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猫と河童と鬼退治(四)
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四
五ヶ瀬川の上流部に位置する高千穂峡は、太古の昔阿蘇の火山活動によって発生した火砕流が、長い年月をかけて浸食された日本屈指の景観を誇る峡谷である。
高さ百メートル、東西七キロメートルにも及ぶ柱状節理の断崖から流れ出る真名井の滝の荘厳さは、息を呑むほど美しい。
河童との会談を終えた三毛入野命は再度兵を集め、鬼八を追ってさらに高千穂の山深く分け入った。
その様子を二上山の頂から窺っていた鬼八は「ふん」と鼻で笑った。
「人間ごときに捕まってたまるものか」
その言葉通り、兵たちが追うと鬼八は逃げた。
そして諦めて休んでいると不意に襲ってきて兵士たちを悩ませた。
まさに神出鬼没の所業で、誰もがまた鬼八に逃げられてしまうと思った。
ところが鬼八がひとつの沢を渡ろうとすると、突然洪水が起きて川を越えることができなかった。
「仕方がない。あっちの谷を渡ろう」
鬼八が別の渓谷に行くと、そこでも大水が発生して物凄い濁流に遮られた。
「なんと運が悪い日だ!」
鬼八が次の沢に行くと、そこも深い渦を巻いて渡ることができなかった。
「こりゃあ変だ?」
鬼八もようやく異変に気付いた。
実は川太郎を筆頭に河童の五兄弟が、それぞれの支配する川で洪水を起こさせていたのだった。
そうとも知らない鬼八は、いつの間にか三毛入野命が待ち伏せする場所におびき寄せられていた。
「今度こそやれるぞ!」
三毛入野命とその一党は、勇み立って鬼八に襲いかかった。
ところが追い詰められても、鬼八はとてつもなく強かった。
ほーれ!
どすーん!
鬼八が放った大岩が地響きを立てて三毛入野命のすぐ近くに落ちた。
ぎゃあ!
何人かが逃げきれずに大岩の下敷きになった。三毛入野命もあと少し逃げ遅れていたら、大岩に押し潰されていただろう。
ちなみにこのとき鬼八が投げた岩は総重量が約二百トンもあり、「鬼八の力石」と呼ばれている。
その後も鬼八との激しい戦闘が続いた。
この戦いで三毛入野命に従った家来の数は四十四人。うち四十二人が死ぬという激戦だった。
しかし、鬼八がどれほど強くとも、四方八方取り囲まれていたのでは、逃げ切ることはできない。何本もの矢を浴びた鬼八は飛び回ることができなくなった。
鬼八は追い詰められ、ついに斬られた。
今わの際に鬼八が叫んだ。
「寂しいなあ。わしは鬼として死ぬのか」
「どういう意味だ?」三毛入野命が尋ねた。
「遠い昔、高千穂はわれらの森だった。ところが貴様らの祖先が勝手に入り込んで鉄で木を伐り、畑を耕して稲を植えた。そのせいで森とともに生きてきたわれらは『鬼』として追いやられたのだ。われらの土地を奪った貴様らのほうこそ『鬼』ではないか!」
血を吐くような叫びだった。
三毛入野命は知る由もないが、日本各地に残る鬼伝承は、先住していた縄文系の民と、後発の弥生系の民との争いの名残とも言われている。
鬼八も元は土着の山の民として生まれたが、生まれつき身体が大きい上に容貌が怪異だった。
幼少の頃から木に登らせれば猿のごとく、跳び上がれば優に十尺(三メートル)は飛ぶという恐るべき身体能力を発揮した。
崖から落ちてもかすり傷ひとつ負わないことで、先住の民たちも逆に怖れるようになった。
元々は身内である筈の山の民から怖れられ、遠ざけられたのである。
そのことが鬼八をこの世の者ならぬ異形の者、つまり「鬼」として形づくったのであろう。
(つづく)
五ヶ瀬川の上流部に位置する高千穂峡は、太古の昔阿蘇の火山活動によって発生した火砕流が、長い年月をかけて浸食された日本屈指の景観を誇る峡谷である。
高さ百メートル、東西七キロメートルにも及ぶ柱状節理の断崖から流れ出る真名井の滝の荘厳さは、息を呑むほど美しい。
河童との会談を終えた三毛入野命は再度兵を集め、鬼八を追ってさらに高千穂の山深く分け入った。
その様子を二上山の頂から窺っていた鬼八は「ふん」と鼻で笑った。
「人間ごときに捕まってたまるものか」
その言葉通り、兵たちが追うと鬼八は逃げた。
そして諦めて休んでいると不意に襲ってきて兵士たちを悩ませた。
まさに神出鬼没の所業で、誰もがまた鬼八に逃げられてしまうと思った。
ところが鬼八がひとつの沢を渡ろうとすると、突然洪水が起きて川を越えることができなかった。
「仕方がない。あっちの谷を渡ろう」
鬼八が別の渓谷に行くと、そこでも大水が発生して物凄い濁流に遮られた。
「なんと運が悪い日だ!」
鬼八が次の沢に行くと、そこも深い渦を巻いて渡ることができなかった。
「こりゃあ変だ?」
鬼八もようやく異変に気付いた。
実は川太郎を筆頭に河童の五兄弟が、それぞれの支配する川で洪水を起こさせていたのだった。
そうとも知らない鬼八は、いつの間にか三毛入野命が待ち伏せする場所におびき寄せられていた。
「今度こそやれるぞ!」
三毛入野命とその一党は、勇み立って鬼八に襲いかかった。
ところが追い詰められても、鬼八はとてつもなく強かった。
ほーれ!
どすーん!
鬼八が放った大岩が地響きを立てて三毛入野命のすぐ近くに落ちた。
ぎゃあ!
何人かが逃げきれずに大岩の下敷きになった。三毛入野命もあと少し逃げ遅れていたら、大岩に押し潰されていただろう。
ちなみにこのとき鬼八が投げた岩は総重量が約二百トンもあり、「鬼八の力石」と呼ばれている。
その後も鬼八との激しい戦闘が続いた。
この戦いで三毛入野命に従った家来の数は四十四人。うち四十二人が死ぬという激戦だった。
しかし、鬼八がどれほど強くとも、四方八方取り囲まれていたのでは、逃げ切ることはできない。何本もの矢を浴びた鬼八は飛び回ることができなくなった。
鬼八は追い詰められ、ついに斬られた。
今わの際に鬼八が叫んだ。
「寂しいなあ。わしは鬼として死ぬのか」
「どういう意味だ?」三毛入野命が尋ねた。
「遠い昔、高千穂はわれらの森だった。ところが貴様らの祖先が勝手に入り込んで鉄で木を伐り、畑を耕して稲を植えた。そのせいで森とともに生きてきたわれらは『鬼』として追いやられたのだ。われらの土地を奪った貴様らのほうこそ『鬼』ではないか!」
血を吐くような叫びだった。
三毛入野命は知る由もないが、日本各地に残る鬼伝承は、先住していた縄文系の民と、後発の弥生系の民との争いの名残とも言われている。
鬼八も元は土着の山の民として生まれたが、生まれつき身体が大きい上に容貌が怪異だった。
幼少の頃から木に登らせれば猿のごとく、跳び上がれば優に十尺(三メートル)は飛ぶという恐るべき身体能力を発揮した。
崖から落ちてもかすり傷ひとつ負わないことで、先住の民たちも逆に怖れるようになった。
元々は身内である筈の山の民から怖れられ、遠ざけられたのである。
そのことが鬼八をこの世の者ならぬ異形の者、つまり「鬼」として形づくったのであろう。
(つづく)
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