『呪いのせいで愛妻家になった公爵様は、もう冷徹を名乗れない(天然妻は気づかない)』

星乃和花

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第13話 燃料(蜂蜜)投入→告白の空気が「健康管理会議」に変換される

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エルザのノックは、完璧だった。

完璧すぎて、逃げ道がない。

「旦那さま。奥さま。……“燃料”の補給を」

扉の向こうから、淡々と。

中にいる二人の空気が、きれいに真っ二つに割れた。

告白の空気 → 生活の空気。

決戦会場 → 会議室。

レオンハルトは、凍りついた顔で言った。

「……燃料は要らない」

「必要でございます」

エルザの即答が、刃みたいに鋭い。

リリアは椅子に座ったまま、手首の熱を抑えるように袖を握った。

(今、あと一歩だったのに……)

でも同時に、助かった気もした。

あと一歩で、言葉が出た。出たら、何かが変わる。

変わるのは怖い。

怖いのに、変わってほしい。

その矛盾が胸の奥で揺れて――糸が、ふわっと熱くなる。

レオンハルトが、リリアの手を握り直した。

ぎゅ。

「……離すな」

小声の命令。

リリアは小さく頷いた。

「離しません」

言った瞬間、糸がまた反応する。

(この返事も危険ワード……!)

扉が静かに開き、エルザが入ってきた。

トレイの上には、湯気の立つ蜂蜜茶と、蜂蜜を塗った小さな焼き菓子。

まるで「あなたたちはまず糖分を摂れ」と言わんばかりの布陣だ。

エルザは机にトレイを置いて、一礼する。

「旦那さま。奥さま。今夜は“健康管理会議”として進められるとよろしいかと」

リリアが小声で反復する。

「……健康管理会議」

レオンハルトが無表情で言った。

「……会議ではない」

「会議でございます」

「……」

エルザは淡々と続ける。

「本日の議題は三つ。①奥さまの睡眠、②旦那さまの自制、③呪い解除の安全策」

議題が具体的すぎる。

リリアは思わずツッコんだ。

「侍女長、司会やるんですか?」

「必要であれば」

必要であれば、って顔じゃない。完全に司会の顔だ。

レオンハルトが低く言った。

「……要らない」

「承知いたしました。では、私は記録のみ」

記録のみ、が一番怖い。

エルザは静かに手帳を開いた。

ぱさ。

その音が、戦いのゴングみたいに響いた。

 *

蜂蜜茶を一口含むと、甘さが喉をほどく。

リリアは少しだけ落ち着き、レオンハルトを見る。

彼も蜂蜜茶を飲んでいる。

飲んでいるのに、まだ拳が固い。

固い拳のまま、彼はぽつりと言った。

「……さっき」

「はい」

「……続きだ」

続き。

言葉にできなかった“あいして――”の続き。

リリアの手首が、ふわっと熱くなる。

(今、行く……?)

エルザが淡々と割り込む。

「旦那さま。急ぐほど噛みます」

「噛まない」

「噛みます」

即答合戦が、また始まる。

リリアが笑いそうになるのを堪えた瞬間、レオンハルトがリリアを見た。

「……笑うな」

「え、でも」

「……心臓に悪い」

またそれ。

リリアは、蜂蜜茶を飲み込みながら、小さく言った。

「……じゃあ、心臓に良い言い方でお願いします」

レオンハルトが、ほんの少しだけ目を細める。

考えている。

“心臓に良い言い方”。

言い換え不可なのに。

硬派の思考回路が迷子になっているのが見える。

エルザが淡々と助言する。

「旦那さま。単語は変えられません。速度を変えてください」

速度。

レオンハルトは低く言った。

「……速度?」

「ゆっくり。息を吐きながら」

「……」

レオンハルトは、真剣に頷いた。

頷いてしまった。

(侍女長の指示、聞くんだ)

リリアはその光景が可笑しくて、でも愛おしくて、胸がきゅっとなる。

そのきゅっとに、糸が熱で返事をする。

(だめだめだめ、胸をきゅっとさせない!)

リリアは自分の胸に手を当てて、深呼吸した。

「……じゃあ、私も息、合わせます」

レオンハルトが短く言う。

「合わせろ」

命令が出るのが早い。

リリアは笑いそうになりながら、真面目な顔で頷く。

「はい。合わせます」

エルザが淡々と宣言する。

「では、開始いたします。旦那さま、目標:一回で言い切る」

「目標ではない」

「目標でございます」

「ーー」

レオンハルトは息を吸う。

吸って、吐く。

吸って、吐く。

拳が震える。

そして、リリアの手を握り直す。

ぎゅ。

「……リリア」

「はい」

リリアは目を逸らさない。

逸らしたら、彼が鎧に戻る。

レオンハルトは、息を吐きながら言う。

「……あい、し……て……」

「……」

リリアは息を止めた。

糸が、熱く、甘く、強く反応する。

結びが、締まりかける。

(来る――)

そこで。

レオンハルトが、急に顔をしかめた。

「……無理だ」

「えっ」

「……言ったら」

「言ったら?」

「……戻れない」

その声が、怖がっている子どもみたいで。

リリアの胸が、またきゅっとなる。

リリアはすぐ、言葉を選んだ。

「戻らなくていいです」

言い切ってしまった。

言い切ってから、慌てて付け足す。

「えっと、呪いの状態に戻らなくていい、という意味で……」

言い訳が遅い。

レオンハルトの目が揺れる。

揺れて――危ない言葉が喉元まで上がってくる。

エルザが淡々と咳払いした。

「奥さま。議題が逸れております」

「すみません!」

リリアが顔を赤くする。

エルザは記録を一行書き、続けた。

「旦那さま。質問します。解除した場合、最も怖いことは何ですか」

その質問が、核心だった。

レオンハルトは黙る。

黙って、しばらくして、低く言った。

「……私が」

「はい」

「……自分で、自分を止められなくなる」

「……呪いがなくても?」

「……そうだ」

その言葉で、リリアは理解した。

呪いが怖いんじゃない。

“呪いがないのに愛妻家”の自分が怖い。

そしてもっと怖いのは――

それを“わたしに見せる”ことだ。

リリアは、静かに言った。

「見せてください」

レオンハルトの目が跳ねる。

「……何を」

「止まれないところを」

言った瞬間、糸がふわっと熱くなる。

(やばい、これも燃料……)

でも、今夜は燃料が必要だと言われた。

神官長も言った。

ーー縁は燃えて終わる。

リリアは、覚悟を持って続けた。

「私は……公爵さまが冷徹じゃなくても、怖くないです」

本当は少し怖い。

でも、怖いと言ったら、彼は鎧に戻る。

だから、怖くないと言う。

レオンハルトの喉が、ぐ、と動く。

そして、絞り出すみたいに言った。

「……怖いのは」

「はい」

「……君が」

そこで止まった。

言えない。

言えないまま、拳が震える。

レオンハルトが、リリアを見た。

「……怖いのか」

リリアは息を吸って、正直に言った。

「……少し、怖いです」

言った瞬間、糸がびりっと反応する。

でもその反応は、暴走じゃなく――“整う”感じだった。

怖いを共有したから。

レオンハルトの目が、少しだけ柔らかくなる。

そして、低く言った。

「……それでも」

そこまで言って、止まる。

止まって――

今度は、逃げなかった。

逃げずに、息を吐きながら、続けた。

「……それでも、そばにいたい」

言ってしまった。

言い換えではないけど。

“愛している”ではないけど。

“本音”だ。

リリアの手首の糸が、ふわっと温かく光り――蝶結びが一瞬、緩んだ気がした。

(え……緩んだ?)

エルザが一瞬だけ目を細める。

「旦那さま。今の発言で、糸の結びが一段階ほどけました」

「ほどけた?」

リリアが驚くと、エルザは頷く。

「はい。恐らく、呪いは“愛している”だけでなく、“恐怖の共有”でも鎮まるようです」

リリアは目を丸くした。

「え、じゃあ解除しなくても……」

エルザが淡々と首を振る。

「鎮まるだけです。解除は別。……ですが、今夜の安全策としては有効です」

レオンハルトが低く言った。

「……なら、解除は」

「必要でございます」

エルザが即答した。

「定着の前に解除を。神官長の判断です」

レオンハルトは、唇を噛んで――

そして、急にリリアの手を強く握った。

ぎゅ。

「……言う」

リリアの心臓が跳ねる。

(今度こそ?)

レオンハルトは目を閉じる。

息を吐く。

吐いて――

「……愛、し……て……」

言いかけて、止まった。

止まった瞬間、リリアの胸がきゅっとなる。

そのきゅっとが、糸を熱くする。

(だめだめ、胸をきゅっとさせるな私!)

リリアは慌てて深呼吸した。

その深呼吸に合わせて、レオンハルトも息を吐く。

そして――

驚くほど小さな声で、彼は言った。

「……愛している」

言った。

言ってしまった。

言葉が部屋に落ちた瞬間、空気がしん、と静まる。

リリアの手首が熱く光って、糸が――ふわっとほどけていく感覚がした。

蝶結びが解ける。

結び目が解ける。

ほどけて、消える。

鏡がなくてもわかるくらい、身体が軽くなる。

(……解けた)

リリアは息を止めて、レオンハルトを見た。

レオンハルトは、目を閉じたまま、苦しそうに眉を寄せている。

まるで痛みに耐えるみたいに。

でも次の瞬間――

彼は、ゆっくり目を開けた。

そして、ひどく静かな声で言った。

「……呪いではない」

リリアの喉が鳴る。

(え)

レオンハルトは、逃げずに続けた。

「……最初は呪いだった。だが」

一拍。

「……言い訳にした」

言った。

硬派の鎧が、少しだけ外れた。

リリアの胸が、またきゅっとなる。

でも今度のきゅっとは、糸を燃やさない。

もう糸がないから。

リリアは、震える声で笑った。

「……公爵さま、今の言葉、心臓に悪いです」

レオンハルトが一瞬だけ固まって――

そして、かすかに口元を緩めた。

「……すまない」

その瞬間、扉の外で――

カイルの嗚咽が聞こえた。

「うっ……! 聞こえた……! 僕の胃が……報われた……!」

エルザが扉の方を見もせずに言った。

「遠回りが甘いです、カイル」

リリアは泣き笑いになった。

レオンハルトは、リリアの手を握ったまま、低く言った。

「……終わった」

「終わりましたね」

「……いや」

レオンハルトが、珍しく言い直す。

「……始まった」

始まった。

呪いが解けた後の、彼の意思の時間が。

リリアは、胸が温かくなるのを感じながら、小さく頷いた。

「……はい。始まりですね」

(つづく)
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