【完結】地獄の釜は閉めたまま

染西 乱

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「……それは本当か?」

男は、孝之介をじろじろと無粋と思えるほどに見てくる。気の弱い男ならばそれだけで萎縮してしまうような、人を威圧し慣れた眼差しである。
この男、瞳孔の開いた蛇のような嫌な目をしているな。

「嘘ついてもなーんの得もないですしね」

こんなもの嘘などついたところですぐにバレてしまう類のものだ。嘘をつく意味もない。
 
「しかし、みちこをこの店で見たと言う話を聞いてきたんだ」

あほの一つ覚えとはこのことか。
どこのだれから得た情報なのかわからないが、それは本当に信用に値するものなのか甚だ疑問だ。
この男に関しても、明らかに短絡的そうであるし、おつむの出来を侮られた挙句に偽物の情報をそれらしくつかまされたのではなかろうか。

「だからーみちこ違いでしょう」

もう男が探す女が美知子ではなかったとわかっているのだ。とうに孝之介は興味を失っている。
どうでもいいから早く帰れよ。
身にならない時間だ。
投げやりに言って、両手を頭の背後で組むと伸びをした。

「……あ、そういや、少し前におみちっていう女の人が手伝いに入ってましたよ」

孝之介がいかにも今思い出したとでも言うような能天気な声を上げる。
男はみたらしを食べるのを忘れて孝之介に顔をずい、と近づけてきた。
男の顔なんて近くで拝みたいものではない。とくに脂切った男の顔なぞ剃り残しの髭の青いのなんのって嫌になってしまう。
孝之介は詰め寄られた分だけ、身体を後ろに引いて距離を保つ。

「なにっ!? そのおみちとやらは今どこに!?」

「うわっ、大きい声ださんといてください」

近くで大きな声を出された不快感に孝之介は顔を歪めた。

「早く教えろ!そのおみちという女がきっと俺の探している女に違いない!」

わかった。この男夢見がちで思い込みが激しいのどり
さらに言えば考えなしで一方的。
自身の思いが女に嫌がられているなどどは露ほども思えないようだ。

「……え、でも……」

孝之介は言いにくいことを言いたげな奥歯になにかつまったような物言いをわざとした。
本当におみちと言う人間が働いていたかなんて、簡単な裏どりさえも行わない。
頭が良くないんだろうな……というより考えなしなのか……

「いいから教えろ! その女は俺の妻だ!」

「……はぁ」

孝之介は男に哀れみすら抱きつつある。
万が一本当に過去はそのみちこが男の妻であったとしても、逃げられたということは離縁されたと言うことだ。もう妻ではなく「元妻」が関の山だ。

「早く言え!」

「あー、あの、少し働いてある程度お金が貯まったから、もう少し遠くへ行くとか……? 行き先は知りませんが、もう平野郷にはいないかと……」

もちろんそんな女が平野郷にいたためしもない。とはいえ男から逃げて来た女というのは複数人いる。中には孝之介が言うように、お金を貯めるともっと遠くに逃げることにするものもいる。
孝之介の示した行動は「ない」ものでもない。

「チッ、役に立たない情報だな」
 
「すいません……じゃぁ、俺の幼馴染の美知子への求婚はなし、ってことですよね?」

孝之介は最後にきっちりと言質を取っておこうと念押しで尋ねた。

「私の探している《みちこ》でないのなら用はない」

「じゃぁそういうことで」

孝之介は、意気消沈した男と裏腹ににっかりと満足げに笑みを溢した。

孝之介は安堵と共に立ち上がり、美知子が時間を潰している神社へと戻る。
その足取りは軽やかで、良いことがあったと言わんばかりだ。

(はぁよかった、これで美知子はまだ誰のものでもない)


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