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序章 自己呪詛課へようこそ
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祝福配合省の建物は、王都の役所街のいちばん端っこに建っている。
正面玄関は白い石造りで立派なのに、奥へ行けば行くほど、廊下はどこかゆるんでくる。観葉植物の葉先は勝手にリボン結びになり、掲示板には「本日のおすすめ休憩法」が貼られている。
そして、いちばん奥の突き当たりに──その扉はある。
『祝福配合省 自己呪詛課』
重たいはずの木の扉は、驚くほど軽く開いた。
中は、静かだった。
規則正しく並んだ机と棚、天井近くまで積み上がった書類の山。壁には緻密な法令一覧のパネルが掛かっていて、ぱっと見はどこにでもありそうな、真面目な事務室である。
……ただ、一点を除けば。
「……にゃ」
部屋の床を、黒猫が一匹、ててて、と駆けていく。
よく見ると、もう一匹。いや、もう一匹。ついでに棚の上にも、机の下にも。
どれもこれも、目のない黒猫のかたちをした紙束だった。
背中には小さなタグがついている。『自己呪詛申請書』『軽犯罪予備群』など、ものものしい文字がちいさく印字されていた。
「……二十一件、自己評価過小。十件、将来不安型。五件、恋愛関連の『どうせわたしなんて』。本日は平均的な量ですね」
黒猫たちの間を、すっと長い指がすり抜けていく。
淡い灰色の制服に身を包んだ男は、床に散らばった紙猫を抱きあげながら、タグをすばやく確認しては、きちんと箱に仕分けていく。
表情はほとんど動かない。
けれど、その仕草はどこか丁寧で、猫──もとい書類たちは、されるがままに抱きあげられていた。
「……っと」
一匹、彼の足元でしぶとくじゃれてきた黒猫がいた。
タグには、かすれた文字でこう印字されている。
『どうせ私なんて、役に立たない』
男はほんの一瞬、指先を止めた。
すぐに眉間のしわを戻し、黒猫を抱え直す。
「はい、軽犯罪予備群。後日、やさしく取り調べ予定です」
と、そのとき。
コン、コン、と控えめなノックの音がした。
「……失礼します……。あの、こちらが、自己呪詛課で……、合っていますか……?」
扉の隙間から、心細そうな声がのぞいた。
続いて、ふにゃり、とした栗色の髪と、ちいさな顔がひょこりと覗く。
猫背気味に体をすぼめた少女が、一歩、部屋に入ってきた。
両手でぎゅっと抱えた書類の束が、彼女の胸元で心細そうに揺れている。
「本日付で、見習い書記官として配属になりました。……え、えっと……至らないところばかりですが、がんばりますので、その……ご迷惑をおかけしたらごめんなさい……」
開口一番が謝罪だった。
男は彼女をじっと見つめ、わずかに瞬きをする。
「……謝罪義務は、まだ発生していません」
「えっ」
「本日付で自己呪詛課・見習い書記官に任命されたあなたを歓迎します。私は基準策定官。自己呪詛が“軽犯罪”に該当するかを決める部署の責任者です」
淡々と自己紹介を終えると、男は立ち上がり、軽く頭を下げた。
その動きは、マニュアルに沿ったように整っているのに、どこかぎこちなくもある。
「じ、自、自己呪詛……課……。その……私、役に立てるかどうか不安で……」
「不安は自己呪詛とは別項目です。後日、別の書類にして提出してください」
「べ、別の書類……!」
ぱちぱちと瞬きする彼女の足元で、何かがそっと身を寄せた。
ふわ、と視界の端を黒い影がよぎる。
ちいさな黒猫型の紙束が、彼女の足首にしがみついていた。
タグには、色あせたインクで、一行だけ。
『役に立たない時間を全部消してください』
男は、その文字を読む。
彼の瞳の奥で、わずかに何かがきらりと光った。
——まさか。
「……ようこそ、自己呪詛課へ」
基準策定官は、静かに告げる。
彼女の足元で、黒猫書類が、ちいさく「にゃ」と鳴いたような気がした。
それが、
彼女と、彼女自身にかけられた古い呪いとの、長い取り調べの始まりだった。
正面玄関は白い石造りで立派なのに、奥へ行けば行くほど、廊下はどこかゆるんでくる。観葉植物の葉先は勝手にリボン結びになり、掲示板には「本日のおすすめ休憩法」が貼られている。
そして、いちばん奥の突き当たりに──その扉はある。
『祝福配合省 自己呪詛課』
重たいはずの木の扉は、驚くほど軽く開いた。
中は、静かだった。
規則正しく並んだ机と棚、天井近くまで積み上がった書類の山。壁には緻密な法令一覧のパネルが掛かっていて、ぱっと見はどこにでもありそうな、真面目な事務室である。
……ただ、一点を除けば。
「……にゃ」
部屋の床を、黒猫が一匹、ててて、と駆けていく。
よく見ると、もう一匹。いや、もう一匹。ついでに棚の上にも、机の下にも。
どれもこれも、目のない黒猫のかたちをした紙束だった。
背中には小さなタグがついている。『自己呪詛申請書』『軽犯罪予備群』など、ものものしい文字がちいさく印字されていた。
「……二十一件、自己評価過小。十件、将来不安型。五件、恋愛関連の『どうせわたしなんて』。本日は平均的な量ですね」
黒猫たちの間を、すっと長い指がすり抜けていく。
淡い灰色の制服に身を包んだ男は、床に散らばった紙猫を抱きあげながら、タグをすばやく確認しては、きちんと箱に仕分けていく。
表情はほとんど動かない。
けれど、その仕草はどこか丁寧で、猫──もとい書類たちは、されるがままに抱きあげられていた。
「……っと」
一匹、彼の足元でしぶとくじゃれてきた黒猫がいた。
タグには、かすれた文字でこう印字されている。
『どうせ私なんて、役に立たない』
男はほんの一瞬、指先を止めた。
すぐに眉間のしわを戻し、黒猫を抱え直す。
「はい、軽犯罪予備群。後日、やさしく取り調べ予定です」
と、そのとき。
コン、コン、と控えめなノックの音がした。
「……失礼します……。あの、こちらが、自己呪詛課で……、合っていますか……?」
扉の隙間から、心細そうな声がのぞいた。
続いて、ふにゃり、とした栗色の髪と、ちいさな顔がひょこりと覗く。
猫背気味に体をすぼめた少女が、一歩、部屋に入ってきた。
両手でぎゅっと抱えた書類の束が、彼女の胸元で心細そうに揺れている。
「本日付で、見習い書記官として配属になりました。……え、えっと……至らないところばかりですが、がんばりますので、その……ご迷惑をおかけしたらごめんなさい……」
開口一番が謝罪だった。
男は彼女をじっと見つめ、わずかに瞬きをする。
「……謝罪義務は、まだ発生していません」
「えっ」
「本日付で自己呪詛課・見習い書記官に任命されたあなたを歓迎します。私は基準策定官。自己呪詛が“軽犯罪”に該当するかを決める部署の責任者です」
淡々と自己紹介を終えると、男は立ち上がり、軽く頭を下げた。
その動きは、マニュアルに沿ったように整っているのに、どこかぎこちなくもある。
「じ、自、自己呪詛……課……。その……私、役に立てるかどうか不安で……」
「不安は自己呪詛とは別項目です。後日、別の書類にして提出してください」
「べ、別の書類……!」
ぱちぱちと瞬きする彼女の足元で、何かがそっと身を寄せた。
ふわ、と視界の端を黒い影がよぎる。
ちいさな黒猫型の紙束が、彼女の足首にしがみついていた。
タグには、色あせたインクで、一行だけ。
『役に立たない時間を全部消してください』
男は、その文字を読む。
彼の瞳の奥で、わずかに何かがきらりと光った。
——まさか。
「……ようこそ、自己呪詛課へ」
基準策定官は、静かに告げる。
彼女の足元で、黒猫書類が、ちいさく「にゃ」と鳴いたような気がした。
それが、
彼女と、彼女自身にかけられた古い呪いとの、長い取り調べの始まりだった。
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