絶対の真理なんだよ」
「何、いきなり畏まった顔で真理とか言っちゃってんの? 同僚の失態を庇ったって美談にならないからな。それとも、今の言葉がお前の本音だって言いたいのか?」
真之助は、立ち向かう勢いで詰問したオレを宥めすかしたり、躱したりすることなく、無情にも真っすぐ顎を引いた。
それを目の当たりにしたオレはほとんど反射的に立ち上がった。
「お前となんか、絶交だ。守護霊クビ、クビ、クビ!」
頭はグラグラと煮え立っていた。怒りが噴きこぼれるように、口から感情剥きだしの熱い塊が溢れ出す。
「最悪だな。とっくの昔に死んでいるお前は、生きている人間の気持ちを忘れちまったから、無神経な言葉を軽々しく口に出せるんだよ。オレたちは今この瞬間から赤の他人だからな。じゃあな!」
真之助の唇が何か言葉をかたどろうとしたが、オレは足を威勢よく踏み出していた。
真之助に失望していた。
今の真之助が言った台詞は、出会ってから今日までの日々を全否定するものだったからだ。
屋上から平沢に突き落とされそうになったとき、一瞬でも「生」に執着し、真之助に助けを求めた自分自身を恥ずかしく思った。
真之助の「生きる望みを捨てないこと」、そんな使い古された甘言を鵜呑みにし、命を繋ぐ頼みの綱としたのに、まさかの真之助の方からあっけなく切り落とされてしまうとは。
そして、そのことに愕然としているオレ自身に愕然とした。
日々、死にたいと願いながらも、真之助が「死なせない」と言ってくれたとき、本当は嬉しかったのだ。
暗い闇の中に堕ちていたオレに、真之助がそっと救いの手を差し伸べてくれたお陰で、何かが変わると思っていたし、変わることに期待していたのだ。
やっぱり、オレはじいちゃんに放った言葉の責めを受けるべきなのだ。死を以ってでしか償えない罪なのだから――。
感情が高揚すると脳から麻薬のようなホルモンが分泌されるというのは本当らしい。
上り坂が続いていたが、疲労感を感じることはなかった。
坂の中腹まで来たところで、ようやくオレは気が付いた。
ここがさっき藤木さんの車で通過したばかりの県道だったということに。
辺りは往来する車や人影はなく、ひっそりと静まり返っている。まるで、忘れ去られた海底の遺跡にただひとり佇んでいるようだ。
街路灯はあるものの、電球が切れかかっているのか、何かの通信の暗号のように不規則に明滅する。
そして、ひんやりとした空気が流れ込んでいること気が付いたときには、思わず悲鳴を上げそうになった。
目の前に、いつの間に現れたのか、着物姿の女の子がしゃがみ込んで泣いていたからだ。
『立て看板のある電柱のところで女の子が泣いている』
『この辺りはね、幽霊坂。そう呼ばれているんだよ』
車内での会話がようやく実像を結び始め、オレは震え上った。
恥ずかしげもなく前言を撤回する。
「お助けください、真之助様!!!」
絶交したばかりの真之助に助けを求めるのは調子がいいなあと自分でも思う。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる