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第1章 オカルト生活は突然に
第2話 聖子先生と友人A
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桜並木駅から二駅目にある梅見原駅で下車し、徒歩三分の非常に近い場所にオレが通う梅見原高校がある。地元にある桜並木市の高校に入らなかったのは、通学に自転車が必要だったからだ。
実のところ、オレは自転車に乗れない。
間もなく十八才の誕生日を迎えるというのに、今の今まで、これっぽっちも自転車に乗れたためしがない。
「不動産の物件を選ぶような理由で受験した」と話せば人は笑うが、立地条件はとても真摯な問題だった。
オレに言わせれば、自転車の運転に必要なのはバランス感覚ではなく、運と才能だと思う。
キーンコーンカーンコーン……。
「やっべぇ、遅刻する!」
寝不足の体に温存した最後の力を出し切る思いで、梅見原高校の校門を潜った。
息を切らしながら三年一組の教室に入ると、ホームルームはすでに始まっていた。
担任の黒川聖子先生がメガネ越しの鋭い視線でオレを射抜いてくる。肩をすぼめながら一番後ろの席に着くと、後追いで咳払いが飛んできた。
「崎山君、おはようございます」
「お、おはようございます」
聖子先生は教師の中でも取り分け目立つ先生だ。
目もとを強調する派手な化粧とモデルのようなすらりとした体型ばかりか、黒く長い髪をなびかせて歩く後ろ姿も艶っぽく、前も後ろも、つまり、どこを切り取っても、すれ違いざまに振り返ってしまうほどの美人。
特に男子生徒から絶大な人気を誇っているが、遅刻常習犯のオレには風当たりがめっぽう強く、正直、苦手な先生だった。
「週の始まりから遅刻ですか。崎山君は先週、何回遅刻をしたのかご存じかしら」
「確か、五回です」
申し訳ない気持ちになり、おずおずと応えた。
「その通り! 先週の月曜日から金曜日までの毎日の遅刻に引き続き、今週も早速遅刻とはいい加減にしてください。三年生になったんですから、一、二年生の見本になるように生活を改めてくださいね。ご両親をわざわざ学校に呼びたいんですか? それとも私を困らせたいんですか?」
「ご、ごめんなさい」
聖子先生の全身から放たれる威圧感に圧倒される。地球上の重力を全て引き受けているような感覚だ。
「今日は校長先生のお客様がいらっしゃいます。授業を見に来られますので、失礼のないようにしてくださいね」
「はあ」
「『はあ』ではなく、 返事は『はい』でしょう」
「はあ。じゃなかった。はい、はい、です。ごめんなさい」
聖子先生は顔をピクリと引きつらせた。怒りの眼差しに、肉食獣が獲物を狙うような獰猛な光が差したが、気を取り直すように、大きく肩を下げた。できの悪い生徒に関わるのはエネルギーの無駄だと悟り、諦めたのかもしれない。
オレは反省をしながらも、夜更かしのゲームはやめられそうにもないだろうなと早くも諦めていた。
ホームルームが終わり聖子先生が疲労を背負って教室を出て行くと、
「よう」
右隣の友人Aが声をかけてきた。
「朝からやってくれるねえ」
友人Aはタレ目をいたずらっぽく細めて、口を歪める。
「うるせえな、友人Aのくせに」
彼には芦屋瑛市という名前があるのだが、三年になって初めて同じクラスになった日、つまり一学期が始まった初日に、あだ名を付けて欲しいと懇願され、「エーイチ」の名前から、仕方なしに「友人A」と呼ぶことにしたのだった。それ以来、何かと馴れ馴れしくオレに絡んでくる。
「それはそうと、真の落としものだぞ」
友人Aから手渡されたものを見ると黒地に金の校章が彫られた制服のボタンだった。
制服に目を落とすと、なるほど確かに第二ボタンの位置にボタンがない。つい先週も同じ場所のボタンが取れたばかりで、針を指に刺しながら縫い付けたのだが、糸の始末が甘かったようだ。
「なあ、後輩に第二ボタンが欲しいってねだられたのか?」
「まさか」
「だよなあ。お前はそういうのと一番縁がなさそうだから安心するぜ」
「はあ?」
怒気を含ませると、友人Aは一人おかしそうに笑った。
「真さ、もっと早く学校に来れねえわけ? あんま、オレの聖子ちゃんを怒らすなよ?」
ご多分に漏れず、友人Aは聖子先生のファンの一人だ。しかも、熱狂的ファンに分類される厄介なタイプで、聖子先生に無視をされても、毎晩、電話を掛け続ける。よく言えば忍耐強く、悪く言えば、粘着質でストーカー気質の暑苦しいやつだ。
「もしかして、童顔のせいで中学生に間違えられて校門潜らせてもらえないから遅刻するとか?」
「オレがチビだって言いたいのかよ」
オレは友人Aを軽く睨んだ。
「せーかい」
女子の平均身長よりも小さいオレとは異なり、友人Aは百八十を超える長身で、さらに大人びた顔をしていた。小柄な上、童顔で、よく中学生に間違えられるオレにとっては羨ましい限りだ。
「誘拐されずに毎朝ちゃんと学校に来られるか心配なんだぜ?」
「バカにすんな」
笑いを堪えきれず噴き出した友人Aに舌打ちを飛ばしたとき、一時間目開始のチャイムが鳴った。
日本史の二階堂が教壇に立つ。二階堂は聖子先生に惚れているとの噂がある教師で、痩せ形で猿によく似た四十男だ。若い頃はほどほどのワルだったのか、白髪の交じった黒髪を後ろに流し、小高い丘のようなリーゼントが名残惜しそうに残っている。
二階堂はよく通る野太い声を出した。
「教科書三十六ページを開け」
教科書に目を落とそうとしたところで、オレは違和感に気がついた。
指でつまむようにして第二ボタンを目の高さまで持ち上げる。
縫い付けが甘かったため、ボタンが外れたものと思っていたが、違う。
ボタンの足が鋭利な刃物を使ったかのように切断されていた。
「何だよ、これ……」
験担ぎをする方ではないが、いい気分はしなかった。
なぜか、電車の中で目が合った奇妙な男の姿が脳内をちらつき、それを消し去ろうとして、オレは頭を大きく左右に振った。
実のところ、オレは自転車に乗れない。
間もなく十八才の誕生日を迎えるというのに、今の今まで、これっぽっちも自転車に乗れたためしがない。
「不動産の物件を選ぶような理由で受験した」と話せば人は笑うが、立地条件はとても真摯な問題だった。
オレに言わせれば、自転車の運転に必要なのはバランス感覚ではなく、運と才能だと思う。
キーンコーンカーンコーン……。
「やっべぇ、遅刻する!」
寝不足の体に温存した最後の力を出し切る思いで、梅見原高校の校門を潜った。
息を切らしながら三年一組の教室に入ると、ホームルームはすでに始まっていた。
担任の黒川聖子先生がメガネ越しの鋭い視線でオレを射抜いてくる。肩をすぼめながら一番後ろの席に着くと、後追いで咳払いが飛んできた。
「崎山君、おはようございます」
「お、おはようございます」
聖子先生は教師の中でも取り分け目立つ先生だ。
目もとを強調する派手な化粧とモデルのようなすらりとした体型ばかりか、黒く長い髪をなびかせて歩く後ろ姿も艶っぽく、前も後ろも、つまり、どこを切り取っても、すれ違いざまに振り返ってしまうほどの美人。
特に男子生徒から絶大な人気を誇っているが、遅刻常習犯のオレには風当たりがめっぽう強く、正直、苦手な先生だった。
「週の始まりから遅刻ですか。崎山君は先週、何回遅刻をしたのかご存じかしら」
「確か、五回です」
申し訳ない気持ちになり、おずおずと応えた。
「その通り! 先週の月曜日から金曜日までの毎日の遅刻に引き続き、今週も早速遅刻とはいい加減にしてください。三年生になったんですから、一、二年生の見本になるように生活を改めてくださいね。ご両親をわざわざ学校に呼びたいんですか? それとも私を困らせたいんですか?」
「ご、ごめんなさい」
聖子先生の全身から放たれる威圧感に圧倒される。地球上の重力を全て引き受けているような感覚だ。
「今日は校長先生のお客様がいらっしゃいます。授業を見に来られますので、失礼のないようにしてくださいね」
「はあ」
「『はあ』ではなく、 返事は『はい』でしょう」
「はあ。じゃなかった。はい、はい、です。ごめんなさい」
聖子先生は顔をピクリと引きつらせた。怒りの眼差しに、肉食獣が獲物を狙うような獰猛な光が差したが、気を取り直すように、大きく肩を下げた。できの悪い生徒に関わるのはエネルギーの無駄だと悟り、諦めたのかもしれない。
オレは反省をしながらも、夜更かしのゲームはやめられそうにもないだろうなと早くも諦めていた。
ホームルームが終わり聖子先生が疲労を背負って教室を出て行くと、
「よう」
右隣の友人Aが声をかけてきた。
「朝からやってくれるねえ」
友人Aはタレ目をいたずらっぽく細めて、口を歪める。
「うるせえな、友人Aのくせに」
彼には芦屋瑛市という名前があるのだが、三年になって初めて同じクラスになった日、つまり一学期が始まった初日に、あだ名を付けて欲しいと懇願され、「エーイチ」の名前から、仕方なしに「友人A」と呼ぶことにしたのだった。それ以来、何かと馴れ馴れしくオレに絡んでくる。
「それはそうと、真の落としものだぞ」
友人Aから手渡されたものを見ると黒地に金の校章が彫られた制服のボタンだった。
制服に目を落とすと、なるほど確かに第二ボタンの位置にボタンがない。つい先週も同じ場所のボタンが取れたばかりで、針を指に刺しながら縫い付けたのだが、糸の始末が甘かったようだ。
「なあ、後輩に第二ボタンが欲しいってねだられたのか?」
「まさか」
「だよなあ。お前はそういうのと一番縁がなさそうだから安心するぜ」
「はあ?」
怒気を含ませると、友人Aは一人おかしそうに笑った。
「真さ、もっと早く学校に来れねえわけ? あんま、オレの聖子ちゃんを怒らすなよ?」
ご多分に漏れず、友人Aは聖子先生のファンの一人だ。しかも、熱狂的ファンに分類される厄介なタイプで、聖子先生に無視をされても、毎晩、電話を掛け続ける。よく言えば忍耐強く、悪く言えば、粘着質でストーカー気質の暑苦しいやつだ。
「もしかして、童顔のせいで中学生に間違えられて校門潜らせてもらえないから遅刻するとか?」
「オレがチビだって言いたいのかよ」
オレは友人Aを軽く睨んだ。
「せーかい」
女子の平均身長よりも小さいオレとは異なり、友人Aは百八十を超える長身で、さらに大人びた顔をしていた。小柄な上、童顔で、よく中学生に間違えられるオレにとっては羨ましい限りだ。
「誘拐されずに毎朝ちゃんと学校に来られるか心配なんだぜ?」
「バカにすんな」
笑いを堪えきれず噴き出した友人Aに舌打ちを飛ばしたとき、一時間目開始のチャイムが鳴った。
日本史の二階堂が教壇に立つ。二階堂は聖子先生に惚れているとの噂がある教師で、痩せ形で猿によく似た四十男だ。若い頃はほどほどのワルだったのか、白髪の交じった黒髪を後ろに流し、小高い丘のようなリーゼントが名残惜しそうに残っている。
二階堂はよく通る野太い声を出した。
「教科書三十六ページを開け」
教科書に目を落とそうとしたところで、オレは違和感に気がついた。
指でつまむようにして第二ボタンを目の高さまで持ち上げる。
縫い付けが甘かったため、ボタンが外れたものと思っていたが、違う。
ボタンの足が鋭利な刃物を使ったかのように切断されていた。
「何だよ、これ……」
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