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第一章
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重苦しい無言を貫いたまま、二人は一緒に家路についた。
そして今、セリーナはテーブルを挟んで座る相手に向き合っている。花が欲しいというリクエストをなぜか誇大解釈して、貴族の屋敷の庭にまるでコソ泥のように忍び込もうとした夫だ。
「……こんなに、コスモスが摘んであるじゃないですか」
帰宅して、レオンの担いでいた背囊に、色とりどりのコスモスのブーケを見つけた。残念ながら、他の荷物に押しつぶされて、花のほとんどは萎れてしまっている。これを摘んだ河原からまっすぐ帰ってきてくれれば、生き生きとした綺麗な花は全て花瓶に収まっただろうに。
「それを摘んだ後、バラの方がもっといいと思って……」
そう弁明するレオンは背筋を伸ばして椅子に座りながらも、視線を足元に落として俯いている。そのしょげかえり様がまるで学校で教師に叱られている学生のようで、セリーナはなんだかそれにも苛ついてしまう。
「それで、犯罪行為に走った、と?」
どうしても責める口調になってしまう。目の前に座る年下の男はますますうなだれた。
「……軽率な過ちでした。貴女を怖がらせてしまったし……」
「本当に。あの路地で塀を登る人影を見たときは心臓が凍りましたし、その正体が自分の夫と知ったときには眩暈を覚えましたよ。しかも盗もうとしていたのが、まさか私が頼んだ一輪の花だなんて」
そこまで一気に吐き出して、セリーナは最後はどうしようもないため息で言葉を切った。
テーブルの上には、無残に花弁が傷んだり茎が折れたコスモスが散らばっている。その中でまだ比較的しゃんとした一輪を探し出し、手に取った。蝋燭の光の下で、そのコスモスの薄紅色は美しく見えた。
「この一輪が私にふさわしいと思いませんか。棘だらけで香りのきついバラよりも、あなたが野で見つけた可憐な花の方が嬉しいですよ」
やっとレオンは顔を上げた。そして一瞬、泣きそうに唇を震わせる。
「……覚えていますか? 俺が、北の要塞から手紙を貴女に送った時、山の花を同封したのを」
押し花の処理もせずに潰れて届いた花を思い出し、セリーナは頷いて先を促す。
「俺はいつもそうなんです。何か、うまく気の利いたことなどできたためしがない。貴女にふさわしいものを贈りたくても、いつも自分で台無しにしてしまう」
彼は、あの手紙に入れた花のことを言っているのか、それとも今日の過ちのことを言っているのか。それとも何かひどい誤解で、この結婚自体のとこを言っているのかもしれない。
セリーナはこれ以上夫を問い詰める気にならず、やれやれと立ち上がった。同時に慌ててレオンも椅子から起立する。同室にいる目上の女性に対するマナーが叩き込まれているのかもしれないが、それにしても妻に対してそこまで杓子定規にならなくてもいいだろうに。
「今、あなたが私に贈るべきものがわかりますか?」
向かい合って立つと、二人の身長差が際立つ。セリーナがさらにレオンに歩み寄ると、彼の引き結んだ唇がさらに強張った。
セリーナの問いに、レオンはゆるゆると首を振る。
「謝罪のキスを」
そう告げると、夫の目が見開かれた。セリーナは少し背伸びして首をかしげ、彼に頬を差し出す。
こちらに身を屈めた彼の、固唾を呑む気配まで伝わってきた。そして頬に唇の感触が落ちる。一拍置いて、リップノイズがささやかに響き、仄かな熱は離れていった。
「すまない」
彼のたったそれだけの言葉が心に染み込んで、全てを押し流す。セリーナは一輪だけ選んだコスモスを結った髪に挿して、やっと夫に微笑むことができた。
「謝罪を受け入れました。さあ、そろそろ夕食にしましょう」
作り置きされたシチューを温めるために、セリーナは台所へと踵を返した。
残されたレオンは呆然と自分の唇に指を当て、妻が部屋から出て行ってからカッと頬を染めていた。
自分の家と伴侶がある生活は、レオンにとって未だに現実味がなかった。
寝床は相変わらず書斎のカウチだが、兵舎の古いベッドに比べると格段に寝心地がいい。騒がしい食堂での慌ただしい食事より自宅で摂る夕食は寛いだものだし、何より帰ればそこに、憧れの女性がいる。
その晩もクッションを積み重ねたカウチに横になって、レオンは先ほどの接吻を反芻した。
今までセリーナに唇を寄せたのは、結婚式の時と、この家での初めての夜に彼女をベッドに寝かせた時、そして先ほどの「謝罪のキス」。全て鮮明に思い出せる。
彼女の伏せられた睫毛の繊細さや、密やかな吐息、肌の温度。自分の心の奥底に貴重な宝物をしまい込むように、レオンはその記憶を抱え込む。
今まで溜め込んだ宝物は、キスの記憶だけではない。
例えば、四年前初めて彼女を目にした時の、淡い思い出。北の国境からやり取りした手紙。結婚式で彼女が被っていたヴェールの手触り。そして今日、自分が摘んだコスモスを髪に挿した彼女の美しさ。
それらを一つ一つ思い出しながら、レオンは眠りについた。
廊下を挟んだ寝室では、きっと彼女も安らかに眠っているだろう。自分が用意した屋根の下の、やわらかなベッドの中で、毛布にくるまって。
そして明日は、また彼女の気配を一番に感じて、朝を迎えられるのだ。
それだけでレオンは幸せだった。
そして今、セリーナはテーブルを挟んで座る相手に向き合っている。花が欲しいというリクエストをなぜか誇大解釈して、貴族の屋敷の庭にまるでコソ泥のように忍び込もうとした夫だ。
「……こんなに、コスモスが摘んであるじゃないですか」
帰宅して、レオンの担いでいた背囊に、色とりどりのコスモスのブーケを見つけた。残念ながら、他の荷物に押しつぶされて、花のほとんどは萎れてしまっている。これを摘んだ河原からまっすぐ帰ってきてくれれば、生き生きとした綺麗な花は全て花瓶に収まっただろうに。
「それを摘んだ後、バラの方がもっといいと思って……」
そう弁明するレオンは背筋を伸ばして椅子に座りながらも、視線を足元に落として俯いている。そのしょげかえり様がまるで学校で教師に叱られている学生のようで、セリーナはなんだかそれにも苛ついてしまう。
「それで、犯罪行為に走った、と?」
どうしても責める口調になってしまう。目の前に座る年下の男はますますうなだれた。
「……軽率な過ちでした。貴女を怖がらせてしまったし……」
「本当に。あの路地で塀を登る人影を見たときは心臓が凍りましたし、その正体が自分の夫と知ったときには眩暈を覚えましたよ。しかも盗もうとしていたのが、まさか私が頼んだ一輪の花だなんて」
そこまで一気に吐き出して、セリーナは最後はどうしようもないため息で言葉を切った。
テーブルの上には、無残に花弁が傷んだり茎が折れたコスモスが散らばっている。その中でまだ比較的しゃんとした一輪を探し出し、手に取った。蝋燭の光の下で、そのコスモスの薄紅色は美しく見えた。
「この一輪が私にふさわしいと思いませんか。棘だらけで香りのきついバラよりも、あなたが野で見つけた可憐な花の方が嬉しいですよ」
やっとレオンは顔を上げた。そして一瞬、泣きそうに唇を震わせる。
「……覚えていますか? 俺が、北の要塞から手紙を貴女に送った時、山の花を同封したのを」
押し花の処理もせずに潰れて届いた花を思い出し、セリーナは頷いて先を促す。
「俺はいつもそうなんです。何か、うまく気の利いたことなどできたためしがない。貴女にふさわしいものを贈りたくても、いつも自分で台無しにしてしまう」
彼は、あの手紙に入れた花のことを言っているのか、それとも今日の過ちのことを言っているのか。それとも何かひどい誤解で、この結婚自体のとこを言っているのかもしれない。
セリーナはこれ以上夫を問い詰める気にならず、やれやれと立ち上がった。同時に慌ててレオンも椅子から起立する。同室にいる目上の女性に対するマナーが叩き込まれているのかもしれないが、それにしても妻に対してそこまで杓子定規にならなくてもいいだろうに。
「今、あなたが私に贈るべきものがわかりますか?」
向かい合って立つと、二人の身長差が際立つ。セリーナがさらにレオンに歩み寄ると、彼の引き結んだ唇がさらに強張った。
セリーナの問いに、レオンはゆるゆると首を振る。
「謝罪のキスを」
そう告げると、夫の目が見開かれた。セリーナは少し背伸びして首をかしげ、彼に頬を差し出す。
こちらに身を屈めた彼の、固唾を呑む気配まで伝わってきた。そして頬に唇の感触が落ちる。一拍置いて、リップノイズがささやかに響き、仄かな熱は離れていった。
「すまない」
彼のたったそれだけの言葉が心に染み込んで、全てを押し流す。セリーナは一輪だけ選んだコスモスを結った髪に挿して、やっと夫に微笑むことができた。
「謝罪を受け入れました。さあ、そろそろ夕食にしましょう」
作り置きされたシチューを温めるために、セリーナは台所へと踵を返した。
残されたレオンは呆然と自分の唇に指を当て、妻が部屋から出て行ってからカッと頬を染めていた。
自分の家と伴侶がある生活は、レオンにとって未だに現実味がなかった。
寝床は相変わらず書斎のカウチだが、兵舎の古いベッドに比べると格段に寝心地がいい。騒がしい食堂での慌ただしい食事より自宅で摂る夕食は寛いだものだし、何より帰ればそこに、憧れの女性がいる。
その晩もクッションを積み重ねたカウチに横になって、レオンは先ほどの接吻を反芻した。
今までセリーナに唇を寄せたのは、結婚式の時と、この家での初めての夜に彼女をベッドに寝かせた時、そして先ほどの「謝罪のキス」。全て鮮明に思い出せる。
彼女の伏せられた睫毛の繊細さや、密やかな吐息、肌の温度。自分の心の奥底に貴重な宝物をしまい込むように、レオンはその記憶を抱え込む。
今まで溜め込んだ宝物は、キスの記憶だけではない。
例えば、四年前初めて彼女を目にした時の、淡い思い出。北の国境からやり取りした手紙。結婚式で彼女が被っていたヴェールの手触り。そして今日、自分が摘んだコスモスを髪に挿した彼女の美しさ。
それらを一つ一つ思い出しながら、レオンは眠りについた。
廊下を挟んだ寝室では、きっと彼女も安らかに眠っているだろう。自分が用意した屋根の下の、やわらかなベッドの中で、毛布にくるまって。
そして明日は、また彼女の気配を一番に感じて、朝を迎えられるのだ。
それだけでレオンは幸せだった。
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