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地獄に咲く花(ディストピア)
しおりを挟むあぁ、嫌だ。
頭の中にはただただ真っ黒な花が思い浮かぶ。真っ黒な茎と、葉脈が微かに白く浮いたように見えるとんがった葉っぱ。極め付けにはまぁるく幼虫のように丸まった花びら。いくつもの花びらが寄り添うその真ん中にはぴんと伸びた柱のようなめしべの周りを黒檀を削ったような花粉をたっぷりとつけたおしべが並んでいる。
ほろほろと揺れる様子は地獄に咲いた花とでもいおうか、とっても禍々しい。
その花を食べる。
初めての試みに選ばれたのは自分を含めて三人の女生徒だ。
おとなしそうな清楚な印象の子は肩で切り揃えた髪がくるんと内側にカールしており、かわいらしい。紺色のセーラー服が似合っている。もう一人はツヤツヤとした黒髪の美しい表情の硬い子。あまり笑わないし何を考えているのかわからない。こちらはセーラー服を持て余すような大人びた体型でもあり、どこか憂いを感じる相貌をしていた。
二人ともあまり話したことのない子だ。
香里奈は頭の中を埋め尽くしそうな勢いで増えていく黒い花に重々しく息を吐いた。
仕方がない。誰かがやらなくてはいけないことなのだ。
私たちが1番年上なのだから順当と言える。
電気のついていない廊下を夕陽が照らし、真っ赤に染めている。そろそろ陽が落ちてしまう。
「ねぇ」
誰もいないと思っていた背後から声をかけられ、驚いて振り返る。
同じように選ばれたボブカットの女の子だ。
「あの花を食べるのに選ばれた子だよね?」
大きな声ではないのに妙に遠くまで聞こえる不思議な声だ。
確認されて頷く。
ぱあっとその子、透子が顔を赤らめるように喜びの光に溢れた。速やかに詰められた距離に香里奈はどうしたことかと目を丸くする。
段々と薄暗くなる廊下で、目をキラキラと輝かせた透子の姿は妙に浮いている。
「あのお花を食べれるなんて夢みたいだよね」
発された言葉に香里奈は動きを止めた。
確かに夢であってくれたら、とは思うが、透子のことばには明らかに喜びが溢れている。
「実はね、あの花を、育ててるのは私なの!」
「育てて、る?」
確かに黒い花は温室に咲いている。
香里奈はそれを誰かが育てているとは考えたことがなかった。考えてみれば自然発生したとは考えにくい。なにか理由があって栽培されている花なのだ。
「そう! 私昔は園芸部だったんだけどね、それでこの花を育てて欲しいってお願いされて育てていたの! あんな花誰も育てたことがない。いわば育成の第一人者なの! 素敵でしょ?」
うっとりと夢見るような表情の少女はもう少しで大人になりそうな危うさを感じる。
「誰かに食べてもらえるなんて嬉しくて嬉しくてたまらない。あの花はすごく甘い匂いがしるの。私も食べてみたいって何度も思ったけど……勝手なことしたら怒られちゃうから……」
なるほどきちんと言いつけを守っている優等生らしい。
「あれね、お水に入れると綺麗なの。お湯の中で丸くなっていた花びらが大きく広がって……火を通すのはやめた方がいいと思う。花がぐちゃぐちゃになっちゃうじゃない? そんなの美しくないもん。せっかく綺麗に咲いたんだし、冷たいお水につけてそのまま飲んじゃうのが1番だから!」
生産者らしい並々ならぬ勢いで透子が話す。どうやって食べる、などというのを考えてもみなかった香里奈はなるほど、と頷く。
そんなに大事に育てた花なら大丈夫かな。死ぬほど不味かったらどうしようと思っていたが、いい匂いがするらしいしどうってことないのかもしれない。急激に萎れた緊張感に、香里奈はそうっと微笑んだ。
放課後に居残った三人は鍵のかかった温室に赴き、自分で好きな花を一本選び茎を園芸鋏で切る。
透子のいう通り、顔を近づけるまでもなく甘い匂いがする。
透子はもう一人の少女、沙織に先日香里奈にしたように熱心に花について話している。そんなに前のめりに話すと困らせてしまうのではと思い沙織を見るが、ごく普通の様子で相槌を打っている。沙織の発達した胸が苦しそうに制服に詰め込まれている気がしてくる。もうワンサイズ大きな制服を着た方がいいのではないだろうか。ボタンがはち切れそうで心配だ。
制服を押し上げる胸が気になるのはその胸の前で持たれた黒い花を見てしまうからだろう。沙織が持つと禍々しいと感じていた花が不思議なことに妖艶な花に見えてくる。
花泥棒のようにこっそりと誰の目にも見つからないように花を持ち帰った香里奈は、荷物の少ない部屋で唯一の食器棚ともいえるコップに水を注ぐ。
一人で暮らしている家だ。誰に見られる心配もない。
部屋着に着替える時間を惜しんで花だけを手折り、水につける。
寝るためだけの狭い部屋には既に花の匂いが充満している。
透子が言っていた、水に浸けて飲むという方法を採用したのだ。
数秒して花びらは水の中でふんわりと開き、スカートのようにひらひらと揺れる。花びらがほどけると、一つの花だと思っていたものが幾つかの花が集まって出来ているものなのだと知る。
透明だった水は薄らと黒く色づいており、花びらの先が白くなっているのに気づいた。
浸透圧が低いのだろうか。
急ぎ、コップをつかむと思い切りよく水を飲んだ。
冷たい水が喉を流れていく。
甘い匂いが鼻に上ってきて、水までも甘くなってしまったような不思議な感覚だ。
半ばまで水を飲み、花を大きめのスプーンで掬う。ごくりと唾液を飲み込み、覚悟を決めてからふやけたようなそれを口に運ぶ。
舌に乗せた時点で、微かに苦味を感じる。が、それはすぐにわからなくなり次にはシャキシャキとした食感ととろみが香里奈を驚かせる。
舌に残る甘さはピリピリとした刺激を伴う。
一気に食べてしまい、残った水もそのまま飲み干した。
これは美味しかったというのだろうか。
まったく後味が残らず、ともすれば食べたことなど忘れてしまいそうだ。
空になったコップを机の上に置き、しばらく香里奈はそれをじっと見つめていた。
「今日はなんだか甘い匂いがしない?」
教室で誰かが言うのを聞いて香里奈は驚く。昨日花を食べたことは当事者の三人以外は知らない筈だ。
昨日透子も花を食べたのだろう。朝から透子はにまにまと頬を緩めている。
今しがたドアを開けて教室へ入ってきた沙織の視線が透子と自分に投げられているのを感じる。心が通じ合った仲間のような意味ありげな瞬きを交わす。けれど会話をすることはせずに、ふいっと視線はそらされた。
「なんだか今日は甘い匂いがしない?」
言ったのは誰か、香里奈は笑みを漏らさないように頬を膨らませた。
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