ある魔法都市の日常

工事帽

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パン屋の桂木さん

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 少しばかりクラクラする頭で帰り道を歩く。
 夜勤明けはいつもこうだ。
 夜勤に合わせて前日の昼間に睡眠をとっていても、夜勤が明ける頃には疲労が朝日でかき混ぜられて、眠いのか眠くないのか、よく分からない状態になる。

 重い足で向かうのは自宅ではない。
 疲れてはいるけど、帰る前に朝食を買いにいく。

 カランコロンとベルが鳴るドアを通ると、店の中はパンの香りで一杯だ。
 パケットにクロワッサン、エピにカンパーニュ、ベーグルにバターロールも美味しそうだ。香りが危険なガーリックトースト、甘さが誘うクリームデニッシュはちょっと高いけれど、ついつい買いたくなる。

 つい目移りしそうになるが、今日は買うものは決まっている。
 パン屋の一角、そこにはサンドイッチが並んでいる。ハムサンドにタマゴサンド。シンプルなサンドイッチは、夜勤明けの狂った体調でも普通に美味しい。
 あまり凝った味の料理や、揚げ物なんかの重い料理は食べる気になれないくらい、体の調子はグダグダだ。
 いくつかのサンドイッチがセットになったものを手に取って、会計に向かう。

 カウンターに居るのは豚獣人の少女だ。
 種族柄か、少しぽっちゃりした少女は、このお店の娘らしい。
 朝の時間だけは、カウンターで接客をしている。他の時間はこの娘の母親らしい豚獣人がいる。家族でお店をやっているようだ。
 会計を済ませたところで少女に話し掛けられた。

「お客さん、ちょっと聞いても良いですか?」

 正直、夜勤明けで疲れているのですぐに帰りたい。動きを止めたのを了承と取ったのか、少女は言葉を続ける。

「新しいパンを増やすとしたら、何が良いと思いますか?」
「新しいパン?」
「はい」

 ニコニコと質問してくる少女には悪いけど、いきなりそう聞かれても思いつくものがない。それ以前に頭が回らない。徹夜明けに不意打ちの質問は、頭に染み込むのに時間がかかる。

「揚げパンとか、カツサンドとか。どうですか?」

 どうですかと言われても、今の体調で揚げ物は食べる気にならない。

「こら、明日菜。お客さんに迷惑かけるんじゃないよ」

 答えに困っていると、奥から人が出てきた。
 いつもカウンターにいる豚獣人だ。手にはクロワッサンが乗ったトレイを持っている。
 焼き立てのパンは香りがすばらしい。買ったばかりのサンドイッチを差し置いて、焼き立てのクロワッサンも欲しくなってくる。

「ごめんなさいね。夜勤明けなんでしょ。この子の言うことに付き合う必要はないからね」

 確かに夜勤明けだけど。なんで分かるんだろう、病院も近いし、他の職員に何か聞いていたりするのだろうか。
 結局、何も答えないまま、迷惑を掛けたからとクロワッサンを一つもらってお店を出る。
 物欲しそうに見えてしまったのだろうか。ちょっと恥ずかしい。

 少しばかりクラクラする頭で帰り道を歩く。
 買ったサンドイッチと、もらった焼き立てのクロワッサン。朝食はどっちにしようか。やはり焼き立てのクロワッサンか。クロワッサン一つでは物足りないけれど、サンドイッチも食べてしまうと、少し多いような気がする。あの少女と同じ体形になるのは抵抗がある。私は豚獣人ではないのだから。

 そんなことを考えながらふらふらと部屋に帰る。
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