ノクターン・コード

神島 すけあ

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第一章

第五節 光の子の祈り ― 平穏の中の微かな影

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「うわーん、この書類何? ピアノ~。」

アルトは、子供ながら忙しい毎日を送っていた。
領地の運営に、貴族の子息としての勉強。
八歳の子供が領地運営のすべてをこなせるはずもなく、
実務の多くはピアノが補助してくれていた。

父カデンツァが忙しすぎるせいで、
サインだけでよい書類はアルトに回ってくる。
内容を読んだとき、アルトは「父は僕の年齢を忘れたのか」と思ったが、
実際はピアノを信頼してのことだったのだろう。

今日も今日とて、ピアノに見守られながらのサイン書きである。

「これは、領地にある廃坑道のダンジョン化に関する資料です。」

本宅――アルトが暮らす屋敷には、常駐の使用人はピアノとトロンだけ。
父カデンツァの研究所がある王都中心部の別宅に、
ほとんどの使用人が集まっていた。

アルト一人の本宅に、多くの使用人は必要ない。
本家が忙しくなれば戻ってくることもあるが、
トロンとピアノが有能なため、アルトの生活は十分に回っていた。

とはいえ、本宅の整備を二人だけで行うには広すぎる。
今後アルトの行動範囲が広がることも考え、
教育中の使用人たちを本宅へ送る予定はある――

……あるのだが、「送る送る」と言いながら送らないのが常だった。

現状、本宅を守るのはトロンとピアノの二人。
彼らはアルトの両親の代わりに、家族としての愛情を注いでくれる存在だった。

整備担当の使用人が月に数度戻り、屋敷の手入れを行っている。
そもそもカデンツァが本宅に帰ってくること自体が稀である。

不器用な愛情を注ぎながらも、
仕事の忙しさからアルトの側にいられない父。

広い屋敷に、三人だけ。

トロンとピアノは屋敷の隣にある小さな離れに住み込み、
二人でアルトを支えていた。

アルトもまた、離れの一室を自室として暮らしている。
そこは元々カデンツァの工房として使われていた場所で、
アルトにとっては居心地の良い空間だった。

ピアノは元貴族の後継者。
両親の没落により平民となったが、領地運営に長けていた。
カデンツァは彼女を守るために雇い入れ、
両親の残した借金を肩代わりし、伯爵家に迎え入れた。

トロンは元騎士。
有能ではあったが、真面目すぎる性格が災いし、
団長と衝突を繰り返した末、不始末を押し付けられて辞めることになった。
途方に暮れていた彼を、カデンツァが拾ったのだ。
護衛としては十分すぎるほど頼もしい存在だった。

年齢はトロンが十八歳、ピアノは十六歳。
兄や姉と言った方が近い存在だ。

アルトは、そんな二人に見守られ、のびのびと暮らしていた。

厳しくも優しいトロン。
母性の塊のようなピアノ。

アルトにとっては、父と母よりも、
二人の方が“家族”としての感情を抱いていた。

また、トロンとピアノは、前世の上司と同僚と同じ名で、同じ姿を持っていた。

前世のトロンは頼れる指揮官。
ピアノは皆を優しく包む航海士。

アルトの≪共感≫能力は、
彼らが“同じ魂”を持つ存在だと告げていた。

けれども、前の世界の彼らと似ているようで、少し違う二人。

前世では二人も≪共感≫能力を持っていたが、
この世界ではその気配を感じない。

アルトが出会った者の中に、
前世の記憶を持つ者はいないようだった。

共に戦った仲間たちが、エルヴァン伯爵家の関係者として生まれ変わっていた。
今、トロンたちの補助として教育中の見習い使用人たちもそうだ。

前世はメカニックのティノール。
前世はオペレータのビオラ。
前世はアルトの友人で僚機だったコトとシオ。

彼らは今、エルヴァン伯爵家の使用人として暮らしている。

だが、記憶を持つ者はいない。

それでも――
同じ魂を宿している、とアルトは感じていた。

最初は、これは転生ではなく“時間が巻き戻った”のかと思った。

あるいは、歴史のボタンが掛け違え、
別の世界線に分岐したのかもしれない、と。

だが、その推測では説明できないことも多い。

前の世界は宇宙進出を果たした技術の時代。
今の世界は剣と魔法が支配する幻想の時代。

魔法という力はどこから現れたのか。
根本的には異なるはずなのに、
どこか世界は似通った響きを持っていた。

前世には≪共感≫能力はあったが、魔法はなかった。
今の世界には≪共感≫はスキルの一つとして存在するが、一般的ではない。

≪共感≫とは、生物や物に心を重ね、
≪共鳴≫によって操作すら可能とする力。

――とはいえ、人間相手には、
意志を伝えるか、一瞬だけ手元を狂わせる程度。

今の世界でも、アルトはその≪共感≫を使えた。
魔法に属さない、人や魔道具と心を結び、響き合う力。

特に魔道具とは相性が良く、
その力のおかげで幼いながら技師としての才能を開花させていた。

だが、今のところアルト以外に≪共感≫を持つ者はいない。

前世では確かにその力を持っていた人々も、
この世界ではその気配を感じられない。

よく似た別人なのか――
そう思うこともあったが、
やはり以前と同じ魂を感じる。

記憶があるのが自分一人ということを、少し寂しく感じる。

けれど、ここは平和で、皆が笑顔で暮らしている。

戦いも起こっていない――

それだけで、よかった。
それだけで、アルトはここを“幸せな世界”だと思っていた。

――もう……戦いたくはないな……

アルトは、こんな毎日が続くように、静かに祈っていた。

静かな屋敷の片隅で、
光の子は魔道具に触れながら、
誰にも言えない祈りを編んでいた。

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