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火事現場からの心霊レポート【2】

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 3.

「いくらくらい盗まれたの、お賽銭」
「平日だったから数千円。戻ってこないだろうって、佐々木に言われたよ」
 食器を拭いていた司が、手を止めてこちらを見た。
「佐々木くんが来てくれたんだ」
「……」
 声に弾んだものを感じて、思わず司の表情を探ってしまう。
 三峰家での夕食後である。母は入浴に、父はその介助で一緒に風呂場へ行っている。崇文は司と並んで、四人分の食器を片付けていた。
「――来たよ。佐々木に何か用でもあった?」
 できるだけ平静を装い、内心の苛立ちを隠して訊くと、司はううん、とかぶりを振った。
「あの女子高生の事件、どうなってるのか聞きたかっただけ。興味本位でこういうこと訊くの、よくないってわかってはいるんだけど……」
 どうしても気になっちゃって、と恥ずかしそうに俯く。佐々木自身を心待ちにしていたのではないとわかり、崇文こそ自分の器の小ささに恥ずかしくなった。
(お釈迦様、すみません……)
 司がモテるのは今に始まったことではない。それなのに、どうしてか近ごろ、司を取り巻く人間関係が気になってならない。
「母校の生徒だと思うと、どうしても気になるよね」
「まあ、な……。佐々木に聞いたけど、あまり捜査に進展ないみたいだ。って言っても、俺たちに捜査状況を全部話しているとは思えないけど」
「早く見つかるといいね」
「ああ」
 もちろん元気な姿で見つかってほしいが、家族からしたらどんな姿であっても帰ってきてほしいだろう。ずっと行方知れずのままでは、子がどこかで助けを求めているのではないかと、親は永遠に苦しむ。
「――本当に、早く見つかるといいな」
 できれば元気な姿で――。
 司の手から雫が落ちているのに気づき、崇文は肘で隣りをつついた。
「……司、司、ちゃんと拭いてくれ。水分が残ってるとグラスに拭きスジが残る」
 ふ、と我に返り、司が目を吊り上げた。
「細か。いいじゃん、それくらい。ただの水なんだから。崇文こそもっとちゃんと擦ってよ。これ、まだぬるついてる」
 洗ったばかりの皿を二枚ほどシンクに戻される。汚れそのものを気にする司と、仕上がりを重視する崇文とで、食後の片づけではしょっちゅうバトルになった。では皿洗いと食器拭きの役割を交代すれば解決かというと、今度は互いに「時間がかかり過ぎだ」と責め合いまたバトルになる。
 言い合っているうちに、司の表情に明るさが戻ってきた。
「行方不明の子も可哀そうだけどさ、同じ高校に通ってる子たちも不安だと思うんだ。友達が急にいなくなったこと自体もショックだし、自分も攫われるんじゃないかって怖いと思う」
「ああ、たしかに」
「同じ学校の子たちだけじゃない。他校の子だって不安を感じてると思う。自分の住んでいる地域で、しかも自分と同年代の子が行方不明だなんて、ショックだよ」
 そんなふうに考えていたのかと、純粋に驚く。自分は、行方不明の本人や家族のことばかり心配していた。
 同じ学校に通う生徒たち。事件を聞いた、地域の高校生たち。司の言うように、不安を抱えて登校している者も多いだろう。
「学校側もケアしてるとは思うんだけど」
 司が気遣わしげに息を吐いた。
 優しさにも種類があるが、司はひとの気づかないところや細やかな部分に目配りがきく。弱きを助け強きを挫く、ではないが、常に弱い者に寄り添ってものを考える。先日の本庄恵の一件でもそうだった。
「みんなの気持ちが落ち着くように……、そうだ! 崇文、法話でもしに行ったら?」
 司の提案に、崇文は眉をひそめた。
「力になってあげたいとは思うけど、高校生が坊さんの法話を喜ぶと思うか? 寝るだろ」
 真剣な顔つきでこちらを見ていた司だが、崇文の溜息まじりのぼやきを聞いて笑い出した。
「寝るね。お父さんが涅槃会ねはんえの日に講演に来たとき、私、寝たもん」
 崇文たちが通った高校は仏教系の学園だったため、四季折々の行事で現役の僧侶が説法を聞かせにきた。
「俺も寝たよ。親父の話はくどくて長いんだよ」
「ちょっと、長いよね」
 司が申し訳なさそうに笑う。
「性格はせっかちなくせに、話は長いってどうゆうことなんだ」
 早口なわりにいつまでも結論に向かわない父の話を思い出し、司と二人で少し笑った。
 退屈な授業や講義で思わず寝てしまう。高校生たちがこれまで通りの平和な日常を過ごせるよう、心から願った。


「気をつけて帰れよ」
「うん」
 玄関で靴を履く司の後ろ姿を見ていたら、すっかり大きくなった、などと父親じみた気分になった。
 ダウンジャケットを着た司の背中はしっかりと広く、後ろ姿だけを見ると、一見して女なのか男なのかわからない。中学まではクラスでも小柄なほうだった司だが、高校一年の夏休みで、一気に百七十まで背が伸びた。男子にしては平均的、女子にしては大きいほうだった。
「じゃあ、おやすみ」
 振り返る顔は、周囲にいる誰よりも繊細な美貌なものだから、いつも脳が混乱してしまう。
(男だってこと、いまだに忘れかけるよ)
 祖母に連れられた司を初めて見たとき、すっかり女の子だと思い込んでいた。
 大きな瞳や、それを縁取る長い睫毛、兄や自分とはまったく違う、肌理の細かい白い頬。顔の造りが少女めいていたし、栗色の髪の毛は、耳が隠れるくらいの長さだった。
 母は、毎日司に手製のワンピースを着せ、時間をかけて髪を梳いてやっていた。自分らが男二人兄弟だったから、女の子を育てるのがよっぽど嬉しかったのだろうと、幼心に感じていた。
 司が我が家に来てひと月ほど経った頃、思いがけない形で、司が男だと思い知らされる出来事があった。
 母に頼まれ、司と一緒におつかいに出たときだ。商店街の、何度か父と一緒に訪れたことのある仏具屋で蝋燭を買うという、簡単な買い物だった。
 仏具屋の主人は、子ども二人で買い物に来たことをたいそう褒めてくれた。司と崇文の頭を撫で、お使いの蝋燭のほかに、ジュースを一本ずつプレゼントしてくれた。
「ありがとうございます」
 礼の言葉を述べると、主人は蕩けそうなほど目尻を下げた。
「偉いなぁ。気を付けて帰るんだよ」
 当然、家に帰るまでの道中でジュースを空けた。暑い日だったのでありがたかった。
 お使いは、食品のように傷む心配もなかったので、公園にも寄り道した。寺と商店街との間に大きな滑り台のある公園があり、かねてより司を連れて行きたいと思っていたのだ。 
 ちょうど正午という時間帯のせいか、公園は人が少なく、存分に遊ぶことができた。
 しばらくすると、うっすらと尿意を感じ始めた。だが、遊びを中断するのが惜しい。まだ大丈夫、まだ大丈夫と誤魔化しているうちに、家まで我慢できないほどのっぴきならない状態になってしまった。場所を選んでいる余裕などなく、崇文は公園の奥のほうにある木の茂みに飛び込んだ。
 似たような状態だったのだろう、司が膝を擦り合わせる珍妙な走り方で後ろをついてきた。お互いに適当な茂みで済まそうと背を向けると、どうしてか司が、靴が触れ合うほどすぐそばに並び立った。
「?」
 もしや、まだ一人で用を足せないのだろうか? 女の子のトイレの手助けなど、したことがない。どうしようと焦っていると、司は立ったままスカートをたくし上げ、躊躇なくパンツを下ろした。
「⁉」
 後にも先にも、あれほど驚いたことはない。ひとは本当に驚くと声が出なくなるものだ。
「妹」だと思っていたのに――。
 視覚で「男」だと突きつけられ、脳が動きを停止した。これまでの司のイメージと、今見ている光景とがうまく結びつかず、崇文は呆然と立ち尽くした。
 立ったまま用を足し終え、スカートを元に戻すと、司は「用を足さなくて大丈夫なのか?」とでも言うようにこちらを見上げてきた。大きな瞳とそれを縁取る長い睫毛。学校で見る女子の、誰よりも可愛らしい顔立ち。髪は少し伸びて、顎に届くくらいになっていた。
 限界だったはずの尿意はすっかり引っこんだ。
 震える手で司の手を取り、飛ぶような勢いで家に帰った。それでも、ショックを受けているのを司に悟られてはいけないと、なんとか普通の顔を取り繕った。自分のこの、説明のできないおかしな感情のせいで、司を傷つけてはいけないと思った。
「お母さん!」
 玄関先で叫ぶと、母が飛んできた。崇文のただならぬ様子に、状況を察したようだった。母は、司を奥の部屋へ連れて行くと、玄関先で立ち尽くす崇文に一言、「夜にお話ししましょう」とだけ声を掛けた。
 何も手に着かないまま夜を迎え、司が寝入ってから、仏間で母と向かい合った。
「俺、俺、司のこと……ずっと女の子だと」
 すべてを言い終わらぬうちに、母が唇の前に人差し指を立てた。
 しぃー、と、密やかに息を吐く。
「――司は女の子よ。あなたの妹」
「え……、だって、」
 なぜ女の子のふりをしているのか、囁くように母に尋ねた。
「そうしなければ、司は死んでしまうの」
 母は、神妙な顔つきで、とてもすぐには信じられない話を語り始めた――。


 4.

 *****

「――はい! こんばんは。オカルト倶楽部の早見です!」
「こんばんは。岸田です」
「今日は、とある住宅街の中にある心霊スポットに来ています。……実はですねー、ご存じの方も多いと思うんですが、ここに来るのは二回目なんですよ、二回目。最初に来たときにですね、ちょっとしたトラブルがありまして……。ね、岸田さん」
「そう。かなりビビりました」
「びっくりしたと言っても心霊現象が起きたわけじゃないですよ? どっちかというとヒトコワです。でもね、今日は大丈夫です。ちゃんとここで撮影する許可もらってますんで。では、住宅街の中の心霊スポット、再訪問です!」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします! ここが現場の『黒い家』です。いやー、二回目の訪問ですが相変わらず不気味ですね」
「まだ解体されてないんだ。なんで?」
「どうしてでしょうね……。やっぱり解体しようとすると霊障が起きるんじゃないでしょうか?」
「うわ、まだ臭い。火事の焼け跡って、こんなににおいが残るもんなの?」
「たしかに……臭いです……。なんて言うか、ゴミ処理場? 家畜とか、野性の動物とか、そういう系のにおいと言うんでしょうか」
「なんか腐った肉を焼いたような、強烈なにおい」
「立ち入り禁止のテープが貼ってあるんで中には入れないんですが、ぐるっと周りを映しますね。――小さな家です。壁はほとんど焼け落ちちゃってるんで、中が丸見えです。奥の方は……暗くて見えないか。おっと、ブロック塀があってこれ以上は進めないです。ここに住んでいたおばあさんが一人暮らしだったそうで、相当ゴミを溜めこんでいたらしいです……。それで、火事の焼け跡ではあるんですが、とにかく物が多い!」
「真っ黒の、謎のがれきがいっぱい転がってる。全部、焼けた家財道具かな。とにかく地面が見えないくらい、ものが積み重なってて……はっきり言って、幽霊が出なくても怖い雰囲気ではあるよな。で、早見さん。幽霊っていうのは、そのおばあさんの霊なんですか?」
「それは――」
「……」
「――おばあさんの霊かどうかは、わからないんですけど」
「わからないのかよ」
「あはは。深夜になると、この家の奥の方からなにか物音が聞こえてくるらしいんです」
「野良猫じゃないの?」
「猫じゃないです。もっと重いものが動くような音、何かが床を擦る音らしいです。それに、猫はあんながれきの下に潜り込まないでしょう」
「風が吹いて物が揺れたとか?」
「風ごときで揺れます? この家の中のもの。見てください、あんなに大っきいんですよ? たぶん箪笥とかだと思うんですけど、家の中に転がっているすべての炭が巨大なんですよ。見えますか皆さん。暗いからわかりづらいかな……」
「たしかにでかい箪笥とか、あれはマットレスかな、折り重なって焼け焦げてるよな。でもさ、」
「しっ!」
「なに?」
「……今、聞こえませんでした……?」
「なに? 俺は聞こえなかった」
「なにか物音がしたんですよ! ……ほら今!」
「……」
「岸田さん、今の聞こえ」
「おい! また来たんかお前ら!」
「出たっ、この前のジジイ」
「しっ。大丈夫、今回は許可取ってある。――お騒がせしてすみませーん。俺たちオカルト倶楽部と言って、ユーチューブに動画を配信してる、」
「うるさいんじゃお前ら! いい加減にしろっ!」
「……ちょっと、話を聞いてくださいよ。ちゃんと許可は取って、」
「帰れ! 勝手にひとんちを録るなっ!」
「おじいさんちを録ったりしてませんよ! ちゃんと許可取ってこの火事になった家の撮影を、」
「うるさいっ! お前らみたいな変な輩が出入りするから女子高生の事件なんかが起こるんだっ! この疫病神が!」
「なんですか女子高生って! 俺たち知らないっすよ、そんなの!」
「早見、早見っ、やめとこ。面倒なことになる。――すいませんした、お騒がせしました」
「夜中に近所迷惑だ!」
「そっちのほうがうるさいじゃないですか!」
「なんだと! この野郎!」
「早見っ、もう行こう」
「あっ、カメラに触んな! ちっ。行くって」
「この疫病神っ! もう二度と来るなー!」
「来るかっ!」

 *****
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